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実は、アルミネラがトマトを嫌いになった原因に思い当たるふしがある。それは、まだ僕たちが幼かったあの頃、前世の記憶が蘇るたびに頭に浮かぶ景色が鮮明すぎて、紙に書き殴っては気持ちを落ち着かせていた事があった。その一つに、前世の小さかった僕が見ていたヒーロー物の怪人がいた。……真っ赤なそいつは、見まごうことなくアレだった。
「ねえ、まだ視察ってあるの?」
あれから数日を経て、僕とフェルメールはとっても暇そうにエルフローラとお茶を飲んでいたアルミネラの元へと訪れた。フェルメールにとっては慣れたものだけど、数回目になる僕にとっては大変険しい道のりだったという事だけは述べておきたい。ほんと、いつもあんな風に僕の部屋まで来てたなんて信じられない。うちのお姫様は、僕が思うよりタフだったらしい。
フェルメールに助けられながらも、やっとの思いで部屋に入る事が出来た直後、愛しい妹から投げられた第一声がそれだった。
ふてくされちゃって、まあ。
そんな辛辣な言葉に、ただ苦笑いをせざるを得ない。そりゃあ、『女神の祝福』も一週間ほどで終わるから、アルにとって今は暇すぎて仕方ないんだろうけど。
「予定は、来週いっぱいまでだ」
「ふうん。っていうか、そこ!何気にいちゃいちゃしなーい。イオの一番は、私でしょ」
……あはは。たった一週間だっていうのに、エルに会えたのが嬉しくて、つい目が合っただけで笑っちゃった。別に、イチャイチャはしてないんだけどなぁ。
ブスッと頬を膨らませるアルに近付いて、彼女の頭をそっと撫でる。
「どうしたの?僕だって、アルに会いたくて仕方なかったよ」
「……」
「もう。そんな顔してたら、せっかく新調した可愛いドレスが台無しだよ?久しぶりに、アルのドレス姿が見られて僕は嬉しいんだけどな」
「……私なんかより、イオの方が似合ってるもん」
どうやら、アルは相当ご機嫌が斜めらしい。
うーん、どうするかなぁと悩んでいれば、アルが徐に頭を撫でていた僕の胴体にしがみついてきた。それは、まるで甘えたい盛りの子供に似ていて可愛い。
ギュッと腕に力を込められて、大人しく為すがままにされながらも頭を撫でる手は止めない。僕だって、言わないだけで実はアルに触れたかったのだ。
「また、そんな事言って」
「アルは、こちらに来た当初は腹痛などの事情で授業をお休みしてらしたのですが、二日ほど前から行き始めたのですわ。ですが、セラフィナさんやオリヴィア様には直ぐに気付かれてしまいまして。事ある毎に、イオ様だったらこのような事はなさらないとだめ出しを受けて、とうとう拗ねてしまいましたの」
うーん。ある意味、予想してた通りになったって訳か。セラフィナさんには気付かれるだろうなぁとは思ってたけど、まさかオリヴィアにも気付かれてしまうなんてね。
「ちなみに、質問が一つあるけどいい?」
「なあに?」
「まさかとは思うけど、学院内で走り回ったりしてな……ううん、気にしないで」
あちゃー。もう既に走り回っちゃったかー。
そりゃあ、確かにバレるでしょ。リーレンの方でも、色んな人からいつも校内を走り回ってるというのは聞いていたから、もしかしてなんて思ってたけど。……案の定やらかしてしまったのか。
これは、戻ってきた後の対処が恐いかも。
「相変わらず、お嬢はどこへ行ってもお嬢だな」
「むう。フェルまでそんな事言う?」
「おお。聞いてくれよ、こいつはなぁ、俺の話をきちんと聞いて返事してくれるだろ、後、言わなくてもちゃんと動いてくれるしよぉ、それに」
「もういいってば!どうせ私は役立たずですよーだっ!」
「ほーら。拗ねない、拗ねない」
べーっとフェルメールに舌を出すアルミネラを膝の上に乗せながら抱き直して、その額に自分の額を押しつけてみる。ほどよい温もりがおでこから伝わって心地良い。
うーん……だけど、どうしようかな。
どうすれば、このお姫様のご機嫌を直せるんだろう?困ったなぁと目を閉じて考えていると、アルが僕の頬を両手で包み込んだ。
「……イオにそんな顔させたい訳じゃない」
まるで鏡を見るように自分と同じ顔を見返して、首を傾げる。
そんな顔って、変な顔してたかな?
「でも、役に立たないのはイヤ」
「そんな事」
ないよ、と僕が否定するより先に、アルミネラは泣きそうな表情を浮かべて首を振った。
「アル?」
僕よりも、今のアルの顔の方がどこか痛々しくて胸がざわつく。どこか思い詰めているような気がして、もう一度名前を呼ぼうとした瞬間、頬にあった温もりが離れていった。
「ごめん。こんなの、私らしくない。今日は帰って」
「……アル?」
今まで、アルミネラから拒絶される事なんてなかった。
だから、彼女の一言にただただ驚きを隠せず呆然としてしまう。
「あ、あの、アル?何も、そこまでおっしゃらなくとも」
エルですら、初めてアルミネラが僕を突き放した事に少なからず衝撃を感じているようで動揺が出ていた。
「……アル?」
「……」
言葉が出ない僕の代わりに、エルが様子を窺うように近付いてきた途端、アルミネラは急に何を思ったのか、それより先にすくっと突然立ち上がる。
「お嬢?」
そんなアルの異変に、今まで黙って成り行きを見ていたフェルメールですら眉をしかめながら首をひねるほど誰もが訝しむ。
「……ない」
「え?」
「い、今は、イオに会いたくない!……だから、今日は!セラフィナの所に泊めてもらうからぁぁぁああああああああっ!!!!」
えええええー!?
「まっ」
「ごめん、イオ!!」
「っ!」
そう言うなり、アルミネラが猛スピードで部屋から飛び出してしまった。
「……アル」
待ってよ、と最後まで言わせてもらえなかった。立ち上がった時点で、捕まえておけば良かったかもなんていう後悔が押し寄せてくる。さっきまで、確かにあった温もりが消えて、身体にぽっかり穴が空いたような気分。
でも、それより……泣きそうだった。
僕の前から立ち去る時に見た彼女は、とても切ない表情だった。兄である僕には見せた事がない、妹の感情が現れているような。――初めて見た、あんな顔。
「……」
僕だって、アルにそんな顔をさせたい訳じゃないよ。
何が原因かすらも分からない。
今はぼんやりと、こんな夜中に寮内とはいえ危ないのでは?なんて心配が先に出たけど、ノアがどこかで見守ってくれているはずだから大丈夫だろう。それに、セラフィナさんともいつの間に仲良くなったんだか。
まるで、現実逃避のように次から次へと些末な事ばかり気にかかる。
ただ、アルにもそういう逃げ場が出来て良かった、とも思ってしまう。ここにエルが居る以上、エルの部屋には逃げ込む事が出来なかっただけなのかもしれないけれど。
それでも、セラフィナさんを頼るという選択肢が出来たのはとても良い事だろう。
「……」
でも、なんでなの?
――――どうして、こんな。
「……イオ様」
「おうおう。結構、でけぇダメージくらっちまったなぁ」
アルの一言があまりにもショック過ぎて、未だにその場から銅像のように動けない僕に対して、エルとフェルメールが声をかけてくるのに全く耳に届かない。
――だって。
今まで、ずっと僕たちは喧嘩もせず一緒に同じ時間を過ごしてきたのだ。アルが僕の気持ちを理解してくれるように、アルの気持ちだって僕は。
なのに――
『今は、イオに会いたくない』なんて。
……アル。
俯いて立ち尽くしていると、フェルメールは一つため息をはき出して僕の肩をトントンと叩いた。
「とりあえず。今日のところは、帰るか。まだ、視察は残ってるからな」
「……はい」
そこから、どうやってリーレン騎士養成学校の寮までたどり着いたのか覚えていない。
「コーナー監督生。どうしたんだ、彼は。一夜の合間に何かあったのか?」
「見るからに、抜け殻みたいになってるよね~」
気が付けば、朝になっていた。それから、朝食を取るのもままならず、フェルメールに連れられて貴賓室の前で視察団の方々が集まるのをただ見守っていただけなのに、スローレン様とネネ先生には気付かれてしまったらしい。やや遠巻きに僕を見ながら、フェルメールに話しかけている声が聞こえてきた。
「おはようございます。あー、えっと、なんて言うか思春期みたいなもんですよ。今日一日は、ずっとあんな感じなので申し訳ないんですけど」
「ほう、なるほど。理解した。エーヴェリー君とて、まだまだ十四歳という年頃の若人だからな。時に、思い悩んだりする事もあるだろう。大いに悩むが良い」
「初日から、隙のないちょー優等生な顔しか知らなかったから何だか新鮮だよねぇ~。あーんなふにゃけた顔も出来るんだなぁーって」
「ははっ」
……あのね、さっきから聞こえてますから。思春期だとかふにゃけただとか、言いたい放題言ってくれちゃって。全く、人を何だと思ってるんだか。
「うむ。ますます、我が国に留学して欲しいものだ」
「えぇー!そちらより先に、僕の国に来てもらいたいですよー」
「あははっ。そのようなお話までしていただいていたんですね。エーヴェリーとそこまで懇意にして下さってありがとうございます。寮でも同室という間柄なんで、なんか弟が褒められている気がして嬉しい限りですよ」
……弟、か。
僕には前世で実際に弟がいたけど、あいつとは気が付いたらいつの間にか仲が悪くなってしまっていたんだっけ。でも、昨日のアルのように、あいつははっきりと口に出した事はなかったな。
会いたくない、なんて――
ああ。もう、どうしたらいいんだろう?
前世の弟を思い出すだけで、比較してまた凹んでしまうとか……僕は、相当アルミネラの事を想像以上に固執してしまってたのかな。彼女をちゃんと大切に出来ているって実感出来るけど、今は胸の辺りがギュッと締め付けられて痛みが走る。
よそから見れば、更にどんよりとした空気を纏ったようで、今すぐしゃがみ込んでこの現実から逃げ出してしまいたくなってきたけど、良い意味で空気が読めない人が現れた。
「どうした?具合でも悪いのか?」
「そんな事ないですよ?統括長、おはようございます」
「んん、だがな」
ディートリッヒ先輩はお優しいなぁ。なんて思いながら、へらっと笑って僕は誤魔化す。そこで放っておいてくれたら良かったのに、不意にフェルメールが僕の肩を抱く。
「なあ、わりぃけど今日はこいつ休ませてもらっていいか?」
案の定、フェルメールの突然の出現に眉をぴくりと動かしたディートリッヒ先輩は、口をぐっと結んでから僕とフェルメールの顔を交互に見やって短く息を吐き出した。
「……分かった」
「おお、サンキ」
ちょっと、待ってよ。
「そんな!僕、大丈夫なんでお手伝いをさせて下さい!」
勝手に、僕の進退を決めないで欲しい。アルの事は辛いけど、これじゃあどうしてわざわざ入れ替わって補佐についたか。ここで休んだら、意味がない。
「って、おい」
もし、今の僕が腑抜けているように見えるのなら隠し通す努力をするから。こんなんじゃ、父上に面目が立たない。……入れ替わってくれたアルにだって。
「エーヴェリー君、ちょっといいですか?」
どうにか今日も参加させてもらえないか、ディートリッヒ先輩に食い下がる僕を、リーンハルト先輩がニコニコとその温和な笑みを浮かべながらそっと端っこの方へと誘う。
「……何ですか?」
どうして呼ばれたのか分からず首を傾げる。そんな僕の頬を、リーンハルト先輩は軽くパチッと挟むように両手で叩いた。
「……っ!?」
その行動に驚いたけれど、優しく叩かれたので痛みの衝撃はない。
それに、僕を気遣ってか先輩が自分自身を周りからの壁にしてくれていたので誰も気づいていないだろう。
だけど、先輩がどうしてそんな事をしたのか分からなかった。
「どうして」
今まで見てきたリーンハルト先輩は、とてもこんな事をするようなタイプには見えなかったのに。驚いたまま見上げると、先輩は笑顔を崩さず口を開いた。
「そんな顔で、一緒に同行される方が迷惑です。私たちは、なあなあで視察団に付き添っているわけではありません。自分の事すらままならない人間に用はない」
「……っ」
ああ、まさにその通りだ。
「あそこまでフェルがフォローしてくれているのだから、それを甘んじて受け入れるべきです。……君は、まだ間に合うのだから」
最後は小声だった所為で何て言われたのか分からなかったけれど、リーンハルト先輩の言葉が僕の胸に突き刺さる。
……そうだよね。こんな状態の僕が居た所で、逆に他の人には迷惑でしかない。
いつもなら、こんな簡単な事、直ぐにでも気が付いていたはずなのに。
今は、ただひたすら心が痛い。
真っ暗な闇に落ちていくように、落ち込み度合いがますます酷くなってしまってシュンとなる。
そんな僕の様子をジッと見ていた先輩が、今度は優しく僕の頬を両手で包み込むと、己と目が合うように上に向かせた。
「……あの、僕」
すると、当然、慈愛に満ちた微笑みを湛えた先輩の輝く宝石のような緑色の瞳とかち合う。
「君は聡明な子ですからね。何があったか聞きませんが、今はここを休ませるべきです」
そう言って。リーンハルト先輩が指し示したのは、ちょうど己の心臓辺り。
そこに、あるものといえば。
――この世界でも、やはり心の位置と定められていて。
「……ありがとうございます」
「どうしても出たいと思うのなら、しばらく保健室で横になっているといいでしょう。午後からでも、スッキリ出来たら少し顔を見せに来て下さいね」
私は君の可愛い顔が大好きなので、とまるで愛しい恋人に告げるように言われてしまって、また違った意味で心臓が早鐘を打ってしまった。
あう……美人にそんな事言われたら、誰だってドキドキするってば。もう、どうして、ここの上級生はこういう際どい事ばかり言うかな。身が持たないよ。
「えっと、はい。あの、損な役回りをさせてしまってすいません。本当に、ありがとうございます」
「君って子はもう」
何だか照れくさくなって、リーンハルト先輩にお辞儀する。そして、僕は足早にディートリッヒ先輩とフェルメールにも先程の事を謝ってから、保健室へ行く旨を伝えた。
ああ、僕はたくさんの人に助けられて生きている。
そのことに、まずは感謝しなければ。




