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僕は、調和を愛する日本人だ――今でも。
初訓練先のグランヴァル学院での警備は、班ごとに分かれているとはいっても警備する区画が班ごとに決められているだけなので、基本的にそのエリア内であればどこに居ても構わない。
つまり、グスタフ様が好みそうな場所に近づかなければ、僕としては万事オッケー。
……だったんだけど。
この世界にも、不可抗力という言葉はあるようで。
「貴殿は、どうやら調子が悪いように見えるが、いかがかな?」
「い、いやぁ。そうだと嬉しいけど、そうでもないというか」
などと、押し問答を繰り返している場所が、どういう訳か特別棟と壁の間なんていう目立たない所だというのは、僕の前世での行いが悪かったからでしょうか。教えてもらっていいですか、あの時の自称神様!
んー……、けどあんまり覚えてないけど、トラックに轢かれそうになっていた子供の背中を押して助けたから、もしかして強く押しすぎて逆に怪我をさせたとか?いや、それとも、僕を轢いてしまったトラックのおじさんが、あの後、大けがを負ってしまった……とかだったりして。
「おい、いつもの調子はどうした?」
あー、もう黙ってて。
そんな事よりも、そうだ。もしかして、その前に迷子だった子供が泣いていたから、お菓子をあげてしまったのが悪くて、親に怒られてしまっていたとか。知らない人からお菓子を貰っちゃいけないでしょ的な。
「……っ、聞いているのか!?イエリオス・エーヴェリー!」
敢えて、現実逃避してたのに。
「聞いてますけど。……その前に、この体勢どうにかなりません?」
そもそも、だ。
どうして、こうまで頑張って現実から目を背けていたのかといえば、グスタフ様とばったり出くわしてしまったのが原因だった。
だたさぁ?何故、僕はこんな異世界の端っこで同性から壁ドンをされなければならないのか。
まあ、ちょっと落ち着いて、という風を装いながら、相手を宥めて言ってみたけれど。
「うっ、ちょっ!な、何です?」
近い、近い!近いってば!何で、急に顔を近づけてくるかな!?
「それより、この間の件だが、どうなのだ?」
「ぅ、え?」
この間の件、なんて僕は知らない。だから、それは僕に扮したアルミネラとの話なんだろうけど……何?
「えっと、僕はどうお答えしたんでしょう?」
じゃなくて!そのまんま素直に聞き返してどうする!
「はあ?」
ほらぁ、やっぱり後ろから軽い冷気が見えてるよ!
コルネリオ様とは違う小豆色の瞳は、明らかに苛立っており、たまに周りの気配を窺う所からしてみて、どうやら今の状態はグスタフ様にも大変不都合な状況なんだと察せられる。
密会をしてまでしなくちゃいけない話って何なの?
「この間は、まんまと逃げられたが、今日は絶対に逃がしはせんぞ。何せ、この学院に滞在している今がチャンスなのだからな」
「チャンス?」
そう言った彼の顔は、それはもう必死だった。
「そうだ。グランヴァル学院三大美姫として、今や高嶺の花と化している貴殿の妹君アルミネラ・エーヴェリー嬢!つまり、月夜の妖精姫を紹介してほしいという件だ」
「つ、月夜の妖精姫?」
なに、それ。
っていうか、グランヴァル学院の三大美姫なんていう言葉から、もう僕にとっては初耳なんですけど。いつの間に、そんな話題が上がってたの?もしかして、クラスメイトから僕だけ避けられてる?あの方、ちょっと女子力弱いのよねーとか言って。
内心、もしかしてこれがイジメか……と不安になっている僕など知らず、グスタフ様は眉を寄せて首を傾げた。
「おかしいな。この間は、いきなり吹き出して大笑いをして去って行ったのはどこの誰だ?」
「え、えーと……、それって、多分、僕のことなんですよね」
アールー!!
「涙を流すほど笑っていたから、驚いてしまっておかげで次の授業に遅刻したではないか」
あ、はい。それは、そちらの責任ですよね。
「そうですか、申し訳ありません」
貴族社会は、厳しいからね。妹のしでかした事とはいえ、そこはきちんと謝りますよ。例え、僕こそが本物のイエリオス・エーヴェリーでもね!くっ。
「って、アルミネラは、確か残念姫なんて呼ばれていたように思うのですが」
「何を言う!ここの生徒でなくとも、今やアルミネラ・エーヴェリー嬢といえば、真に月夜の妖精のように儚く繊細で、誰にでも心優しく心身共に美しいご令嬢であると城下町に住む若い貴族子弟なら誰でも知っているぞ。それを、兄である貴殿はご存知ないとは」
うっ、そんな目で見なくても。
知らなかったよ、そんな噂!誰が言い出したのかは知らないけれど、いつの間にかアルミネラの称賛の声が復活していたなんて、僕はこれっぽっちも気付かなかった。
何せ、アルの代わりを務めるのに必死だったし、男だって気付かれないようにするのにも苦労していたしで、毎日てんやわんやだったからなぁ。
でも、兄として妹の良い噂が聞けたのはかなり嬉しい話かも。
あまりにも自由奔放な子だけど、僕にとっては自慢の大切な半身だから。
「そうなんですね、それは嬉しい限りです」
「ふん。顔は似ていても、貴殿は子ザルのように動き回るからな」
「ははっ」
あー。そうなんだよね、アルは身体を動かさないと気持ち悪いって言って大事な時以外はちょこまかと動き回りたい子だし。グスタフ様もよく理解してくれているんだなぁ。
……ん?
「……」
いや、ちょっと待って。
「あ、あの……、一つお訊きしたいんですけど。その噂って、いつ頃のお話でしょうか?」
「そうだな、ここ最近か。貴殿の妹君が学院に入学して、しばらくしてから生徒たちの間でそのような噂が広がったようだ。そこから、学院外に流れたのだろう」
僕を嫌っているわりには、そこまで説明してくれてありがとうございます。なんて、言ってる場合じゃない。
嘘でしょ、ちょっと待ってよ。
アルミネラ・エーヴェリーの名誉が復活したのは、つまり僕がアルに変装して学院で悪戦苦闘している時期でもあって。グランヴァル学院の三大美姫なんて、大層な括りに入れられているのは。
信じたくはないけど、絶対にあり得ないけど、幻聴だと思いたいんだけど。
それって、……僕のことだったりなんかしちゃったりして。
あはは。そんな訳ないない、…………じゃなーい!!
「うわぁぁぁぁぁあああああああっ!!!!」
「なっ!?どっ、どうした!?」
「っ、ああ……す、すいません」
あまりにも自分へのダメージが強すぎて、その場でしゃがみ込んで叫んでしまった僕に驚いて、グスタフ様が壁ドンの姿勢のまま数歩下がった。いや。今は、そんな事どうでもいい。
今は、このどう表現すれば良いのか分からない感情の整理が必要だ。
月夜の妖精姫とは、あくまでもアルの幼少期のあだ名だったはず。それも、彼女のじゃじゃ馬度合いが知れ渡ってない時の。
という事は、僕はまだアルになりきれてない?
あんなに頑張ったのに?
婦女子用のご不浄室に入る度に、僕の中の大事な何かが削ぎ落とされていくような気がするのに?
……あの努力は、何だったの。
「だ、大丈夫か?」
ああ、さっきまであんなに親の敵でも見るような冷たい視線で僕を見ていたのに、今やなんて優しい言葉を。
片手を差し出されたけど、そこまで親切にされるのも悪いので何とか一人で立ち上がる。
「ありがとうございます。ちょっと、自分で自分を殴りつけてやりたくなる時ってありますよね……ははっ」
多分、というか百パーセント、僕の目は死んでいる事だろう。
「ま、まあな。生きていれば、そういう事もある……とは思うが」
ははっ。思いっきり、顔に同情してますって書いてますよ。痛い、泣きたい。
「ちょっと、衝撃的な事実が分かってしまって。僕はもう立ち直れないかもしれません」
「馬鹿な事を言うものじゃない。貴殿は、こんな所で終わるような男ではない!この私が、一目置く男なのだから、もっと自信を持つが良い!」
「……グスタフ様」
ああ、男同士の友情って素晴らしい。
アルミネラには、何度もグスタフ様とは接触しないように言われていたけど、この人本当はかなり面倒見が良いお人好しなんじゃないの?
この人こそ、僕が求めていた真の友人なんじゃあ……って、あれ?いつの間に、両手を握られて?いやいや、それよりも何で顔が異様に赤くなって。
「ちょっ、グスタフ様?」
「……か」
んん?何て言いました?というか、それよりも何となく顔が近いんですけど!
何となくだけど、嫌な予感しかしない。
「あ、あの、よく聞き取れなかったので、もう一度言ってもらって良いですか?」
「っ!その、だな。だっ、抱き締めても良いだろうか!」
まさかの宣言というか、そんな質問聞きたくなかった!!
絶対に嫌です、と大きく首を振って全身を使って拒否を示しているにも関わらず、ぐっと引っ張られた瞬間。
ふっと、二つの黒い影が僕とグスタフ様の頭上を通り過ぎていく。
「え?」
学院の塀から特別棟の方へと。
「そーれ」
不審な影に驚いて、上を見上げる僕たちの後ろの方からそんな声が聞こえたかと思うと、次いでグスタフ様の後頭部に華麗に青いヒールがヒットする。
「っぐ!だ、誰だ!?」
突然の出来事に、頭を押さえたグスタフ様と共に振り返った先に居たのは。
「ちょっとぉ!ぼ、私のイオに手を出さないでよね!!」
「あっ!あ、あ、あ!!」
「アル!?どうして、こんな所に?」
まさかの、我が妹で。
もう片方の靴を持って、僕が着るはずだった青色のドレスの裾を上手い具合にたくし上げながら僕たちの元まで走り寄ってきた。真横でグスタフ様が、目を見張って立ち尽くしているのは、そんなアルの格好を見たからかもしれない。ほんと、うちの子がお転婆ですいません。
「ちょっとご不浄に出ていたら、怪しい二人組を見かけたの!」
お手洗いに行くのに、こんな所まで普通来ません。……もう、アルってば。
「だからって、アルが追いかけてこなくても」
「うー!でも、誰かに知らせる方がめんどくさい」
だよね、君はそういう子だよね。
さも当然だとばかりな態度でそんな事を言ってくるものだから、思わず脱力してしまう。
「もう。分かったよ、けど僕も付いて行くからね。グスタフ卿、申し訳ありませんが、フェルメール監督生にご報告して頂いても宜しいでしょうか?」
僕が一緒に行くと言っているにも関わらず、先を急ごうとするアルミネラの腕を捕まえて未だ呆然としているグスタフ様に声を掛けておく。
「な、何を言っているんだ、君たちは!」
そこで、ようやく我に返ったグスタフ様も事の重大さに気が付いたらしく首を振った。
「見失っちゃう!」
「一刻の猶予もないので、お願いします!」
直ぐにでも走ろうとするアルミネラを、手を繋いで離さないようにする。こうでもしないと、アルは絶対に一人で突っ走ってしまう癖がある。
それでも尚、僕たちを引き留めようとするグスタフ様の制止を振り切り少し走った所で、そういえば、と思う。
「あ。後、ごめんなさい。アルミネラは、オーガスト殿下の婚約者なので、先ほどの件はちょっと無理っぽいです」
ふう。つい、うっかり忘れるところだった。
「は、はぁ?ば、馬鹿がっ、今、話すべき事ではないだろうが!」
なんて、アルミネラをチラチラと見ながら怒り出すので、しまった、なんて今頃になって気が付く。アルの事を気にしていたのに、何も本人を前に断る事無かったよね。
プライドを傷つけてすいません、グスタフ様!でも、後悔してません。だって、アルは僕の認めた人じゃないと譲れないので!
不思議と晴れ晴れしい気持ちになってしまって、何となく顔が緩む。
「っ、き、き、貴殿には、後できっちり話がある!」
「はい?」
妙に顔を真っ赤にさせながら、地団駄を踏むように憤られてしまった。
やばい、これは怒らせちゃったかな?
「もう!イオ、早く追いかけようよ!」
「あ、うん」
ぐいぐいと手を引っ張られるので、自然と身体は前へ前へと動き出す。
「すいませんが、よろしくお願いします!」
半ば、アルに引きずられそうになりながらグスタフ様に頭を下げた。
フェルメールには、怪しい人を見かけたら報告するように注意を受けていたけど、こんな状態のアルを止める事など出来ない。
だったら、僕はちゃんと正装して淑女となった彼女を守るために、共に行って守るべきだ。
兄として。
それが、僕にとって唯一出来る事ならば。
「おい!」
もう既に遠くなったグスタフ様の声が聞こえていたけど、僕たちは振り返らずにお互いの体温を手のひらで感じながら特別棟の方へと消えていった人影を追っていった。
改稿ホヤホヤ。