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コンプレックスを抱えて日々苦悩に生きている諸君、僕は今まさに、それに直面しており非常に辛い思いをしている。
「グランヴァル学院の新入生歓迎パーティは、まもなく始まる。各自、気を引き締めて警備にあたるように」
グランヴァル学院では、華やかな新入生歓迎パーティが行われようとしており、その近くの広場ではリーレン騎士養成学校の生徒たちが各自、準備を整えて出動はまだかと待ち構えている。
同じ新入生とはいえ、こうもするべき事が違っているのは、やはりグランヴァル学院は勉学の他に貴族間の繋がりやコネクションを広げる目的があるからだろうか。
毎年、この新歓パーティを警備するのは、リーレン騎士養成学校の新入生の初めての実地訓練として恒例化していて、特に大きな揉め事や事件はないらしい。
要は、騎士の基本的なお仕事とはどんな事?というような体験学習に過ぎないようで、新入生以外の生徒たちはかなり気が緩んでいるように感じる。いや、だって、さっきからあちらこちらであくびしてるのが見えちゃってるし。……いいのかな。
新入生は、先輩の騎士をリーダーとして班ごとに分けられて、見分けがつくように騎士服の左袖に黄色の造花を付けることになっている。
一つの班に、人数は五人。内訳は、先輩騎士が二人と新入生が三人。身体能力や体力など諸々をみて指導官が判断して、バランスよく組み分けをしている。
ただ、僕の場合は明らかにコルネリオ様の意図が含まれていたりする――というのも、何ら不思議な事はない、フェルメールが僕の班のリーダーだというだけで。そりゃあ、だって入学してから一ヶ月といえど、その一ヶ月の基礎訓練を受けていたのはアルミネラなのだから。アルより運動が出来ない僕を、自分の配下以外に任せるほどコルネリオ様は冷たくない、と思って良いのかな。
これは、予想していた通りだから、まあそこは理解出来る。
うん、理解出来るんだけどね。
「あの、よろしく」
「……ん」
「……」
うわぁ……、まさかの無視ですか。
そう、問題は同じ新入生の二人で。
一人は、僕よりも頭が二つ分あるほど身長が高くて、ひょろりとしている。しかも、常に眠たそうな目をしながら、先ほどから何度もあくびをかみ締めては返事をしてくれた男前。実は、『イエリオス・エーヴェリー』に変装しているアルミネラのルームメイトで、つまり僕たちの秘密を知っているもう一人の人物だ。
名前は、確かレイドレイン・バーネ。バーネ伯爵の次男だってアルからは聞いている。
アルミネラにとって、レイドレインは人畜無害なようで特にもの申す事がないらしい。一日の大半は、眠そうでぼんやりしているし、かと言って話している事はちゃんと聞いてくれているから、ということだった。
そして、もう一人。アルミネラが、特に何度も気をつけて、と要注意されてきた人物。
「えっと……その、よろしく。グスタフ卿」
「ふん」
うーわー、やりづらい。なんていう人選してくれたのかな、コルネリオ様ってば。
決められた班で集合した際に、真っ先に僕の顔を見つけだし、先が尖った氷のような瞳でひと睨みしてきた彼は、なんとコルネリオ様の甥にあたるという。
名は、エアハルト・グスタフ。
彼は、マティアス・フェル=セルゲイト閣下のご長女様のご子息らしい。ご長女様は降嫁されたとはいえ、グスタフ様は王族の端くれという意識があるらしく選民意識が強い方らしい。
だから、敬愛して止まない叔父のコルネリオ様に気に入られているエーヴェリー家の双子が気に入らないのだとか。
同じ年に生まれた甥であるはずの自分よりも、僕たちは何かと目をかけられているものだから、確かに自然と敵視してしまうのも仕方ないだろう。ただ、聞いていたらちょっと度が過ぎるかな。
今年、同じく入学したイエリオスに対して、何かと執拗に一方的にライバル宣言をしてくるとかで、ご不浄に行った回数や教師に叱られた回数、食事の早さ、好き嫌い、しまいには投げた靴が裏を向くか表を向くかといった事まで、勝手に挑戦してきてはことごとく負けて逃げ帰っていくらしい。
そりゃあ、周りの生徒も引くよね。
アルミネラは、そういう運はすごく強い。それに、相手も次こそ覚えておけよ、的な負け犬の遠吠えを言いながら去っていくから今まで大きなトラブルに発展はしていないとのこと。教師には何度か怒られているようだけど。
アルが、そういう輩に対する躱し方が上手いのもあると思う。
僕は、……あんまり自信ないなぁ。
これまで、散々アルミネラの後始末をしてきた身として、いざ自分がそういった事になったら上手く対処出来るか分からない。
本当に、こればっかりは。それはもう、まさにコンプレックスといってもいいくらいだろう。
アルミネラは、アグレッシブな分、さすがに度胸があって肝が据わっているので、突発的なトラブルがあっても、直ぐにそつなくこなしてしまう。けど、僕はいつもアルの何倍も時間がかかる。
生まれながらに前世なんてものを覚えていても、実際にはそんな記憶ごとき役には立たない。むしろ、逆に前世を覚えているからこそ、変な常識やマナーなんかに囚われがちで身動きが取れない事が多々あるぐらいだった。僕が、幼い頃から大人しかったから、余計にアルミネラの自由奔放な部分が目立ってしまったのかな。
そんな事を何気に思いながら、フェルメールの注意事項に耳を傾ける。
「いいか、もし不審者がいても絶対に一人で立ち向かおうとするなよ。まずは、俺たちに指示を仰ぐように。……それから、毎年、学院の新入生のご令嬢方の中に勇ましい方が数名おられる。各自、身の危険を感じたら、本能の赴くまま直ぐにその場から離れるように」
……。
前半は、分かる。前半はね、新入生の僕たちには、まだ悪漢を倒せる力はない。いや、正確には僕やグスタフ様のような身体が小さい者には無理な話というだけの事なんだけどさ。
後半のあれは、聞き違いかな?
なんて、フェルメールに目だけで確認してみたら真顔で首を横に振られた。
……嘘だぁ。
女装したらしたで、エルやアルには男子生徒に気をつけるよう何度も言われたけど、通常通り戻ってもそういう心配しなくちゃいけないとか……ご令嬢、どれだけすごいの。
僕が目を丸くしていると、その傍らに立っていたレイドレインがスッと綺麗に挙手した。ああ、この子、何気に背筋が綺麗だなって、どうでもいいか。
「ん?何か質問か、レイドレイン」
「…………あの……トイレ休憩、入って良いですか?」
「却下」
「あ、ナゾのフクツーが」
「ようし!全員で、救護班の幕に向かうかー」
そう言って、フェルメールが意気揚々に歩き出す方向は全く逆の方向で。
「って、救護班の幕はそっちじゃないでしょうが!」
「うわおっ!?」
そこまで、びっくりしなくても。
そりゃあ、二人して全力でサボろうとするから、つい突っ込んでしまったのは仕方ないけどさ。あまり目立ちたくなかったのに、ついフェルメールに乗せられた気がする……って、ん?
咄嗟の出来事だったとはいえ、恨みがましい気持ちでフェルメールを睨み付けてやると、僕たちよりやや離れた位置に居たグスタフ卿から奇異の目で見られている事に気が付いた。
あれぇ?もしかして、まずかったかな?
仕方ないので、フェルメールに今度はヘルプの意味を込めて視線を向けると、彼はわざとらしい咳をした。
「っと、ゴホン!んー……っと、だな。……イエリオス、ちょっとこっちに来なさい」
「はい」
やっぱり、駄目だったのかな。はい、叱られルート。
少しへこみながら、フェルメールに連れられて班から少しだけ離れた所で止まる。その間も、グスタフ卿から、まるで台所の天上に虫が張り付いていて、自分の真上に落ちてきやしないか逐一動向を見守る前世での僕の父親のように僕を監視されているのでなかなか辛い。確か、その後、父は虫好きな母に素手で取ってもらって歓喜していたけれど。って、今はそんな記憶は必要なくて。
たまに、何気なく不意に訪れる前世の欠片に気を取られている場合じゃない、けど。
「あの?」
呼ばれたはいいのだけども、その後何故かそっぽを向いて手の甲で口元を隠して黙っているフェルメールに首を傾げる。
「フェルメールさ」
「っぷ、くっははっ。ちょっ、待っ」
「…………うわぁ。笑ってるとかないわー」
変に前世を思い出してしまったからか、つい素のままの心の声が漏れてしまった。
「ふはっ!あっはっはっはっ!!」
「……」
……まさか、ツボにはまってしまうなんて。じゃなくて。いや、僕は決して笑わせるつもりなんてなかったんだけど。酷い。
でも、この人最初からよく笑顔だったし、もしかして笑い上戸だとか?
「ははっ!ちょっ、そ、その百面相、止め、止めろ!く、苦しっ、ひーっははっ」
「してません!失礼な。そ、それに、あの、ちょっと目立ってますって」
この場で、僕は立派な被害者だ。うん、誰もがそう思ってくれているに違いない、ってあれ?何でそんな、うわぁあいつやっちまったなっていうような顔されてるの?僕のせいじゃないよね?ねっ?
フェルメールの所為で、危機感が芽生えてしまって仕方ない。
今すぐ逃げだしたい気持ちを抑えながら、フェルメールに訴えるとようやく彼は落ち着いてきたのかゴホッと咳をしながら僕を見た。
「やっぱ、すげぇおもしれぇな。イエリオス・エーヴェリー、いや、もうこの際イオって呼んで良いか?」
「あ、はい。構いませんけど」
僕の返事に、ん、と頷いて愛好の笑みを浮かべる。
「あのな、さっきの件だけど、いつもの『イエリオス』だったら、病気だと聞けば本気でそれを信じて心配するし、仮病でサボりたいだけだって分かったら、騙されたーってわめきながら怒ってくんだよ。だから、まさかそういう返しをするとは思わなかった奴らが多くて驚かれちまったんだ」
ああ、なるほどね。
それは、実に『アルミネラ』らしい反応だろう。
「やっぱ、双子って似ているようで違うんだな」
「……よく言われます」
どうせ、僕は。
『双子といっても、アルミネラ様とは全く違いますね』
その言葉は、昔から幾度となく僕のコンプレックスを刺激してきた。
見た目は全く似ているのに、アルミネラはいつも何でも要領よくやりこなす。勉強は苦手だったから、僕がいつも教えていたけど、かといって家庭教師を怒らせた事はない。運動は、当然大の得意。遊びに関しても、アルが本気を出せば趣味の域を超えていた。
感情豊かで、表情もコロコロ変わるから見ていて楽しい。アルミネラは、僕に対しては驚かせたり問題を起こして僕を困らせる大天才だったけど、誰にでも愛される才能を持っているのだ。いつも表情を変えず黙って見ている父だけど、アルミネラの事を愛している。破天荒さでは同等以上の母だって、祖父母だって。
もちろん、僕もアルミネラを愛しているから、別にそれについて不満がある訳じゃない。……けど。
いつも、感じる事がある。
どこへ行ったって、アルミネラは中心に居て。
――ああ、そうか。この場所も、僕じゃなくて、アルの居場所なんだ、と。
そもそも、今は入れ替わっているのだから、ここはアルミネラの居場所だということは紛れもない事実だけど。ただ、いずれ元に戻ったとして僕はここでやっていけるのか、なんて。
馬鹿だなぁ、自分で自分の傷をえぐってどうする。
「おうおう。美人に落ち込まれるとこっちまでへこんじまうわ。今すぐ、その顔を止めろ」
「!」
しゅんと気持ちが沈んだ僕の顔を、フェルメールは僕よりも大きな両手で包み込むように持ち上げて、己と視線を合わせる。
彼の和らいだオリーブの瞳に、驚いた顔の僕が映っていた。
「お前、何か勘違いしてんぜ」
「え?」
「俺にも兄妹いるから分かるけどよ。双子だからって、同じである必要なんかねぇだろ?」
「それは……そうです、けど」
「あー、もう面倒くせぇ事ばっか考えやがって。あのなぁ、俺はお嬢とは別にお前の事を気に入ってんだよ。そりゃあ、お嬢は見てて飽きねぇしおもしれぇかもしれねぇけどよ。お前は、こう……繊細だからか妙に庇護欲をそそられるっつうか、愛でたくなるっつうか」
えーっと。それって、褒め言葉ですか。
「お前に会う前に、お嬢が、いっつも部屋でお前の事ばっか話してた頃は理解出来なかったんだけどよ、実際に会ってお嬢がブラコンになったのも頷けるなって。……つう事で。よし、いっちょキスでもするか!この熱い視線のご期待を添えて」
アルってば、この人にいつも何を話してるの。お兄ちゃんは、かなり心臓に悪いです。いや、それよりキスがどうのこうのって。
ちょっと、待って。この人、今なんて。
いっちょキスでもするか!この熱い視線のご期待に添えて――?
一体、何の視線?なんて、辺りを見渡せば自分たちの班の人たちはもちろん、付近で纏まっている班の人たちからもいつの間にかかなり見られていたらしく、目が合うと次々に凄い勢いで逸らされてしまった。
「っ、うわぁあっ!!しっ、しませんよ!何考えているんですか!」
「うおっ。ってて、つれねぇな」
同性同士で、この人は何を考えているんだか!
急に恥ずかしくなって、慌ててフェルメールの手を退けて距離を取る。
「言っておきますけど、僕にはれっきとした婚約者がいますので、その手の誘いは全てお断りしていますから!」
っつあぁあああ!そうじゃない!そうじゃないでしょ、僕!これじゃあ、同性もオッケーみたいなお断りの仕方になってるってば!!
うわぁああああ!なんで、そんな事口走ってるんだ!あー、もうやだ。
そりゃあ、現宰相であるエーヴェリー公爵家の嫡男なんて肩書き、正式な婚約者がいるにも関わらず世のご令嬢方にとっては美味しい価値があるのか、滅多に行かないけど夜会ではたまにそういうお誘いを受ける時があるけどさ。しかも、どういうわけか同性も含めて。
まあ、同性の場合たいていは悪ふざけしている人と、後はただ単にアルミネラへのゆがんだ感情を僕にぶつけて憂さ晴らしをしようとしている人か。同性愛者は、この世界では割と当たり前に実在しているようなので僕も別に許容は出来るけど、個人的に同性はお断りしたい。
いや、というかそもそも僕はエルフローラ一筋だから、基本的に全てお断り申し上げる。
フェルメールからのなんてことない一言で、頭の中では怒濤の早さで感情が波を打ちひたすら頭を抱えている。
ほんと、叫べるものなら叫びたい。
この人と居ると、自分の心が乱されてしまう。
「ははは。けど、気が向いたら俺はいつでも待ってんぜ」
「向きませんよ、一生!」
「んで?お前は、学院の中って決めた事に、後悔はしてねぇよな?」
それでもって、いきなり話を変えてくるとか。まあ、いいけどさ。
「もちろん、当然です」
あの時、僕は迷わず学院の中を選んだ。
学院の外でも、不審者がいれば未然に防ぐことは出来るのかもしれないけれど、何となく学院内に居た方が良いような気がしたから。
それが、どうしてなのかは分からない。
けれど、僕はその勘を信じることにした。
「へぇ。やっぱ、おもしれぇな。あの厄介な新入生の事が気にかかるだろうけど、プライドが高い坊ちゃんだから、手は出してこねぇだろ。だから、今日一日せいぜい頑張れよ」
「……は、はあ」
だと、良いけど。
やっぱり、いつまでたってもあの視線は変わっておらず、フェルメールに背中を叩かれ励まされながら、トボトボ歩いた。
どうやら、僕はフェルメールに上手く乗せられてしまったらしい。さっきまでは、初めての事だらけで緊張と不安に押しつぶされてしまいそうになっていたのに、いつの間にか肩から力が抜けてしまっている。
やはり、ただの監督生じゃないって事かな?
けれど、一つだけ分かった事がある。それは、あのアルが、あまり人と深く関わりを持とうとしなかったあのアルミネラが、どうしてフェルメールには懐いたのか。
それは、多分――
傍らのフェルメールを見上げれば、ばっちり目が合ってびっくりする。まさか、ずっと僕を見ているとは思わなかった。
「ん?なんだよ、まさか感謝のキ」
「しませんったら!」
くっ!明らかに、僕がフェルメールの目論見に気が付くタイミングを見てたんだ!あー腹が立つ!この人、やっぱりコルネリオ様の同類だよ。
「照れてんのか」
「ちがいまーすー!」
気を許した僕が間違いだった。
ここから先は改稿作業が終わり次第、順次載せていきます。