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転生したら女装するコトになりました?  作者: 九透マリコ
第四章 色とりどりの世界
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いつも、閲覧&ブクマ&&評価をありがとうございます。


更新は出来る時にやっておけ、という事で。

あ、あと、前回同様。ただし、BL風味で。ご注意です。


 絶対絶命などというピンチは、前世から数えればそれなりにあるけれど。同性に襲われそうになったという絶対的ピンチは、今生のみである。……いや、多分。






 緊迫した空気の中、アーリラ様が口を開けた瞬間――

「ふっ、あっはははははっ!!まさか、そのような行動に出るだなんて、思いもしていませんでした」

 という第三者の笑い声が聞こえて、反射的に扉に視線を投げつける。

「っ!」

 まさか、誰かに見られていたなんて……という思いから瞬時に顔が熱くなった。静かに扉が開かれる音にびくりと身体を動かして、驚く僕の視界に入ったのは思いがけない人物で。

「……そんな」

 ずっと、今まで部屋の外から僕がアーリラ様に襲われている様子に聞き耳を立てながら窺っていたんだろう。コツコツと足音を鳴らしながら近付いてくるその姿に、僕は動揺も隠せずただ首を振るしか出来なかった。

「うそだ」

 この状況下。アーリラ様の敵であれば、声がかかった時点でリアクションを起こしているはず。なのに、隣りに座り込む男が今もその人物の侵入を許可しているという事は、一つしかない。

「やあ、エーヴェリー君。数時間ぶりですね。先程は、上手く私の誘導に乗ってくれてありがとうございます」

 ワイシャツを握りしめる指先が震える。今、僕の目の前に立っている人が、アーリラ様の協力者であるとは信じられない。それほど、僕には……僕にとっては疑う余地がないぐらい絶対的信頼を置いていた人だった。

「……うそ、ですよね?こんな、こと」

 自分を奮い立たせる為に、戦慄く指先に力を入れる。一瞬で冷気に触れたみたいに、身体が寒くなって、ボタンがはじけ飛んでしまったシャツを握りしめたまま、己の身を包み込むように抱き締めた。

「残念ですが、嘘ではありません。エヴァン・アーリラ氏に協力しているのは、この私、リーンハルト・ノルウェルです」

 そんなくどい言い回しをしたのは、敢えて僕に理解させる為だろう。あの数時間前に見た、穏やかで優しい温かな翡翠のような瞳すら、今はとても冷たく感じる。

「……どうして」

 聞きたくない。

 そんな馬鹿な話、あるはずない。

 なのに、目の前に立つその存在は疑う余地も見いだせない。エルの瞳と同じ色合いの長い髪を結わえた長身の学生。どこをどう見ても、リーンハルト先輩である事に間違いはなかった。


 ――ただ、そこにいっさいの温もりがないだけで。


 こんな人を、僕は知らない。こんな……凍てつくような目をした人を。

 目の前の現実を否定したくて。嘘だと思いたくて、なりふり構わず、僕は思わずギュッと目を閉じた。

「所詮は、まだお子様といった所ですね。お父上と同じ文官を目指すのならば、まず最悪な事態に備えて全ての可能性を考えておくべきです。……ね?」

「……っ!」

 ギシッと音が鳴り、ベッドが軋む。リーンハルト先輩が直ぐ傍にいると分かっていても、反抗期の子供のように僕は頑なに拒絶する。

「目を開けなさい、エーヴェリー」

「っ、……いやです」

 そんな僕に先輩はどう思ったのか、俯いた僕の顎に手を添えて強制的に上へと向かせた。

「エーヴェリー」

「……」

 ……いやだ。

 だって、目を開けたら涙が溢れてしまうかもしれない。

 だから、今はひたすら感情と共にこみ上げてくるものを押さえつけるしか出来なかった。

「……そうですか。それじゃあ、仕方ありませんね。あの、すいませんがそこにあるタオルを取っていただけますか?」

「これか?一体、何に使うつもりだ」

 嘆息と共に発せられた先輩の言葉に、突然、何?と思ったのは、アーリラ様も同じようで布擦れの音と一緒に戸惑い気味の返答が聞こえる。

 ほんとに、タオルなんて何に使うんだろう?なんて考えられる間がややあって。

「女性にしか興味のない貴方の代わりに、私がエーヴェリーを抱くんですよ。それとも、貴方が抱きますか?途中までは結構良い感じでしたよね。男だと言われても、彼なら中性的だし充分にそそられるほど綺麗なのだからさほど変わらないと思いますよ?」

 って、ちょっ!

「止めて下さい!」

「止めろ!」

 あまりにもあけすけな事を言われたけれど、それよりもまだ危機が去っていなかったという方が僕にとっては問題で。抗議する拍子に目を開けて先輩に訴えれば、何故か焦った顔をしたアーリラ様までもが同じ事を口にしていた。

「何ですか、二人揃って」

「え……いや、俺は別に」

 いやいや、そんな恥じらい要りません。というか、僕の問題であって、アーリラ様の問題ではないですよね。

「嘘ですよね?僕を、……その、抱くとか抱かないとか」

「ふふっ。さっきからずっと同じ事ばかり言っていますね。知りませんでしたか?私は、異性でも同性でも、その人の事に興味がわけばセックス出来るタイプの人間なんですよ」

 なんて、笑って言われたけども。

 うっそだー!っていうか、もうこの際誰でも良いので早く嘘だと言って下さい!

 いや、でも目は笑ってないよ?と判断した瞬間、サーッと再び血の気が引いて、狭いベッドの上にいながらも精一杯の抵抗で距離を取る。

「お願いですから、考え直して下さい!」

 ついでとばかりに、ずり落ち掛けていた布団を寄せ集めながら抱きしめて、もう無我夢中で首を振って拒絶する。当社比で言うなら、普段よりも倍ぐらい。

「痛みを和らげてあげることぐらいなら努力します」

「そ、そんな事を言っているんじゃなくて」

「ああ。他人に見られるのが嫌だとか?」

「ち、ちがっ」

 そんな言葉の応酬を重ねているけど、さっきから全く目が変わってないからね?


 ……本気なんだ。


 半泣きというよりも、むしろ完全に涙が落ちている状態。逃げ切れるはずはないと分かっているから、余計に誰でも良いから縋りたくなる。

 なので、リーンハルト先輩よりも常識がありそうなアーリラ様に、つい助けを求めて見てしまったら、何故か顔を逸らされた。うん。たまにフェルメールがするように片手で口を覆って背かれたので地味に傷付いた。

 かといって、今度はリーンハルト先輩を見ても、作り笑いを浮かべたままなのでひたすら恐い。

 ……どうしたらいいの。

 この現状を打破出来ず、追い詰められた草食動物のように身体を震わせているしかない。ぽろりと一粒、涙が零れて、部屋が異様な静寂が訪れたかと思ったら。

「では、いっそ、三人でします?」

「ばっ!馬鹿言え!」

「ひっ!も、もっ、や、です!っねがい、します……っ、だ、だから!」

 もう、やだ!

 もう、無理!

 こんなの、酷い。酷すぎる!どれだけ、この人鬼畜なの!?

 人を苛めて何が楽しいの!?

 とめどなく流れる涙を拭う事も出来ず、わんわんと泣き出してしまったら、プッと吹き出した声がして声のする方を見る。すると、リーンハルト先輩がクスクスと笑い出した。

「っふふ、ははははっ!傑作ですね、ほんと。ふっ、ふふふっ」

 ……今度は何なの?

 どうして笑っているのか分からなくて、おかげさまで必然的に涙も止まる。

「……もしかして、全部嘘だった、とか?」

「いえ?君を抱こうと思ったのは本当です。……ただ、私の言う事を聞けばそれを免除してあげない事もない」

 ですよねぇ……って、それって。


 ああ、そうなんだ。――そうだったんだ。

 これは、初めから仕組まれていた事だったんだ。



「……」

 リーンハルト先輩の言葉で、急激に頭が冷えていく。

 このまま泣いてばかりじゃいられない。だから、目元を乱暴に拭って、今や悪魔のように冷酷な笑みを浮かべる先輩を睨み付けた。

 今更、全てを悟ったところで取り返しはつかないのは分かっているけど。

 けれど、どうしようもなく今は目の前の相手を恨まずにはいられない。

 黙ったまま先輩を睨む僕をよそに、アーリラ様はしばらく何か思案していたかと思えば、フンと鼻で笑うとベッドから下りた。

「恐い男だ、君は」

「恐れ入ります」

 きっと、これがリーンハルト先輩の計画だと理解したんだろう。自分の行動すら組み込まれた事に関して不快感を表さないところをみると、結果さえ良ければ何も問わない主義なのかもしれない。多分、それはリーンハルト先輩も同じだろうな。

 なんて。傍観してしまったけど、僕が追い込まれている状況には変わりはない。

 つまり、この人の目的は。



 ――僕を、自分たちの陣営に引きずり込むこと、だったんだ。



 初めは、アーリラ様が僕に復讐する為だけにアルを抱くのにリーンハルト先輩に協力を要請したんだろうけど。先輩は、それを逆手に取って、僕をこちらに引きずり込む為に、自分のリスクを惜しまず姿を見せたという事だ。

 昨日のアルミネラからの一言で精神的に揺らいでる今は、彼らにとってさぞや好機に見えただろうな。

 だから、あの時、僕を持ち上げるような甘い言葉を並べたのは、寮に戻るんじゃなくて、敢えて保健室に行かせる為の手段だったんだ。

「君は、俺がオーソドックスな人間だとは知らなかっただろう?なのに、もしあの時、その場の勢いで彼を本当に抱いてしまっていても構わなかったという事か?」

「さあ?ご想像にお任せします」

「あぁ、恐い恐い。いくら取引きをしているといっても、こちら側に一人では心許なかったのかな?まさか、純真な少年をこうも容易く手なずけようとは」

 私すら騙されていたとはな、と呟いて。しかしそれも余興の一つかと、アーリラ様は愉しそうに笑った。

 ついさっきまで、自分の貞操が危ぶまれているっていう状況に戦々恐々とするばかりだったけど、今はただこの人がどこまで先を見据えて計算しているのかと想像するだけで恐ろしい。まるで、ボードゲームのプレーヤーみたいだ。

 先見を見通すといえば、ヒューバート様もそうだった。

 二人とも精神的に相手を追い詰めて嬲るやり方だけど、ヒューバート様はまだ僕には甘くしてくれていたような気がしなくもない。そりゃあ、周りの人を危険にさらされる可能性をずっと示唆されていたから、それなりに危機感はあったけど。

 何より、あの人は問答無用で僕と性交渉しようとは考えていなかったし。僕が嫌だと言えば、絶対にしないと誓ってくれるほどだった。

 そういった意味では、あの人は誠実に尽くしてくれた。

「私は、己の目的の為ならば何でも出来ますよ。……だから、ね。エーヴェリー君。君が、もし今ここで承諾しなければ、許しを請うぐらい手酷く抱き潰す事など造作もないです。まあ、その前に君の心が壊れてしまうかもしれませんけど」

「……」

 冷えた目つきはそのままに、なんて恐ろしい事を笑いながら話せるんだろう?

 ヒューバート様と決定的に違うのは、先輩にとって僕はただの後輩の一人に過ぎないという事か。だから、きっとその言葉は本音でしかなくて。

 僕がここで拒否したら、躊躇うことなく実行出来る人なんだ。


 恐い。



「…………従います」



 ――なんて恐い人なんだ。


「そうですか」

 それもまたちょっと残念です、と言ったリーンハルト先輩は、全くそんな風には思っていなさそうな笑みを浮かべた。

「じゃあ、改めて話をさせてもらおう。今回、俺がミュールズ国の学校視察に参加したのは、とある物を聖ヴィルフ国から受け取る為だ。なに、ただ一方的に貰うわけではない。こちらからも、それなりにあちらが欲しい物を事前に用意出来ている。いわば、物々交換といった所だ」

 アーリラ様の今回の件において重要機密事項に近い話を聞きながら、自分でしたとはいえ、ボタンがないシャツを隠すように制服の前を閉じていく。これ以上、見るからに暴行されましたというような状態でいたくない。

 こうして、無理矢理に近い形で第三者の位置から引きずり込まれたわけだけど。


 とんでもない事になったなぁ。


 そりゃあ、確かに父上からクルサード国と聖ヴィルフ国を監視して探るようには言われていたけど……まさか、自分がその渦中に引きずり込まれてクルサード側に付く事になるだなんて。

 はあ、とため息を隠しもせず吐き出してみる。

「ちゃんと聞いていましたか?」

「……ええ。要は、僕を仲介役に使いたいのでしょう?先輩よりも僕が適していた、というか『イエリオス・エーヴェリー』という立場の人間が必要だった。その為に、こんな罠を張ったぐらいですしね」

 そう、何より一番許せないのは、リーンハルト先輩にとってこの場に居たのが僕じゃなくても良かったという点だ。なので、アーリラ様が勘違いしたままでもここにいるイエリオスが本物でも先輩にとっては何の不都合もなかったのだ。言うなれば、アルミネラが乱暴されたとしても、リーンハルト先輩は別に良かった。

 それに思い至ってしまった時、どれだけの恐怖を感じたか。

 今までリーレン騎士養成学校の人間関係については、フェルメールに任せっきりだったから深く考えた事はなかったけれど。アルが、もう一度入れ替わりを望むのなら、改めて対策を練った方が良いだろう。

 あと数ヶ月とはいえ、こんな危険人物が大切な妹の傍でのうのうと暮らしていくのかと思うと想像するだけで恐ろしい。

 という事を僕が考えているのも知らず、リーンハルト先輩は「良く出来ました」と言って微笑んだ。

 ……何も知らなかったら、この微笑みを僕は素直に受け入れていたはずなのに。

 そんな先輩への反抗心から、そっぽを向く事で僕の態度を示した。

 ツンとしていたら、仕方ないですね、といった逆に僕の方が問題児だというような言葉を零され頬が膨らむ。

 なんで、反抗期中の子供を見守る親みたいに言われなくちゃいけないの。僕は、自ら受け入れてここにいる訳じゃない。

 そういう僕たちのやりとりを見ていたアーリラ様が、何を思ったのか腕を組みながらウンウンと何度も軽く頷いた。

「なるほど、なるほど。これは、確かに殿下が欲しがるわけだ。万が一にでも失敗の確率が高くなれば、彼を献上しても」

「馬鹿を言わないで下さい。エーヴェリーは、これからも私のこまとして動いてもらう予定なんですから」

 ……そんな取り合い嬉しくも何ともないんですけど。

 というか、どっちに転んでも見えるのは絶望のみ。絶対に、そうならないように回避してやる。

「ならば、いっそのこと二人纏めてクルサードに来ると良い。騎士の名家ノルウェル公爵家の子息と敏腕と有名なミュールズ国の現宰相エーヴェリー公爵の子息が我が国に加われば、さぞや有事の際も視野が広がる事だろう」

 うわぁ。何言っちゃってるんだ、この人。

 ないない。お金をたくさん積まれたって、絶対に行きません。

 まあ、リーンハルト先輩だったら、そりゃあ剣の腕は確かだし知略に長けているから役に立つだろうけど。僕が行ったところで、ヒューバート様が喜ぶぐらい……いや、それもまたどうなの。

 内心で首を横に振る僕と同調して、リーンハルト先輩も首を振る。

「取引きする際の条件に、そのようなお話はしないと決めていたはずですが?」

「ははっ、そうだった」

 ああ、良かった。さすがは、リーンハルト先輩。こういう誘いがいずれくるという事も見越してたっていう訳か。ほんと、どれだけ先を読んでいるんだか。

 アーリラ様も、まさかここまで先輩が使える人間だとは思っていなかっただろうな。二人が何を取引きしているのかは分からないけど、先に声をかけたのがアーリラ様なら良い買い物をしましたね、と賛辞を送らずにはいられない。

「もうそろそろ、誰かが不審がってきそうですね。アーリラ様は先に合流していて下さい。私は、彼と少しばかり打ち合わせをしたいと思いますので」

「分かった。後はよろしく頼む」

 そう言って、あっさりと部屋から出て行ったアーリラ様に少し肩透かしを食らった気になる。人との人間関係ほど当てにならないものはないだろうに。しかも、こんな短期間で。

 それでよくクルサードの王宮教師なんて務まってるなぁ。

 もしくは、二人が取り交わした取引きというのがそこまで関係を戒めているか、だけど。



 ……何を、この人は望んでいるんだろう。



 急に静まりかえった保健室で、ベッドに腰掛けているリーンハルト先輩と二人きりだと何だかとてもそわそわしてしまう。

 そもそも、打ち合わせってなんだろう?正直、これ以上、クルサードの事情に深く関わりたくない。それに、仲介なり何なり僕にして欲しい事があるのなら、その都度指示してくれたら充分でもある。

 これは、僕なりの精一杯の抵抗。ただ、反抗的だと思われたらおしまいだけど。

 うーん。それにしても、今は何を話せば良いんだか……なんて思い悩んでいると、急にリーンハルト先輩がクスクスと笑い出したので少し驚いてしまった。いや、決して動揺した訳じゃないですからね?

「な、何です?」

「ふふっ。いえ、まさか、あの時シャツを無理矢理開くなんて、と思い出してしまいましてね」

「……あれが、一番効率が良かっただけです」

 笑いたければ笑えばいい。あの時は、もう無我夢中で。とにかく、これ以上知らない人に自分の身体を好き勝手に触られたくなかっただけだ。僕だって、あそこまでされたら必死にもなるよ。

「確かにそうでしょうね」

「……」

 性質が悪いなぁ、全く。この人、分かっていて笑ってるんだから。

 居たたまれず、そっぽを向いたら顎に手を添えられて先輩の方へとむき直されてしまった。

 僕を何だと思ってるんだか。犬でも猫でもそんな事をされたら嫌がりますよ?

 仕方なく先輩を見れば、いつの間にか愉しそうな笑顔だったのが艶やかな笑みに変化していて、魔法で創られたような不思議な色合いの瞳に魅入られる。


 ああ。なんて、この人は綺麗なんだろう。


 黄色に縁取られた緑色の瞳だけじゃなく、雰囲気自体が静謐でどこか神聖さを湛えている。兄である統括長も、美形だし柔道に向いていそうな体格でかっこいいと思うけど。

 ただ、今のリーンハルト先輩は、蠱惑的で艶やかで、いつもと全く印象が違う。

「先程は、成り行き上、止めてしまいましたがさっさと貴方を抱いてしまえば良かったかもしれませんね」

「えっ!?」

 いきなり、なんてこと言い出すんだか。

「とても絶好のシチュエーションだと思うんですが」

「止してください。……それは、もういいので。あの、やっぱり先輩は僕たちの入れ替わりに気が付いていたんですね?」

 そうだ、このまま流してしまおう。うん、聞き流すのが一番だ。ついでに、顎に添えられた手をさり気なく払いのける。

「そうですよ。今まで公式の場などで数回見かけましたからね。それに、私はどちらかというと君の方がタイプですし」

 いたぶって啼かせたいですね、なんていう、その後に続いた不穏な呟きは断じて僕の耳には届いてない。聞こえてません。聞こえてこなかった、って言えたらどれだけ良いか。

「フェルメールさんと同じ事を言わないでください」

 仮にも、全生徒の憧れを一身に受けている監督生が揃いもそろって。

 呆れ気味に言い返すと、リーンハルト先輩が逆に驚いた顔でへぇ、と呟く。

「あいつも同じ事を言ったんですか?」

「あの人は、顔を合わせればいつもそんな事ばっかり言ってますよ。冗談が過ぎます、全く」

「……冗談?」

「冗談に決まってるじゃないですか。だって、僕は男だしちゃんと婚約者もいて……なんですか?そこ、笑うところです?」

 何故か、再びぷくくっと笑われて、目尻に涙まで湛えるリーンハルト先輩に首を傾げる。

 どこか笑える部分でもあったかな?冗句を言ったつもりはないんだけど。

「……っふ、ははっ。いえ、……くくっ。それ、……あいつにも言ってるんですか?ふふっ」

「はっきりとは言ってませんけど……キスするかだの付き合うかだの言われるので、全て受け流してますけど?」

「も、もっ……これ以上、笑かさな……ふふっ、はははっ!!」

 まさか、こんなにも笑われるとは思わなかった。一体、何が先輩のツボに入ったのかさっぱり分からない。

 前世でたまに気まぐれをおこして目玉焼きを作るぐらいの時間が流れて、ようやくリーンハルト先輩は落ち着いたのか涙を拭った。

「いや、すいません。そうか、どうりでアーリラ様にキスをされただけであんなにも取り乱していた訳ですか」

「……初めて、だったもので」

 うわぁ、もう思い出させないで下さい。というか、言わせないで。

 純潔な乙女じゃないけど、ファーストキスは、いつかエルとって思ってたのに。まさか、あんな訳が分からない形で終わってしまったなんて。

 あの時の羞恥心やダメージが蘇ってきて、がっくりと肩を落としてしまう。

 こんな事なら、この間アルミネラにキスされそうになった時、フェルメールが止めたけど本当にされてしまえば良かったとすら思えてしまう。

「初めて?」

「ええ、そうですよ」

 だから、そう言ってるじゃないですか。

「ああ、だったらここからカウントすれば良いじゃないですか」

 え?何、言って?と僕が首を傾げる間もなく、リーンハルト先輩が不敵に笑ったかと思うと顔が近付き。


「え……、んっ」



 ――柔らかい唇を押しつけられていた。



「あっ。ちょっ、やめてください!」

「ほら。これが、君のファーストキスだという事にしておきなさい」

「そういう事を言っていたんじゃなくって!」

 口内まで暴いてきたアーリラ様よりも、唇を重ねる程度に済ませた先輩は僕の腕で身体を突き放されているにも関わらず、赤い舌でぺろりと下唇を舐めてからくすっと笑った。

「ごちそうさまでした」

「っ!」

 ……やっぱり、この人は油断ならない。

 きっと、今の僕の顔は相当真っ赤になっている事だろう。なのに、リーンハルト先輩ときたら、まるで宗教上の挨拶でしょと言わんばかりにけろっとしている。それどころか、余裕すら見えてくるので腹が立つ。

「僕……男ですよ?」

「何を今更。本当だったら、今頃アーリラ様に美味しく食べられている最中だったかもしれないじゃありませんか」

「うぐっ」

 その可能性を否定出来ない自分が悲しい。

「それとも、何です?今から、私としていただけるとでも?」

「い、いいいいいや、しません!」

「ね。キスの一つや二つ、そう思えば軽いものでしょう?」

 軽くない。僕にとっては軽くなんてなかったんです。

 けど、それを口にするとまた懲りずにされそうな気がするので、右手で自分の口元を覆い隠しながら何度も頷き返した。防御、防御。

「では、そのシャツではフェルに怪しまれるのは目に見えていますから、私は新しい物を貰ってきますね」

「え、……あ、はい」

 って。打ち合わせをするのでは?先輩が、どうしてアーリラ様だけを先に行かせたのか理由が思いつかない。

 まさか、僕がショックを受けてるからアフターケアしようとして?

 だったら良いのに、なんて思いながら素直に頷いた僕の頭を軽く撫でながら先輩が慈愛に満ちた温かい笑みを浮かべる。

 ……え?そのまさかなの?

 やっぱり、あれは嘘だったんだ!という期待の眼差しを浮かべてみれば。

「分かっていると思いますが、君がこの件を誰かに口外すれば、私の持っている別宅に監禁して一生飼い慣らして差し上げますね」


 ……容赦ない。というか、えげつない。


 うーわぁ。か、監禁って。

 即座に浮かんだのは、従姉に監禁未遂された苦い体験で。あの時は、アルが直ぐに探して見つけてくれたら助かった。

 でも、この人が本気を出したら本当に完全犯罪をしそうで恐い。

「ふふっ。それとも、フェルに見られながら私に犯されるという選択肢もご用意しておきますけど?」

 なに、その拷問。もはや、お仕置きレベルじゃないですよね?

「……どちらも遠慮しておきます」

「それは残念。では、少しこちらで待っていてください」

「はい」


  ああ、なんだって今回もまた厄介な。



 やっと一人きりになれて、ホッとした安心感から、今までにないぐらいに肺の底から絞り出すような大きなため息をはき出した。


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