ねがいごとはひとつ。
いつも、閲覧&ブクマ&&評価をありがとうございます。
特別編という名の一区切り編。
「本日は、王宮にお招き下さりましてありがとうございます」
先日、僕たちは十五歳の誕生日を迎えた。
もちろん、両親は僕たちのためにパーティをお屋敷で催してくれたし、たくさんの人たちにお祝いもしてもらったんだけど。
もう、これは恒例行事だと思っていいのだろうか。
誕生日の翌日は、必ず陛下と皇后様の元へ訪れる――なんて非日常的な現実は。
「そんな固い挨拶は抜きにして。さあさ、お菓子でも食べなさい」
「ふふっ。全くもう、陛下ったらお祝いの言葉が先ですわ。お誕生日おめでとう、二人とも」
「おお、そうだった。イエリオス、アルミネラ、おめでとう。お主らも、もう十五歳になるのだな、早いものだ。のう、イルフレッド」
しかも、僕たちが今居る場所は厳かな装飾品が並ぶ玉座の間ではない。
「毎年、このように祝って頂けて感謝しております」
「ふん、つまらん奴よ」
真冬のこの時期であるにも関わらず、冷たい空気を遮断して柔らかく暖かい陽の光だけを取り入れたミュールズ国屈指の温室といえば、どれだけ手間とお金がかかっている贅沢な場所か分かってくれるだろうか。
そんな王宮で働く人でも、限られた人たちしか入れない植物園で、このお茶会は行われている。
当然、主催者は陛下と皇后様。
目の前に並べられたたくさんのお菓子の山を見つめながら、内心途方に暮れる僕の気持ちを分かって欲しい。
「うふふ。イルフレッド様の仏頂面なんて、今に始まった事ではないでしょう?ねぇ、エルメイア」
「ええ。こう見えて、とても喜んでおりますわ」
父上が、確か宰相に決まる以前から陛下と親しくさせて頂いている事は以前、小耳に挟んだ事はある。けれど、母上も実は、皇后様が陛下とご成婚される前からのお知り合いだというのは未だに謎過ぎて気になるところだ。
そもそも、皇后様のご出身はミュールズ国の真下に位置するティリア国だし、侯爵家の娘である母上がどうしてなんて……考え出したらキリがないか。
まあ、思わず遠い目になってしまうのは許して欲しい。
「時の流れとは、早いものだわ。あんなに小さかったオーガストが、ついこの間学院を卒業したのだもの。昔は、よく泣いてばかりで」
「は、母上。幼い頃のお話は、後ほどご婦人方のみで存分にお話し下さい」
「まあ。この子ったら」
うわぁ。あ、ああっ、ああありがとうございます、殿下!貴方は、勇者だ!って、適当な事を言ってすいません。前世では柔道の事しか頭に無かったのでゲームとかあまり知らないです。けれど、本当に助かった!
ご婦人方のお話は、いつも僕たちの恥の晒し合いに近いから、この年になってくると非常に恥ずかしくてたまらない。
でも、母上たちの手前、お礼を口にするわけにはいかないので、感動の眼差しだけ殿下に向けると、やはり殿下も僕と同じ気持ちだったのか頷かれた。
あー、良かった。多少は機嫌が直ったのかな?
実は、先ほどまで拗ねた顔をされていたので気になっていたのだ。
というのも。
今回は、陛下主催のお茶会というのは名目で、僕たち双子の誕生日を祝う簡単なパーティは僕たちエーヴェリー公爵家と陛下のそのご家族だけの極秘の会となっている。にもかかわらず、いつもなら招かれる側として僕の隣りに座っていたアルミネラが、今年はオーガスト殿下の隣りに用意されていた。
まあ、簡単にいえばオーガスト殿下の卒業を機に婚約者であるアルミネラの位置も更に明白にしていきますよって事なんだけどね。この二人が、これからこの国の未来を担っていくんですよーという意思表示。
それを、わざわざ僕たち家族を呼んだ席で示したのだから、セラフィナさんに片思い中の殿下としては内心面白くないだろう。ただ、国の為を思えばこそ、ちょっと不機嫌なだけに留めているに過ぎない。
だから、あの方は本来、激情家だから内心じゃあ荒れ狂ってるんだろうなぁ。また、自棄を起こして去年の新歓の時みたいに変な気を起こさなければ良いけど。
去年は、色々とあったなぁなんて思いながら、殿下の隣りで色んなお菓子に目移りしているアルミネラをそっと窺う。
思えば、僕が女装する事になったのは、この子が騎士になりたいと暴走した結果だった。
騎士になるなら、普通に言ってくれたら僕だって応援したけど。この世界では、まだ女性騎士というのは稀な存在で、父上が賛成してくれなさそうだったのは目に見えていたからなぁ。あんな淡泊そうに見えるのに、父上は娘のことをちゃんと心配していたらしい。
なにせ、僕たちの入れ替わりを知っていて今でも陛下に黙っているぐらいだし。そんな大それた事を平然とやってのけているのだから、さすが宰相の仕事を任されているだけある。
「ん?どうしたの?イオ」
おっと。盗み見していたのにバレちゃった。
「ううん、何もないよ。それより、そのドレスとてもよく似合っているよね」
「朝からずっと、おんなじ事言ってるね」
「言っちゃあ悪い?だって、君は僕の自慢の妹だもの」
今日のアルミネラは、本当にとても綺麗だと思う。いや、僕は重度のシスコンだけど、僕の掛け値なしに妹はそもそも綺麗なのだ。
陽の光を浴びてキラキラと輝きを放つ父上の遺伝を受け継いだ白金色の髪が、濃紺生地のドレスによく映えていて。僅かに見える首筋や腕は、象牙のように透き通って白い。
傾国の美女と名高い母上の美貌に甘さを含ませた顔立ちは、まだ幼さが残っていてどこか愛らしさがある。こんな可愛い子が僕の妹だなんて、未だに信じられない。
……ただ、ちょーっと元気が有り余りすぎて、走り回ったり木に登ったりと、貴族の常識から逸脱しているからエーヴェリーの残念姫だなんて言われてしまっているけれど。
女神の祝福を受けて以来、アルは急にどこか女の子らしくなった気がする。なんていうか、落ち着いてきたというのかな。
「イオだって、自慢のお兄ちゃんだよ」
「ありがとう」
うん、照れてる、照れてる。
あー、もう可愛いな。少し行儀が悪いけど、僅かに頬を染めながらフォークの先を囓るアルミネラが可愛くて、思わずニコニコと笑んでしまう。
「エルメイアが羨ましいわぁ。この際、アルミネラだけではなくて、イエリオスも欲しいぐらいよ。リーレンの生活はどう?貴方、どちらかというとイルフレッドのような文官の方が合っていそうな気がするけれど」
どうやら、皇后様にずっとやりとりを見られていたらしく、クスッと笑われてしまった。
うわぁ、恥ずかしい。
「これこれ。イエリオスが困っておるではないか」
「まあ、ごめんなさいね」
毎回思うけど、こういう会話ってもはや親戚の叔父さんと叔母さん……ああ、いや深く考えるのは止そう。本来、恐れ多い方々なんだから。
「リーレンでの生活は、僕にとってとても貴重で尊い日々です。ただ、正直に申しますと、将来のことはまだ考えあぐねている最中です」
どう返事をすれば良いやら考えたけども、こういう風に今はただひたすらに模索中ですよーとアピールするしかない。だって、騎士になりたいだとか文官になりたいだとかはっきりと口にしてしまえば、アルミネラの夢を潰す事になってしまう。
それだけは、お兄ちゃんとして守ってあげたい。不甲斐ないけどね。
無難に乗り切ったかなぁと思って、内心ホッと胸をなで下ろしていたら、殿下が焔のような瞳をキラリと光らせてにやっと笑った。
「俺の宰相になるというのなら、いつでも歓迎するぞ」
「う、もったいなきお言葉ありがとうございます」
うわぁとか言いそうになっちゃった。
いやいや。嬉しいけども、僕のような半人前にもなれない奴が父上の後を継ごうなんて無謀ですって。 世襲される爵位だけでも、僕に務まるだろうかなんて心配なのに。
「ふむ。それもまた一興かもしれんが、確か宰相候補が一人居ただろう?銀髪の。名前は、えーと」
「アシュトン・ルドーです。つい最近亡くなったニコラス・ルドーのご子息です」
ああ、アシュトン・ルドーといえば先日の誕生日会に来ていた、あの美形の人か。
屋敷のパーティの終わりに、父上から改めて紹介してもらったけど真面目そうな人としか認識出来てない。でも、父上や陛下が覚えていらっしゃるぐらいだから、やっぱりそれなりにしっかりしている方なんだろう。
それに、コルネリオ様に匹敵するほどの美形という部分を抜きにしても、オーガスト殿下の宰相候補になれるんだから、相当父上に目を掛けられているって事だよね?
「あやつは、どうなのだ?」
と、若き新米公爵ルドー卿について問われた殿下が、何故か苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
「能力的には相応しいのかもしれません。ですが、私の誠の臣下には向いてはおりません。まあ、そこら辺の事は、宰相がよく理解しているでしょうが」
「ほう、そうなのか?」
「はい」
えっ?父上も言いきっちゃう?
内心で驚く僕を余所に、皇后様が両手を合わせてにっこりと上品な笑みで場を纏める。
「あらあら、もう。今日は、そのような政についての話し合いの場を設けた訳ではございませんでしょう?せっかくのお祝いごとですのに。そういうお話は、後でじっくりして下さいませ」
「ああ、すまぬ。イルフレッド、この件は後ほど改めて聞くとしよう」
「分かりました」
正直、僕もその話を聞きたいなんて思ってしまう。けど、まだ将来を決めかねていて宰相になりたいと思っていない僕が、下手に深入り出来るはずもない。
父上だって、そういう生半可な態度には容赦ないし。そりゃあ、生まれてから十四年間、父上から怒られた事はないけど、怒らせたくないというのが本音でもある。
多分、恐い。うん。
ひとしきり陛下主催の特別なお茶会を楽しんだ後の自由時間。なんて、勝手に自由時間と称しているのはアルミネラだけなんだけど。
毎年、お茶会も終盤に差し掛かったら皇后様と母上は、室内に二人でお茶を飲み直しに戻ってしまうし、陛下と父上は多忙な仕事の合間を取って抜けて下さっていたから、仕事の話が始まって自由解散となるのが常だ。今までは、そこからオーガスト殿下とよく三人で行動していたけれど、今年からは殿下も父上たちと行動を共にするようだ。
こうやって、どんどん殿下も国の政に参加していくのだろう。
少しずつ、でも確実に殿下の即位が近づいていく。
「それで、これからどうするの?」
久しぶりに、王宮内で二人きりになって、どこか楽しそうに前を歩くアルミネラに問いかける。僕だって、アルとこうして二人きりになれるのはとても嬉しい。
護衛役として、サラとノアがついてきているだろうけど、サラがいる限りノアも無粋な真似はしてこないのでこうして二人きりを満喫出来る。
ああ、なんて贅沢なんだろう。
前世での二十年間に比べれば、まだまだ十五年目に突入した命だけど。
双子として生まれて良かった、なんて心から思える。
「イオ」
……前言撤回。このアルの意味深な笑みには覚えがあって仕方ない。
ほんと、嫌な予感しかしない。
なんて思ってたら、僕の前に立って両手を握られた。人、それを逃亡阻止という。
「イオ」
「な、なに?」
「このドレス、私にとっても似合ってるって言ったよね」
アルさん、その笑顔が恐いから!
まあ、そう言いながら廊下でドレスの裾を持って、ヒラリと一回転したアルミネラは本当に可愛くて綺麗だと思ったけど。
濃紺色のドレスは、ストライプ柄になっていて光りが入ると花柄が浮き上がる。昨日の誕生日パーティの際は、レースを多くあしらっていてフレアが多くある可愛いドレスだったけど、今日のドレスはどちらかというと大人しい感じのシンプルなデザインのドレスだった。
「今日のアルは、ちょっと大人びていて綺麗だよ」
「うんうん。じゃあさ、是非とも私にそれを見せてくれない?」
「は?」
あのう、ちょっと意味が分からない……うっ。
何で、そんなキラキラした瞳で見るかな?
「だって、何度も言うぐらい綺麗なんでしょ?だったら、私も見たいなって」
「か、鏡で」
「今日、頑張った私へのご褒美は?」
「……っ」
あー……お兄ちゃん的には、それは言わないで欲しかったなぁ。
「という訳で、さっそく着替えよっか」
「ちょっ」
「サラ!ねぇ、サーラー!」
「あ、ああああアル?な、なんで、人気の無い部屋とか知っ……まっ、わぁぁあああああ!」
その後、為す術もなく二人がかりでドレスを着せられたのは言うまでもない。ちなみに、部屋の扉が閉じきる前に、ノアに思いきり同情した視線を投げられたのは、僕にとって屈辱だったと言っておこう。
――で、だ。
結局、こうなるんだよね。
さっきと同じ立ち位置でありながら、はあ、とため息をついた僕の前を歩くアルミネラは先ほどよりも断然に良い顔をしている。
まるで、一仕事を終えた侍女のように晴れ晴れとした笑顔だった。
「アル、王宮でこれがバレたら一大事なんだよ?」
「だから、さっきは我慢してたんだよ?私だって、悪魔じゃないんだから」
どっちにしても、鬼だと思うお兄ちゃんは間違っているのでしょうか。もうやだ、うちの子が小悪魔過ぎて辛い。
どこに向かっているのか、ずんずんと僕の手を握って廊下を突き進むアルが涙で滲む。
けど、アルがいつもの調子に戻ってくれて良かった。やっぱり、アルミネラにはこんな風に生き生きとしていて欲しい……なんて、それは僕のエゴかもしれないけれど。
行き慣れているだけあって、僕たちが普通に廊下を歩いていれば王宮で働いている侍女や警備兵の皆さんが微笑ましい顔つきで頭を下げてくる。
中には、幼少の頃からの付き合いで顔見知りとなっていて、気軽に片手を挙げて挨拶してくれる人なんているし、僕たちも公爵家の子供としてではなく同じように手を振ってそれに応えていく。
と、そこへ露出度の高いエキゾチックでカラフルな服装の美女が歩いてきた。
いや、ここ王宮だよね?なんて、辺りを見回した僕はおかしくないはず。
今まで、それこそ十四年間も通い続けた王宮で、初めて遭遇したのだから僕だけではなくアルミネラさえも立ち止まって驚いていた。
もしかして、陛下の来客だろうか?でも、それならば後ろにお付きの方がいないのは怪しすぎる。
そんな僕を余所に、彼女は豊満な胸を敢えて見せびらかすかのように揺らしながら、僕たちの傍を通り過ぎて立ち止まった。
「そんなに見つめられちゃあ、穴が空いちまうよ」
振り返ると、美女は頭頂部で結んだ黒い髪をサラリと指で梳かしながら、クスクスと笑っていた。
「……す、すいません」
そんなに見つめてたっけなぁ、なんて思いながらもつい謝ってしまう。ほんと、こればっかりは日本人気質なんだから仕方ない。悪いと思ってなかったら謝るべきじゃないのは分かってるんだけどね。
「違う、違う。君じゃなくて、そっちのお嬢さん」
「え?えーっと、おじょ……っ!?」
嘘だ……、こんな一瞬で僕たちの入れ替わりを見抜ける人がいるなんて。
言葉に詰まった僕を守るように、アルミネラが数歩戻って間に立った。その視線は、目の前の怪しげな美女から全く逸らされていない。
……どうしよう。今は、外見が入れ替わっているとはいえ、妹に守られている状態なんて情けない。でも、アルミネラなんて呼ぶわけにはいかないし……どうやって声をかければ良いのか分からない。
「気にしなくていいよ、イオ。この人には何でもお見通しだから」
「え?アル、もしかして知り合いなの?」
こんな如何にも怪しげな人と?って、それは失礼過ぎるか。
視界に美女が映り込んだ時点から、何となくアルの手がこわばった気がしていたけど、それは二人が顔見知りだったからなのかな。
ただ、アルミネラにとってはあまり歓迎出来ない人なんだろう。
「エーヴェリーの双子のもう一人とは、初対面になるね。初めまして、あたしはシンシア・ベルジュ・ド・テルマン。君には、そうだね……マリウス・レヴェルの師だって言えば通じるかな?マリウスがいつも世話になってるね」
「マリウスくんの……いえ、こちらこそ」
とりあえず、公爵家の子供として動揺を押し隠しながら返事は出来た、けど。
どこまで知っているんだろう……心臓に悪い。
何も知らないままだったら、目の前で微笑む彼女の事を受け入れてしまえるんだろうけど。
相手がにこにこと微笑んでいるので、僕も体面上笑みを浮かべて友好的アピールをする。こういう所は、前世で無口な上に無表情な弟の所為で培った社交性が役に立つ。ああ、良かったなんて思っていると、アルがこそっと小さな声で話しかけてきた。
「イオ、覚えてる?この国には、宮廷魔道師がいるって話」
「確か、アメリア嬢の話だったよね」
ヒューバート様の一件で、アメリア嬢がこの世界が乙女ゲームの世界だという事の他に、ミュールズ国の内政に宮廷魔道師が関わっているという話を僕たちは聞いた。
「そう、その魔道師がこの人」
「……っ、んっ、ごほっ」
思わず、大きな声を出しそうになったけども、どうにか咳払いをして誤魔化した。
そっか、だからマリウスくんの師だと自ら説明してきたんだ。
――ということは、この人がアルミネラとオーガスト殿下の婚約の要因を作ったって事?
それなら、確かにアルの機嫌も悪くなるのは理解出来る。
「あたしの紹介は終わったかい?これから、君とも関わりが増えていくだろうから、よろしく頼むよ」
うわぁ、やっぱりただ者じゃないんだな。
僕たちが何を話していたかなんて、予想しか出来ないはずなのに、あの顔は確信に満ちてるよ。
「こ、こちらこそ」
関わりたくないのが本音ですけど。
「なるべく、イオには近づかないでよ」
「そうは言ってもね。あたしが傍まで行かなくても、この子はあんたの為だったらどんな事でも厭わないのは百も承知しているだろう?初めに、そう仕向けたのは、他でもないあんたなんだから」
「もう、黙って」
僕の事で怒ってくれているんだろうけど、アルミネラがこんなに毛嫌いしているなんて珍しいな。殿下の事も嫌っているけれども、あれはお互い様だし。この人が、何を考えているのか分からない。でも、アルを嫌悪しているようには見えないんだけど。
「アル。父上の仕事上、それに公爵家の嫡子として、いずれはこの方と関わり合いになっているのは確かだろうからそんなに心配しないで。ありがとう」
「ははは。さすがは、あの宰相のご子息といったところだね。その濁りのない魂に、今日はお祝いを差し上げよう」
と、宮廷魔道師が差し出した手のひらには、この世界では見たことのない物が乗せられていた。
「……これは」
その形状といい、色合いといい、上に刺繍された文字といい、僕にとってそれは懐かしさと共に寂寥感が身体中に満ちてくる特別な物だった。
――二度と戻れない世界への、郷愁を。
「イオ、待って!勝手に触っちゃ」
「……ごめん、アル」
まるで、匂いにつられて集まる虫のように、気が付けば僕は彼女の手からそのプレゼントを受け取っていた。
「っ!さすが、宮廷魔道師だよね。そもそもイオに、それを渡すつもりでわざと通りがかったんでしょ。おかしいと思ったよ、人払いをしてまであなたがこんな何もない場所に居るなんてさ」
「ふふっ。なに、ただ挨拶をしたまでさ。まあ、確かに今回のあたしの役目はそれを彼に渡すこと、だけどね。あたしは、おまけみたいなもんだよ。主役は、それ」
「はあ?」
アルの反応と同じように僕も彼女の言葉に首を傾げながらも、何度も何度もその懐かしい感触を確かめる。
おかしな言い方をするなぁ。
だって、これはただの『お守り』なんだけど。
ああ、でもどうしてこれがこの世界に?
「ああ、もう!これだから、あなたと話すのは嫌なんだよ。さっきから、言っている意味が分からないんだって」
「忠告しておこう。そうやって、短気をおこしてはいつまで経っても距離は広がるばかりだよ」
「なに言って!」
えーと、前言撤回。彼女は、アルを嫌ってはいないけど好きでもないって感じかな。
なんというか、冷たい感じがするのは宮廷魔道師という職業だからだと思っていたい。明らかにアルを苛つかせておきながら、僕の妹の事は無視してその飲み込まれそうな漆黒の瞳が僕をとらえる。
「イエリオス君。それは、人の思いの集まりが形となって顕われたものだよ。さあ、君ならその意味が分かるだろう?」
「人の思いの集まり?」
こんな形を作る思いなんて、僕には一つしか思い当たらない。
まさか、と思いながらも手にした『お守り』に視線を戻す、と。
「あ、あの、な、何か……ちょっと、これ光ってっ」
「イオ!」
ちょっと、待って。
これって、かなり危ないやつじゃないの?
それまで『お守り』として形を為していたものから光が溢れて、握っていた僕の手すら目映い光に溶け込んでいく。
恐怖を感じる僕のもう片方の手を掴んだアルミネラと共に、その光に覆われて瞼を閉じる瞬間、目の前の宮廷魔道師である美女が微笑んだ。
「誘われたのならば、行ってくると良い。これも、運命なのだから」
何を言っているのだろう?なんて、僅かに不安を感じながらアルの手の感触に安心感を覚えて目を開けば、そこは闇の中だった。
……いや、正確には夜の暗闇の中だったらしい。
「アル?大丈夫?」
「平気。イオは?えっと、ここはどこ?」
「……」
キョロキョロと辺りを見渡すアルに、早く返事をしなくちゃと思うのに、ここがどこか分かってしまった僕はその驚きのあまり、直ぐに声が出てこなかった。
「イオ?」
もう記憶に残っていなかったはずなのに、懐かしさを感じさせる頭上の満月。
僅かに香ばしい香りと共に風が運ぶ、春の匂い。
古来の日本から残るわびさびを体現する桜の花びらが、ひらひらと儚く舞い落ちていく。
ああ、ここは――
「イオ!?ど、どうしたの?どこか痛いの?」
急に涙を流す僕を見て、アルが慌ててハンカチを取り出す。
「……っご、ごめん。大丈夫、だから」
アルミネラからハンカチを貸してもらって、涙を拭う。昂ぶった気持ちを落ち着かせて、改めて辺りを見渡すと、ここは僕が前世で住んでいた町にある桜並木だった。
「アル、ごめん。どうやら、今回は僕が君を巻き込んじゃったみたいだ」
「え?どういう事?」
未だに現状が把握出来ないアルに、ここが地球という星で僕が前世に住んでいた町だと、自分自身に言い聞かせるように話した。
僕だって、まだ半信半疑なのだからアルミネラだって信じるはずはない――なんて、思った一分前の僕はなんだったのか。
「うっそー!えぇ!?ここ!?ここが、イオの前世の町?凄いね!家がどれも小さいよ!?」
「……」
……深く考える癖、直そうかな。
「ねーねー!イオ!ちょっと、こっち来てよ!あれ、何してるの!?ねぇってば!」
そうだよ……そうだよ、うん。アルミネラは、元々こういう好奇心旺盛な子だよ!
ああ、悩んだ僕が馬鹿だったのかな。
それとも、アルが大物過ぎるのかなぁ……父上、母上、アルはどこに居てもアルでした。
「ねぇってば!聞いてる?」
ガクッと肩を落とした僕の腕を引っ張り、目を輝かせたアルが指を差した先には、紅い提灯が放つ光の真下で宴会をしている花見客たち。
「えっとね、あの人たちはお花見をしているんだよ」
「お花見?」
「そう。あの世界で、唯一無いのがこの桜の木なんだ。夏に、この木に似た花は咲くけどね」
乙女ゲームというだけあって、あの世界の基本設定が日本に似ているけれど、それでも四季折々の花も果物もバラバラだった。十四年間も過ごしていたから、もうだいぶ慣れてしまったけど。
「ふうん。こんなに綺麗なのに勿体ないね」
「そうだね」
どうして、桜の木だけがないのか。
僕もそこは不思議だった。うーん……、無事に戻れたらセラフィナさん辺りに聞いてみようかな?
「ねっ!じゃあさ、あれは何?」
「ああ、夜店だね。夜の桜見物に来たお客さんに、食べ物を売っているんだよ」
「見てきて良い?」
いやいや、無理でしょ。
ただでさえ、白金色の髪なんて外国人だって言ってるようなものだし、まだ十五歳になったばかりでここでは未成年のまんまだから、下手して通報されしまったら!
「だ、駄目だよ!きっと、僕たちが出て行ったら注目を浴びるし、こんな格好なんだから目立って仕方な……そ、そんな目で見られても、……っ」
ああ、所詮僕はシスコンだ。妹の懇願の前では、無に等しい。
いいんだ、可愛い妹が喜んでくれるのなら。くっ!
「危ない人にはついていかない事。お金がないから手を出さない事。えーっと、それから」
「イオは、ここから絶対に動かない事!」
「……それは、分かってるよ。いい?少しだけだよ」
「うん!」
ああ、でも悔やまれる。衣服の交換なんてしていなければ、上手くアルミネラを我慢させられたかもしれないのに!
どうして、今ドレスを着ているのが僕なのか。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね!」
「迷わないでよ!」
「迷ったとしても、イオの元には帰ってこられるよ?何となくこっちに居るなって思ったら、いつも当たってるもん」
「そ、そうなんだ」
それは、確かにすごい。さすが、本能で生きてるって感じがする。
ははっ、と笑えば良いのか困れば良いのか分からない顔で手を振る僕に、小さく手を振り替えしたアルが、屋台が立ち並ぶ方へと走り去っていく。
あの子なら、多分どこでも生きていけるだろうな。
肩で小さく息を吐き出して、僕も気晴らしに人気のない道を選んで少しだけ歩くことにした。
――春にはいつも歩いた道を。
そういえば、あの時までは確かに持っていたはずの『お守り』が見当たらない。
うそ……これって、ちゃんと戻れるの?
どこかに落としてないか、と歩きながらも地面ばかりを見ていると不意に人のうめき声と共に鈍い音を耳にして立ち止まる。
「もしかして、ケンカ?」
この時期になると、酔っぱらい同士のケンカなんてよくある話だけど、何となく不穏な気がして物音が響く方へと近づいていけば。ガヤガヤと五月蠅い人数が集まった中心で、こちらに背中を向けていた男が苛立ちを隠しもせず倒れたサラリーマンに蹴りを入れているのが目に入って、自然と眉根を寄せてしまう。
多分、あの集まりと何かトラブルを起こしたんだろうな。あーあ、どうしよう……なんて考えながら凝視していると、暴力をふるっていた男が正面を向いた。
……ん?
「おらおら!もうギブアップかよ!」
「先輩、その辺にしてあげましょうよ。たばこのポイ捨ては危険だって、この人も分かってくれたっスよ」
「……」
「ちょっ、先輩どーしたんスか?」
「……っく!あっけねぇなぁ。一発殴ったぐらいで倒れやがって。……あいつだったら。あいつだったら!!そりゃもう見事に俺の拳を避けて、反撃してくれんのによ!」
憤りを隠せない男の遠吠えにも近い叫びに、何故か周りにいた連中がしんみりとなっている。
えーっと。
……なんか、急に頭が痛くなってきたぞ。
思わず、額に手を当てながら、主に会話をしている二人を中心に集まっている人たちをよく見れば、何となく見た事のある顔ばかり。
そう。彼らは、前世でよく絡んできた不良グループだった。
「……なんで、ここに居るんだよ」
まさか、彼らも夜桜見物に来ていたなんて。
三百六十度、どこからどう見てもトラブルメーカーになりそうな集まりなのに。もう何度目かのため息をはき出してから、関わるべきじゃないと判断する。
僕は今、違う人生を生きているわけだし、外見もこんなに変わってしまっているので百パーセントバレない自信はあるけど、わざわざ面倒事に巻き込まれにいこうとは思わない。
うん、何事も平和が一番。
という訳で、倒れているサラリーマンに後ろ髪が引かれなくもないけれども、ここから立ち去ろうとしたその時、今度はスーツを着た集まりとばったり出会ってしまった。
「!!」
……ちょっと、待って。これって、何の冗談ですか?
「うわぁ!!可愛い!」
「外国人の子供って、なんでこんなに可愛いんですかね?」
「あ、えーと。エクスキューズミー?ここら辺で、我々と同じような体格で地味そうだけど異様に高いスーツを着た男を見かけませんでしたかって、誰か英語で聞いてみてくれないか?」
「元主将、いい加減英語勉強しましょうよ」
まさか、大学の部活動の連中とも鉢合うなんて。
嘘でしょ、としか言い様がない。
逃げるにしても、後ろにはあの面倒な不良グループがいるから見つかるだろうし。
ここは、腹をくくるしかないのかな。……ああ、何でこんな。
憂鬱になりそうな僕というより、外国人の女の子相手に戸惑っている彼らの中からスッと一人の男が出てきていきなり僕の前に跪く。
久しぶりに見る顔は、相変わらず理知的な美形だなと思っていれば。
「お嬢さん?ここいらで、私たちと似た格好の男性を見かけませんでしたか?」
と、その男は僕の目線に合わせて流暢な英語で話かけてきた。
さすがは、ドラマ好き。とうとう、邦画じゃ飽き足らず洋画にも手を出したのか?などとは決して言えないので、懐かしい男に笑顔を見せて小さく首を振る。
「日本語で大丈夫です。貴方がたのお探しの方でしたら、この先にいましたよ」
あいつに殴られて、ね。
そこまで詳しくは言えないので、では、と言って軽く頭を下げて去ろうとしたら、何故か手を握られた。
「え?……と、何か?」
本音をいえば、止めてー!!逃がしてー!なんだけど。
「こんな時間に、君のような子が一人だと、危険だって誰も教えてくれなかったのか?」
あ、ああ、良かった。そっちね、そっちか。うん。
「兄と二人で来ているんですけど、はぐれてしまって」
仕方ない、こうなってしまったら迷子を装う方法しか思いつかない。
「だったら、後で俺たちも探そう。日本は、平和に見えるだろうけど、君のようなお金持ちのお嬢さんがウロウロ出来る安全な場所でもないんだよ」
ええ、もちろん知ってますとも。
分かってるよ、僕だって。言い返してやりたいけど、ここは大人しくするべきだと珍しく僕の本能が訴えているので、あたかも反省しているかのように俯いた。
元仲間たちに守られながら歩いていると、やっぱり彼らはまだその場にとどまっていたわけで。
「あ、あー!!里中さん!!」
僕の後輩に当たる男が、そこで倒れている男を指さして声をあげる。
「ッチ!あっちも集団かよ」
いやいや、そういう問題じゃないよね?って、ちょっと待って。一言だけ言わせて欲しい!
殴られてた奴って!里中、お前だったの?
あーもう!何やってるんだよ、さーとーなーかー!!!!
内心で脱力しまくっている僕を余所に、里中に駆け寄って立ち上がらせる後輩や不良グループのリーダーに詰め寄る主将たちという、うんざりするような展開が起きていた。
「よくも、うちの後輩を虐めてくれたもんだな?」
「なんだよ、やんのかよ?」
「ちょっ、せ、先輩、落ち着いてくださいっス!」
正に、一触即発。
元々、血の気の多い部員ばかりだったんだから、こうなる事は目に見えていたけどさ。
だからって、何で僕がここに居るこのタイミングなのかな。
はあ。かといって、こっちはスポーツ選手なんだから、このままケンカをさせる訳にはいかないし。まだ、僕が漆原伊織だった頃なら、両方を諫められただろうけど。
どうすれば……、と。そういえば、あのグループの一番マシな子がさっき、何か言ってたっけ?
確か――
「たばこのポイ捨てをした、って。そう、確かそこのお兄さんが言ってました!」
う、ううっ。注目浴びるのつらいよ。
これ以上見ないで下さい、僕は通りすがりに戻りますから!
この場での第三者からの発言という事で、二人は冷静さを取り戻したのか、何とか誤解だと分かったようで。
「そ、そうだったのか。す、すまん、うちの後輩が!」
「いや、ここは草むらが多いからな。火の付いたまま捨てたのを見て、ついカッとなった。手を出した俺も悪い、すまない」
お互いに頭を下げたのを見て、僕としても内心で胸をなで下ろす。
あー、一時はどうなることかと。でも、とりあえず良かったなぁ。と、思っていると。
「この桜並木は、生前あいつがよく通っていた場所だからな。特に今日だけは、どうしても許せなかったんだ」
「ん?生前?……あれ?よく見れば、どこかで見た顔だな?」
お前こそ、なんて言い返しているけど、僕には分からない方向に話が進んでいるようで首を傾げた。
「あいつの、伊織の葬式に来ていた連中ですよ。来たそうそうに、男泣きをしていた」
「!!」
何故か未だに僕の手を繋いだままの友人が、驚くような言葉を発したので顔を仰ぐ。
や、やばい。反応しちゃったけど、突然しゃべったから驚いたんですよという風に見せればいいか。
「ん?どうした?」
「あ、いえ」
案の定、目が合ったけど聞きづらい!自分の話とか、絶対に聞きづらいから!
「ああ!思い出したぞ、そうか。漆原の知り合いだったのか!」
「先輩、確かこの人たち、漆原さんの部活のお仲間さんですよ」
「そうだったのか!なんだ、そうなら早く言えよ、全く!」
何だ、そうだったのか、と話が広まって何故か二つの集まりが融合されて一つになった。
……何だ、これ。
如何にも三文芝居でした、というような場面に遭遇した僕の気持ちをどう表現したら良いのだろう。いや、本人たちは至って自然の成り行きなんだろうけど。
こんな風に、彼らに会うのが運命なのだとしたら、運命は僕に何を見せたかったのか。
彼らの、漆原伊織に対する気持ちの昇華?
だったら、僕の立ち会いなんて必要ないじゃないか。
「あの、何だか楽しそうな雰囲気を壊したくないので、私はここで。兄も私を探しているはずなので、直ぐに見つかると思います」
だから、大丈夫、だと言おうとした僕の手に、どういうわけか少し力を込められる。
「そうか、と言ってやりたいが。ここで、この手を放せば俺は一生後悔する気がしている」
何故だか分からないが、と告げる友人の顔は、どこか寂しさをこらえているようだった。
お互い、種目は別だったけれど、同じを時間を共に過ごした仲間である事には違いない。
僕だって、本当はとても悲しいさ。
「……ありがとう、報われた気がするよ」
少なくとも、彼の心にはまだ漆原伊織が生きている――
それだけで、充分だと思える。
僕の返事に驚いた友人の隙を突いて、繋がった手を解く。
「さようなら、お兄さん。他の皆さんにもお礼をお伝え願いますね」
「っ!」
泣くのは、ちゃんとあの世界に戻ってからにしよう。
伊織でいる時は、何も言わずにこの世から去ってしまったから、笑ってちゃんと言えて良かった。足早に、逃げるように去っていく僕をきっと友人は見ている。
その視線に振り返らないよう、前を向いて桜の花びらが散る中を突き進んだ。
先ほど、アルミネラと別れた辺りまで戻ってきて、一息つくと明かりに照らされた僕の影に誰かが覆い被さったのが見えて振り返る。
「……っ!?」
――が。
今まさに僕を襲い込もうとしていた暴漢が、いきなり後ろへと倒れ込んでいった。
あまりにも、突然のことに驚いているとまた別の影が僕を覆い、息を飲むと。
「大丈夫っスか?」
「あ、あなたは」
そこに立っていたのは、先ほどの不良グループの……確か、奴の後輩くんだった。
どうやら、僕を助けてくれたのは彼らしい。
「ありがとうございます」
いつも、先輩であるグループのリーダーを宥めているだけの印象しかなかったけど、意外と彼も強いらしい。さすがは、あの先輩にしてこの後輩あり、なんて。
無害そうな顔に、気が緩む。その途端、爆弾を落とされた。
「いえいえ。さすがに、その格好だと投げ飛ばすなんて難しいだろうなと思ったんで」
「……」
え?今、なんて言ったの?
「あれ?漆原さんですよね?違います?おっかしいなぁ、魂の形が全く同じだからてっきりそう思ったんっスけど」
な、何者!?
恐い、さすがに魂とか言われたら恐すぎる。うわぁ……と、若干引いているのが分かったのか、後輩くんは慌てて両手を振りながら無害を主張する。
「ちょっ、俺の事、怪しいって思ってません?いや、怪しいけど……ってちがーう!」
何だろう、この子放っておいた方が面白そうなんだけど、何となくそろそろアルも戻ってきそうだし放置するのは可哀相かなぁ。
「君は、何者なの?」
「え?あ、俺は、漆原さんの逆で、違う世界からこの世界に転生した人間なんっス。ここでは、異世界っつうんですか?記憶とちょっとした能力を持って生まれたんで、漆原さんにもピンときまして」
ああ、だからか。
「そういう事って、やっぱりあるんだ。でも、それなら、あんな集まりに居なくても君は一人でやっていけるんじゃないの?」
むしろ、あのグループでしかもあんな立ち位置にいなくても、なんて思えて仕方ない。
しかし、後輩くんは、それはそれは楽しげに笑って首を振った。
「あそこが一番居心地が良いんっスよ。前の世界じゃあ、何かと前に出されて困ってたんで、あの人の破天荒さを後ろから宥めてるのが好きなんっス」
「……そう」
僕は、その破天荒さにいつも嫌気がさしてましたけどね。
さすがに、そこまで言ってあげたら可哀相かなと思い、喉元まで出てきた言葉を飲み込む。
「イオー!」
そこに、ようやくアルミネラが戻ってきた。――ある意味、ここまできたらやっぱりそうくるよね、という人物を連れて。
「お待たせ~!って、だあれ?」
「そっちこそ、知らない人には付いて行かないように言っていたでしょ」
今の僕には赤の他人だと自分に言い聞かせながら、アルの後ろに立つ人物から、何故か大量の食べ物やぬいぐるみを抱えるアルの腕を引っ張って離す。
「その人は、僕がこれ以上荷物を持てないから手伝ってくれているだけだよ?」
「何となく、予想はしてたけど。やっぱり、こういう事になるんだよね」
アルミネラは、純粋そのものだから好奇心を滲ませながら楽しそうに夜店通りを歩いているだけで、お店の人たちが無料で遊ばせてくれたのだろう。
そこは、感謝するべきだけど兄としては、もう少し大人しくして欲しい。
「うをっ!双子だったんっスね」
それまで僕とアルミネラのやりとりを黙って見ていた後輩くんが、驚きながら声を出した。って、この子いちいち反応が面白い。
「はい、そうなんです。ここまで、送って下さってありがとうございました」
史哉がここに居る限り、変に彼と話し込まない方が良い。
だから、迷子だったのを助けてもらったという設定にして、丁寧に頭を下げながらお礼を告げる。まあ、簡単に言ってしまえば、これ以上、もう話す事などないからさっさと帰れ、なんだけど。
あの男の後輩なのだから、それぐらいの意図は読めるだろう。
「いや、けど」
なんて、後輩くんはアルと話している史哉が誰なのかに気が付いて、食い下がろうとするので、二人に見えない位置で人差し指を口に当てて、しーっと声は出さず僕の意思を示した。
史哉には、僕の正体を言うつもりはない。
というか、この二人がお互いを認識したらそれこそ面倒な事になるのは明白だし。
僕だって、伊達に二十年も史哉の兄をしてきたわけではない。
だから、分かるのだ。
弟は、まだ僕が逝ったのを認めていない。
そんな弟の前に、女装した姿で現れるとか……それこそ、どんな罰ゲームだよって思う。
僕の思いが伝わったのか、ポリポリと頭を掻いた後輩くんは渋々ながら頷いてくれた。
「兄が面倒をおかけしました、すいません」
「いや。あんなにはしゃいでいる子供がいれば、こっちもそれなりに嬉しいものだ」
史哉からアルの戦利品を貰ってお礼を言えば、珍しく史哉が他人を褒めたので内心驚く。
あの史哉が、とかいつの間にかこんなしっかり成長して、なんて思う。
ただ、相変わらず仏頂面なのは変わらないようでそこは少し残念だ。
僕が、……漆原伊織が亡くなってどれぐらい経ったのかは分からないけれど、史哉が少しずつ大人になってきているという事に感動を覚える。
僕が居なくなった分、こいつには色々と重たい荷物を預けてしまっただろうから。
「ねえ、所でそこに倒れてるおじさんはなに?」
そういえば、すっかり存在を忘れてた。
「さっき、その人に襲われそうになって、あの人に助けてもらったんだよ」
「ええっ!?こ、こんな短時間で?」
うん?短時間?何か、ちょっと論点がずれているような気もするけど、とりあえず頷く。
「やっぱり、イオを一人にしちゃいけないや。戻ったら、母上とサラに相談して、念のためエルにも声をかけなくちゃ」
うわぁ、暴走してる!暴走しすぎだってば。
「ア、アル、そういうのはもう」
僕だって、自分を守れるんだから、と続けようとしたら、史哉が笑った。
「頑張れよ、お兄ちゃん」
「うん!イオは、僕の大切な人だもの!」
――お兄ちゃん。
いつの頃までか、昔はそう呼んでくれていたのにな。
僕に対してではないけれど、史哉からその言葉が聞けて嬉しいな、なんて。
「そうか。なら、その手を絶対に離すなよ」
「うん」
自然と繋いだ僕たちの手を指さして、史哉はクスクスと楽しげに笑った。
ああ、ここに来て良かったのかもしれない。
こんなにも胸を締め付ける、懐かしい笑顔に逢えた。
――と、不意に僕たちの繋いだ手の間にあの『お守り』の感触があり、びっくりする。
「これ、さっきのやつだよね?」
「そうだね。無くしたと思ってたけど、違ったんだ」
そうだ、あの人は人の思いが形を為したものと言っていたから、ただ消えただけだったんだ。それが、また戻ってきたと言う事は。
「そろそろ、お別れみたいだね」
アルも、そこに思い至ったんだろう。僕も同意を示すように頷いて、もう一度、一緒にお互いの手を握り合う。
――――離れないように、放さないように。
生暖かい春の匂いを含んだ風が吹いて、砂埃と共に花びらをまき散らす。
この世界に来たのが、この時期で嬉しかったな。春にしか味わえないこの独特な匂いが、僕はとても好きだった。
だから、毎年、自分の誕生日がこの時期でとても幸せだと思えた。
緩やかな柔らかい風が僕らを包みはじめて、史哉と後輩くんが驚きながら数歩下がる。
「な、何が起こってるんだ?」
「巻き込まれると、危ないっスよ」
僕たちの手で包んだお守りが、僅かに光り出して隙間から幾筋もの明かりが漏れていく。
ああ、もうここでお別れか、なんてちょっと感慨深く浸っていたら、並木の間から女性がいきなり現れた。
「伊織……伊織の匂いがするわ!」
「凛子!?」
内心で、僕も同じように叫んだのは言うまでもない。
というか、恐いよ!!ちょっと見ない間に、なんで匂いまでかぎ分けられるの?
いつか、セラフィナさんにも同じ事をされそうで末恐ろしい、と思いながらも知らないふりを決め込んで、この際さっさと移動してよ!なんて考えてしまう僕は駄目な人間だろうか。
徐々に光に包まれていく中、チラリと目が合った後輩くんは実に懸命な判断だ。
最後まで大変っスね、という言葉が顔に書いてある。
ほんとそれ。
けれども、僕たちはお互いに無言のまま敢えて視線を逸らし続けた。
「伊織、伊織……っ、また何も言わずにいっちゃうの?」
「何を言っているんだ?」
えーっと、バレてますよね、なんて後輩君と再び視線が交わって、そんな顔で見てくるのだから、今度は思わず笑ってしまった。
「……イオ?」
「アル、僕の手をちゃんと握っていてね」
アルミネラも、何となく僕が彼らと知り合いだと気が付いたのか、戸惑ったように返事をしながらも、僕の手をしっかりと握りしめる。
光は、既に僕たちの半身を飲み込んでいるにもかかわらず、一歩ずつ近づいてくる幼馴染みに笑いかけた。
「そこまでだ、凛子。これ以上は、駄目だよ」
「い、伊織……っ」
「なっ?え?そんなわけ、な」
風と共に光りにくるまれながら、この際、信じなくても、という気持ちになる。
ずっと、言いたかったことを。
「ごめん、凛子。それから、史哉をよろしく」
「ば、ばかぁっ!そっ、そこは、そこはっ、お礼を言うところでしょ、お」
ぼろぼろに泣きながらも、強気で反論する所が、実に凛子らしい。そういう所が好きだったな、と思いながら、次は唖然としている史哉に視線を移した。
ああ、でも、もうすぐタイムリミットがやってくる。
「史哉っ!お父さんとお母さんにありがとうって言っておいて!それと、お前をずっと、お」
「馬鹿兄貴!誕生日ぐらい、ちゃんと祝わせろ!」
誕生日、って。
「ふみ」
「今日は、お前の二十一の誕生日だろうが。何のために、俺がここに来たと思ってる」
いやいや、たまたまここに来たこの日が漆原伊織だった頃の誕生日だとか、僕も今知ったから。
相変わらずだなぁ、もう。
「おめでとう……それから、ありがとう」
「うん、俺も。ありがとう、ありがっ」
ああ、ここで時間切れか。
僕が最後までお礼を言う前に、全身が光りに覆われて、あまりの眩しさに目を閉じる。
白金色の髪が風になびいて、ドレスの裾がふわりと広がった。
「さようなら」
きっと、彼らには届かないだろうけど。
逢えて、良かった。そう思うから、その言葉を呟いた。
「おかえり」
次に、瞼を開けば予想通り、目の前に立っていたのは宮廷魔道師のお姉さんで、まるで僕が体験した事が分かっているとでもいうかのように意味ありげに微笑んでいた。
「……っ、あ」
「うっそお!さっきまで、ちゃんと持ってたのに無くなってる!?」
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないよ!夜店で貰った物が全て無くなってるんだから!」
「あ、あー……そういえば、そうだね」
何となく、アルミネラの勢いにホッとする。
目の前の宮廷魔道師に、何を言えば良いのか分からなかったし。
こんな不思議な体験を得ても、アルミネラは変わらない。それが、嬉しくもある。
別れの挨拶というより、ただ誕生日をお祝いされただけのような気がするけど、長年、小憎たらしいと思っていた弟とちゃんと和解出来ただけでも気持ちが楽になった。
「こちらの世界には要らない物を省かれただけさ。まあ、残念だったとしか言いようがないね」
「……要らないもの、か」
呟いた僕の手の中には、今もあの『お守り』が残っている。
人の思いが形を成したもの。
だったら、この『お守り』は、さよならをした彼らの次の願いなんだろうか。
あの日、あの場所に集まった彼らの思いが僕を呼び寄せて。
――今度は、前へ進めと僕の背中を押してくれる。
同じように、前を向くために。
皆で、一緒に進めるように。
「ありがとうございました」
お行儀良く頭を下げてお礼を告げれば、宮廷魔道師のお姉さんは少し意外そうな顔をした。
「まさか、感謝されるとはね」
「そうだよ、イオ!何でお礼なんて言うのさ!すごく美味しそうなお菓子とかいっぱいあったんだよ?ああ、もう!やだ!」
「仕方ないってば」
アルは、もう。
よほど楽しみにしていたんだろうけど、こればかりは諦めてもらうしかない。
どうやって、アルミネラをなだめすかしてみようか考えていると、お姉さんが綺麗な漆黒の髪をなびかせてフフッと笑う。
「これも運命、か。君とは、必ず再び会うよ。それじゃあね」
「あ、はい」
なんて、曖昧に返事をしたものの……ん?さっきは、機会が増えるだろう的な事しか言ってなかったような?いつの間に、必然になってしまったんだろうか。
「……」
って、アルさん?
な、何でそんな如何にも企んでますっていう瞳で見てくるかなぁ、あーもう嫌な予感しかしない!
「イオ」
「……だ、駄目だよ?」
だからって、そんな可愛い上目遣いとかどこで覚えてくるの?
「ね、イオってば」
「き、聞こえなーい!」
「もう!いいじゃん!要は、その物を持ってくる事が駄目だって事でしょ?だったら、イオならそれを再現出来るよね?ね?作ってよ、お願い!」
「ああ、やっぱりそうきたよ」
というか、アルの本気度が凄いから!
どれだけキラキラしているの?と言わんばかりに瞳を輝かせるアルを、どうやって落ち着かせようか悩んだ結果、結局、妹の願いを叶える羽目になったのは言うまでもない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!
第五章は、これから書き始めますので申し訳ありませんが、遅筆な私にお時間を下さい!
ちょこちょこ更新という手法が苦手なので、話が完成次第小分けにしてお届けしたいと思っております。
頑張って、年内には書き上げたいと思いますが、外伝を進めているのでそちらが先かな。
詳細は、活動報告にて。それでは!




