番外編 アントラクト~エルの間奏~
いつも、閲覧&ブクマ&&評価をありがとうございます!
このお話は、第2章10話辺りのエルフローラ視点となっております。
どこら辺だ?と思われる方への説明→主人公が学校でぶっ倒れた回、です。
透き通るほど白い肌に、白金色の長い睫毛。苦痛に歪む形の良い眉。そして、真っ白な布団に散りばめられた髪は、光に反射して一本一本がまるで絹糸のよう。
整った顔立ちは、まだ幼さがありながらもどこか色気を帯びていて、眠っている状態でもその姿は神々しい。
もし、このまま起きなかったらどうしましょう。
今もなお、思い出すのはつい先ほどのこと。目の前で、気を失ってバランスを崩して倒れる自分の婚約者が不意に見せた切ない瞳。僅かな瞬間ではあったけれど、今でも目の前で眠っている少年、イエリオス・エーヴェリー様は私を見ていたと自負出来る。
それは、私たちのすれ違いの所為。
ここの所、ずっとイエリオス様は私を避けていたように感じる。その理由は、明白で。
短期留学生のアメリア・コールフィールド王女が私を慕って下さっているから。
たまたま、ランチタイムの時に席がお隣だったからお話をさせて頂いていただけだったはずなのに、アメリア王女は私を慕って下さって、放課後までお声をかけて頂けるようになった。それは、大変光栄な事なのでしょうけど。
毎日、アメリア王女に声を掛けて頂いてから、私とイエリオス様の距離は少しずつ離れていった。
何がいけなかったの?
――優先すべきは、イオ様なのに。あなたはイオ様が、王女を優先してねという優しい言葉を鵜呑みにしたせいよ。
どうしてこうなってしまったの?
――イオ様が何を感じていたのかも分からずに、馬鹿正直に受け入れたからよ。
ここ最近、何度も何度も、同じ問答の繰り返し。
イオ様を教室に残してアメリア王女に誘われるままに放課後、学院の外へ遊びに行って。これは、きっと罰なんだわ。
少しずつ、この人のお顔が優れないようになった事にも気が付かず。
回りに気付かせない程度に、お弁当の量を減らしていた事も最近になってようやく気が付くなんて。遅すぎる。
馬鹿みたい。
……本当に。
イオ様がこうなる前に、解決へと導くのが私の務めだというのに。
アルミネラが、この事を知ったらどう思う事でしょう。
たまに柳眉を寄せてうなされる彼の寝顔を見て浮かぶのは、イエリオス様の双子の妹のアルミネラ・エーヴェリー。そもそも、イオ様がこのような女装をしてまでこのグランヴァル学院へと入学したのは、彼女が事の発端だった。
このミュールズ国の子供は、十四歳の年に学校へ入学しなければならないという決まりがある。その中で、大抵の貴族の子供はこのグランヴァル学院へとやってくるのだ。
私も、アルミネラもそれに倣ってグランヴァル学院へと入学が決まっていたのだけれど。
この学び舎は全寮制なので、入学式より少し早めに一緒に行こうと決めていたはず。
なのに。
――その日の朝のこと、イエリオス様が目を覚めた頃には時すでに遅く。気が付けば、アルミネラは一枚の手紙を残し、本来ならイオ様が行くはずだったリーレン騎士養成学校へと旅立った後だったという。
そのイオ様に宛てられた手紙には、騎士になりたい、という言葉だけ。
それまで長かった白金髪を、いつの間にか変装用のウィッグに変えて、彼女は『イエリオス・エーヴェリー』になりきって朝早くに出て行ってしまったらしい。
元々、一卵性の双子だから顔立ちは似ていたし、まだ成長期を迎えていないからか体型も同じで、違うのは性格ぐらいの二人だったからアルミネラも行動に出たみたいだけど。
残されたイオ様は、なし崩しでアルミネラを演じなければならなくなって、そうして私には早々にバレてしまったというのが事の顛末。
彼女とは、イオ様と正式に婚約を取り交わして以来の仲だけど、そういう破天荒な所がある子だから私もイオ様と同様で、仕方ないと受け入れた。
それでも、やっぱり無理がある時はフォローをしていたはずなのに。この有り様。
これじゃあ、アルになんて言われるのかしら。
実は、彼女が私たちの婚約をいまだ快く受け入れていないと知っているのは私だけだ。
幼い頃に繰り返し熱を出すイオ様は、今もそうだけど昔は本当に儚い妖精のようなお姿で、アルは双子だけに何かを感じ取っていたのか、イオ様への執着心が人一倍強い子になっていたらしい。
だから、当然私と初めて会った時もあっさり無視されてしまったし、イオ様に仲良くするように言われてもどこか態度が冷たかった。
お互いに、五歳という年齢で人との付き合い方が分からなかったという事もあるんだろうけど、アルは何よりイオ様にずっと引っ付いていて私も負けじとアルに認められたいばかりに、毎日、双子に会いに行った。
そうする事で。
アルミネラという女の子が如何に魅力的なのか気がついて、もっと仲良くなりたいと思うようになって。
気がついたら、アルもイオ様と同様に私の大事な人の一人になっていた。
その成果が実ったのは、出会ってからかなり経っていたけれど。
あれは、そう。もうそろそろ出会ってから一年が過ぎるという寒い日のこと。いつものように、アルを追いかけていった先で彼女が珍しく思いっきりこけたから、手を差し伸べたら急に私の手を見つめて泣き出したのだ。
「ずるい!なんで、あなたは私にも優しくするの?」
「だって、私はあなたが好きなんですもの。ほら、手を取って?」
彼女の言葉の意味も理解出来ず、ただ私はその時思った事をそのまま返した。
「……私は、あなたなんて嫌い!イオの、お兄ちゃんの一番は私じゃなきゃイヤだもん!」
当時から、アルミネラがイオ様に対して片寄せる感情の意味を何となく理解していたけれど、その蒼い瞳に宿った私への嫉妬を隠す事無く剥き出しにされて驚いた。
今まで、彼女はそれをずっとひた隠しにしていたのだから。
だから、自分も素直であれ、と自身に言い聞かせた。
今、彼女とやっと同じ場所に立てた喜びを隠しながら。
「分かっておりますわ。でも、私もイオ様をお慕いしておりますの。だから、どうか私に、イオ様のほんの少しのお気持ちだけでもくださいませんか?」
おこがましいのかもしれませんが、あの方が異性に情熱を向けるのなら、それは私だけ。
なにも、イオ様の感情を乱そうとは思っておりません。
アルミネラが一番だという事は、心を寄せている私でも十二分に理解しておりますの。
ですから。
と。そう言って、もう一度手を差し出した。
多分、この時既にどこかで兄妹では結婚出来ないと聞いたのか、アルはいつもの威勢をなくしているようで。
宝石のようなキラキラした涙を流しながら、大きな蒼い瞳で私の顔を見上げた。
「いいよ。だったら、見ていてあげる。あなたが……エルフローラが、本当にずっとイオの事を想い続ける事が出来るかどうか。婚約したって、イオの一番は絶対にあげないけどね」
アルは、その後にぎゅっと唇を噛んで私の手を強く掴んで立ち上がった。
その手の冷たさに、彼女がどれだけ緊張していたのか内心驚く。
初めて、イオ様に出会った時に彼は「世界が恐い」と言った。
その気持ちが、分からなくもない。だって、私たちはこんなにもお互いに緊張していたことを全く知らなかったのだから。
きっと、彼女も私の手が冷たい事に気が付いただろう。けれど、アルもそれを口にはしなかった。
たった五歳の女の子。
されど、たった五歳の女の子に認められたいと、私はその時、本気で思った。
だから、私は十四歳の今でもずっと、努力している。
イオ様にとって、ずっと魅力的に見えるように。……けれど、アルは未だに私を認めてくれない。
その事に文句はないけれど、私だって少なからず憔悴していたのだ。
だから、とは言わないけれど。
今回のアメリア王女の件で、とうとう私の限界もきてしまった。
まだ九年しか経っていないのに。
こんな事でへこたれている場合ではないでしょうに。
だって。
私の一番の強敵はアルミネラだけど、イオ様の立場や容姿を鑑みれば他のご令嬢の皆様にも彼はとても魅力的で好条件だから、正式な婚約者という立場にいても、けり落とそうとする輩は今でも多い。
イオ様には隠しているけど、実は夜会で何度か物申しにあった事も、意地悪をされた事もある。ただ、相手の頭が足りていないからか、簡単に返り討ちが出来るぐらいだし表ざたにはならなかっただけ。
このグランヴァル学院で、恐れ多い事に私もイオ様と同じく三大美姫の一人として挙げられ、『白百合の姫』だと陰で呼ばれているようだけど。
いまだにイオ様を狙っているハイエナたちには、嫌味のように『黒百合の女王』などと呼ばれている事をイオ様はきっとご存じではないだろう。
私の中にある、『黒い私』と『白い私』。
どちらも、本当の私には違いない。それは、認める。
でも、好きな人にいつだって可愛いと思ってもらいたいと願う女の子はたくさんいるはず。だから、イエリオス様には私の白い部分しか見せていない。
――――女の打算。
それが何だっていうのでしょう。
たまに、イオ様が優しく微笑んで下さる。それだけで、私の打算は成功している。
まあ、不可抗力で他の生徒達にも彼の笑顔を目撃させてしまって、敵が増えていっているのは敵わないのだけれど。ただ、彼らからすればそれは『アルミネラ・エーヴェリー』の微笑みであってイエリオス様ではないという事だけが救いかしら。
なんて、こんな裏表がある女だと、私が口にしない限り彼はきっと一生気がつかない事でしょうね。
そもそも、双子が入れ替わりをしているという事に、一番喜んでいるのは私なのかもしれないということも。
毎日、イオ様のお傍に居られる事が。
毎日、イオ様の笑顔を目にする事が。
こんなにも、幸せな事なのだと分かってしまったから。
イオ様には、言えない。
こんな欲深い私なんかを。
――それでも。
毎日、あなたに恋をしている。
きっと、イオ様も私の事を憎からず想ってくれているのだろうけれど。
実は、まだ彼から好意の言葉を貰った事がないのだ。こんな事を考えているだなんて、品格のない女だと思われるかもしれないけれど。
ずっと、一緒に育ってきた双子のアルには可愛いだとか、好きだよ、と囁いているのに。というのは、ただの私の嫉妬に過ぎないのだけれど。
婚約者になって、九年間。
一度も私にそれを口にした事は無いと、イエリオス様は気が付いているのだろうか。
本当は、苦しいの。
切ないし、悲しいわ。
だけど、恐いの。
だから、それを言えない臆病な私もいるから、あなたに伝える事も出来ないでいる。
ああ、なんて卑怯なのかしら。
こんな風にお倒れになるまで放っておいた癖に。
「……ん」
「……イオ様」
お医者様は席を外されているので、今は二人きり。
彼の少し青ざめたままの顔を覗きこんで、何度も彼の名を呼ぶ。
目覚める気配をみせながらも、未だ眠り続ける彼の夢がせめて悲しいものではないようにと。今は、そう願うしか出来ないから。
彼が起きたら、何が彼を追い詰めたのか聞きたいと思う。
……多分、はぐらかされてしまうでしょうけれど。
大好きだから、私もこれ以上踏み出せない。
でも、自分の口からは決して言い出さない人。
……本当に、困ったヒト。
ふう、とため息をついて落ち着こうと椅子に座り直す。
「……ル。……エ、ル」
「イオ様?」
まさか、起きて?と、思って声をかけてみたら、どうやら夢を見ているようだと気がついて、思わず嬉しさで顔が火照っていくのが分かる。
ああ、どうしてこの人は私を喜ばせるのが得意なのでしょうか。
まさか、私の夢を見てくれているなんて。
「うふふ。全く、イオ様ったら」
自分らしくもないほどに、珍しく気持ちが昂揚してそっと彼の白い手に触れた、その瞬間。
「いしてるんだ、……エル」
「!!」
眠っているので、少し声が枯れていてか細い糸のような声音だったけど。
唇の動きで、彼がなんて言ったのか分かってしまった。
それは、ただの寝言だけど、聞き間違えなどでは決してない。
――愛してるんだ、エル。
思わず悲鳴をあげそうになって、口元に両手をあてて声を殺した私は偉いだろう。
けれども。その反面、関を切ったように目からは涙が溢れて頬を伝う。
生涯、聞く事がないだろうと諦めていた言葉。
けれど、ずっと今まで聞きたいと切望していた彼の言葉。
ああ、なんて。
なんて、心が震える事なのでしょう。
今まで萎れていたはずの花が、再び活力を取り戻して開花するよう。
その一言で、私の心がどれだけ温まったか、この人はきっと知りもしない事でしょう。
愛おしい。
それだけで、涙はどんどん溢れ出す。
「……私も、あなたを愛しております」
いつか、私もあなたに言えたら良いのに。
眠っている時などではなく。
声を殺して涙する私に、ようやく目覚めた彼がびっくりするのはそれから五秒後。
その後、イオ様から涙の理由を問い立たされて狼狽えてしまうのは、その十秒後のお話。
第二章、最後までお読み下さいましてありがとうございました!
第三章更新は、来週から開始します。
今週一週間はお休み頂きます。




