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転生したら女装するコトになりました?  作者: 九透マリコ
第三章 恋とはどんなものかしら?
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いつも、閲覧&ブクマ&&評価をありがとうございます。

 ――あ?きっ、きゅ、急に話しかけてくるな、馬鹿者。なんだ?貴様、今日は何用……ふん。イエリオスだと?ああ、あの男はお前と違って教養がある。それに、感情の起伏が激しい誰かとは違い、常に穏やかで話しやすい。あいつが望むなら、騎士といわずもっと国の中枢……なっ、なんだ?急に!そ、その緩んだ顔を俺に晒すな!






 オリヴィアの件についてはお手上げ状態になりそうだが、実は、皆には言えないが俺にはもう一つ厄介なトラブルを受けている真っ只中だった。――というのも。

「……であるのだ。どうだい、エルの偉大さが分かっただろう?だから、本来彼女は君のような輩と共にいるべきではないのだよ」

 俺の前の席に座り、ふははと偉そうに笑うのは、あれからもちょこちょこと一人になった時を見計らっては現れるライアン・アンダーソンの存在だ。

 俺が話せないのを良いことに、彼は如何にエルフローラが素晴らしい女性なのかを説き、俺と一緒に居ることが気にくわないと文句をたれてくるのである。

 けれど、まあ俺は伊織として生きてきた二十年間を含めるとこの男よりも年上であるし。俺への誹謗中傷は気にいらないが、大抵受け流せるぐらいの嫌味なので、こうして一人になるよりはいいかと半分ぐらい妥協している。

 ただ、小物臭が強いので可能性は低くなっているが、もしかしたらこいつが俺を階段から突き落としたかもしれないという疑惑があるので、自分から言い出さないかと期待していたり。

「ねえ、私の話をちゃんと聞いているのかい?……ん?ああ、そこの問いは教師の悪意を感じるので気をつけたまえよ。私も過去に一度だけだが、引っかかった事があってね」

「……」

 たまたま今日は、教師の頼まれごとをしているエルを待っていて授業の復習をしていたのだが、いつの間にやら来たかと思えば、さっきからちょくちょく助言をされているのである。

 まさか、勉強を見てもらえるとは思わなかった。というより、こいつは意外と面倒見が良い。俺の事を心底嫌っているくせに、俺が何かしら困っていると手助けをしてくる。今日だって、廊下のど真ん中で留まっている集団がいて、俺が通れず困っていたらいつの間にやら現れて、彼らに説教をしていたし。……全く意味が分からない。

 これがエルへのアピールポイントになると思っているのなら、大間違いだと言ってやりたい。

 内心呆れながらも、伊織として生きていた頃は勉強が苦手だったので正直助かってはいる。まあ、どこかの国に留学していたぐらいだから、頭が良いのは納得出来る。

「そうそう、その式を用いてだね」

 ああ、なるほど!って、悔しいが教え方もけっこう上手いな。などと感心していると、教室の入り口からエルが申し訳なさそうな表情で顔を覗かせた。

「アル。あら?お兄様もいらっしゃいましたの?」

「やあ、エル。たまたまここを通ったら彼女が勉強をしていたのが見えてね。本当に、たまたまなのだよ、たまたまね」

 たまたまたまたまうるさい。というか、一年生の教室は最上階にあるのだから、偶然なわけがなかろうに。そんな言い訳に誰も引っかかるわけがないだろうが、と思っていたのだが。

「まあ、そうでしたの」

 と、エルが素直に受け入れた。

 いや、まさか?彼女にしては、短慮過ぎる。珍しい、と思いながら彼女を見れば、どこかそわそわしていて微妙に焦っているようだった。

「……?」

 どうしたんだ?

 よく分からず首を傾げる俺に、エルが困った顔で己の頬に手を当てる。

「あの、アル。これだけお待たせしてしまって申し訳ないのですがけれど、実はまだお手伝いが終わらなくて、その」

 ああ、なるほどね。

 要するに、俺を待たせているのに夕暮れという結構遅い時間帯になってしまったが、まだ終わらなくて罪悪感に苛まれているというところか。

 本当に、しっかりしてるし真面目で良い子なんだな。

 気にしなくてもいいのに、と声をかけたいのはやまやまだが、第三者がいるので俺は笑って首を振った。どうせ、校舎から寮までの短い距離だ。そんなぐらい、一人で帰ってもどうって事ないだろうに。

 だから、そんな顔をしなくて良いよ、とノートに書こうとしたのだが、彼女は不意にライアンへと視線を向けた。

 ここまできて、嫌な予感も何もない。眉間に皺が寄ったから、頑張って戻したけど。

「お兄様、申し訳ないのですけれどアルを女子寮まで送って頂けないでしょうか?」

「ん?エルのお役に立つのなら私は別に構わないよ?」

 ……ああ、やっぱりか。

 半ば、予想してたとはいえ、それは早計過ぎるだろうに。

 この状況では、俺の意思なんて二の次なのか?と、肩を落としている俺の心の内など知るはずもなく、二人の間では既に話が決定されてエルが申し訳なさそうに俺を見た。

「アル、本当に申し訳ありません。ですので、寄り道をせずに真っ直ぐ女子寮まで帰って下さいね!良いですか、真っ直ぐですわよ」

 しかも、聞き違いじゃなければ、どうも俺は信用されていないような?

 いくらなんでも、ライアンを信用し過ぎだろう?と思っていたのだが、それこそエルにとっては重要ではなく別の何かを警戒しているようだった。

「……」

 まるで、幼い子供に言い聞かせるように念を押してくるエルに、俺は何度も頷いているのだが、何故かその銅貨色の瞳は険しい。

 ……ええ?そこまで疑う?いや、その表情も可愛いのだが。可愛いが故に、何故か視線が泳いでしまう。

「まあまあ。彼女の事は、私にまかせて。エルは、頼まれたお仕事を精一杯こなしておいで」

「……はあ。そうですわね、さっさと終わらせて帰ったらお部屋へ訪問させて頂きますわ」

 って、そこまで?おいおい、念を押すにもほどがあるな。

 というか、ここから寮までの距離なんて子供のおつかいよりも近いと思うが?

 心配性だな、意外と。普通は、逆だと思うけど。

 ……ああ、でも、この感じは何となく俺に言っているようで俺じゃないような気もするな。頭がぐちゃぐちゃになりそうだが、エルは今の俺というより、記憶を失う以前の俺に対して警戒心を抱いているとか?


 ということは、俺は真面目そうに見えて実はふらふらするような男だったのか?


 ……分からない、俺がどういう人間だったのかさっぱり分からない。これじゃあ、アルミネラと同じで野生児だと言われても今なら納得してしまいそうだ。

 そこまで考えて、どういう顔をすれば良いのか分からず、ぎこちないだろうが笑みを作る。せめて、彼女が安心するようにと思って。

 だが、ここで彼女の言葉に嫉妬を隠しきれないライアンが俺にしか聞こえないぐらいの舌打ちをして、にこにこと人当たりの良い笑みを浮かべて大きく首を横へ振った。

「ふふっ。エルがそこまでしなくとも、彼女はちゃんと私が送り届けるから安心しなさい。君は、帰ったら今日一日の疲れを癒す為にゆっくり休むべきだよ」

「ですが、お兄様」

「彼女も学院の生徒である以上、校舎から寮まで帰宅するぐらい自己管理の範疇だと私は思うのだけれど」

「……そうですわよね。申し訳ありません、私ったら」

 軽く頬に手を当てて、恥じらいを見せるエルの肩にライアンはそっと手を乗せて優しく笑いかけた。

「やっぱり、エルちゃんは小さい頃と変わらず優しい女の子だね。さあ、もう行きなさい。君の帰宅が遅くなったら、今度は私が心配で夜も眠れなくなってしまうよ」

「うふふ、お兄様ったら。お手伝いは私だけではないので、皆さんと一緒に帰るつもりですわ」

 なるほどね。ライアンも考えたものだ。そうやって、上手いこと自分をアピールするとはな。

 俺が話せない事をいい事に、上手く考えてるなぁと感心するが……まあここは仕方ない。俺もノートに、俺の事は気にせず頑張ってほしい、と書いて彼女に見せた。

「まあ。分かりましたわ。そうですわよね、例え前科があっても信じなくては。長い間、お待たせしてごめんなさい、ありがとうございます」

 うんうん、と笑顔で頷いてはみたものの。

 ……えっと。ちょっと、待てよ?空耳じゃなかったら、今エルは前科って言ったような。

「……」

 ますます、不安だ。

 記憶がないだけに、どこに憤りをもっていけば良いのか分からない。とにかく、何をしたらそこまで心配されるんだ、俺!

「アル、お兄様、それではごきげんよう」

「うん。また、明日」

 にこやかな笑みを浮かべて、ライアンと二人で去って行くエルにひらひらと手を振る。廊下の端からも見えなくなったところで、俺たちは一斉に不機嫌を全面に出して互いに仏頂面を見せ合った。

 俺とこの男がこれほど仲が悪いなんて、エルはきっと想像もしていない事だろう。

 黒板の上にある時計を見上げれば、時刻はちょうど五時半を回ったところ。まだ黄昏時でやや明るいが、六時になる頃には日も暮れて暗くなってしまうだろう。

 エルの絶妙な判断力に敬服する。

「知っているかい?彼女は、あんなに優秀でありながら来期の生徒会への勧誘を断っているそうだよ。それが何故だか分かるかい、君に」

 しばらく教室は静寂に包まれていたが、エルとの約束を律儀に守っているので俺が教科書などを鞄に詰め込むのを待っている間、ライアンは夕焼けを見つめながら徐に声を発した。

「……」

 どんなに問われても話さないという事は分かっているはずだから、敢えて問うてきたのだろうが。……ほんと、こいつ性格悪いな。

 しかし、記憶がないのでその事実を俺が知っていたかどうか分からないが、エルが生徒会に勧誘されているのは当然の結果だろうなとは思う。

 記憶を失って、まだ日が浅いが彼女の人となりは分かっているつもりだ。何も話せないからこそ、人間の観察を出来る時間が俺にはあった。だからこそ、言える。

 彼女ほど優秀で真面目な生徒はいない。

 この世界で、女生徒が生徒会長なれるかどうかは分からないが、なれるとしたらエルフローラは最も適任者だと言えるだろう。

 オーガスト王子は立派に生徒会長を務めているが、もし、エルが務めるにしてもきっと負けてはいないはずだ。

 当然の如く、俺が黙ったままでいるとライアンはあからさまにため息を吐き出した。

「はあ。彼女を勧誘した先生に窺ったが、エルは君と少しでも共に居たいのだそうだ。全く、私には理解し難いよ。生徒会といえば、いわば生徒全員の憧れでもあり学院の誇りとでもいうべき存在だよ。彼女は、そんな華やかな場所にいるべき存在であるのに、君のような俗物を選ぶだなん、っつう!」


 教室内に、ガタンと大きな衝撃音が轟く。


 気付けば、机と椅子が散乱していて、目の前にある男の顔を間近に見下ろしていて。苦痛と驚愕に揺らめく瞳を見据えながら、今まで我慢していたものを声に出していた。

「エルが、どれだけ素晴らしい人間かはあんたに言われなくとも分かってるよ!」

「!」

 幸い、この最上階には俺たち以外居なかったようで、大きな音がしたにも関わらず誰も来る気配はない。

 内心、そこにホッとしたと同時にハッとする。



 ああ、とうとうやってしまった!



 会う度、ネチネチと言われ続けても、ひたすら耐えてきたというのに。

 ――こんなにも簡単に手を出してしまうなんて。

 しかも。

「……っ」

 足技でライアンを転がした際に、運動慣れしていない華奢なこの体はその重さに耐えきれず、右の手首を痛めてしまい、不覚にも一緒に倒れ込んでしまったのだ。

「っ、やっと本性を見せたか!イエリオス・エーヴェリーめ。やはり妹同様に野蛮な奴だな、貴様も。早く退け!」

 ……え?今、なんて?

 ライアンの言葉に驚きを隠せず、真下にある蔑みを含んだ碧い瞳をもう一度見下ろした。

「まさか、知って?」

「はっ、何を今さら。初めて会った際、私は君の正体を知っていると告げただろう」

「いや、それは記憶をなく、な、何でもない!」

 動揺し過ぎて、話さなくてもいい事までしゃべりそうになってしまった。俺は、慌てて片手で口元を覆い隠しながら、マウント状態だったライアンから何とか身を離す。

「っつう!エーヴェリー公爵家の屋敷は、まさか森の中にでも建っているのではないだろうな?熊にでも押し倒された気分だよ」

 その後に、やれやれ、と悪態をつきながらライアンがゆっくりと上体を起こした。

「……いくら腹に据えかねるとはいえ、手を出してしまって申し訳ありません」

 極度に怒りが過ぎたら、つい技をかけてしまうのは伊織として生きていた頃からの俺の悪い癖だ。それは、恩師にも先輩方にも散々注意されていた事なのに。

 だからあの頃は、なるべく冷静さを持つように心がけていたのだ。

「私もエルを想うあまり、少し熱くなり過ぎたのは認めよう」

「ありがとうございます」

 これって、何とか許してもらえたって事になるのかな?ホッとしつつも、かといって他人、というか特にこの男には弱みを絶対に見せたくない。なので、怪我をした事を悟られないよう距離を取って立ち上がる。

「しかしね、これだからこそ、君たちには関わって欲しくなかったのだ。ああ。やはり私の可愛いお姫様に、君たち双子は似合わない。前々から、そう勧告しているのにミルウッドおじ様は娘に甘いお人だから」

 再びブツブツと言いながら、ライアンも立ち上がって制服の誇りを払い落とす。

 ああ、どうやら俺が手首を捻った事に気が付いてないようだ。良かった。

「ユーモラスで明るいけど、それなら誰が一番エルに似合うかなんて」

「あーもう、うるさい。いいから、机を直すの手伝えよ」

「ん?んん?はて、以前とどこか雰囲気が変わったような?そのような口調だったかな?」

「何の事です?さっき倒れた勢いで、幻聴でも聞こえたんじゃありませんか?」

 おっと、やばいな。話せるのがバレたからって、つい油断してしまった。

 こんな面倒くさいタイプには、伊織の時でさえいなかったからつい口調が荒っぽくなってしまう。それに、史哉……弟も冷戦に突入する前は妙に俺に突っかかってきていたから、今みたいに煩わしくてついおざなりになってしまうのだ。まあ、奴の場合は無口なのに体格と同じぐらい態度が大きすぎて気に障る男だったが。

 どうにもこうにもふとした瞬間に調子が狂う。これも、この男がいるからかと半ば逆恨みしながらも、気分転換にため息をはき出して転がった机を戻そうと手をかけた。

「……っ」

 ああ、やっぱり痛みが増してる。この世界に湿布ってあるのだろうか?

「何を呆けているのかね。さっさとしたまえ」

「……はいはい」

 といっても、机を立たせる事が出来ないので、椅子や配列から乱れた机を整えていくにとどまる。せめてもの救いは、教室内でもスペースがある後ろの方で、大技を掛けた訳じゃなかったから直ぐに片付いた事だろう。

「出来ましたね」

「やれやれだよ。不本意ではあるけれど、エルとの約束は違えられないのでね。寮まで君を送り届けるよ」

 ざっと室内を見渡していると、すぐさまライアンが面倒くさそうに帰宅を促してきたので自然とへの字口になってしまった。

 律儀な奴だな。

「お一人でどうぞ。エルには送ってもらったと伝えておきますよ」

「そういう訳にいくはずがないだろう?君が一人で歩いているのを、もし万が一エルに見られでもして私の株が下がったらどうするだい」

 ええ?この男、かなり面倒くさいな。

 お互い毛嫌いしあってるんだから、そこは融通を利かせるべきだろう。そんなに、自分の体面の方が大事なのか?

「……分かりました。けど、一つだけ。今度は投げ飛ばされたくなかったら、僕や家族の悪口は言わないようにお願いします」

 さっきは、聞き流してしまったが本物のアルミネラの悪口も言われていたような気がする。記憶を失くす前の俺は妹を大事にしていたようなので、嫌味の一つ二つぐらいは返してそうだから、今更だろうがフォローしておく。

 それに、今の俺も彼女が嫌いだというわけではない。ただ、エルやセラフィナよりも話す回数がまだ少ないので、どういう人物なのかまだよく分かっていないのだ。ブラコンというパワーワードを除いては。

「善処する」

「……」

 は?今度は別の技でもかけてやろうか?

 咄嗟に握り拳を作ってしまったが……危ない危ない。これ以上、手を出すのは危険行為だ。俺の手首も耐えられないが、この男を怪我させるのも拙いだろう。いや、そういう問題でもないか。

 何にせよ、ひとまず落ち着かなくては。そう思い、ふうと息を吐き出してから、大きく深呼吸して心を鎮める。

 うん。それなら、もっと違う攻め方をするべきだろう。

 目には目を。歯には歯を。だったら、口撃には口撃を、があっても良い。こういうのを何と言ったか。伊織として生きてきた学生時代、授業で習った気がするが思い出せない。えーっと。

 うーん、と思案しながらも既に帰宅準備を済ませて、教師の入り口で待っているライアンの横を通り過ぎる。その際、背丈の高い彼を見上げて、俺は俺が想像しうる限りのとびきりの笑顔で微笑んでやった。

「僕、エルと学生結婚しようかな?安心して下さいね。ちゃんと、式には呼んで差し上げますから」

 あ。ハムラビ法典だ。(※主人公は教えを誤解していますので注意)

「なっ!何を、ふざ、ふざけたことを!」

 やっと思い出せた事も相まって、思わず嬉しくてふふっと声に出して笑う。途端、ライアンは怒りで顔を真っ赤にさせていたはずなのに、次は急に真っ青にさせて慌てて俺の後を追いかけてきた。

「う、嘘だろう?冗談だよね?ね?」

 ああ、ちょっとだけスッキリしたかも。

 これで、しばらくは大人しくしてくれるに違いない。俺が本気なのかどうか心配で纏わり付いてこられるのは鬱陶しいが、しばらくは上から目線で話される事もないだろう。

 今なら、スキップすら出来そうだ。いや、しないけど。

 俺に勉強を教えていた時とは打って変わって、不満そうな表情を浮かべながら黙ってついてくるライアンを無視して、ようやく校舎の一階出口まで下りてくる。上靴とスクールローファーを入れ替えて、黄昏と呼ばれる黄金色が空全体を支配している室外へと出た。

 昼間でもなく、夜でもない夕日隠れの時間帯。

 どこか懐かしい気持ちが蘇って、赤紫色の雲が広がるこの夕闇を見上げて軽く息を吐き出す。


 漆原伊織として生きた二十年間。


 その学生時代は部活動に明け暮れていたから、夏の終わりは、この光景を仲間たちとよく目にした。毎日、大変だったけど疲れていたけど、楽しくて。どこか誇らしくて、満たされていた。



 このまま、この世界の記憶が戻らなかったらどうすれば良いんだろう。


 この世界に生まれ落ちて培った俺の十四年は、無駄なものだったとして消えてなくなってしまうだろうか……この体から。


 僅か、十四年間の人生を――――




 もう一度、ゼロから築き上げていけば良いと?






 ――そんなのまるで、作り話の主人公のようだ。


 ふうっ、ともう一度息を吐き出して、僅かに冷えてきた己の体を温めるように身を縮めて歩き出す。さり気なく後方を確認すると、ライアンもある程度の距離は取りながらも、きちんと俺の後ろからついてきていた。

 まあ、どうやら反省しているようだし、寮に着いたらお礼ぐらいは言ってやらなくもない。図に乗るかもしれないが。

 アルミネラが騎士養成学校に入る為に切ったという、彼女の自毛で作った特製のウィッグの長い髪を風になびかせながら校舎と塀の間を黙々と通り抜ける。貴族の子女らしいスカートやローファーが慣れなくて、最初の数日は歩きづらかったが、ようやく慣れてきたのではないだろうか。いたる所に、名誉の負傷が出来てしまったけれど。


 昔から、努力するのは嫌いじゃない。


 それにしても。

 エルもギリギリまで粘って判断してくれたとはいえ、やっぱり辺りに人の気配がなくて物寂しい。面倒だが、この際ライアンでもいいからやっぱり隣りに並んでもらうべきかな、と思いながら角を曲がった――その時。

「きゃあ!あっ、あなた達どなたですの!?」

「黙って俺たちについてきな!」

「やっ、やめなさい!」

「くそっ!静かにさせろ!」

 少しだけ距離が離れているものの、目の前で同じ学院の制服をだらしなく着こなしている男たちが、オリヴィアを拐かそうとしている場面に遭遇してしまった。

 ええっ?なんで、こんな時間にオリヴィアが?なんていう疑問が真っ先に浮かぶ。しかも、どうして連れ去られそうになってるんだよ、という疑問符付きで。

 いや、今は考えるよりどうにかする方が先だろう。

 ……さて、どうする?

 さきほど、ライアンに技なんか使わなければまだ一人や二人、どうにか小狡い手を使って倒せたかもしれないが。見たところ、数は五人。俺一人では手に負えないだろう。

 あちらから見えないように、角を曲がらず様子を見ていたら、ようやくライアンが追いついた。

「何だい、一体なにを」

「しっ!」

 うるさいな。

 ちっとも緊張感のないライアンに苛立ちながら、今、どういった状況に陥っているのか襟首を引っ張って覗かせてやる。

「あ、あれは、クレイス嬢じゃないか!」

 目を丸くして、器用にも小声で叫ぶライアンに辟易しながらも頷き返した。なんだろう、この男の一挙手一投足の全てに疲れる。

「ああ、そうだよ。従姉の事は俺がどうにかするから、あんたは早く教師たちを連れてきてくれないか」

 あの食堂の一件以来、たびたびオリヴィアのトラブルには遭遇したが、まさかこれほど大きな事件に立ち会うとは思わなかった。

 不良たちは、どうやらあまり使われていなさそうな校舎へと引きずりこもうとしているらしく、オリヴィアも必死に抵抗して足掻いてる。

 ……何だって、こんな場面に出くわしてしまったんだ。

 憤りたいのを我慢して、今はずっと見ているしかない。

「何を言う?今すぐ、止めに入ら、っ!」

 ああ、もう!なんだって、こいつは考えなしなんだ!

 俺の制止も聞かず、無鉄砲にもライアンが飛び出そうとしたので、その動きに合わせて腕を引っ張り壁へとぶつける。

 ついでに、凄んでみせればライアンが息を飲んだのが分かった。

「あんたに何が出来る?このまま二人とも見つかって捕まるよりマシだろうが」

「……そ、それは、そうだけど」

 助けなければと言った所で、武力を持たないこの男が役に立つはずがない。

 こんな言い争いをしている間にも、オリヴィアはどんどん引きずり込まれていっているのだ。連れ込まれるのは時間の問題だろう。

「いいから、あんたは助けを呼んできてくれ」

「き、君は、どうするんだい?」

「これから、オリヴィアと一緒に捕まる。俺は女装をしている男に過ぎないけど、オリヴィアは女の子なんだから、そういう事に備えるべきだろ」

「そんな」

 兎にも角にも、今は最悪の事態を想定して動くべきだ。相手は男ばかりだし、俺が男だと知れば今度は暴力に変わるかもしれない。

 せめて、オリヴィアだけでも隙を突いて逃がす事が出来れば良いが。

 ファンタジーの世界でも、貴族とはいえ、やっぱりどこの学校にもこういう輩はいるものだ。なんて、呆れてしまうが。

 時間は刻一刻と迫ってきている。

 目の前で、校舎内に連れ込まれていくオリヴィアが気になって、ライアンがどんな表情を浮かべているのかにも気付かずに、俺はそういう事でよろしく頼む、と告げてから奴らの後を追いかけた。


明日の更新、もしかしたら間に合わないかもしれません。

明日中、もしくは明後日にはお届けします。


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