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番外編 SIDE:A

いつも、閲覧&ブクマ&&評価をありがとうございます!


今回の一つ目の番外編は、前半部分は第二章でのアルミネラ視点ダイジェスト版です。

※印から、大人たちの反省会となってます。

 私のお兄ちゃんは、まるで甘い砂糖菓子のようだ。

 柔らかくてふわふわなスポンジに、真っ白なクリームやどろどろのチョコレートでコーティングされた、甘いケーキ。

 誰もが、手に入れたいと思わずにはいられない。

 甘いお菓子。

 ただ、その価値に気が付いていないのは当の本人だけ。





 私が、騎士になろうと決めたのはイエリオス・エーヴェリー、つまり私のお兄ちゃんの誘拐未遂事件が発端だった。私たちのお父様は、この国の現宰相を務めるイルフレッド・エーヴェリー公爵。お母様は、傾国の美姫とまで謳われたほど美人のエルメイア・エーヴェリー公爵夫人。

 でも、犯人はお父様がこの国の宰相だとかは全く知らず、しかも双子の私も一緒に居たにも関わらず、ただ目の前に現れた美少女に目がくらんで事に及んだと後で聞いた。

 美少女って。

 もし、あの時お父様の部下であるコルネリオ・フェル=セルゲイト様が異変を感じて助けてくれていなかったら、兄が今頃どうなっていたのか考えるだけで末恐ろしい。

 しかも、何より恐いのは十歳というある程度常識を理解出来る年齢であるにも関わらず、自分自身が誘拐されそうになったという事実に全く気がついていない兄だろう。

 どれだけ鈍いんだか。

 物心がついたぐらいから、よくぼんやりしてる兄だけど、人を魅了する不思議なオーラ?分泌物でも放っているのではないかなって思うほど兄はよく災難に遭う。

 この先、もし似たような事が起きてもお兄ちゃんは鈍感だから、道案内とか言われて知らない人についていくかもしれないと思うと気が気ではない。


 だから、私は思ったのだ。


 本人を諭すのが無理そうなら、私が騎士になってお兄ちゃんを守れば良い、と。

 そして、貴族の子供ならば必ず入学が義務付けられているグランヴァル学院は全寮制の学校だから閉じ込められるし、お兄ちゃんの婚約者であるエルフローラ・ミルウッド公爵令嬢はしっかりしている子だから面倒を見てもらえる、それならいっそ入れ替わってしまえば良い、と。

 ない頭なりに、ひねり出した答えがこれだった。

 けれど、私一人では絶対に計画は上手くいかない。それなら、いっそとお母様に相談したところ、やっぱり母も同じようにお兄ちゃんの行く末が不安だったらしく直ぐにその計画に乗ってくれた。

 後、この計画に必要不可欠な人物は、お兄ちゃんの専属侍女のサラで。

 サラにも、お母様と一緒に掛け合うと直ぐに了承してくれたのでホッとしたのは言うまでも無い。普段は無口なサラだけど、兄の事になると容赦なく他者をこき下ろし毒舌を吐いたりするので、実はかなり偏見が強い子だから。兄が猫かわいがりする私をたまに睨むのも知っている。

 でも、学院で私の身代わりに女装しなければならないとなると、兄を崇拝するサラの協力なくしては、お兄ちゃんはきっと生きていけないだろうというのは想像に難くない。

 それほどまでに、サラはお兄ちゃんを甘やかしているのだ。だから、サラが居てこそ兄を任せて、決行当日も案外すんなりとリーレン騎士養成学校に入り込む事が出来た。


 なんだけど。


 ルームメイトには、やっぱり直ぐにバレてしまった。

 まあ、仕方ない。直ぐに開き直るのはアルの良い所でもあるし悪い所だよ、と兄に言われていたけど、見つかってしまったのだから今さらだと思う。

 それに、監督生で部屋長でもある二歳上の先輩、フェルメール・コーナーは私には興味がなくて、自慢の兄を紹介して以来、イエリオスが理想のタイプだと言ってきかないし、同期のレイドレイン・バーネはよく分からないけど性的欲求より睡眠欲求の方が強い男だから襲われる心配も全くない。

 実際、兄にはまだバレていないけど、レインには上半身素っ裸の時に見られてしまった事があったにも関わらず何も反応を示さなかったし。女に興味がないのかな?まあ、別にどっちでもいいけど。

 他にも個性豊かな友達も増えて、それなりに寄宿舎生活も楽しく元々動き回るのが好きだったので騎士という職業が天職に思えた。




 そんな矢先の出来事だった。

 夜中に、いつものように水浴びに出かけた小さな湖で、怪我を負って倒れた人を見つけたのは。褐色の肌に、異国の顔付き。

 どう考えても、問題を抱えている人だったけど、私に躊躇いなど全くなかった。

 この事を兄に話せば、また絶対に怒られるんだろうなと思ったけど身体が動いたのだから仕方ない。

 まだ気絶していなかったから、どうにか連れて帰る事に成功したけど、当然、フェルメールに怒られてしまった。納得がいかない。だけど、フェルも元々お人好しだからか、その後直ぐに怪我の治療を施してくれて、彼をしばらく部屋に泊める事にオッケーを貰った。案外、チョロい。

 ナオ、と名乗ったその人は、普通の人とは違う空気を纏っていて始めは野良猫みたいな印象だった。けれど、話していく内に多分どこかの国の貴族っぽいとフェルとの間では見当をつけて、それでも普通に接するという方向でまとまった。何より、本人が普通にしてるし。

 それと。彼を拾うと同時に、目に見えて怪しい人が学校の回りをうろつき始めだした。まあ、これもそうなってしまったものは仕方ない。なので、手っ取り早く何度か捕まえようかと試みてみたけど、逃げ足が速く捕まえられないのが悔しくて仕方ない。私より逃げ足が速いとか、あり得ない。そう言ったら、フェルに笑って頭をはたかれてしまったけど。

 埒が明かず、フェルがコルネリオ様に相談したところ、しばらくナオをイオのところに預けようという事になった。

 コルネリオ様とは、入学式の時に目が合った時ににっこりされて、あーもしかしてバレたかな?って思ってたけど。それからしばらくの間は全く何もなかったから、ついこの間まで忘れてた。

 だから、それを教えてもらったのは、あの忌々しいトマト頭の王子の暗殺未遂事件の後で。

 何故か、屋敷に謹慎中の時、イオに同情するような眼差しを向けられてしまったけど、コルネリオ様が私たちの味方って、すごく無敵だと思うんだけどなぁ。

 屋敷にいる時は、お父様やお母様には内緒だよと言われてよくお菓子とか貰えたし。お兄ちゃんも、なかなか手に入らないような貴重な本を貰っていたから、私たち双子を平等に扱ってくれるコルネリオ様が私はとても大好きだった。

 騎士になりたい、という気持ちの中にコルネリオ様のようになりたいという思いが含まれているのは、今でも決して変わる事は無い。

 出来れば、あの方のお傍仕えになりたいと思えるぐらい尊敬している。

 本当、フェルメールが羨ましくて仕方ない。第二騎士団へ正式に入団が決定したと聞いた時は、心底悔しかったもの。

 というのも。後にフェルから聞いた話によれば。これは、一部の人しか知らされていないけど第二騎士団というのは、大半が通常の騎士で構成されているけども、裏舞台の活動をしている者たちが多く所属している騎士団だという事だった。その裏の部分を引っ張っているリーダーこそコルネリオ様で、フェルのように優秀な生徒は在学中にスカウトされて学生の時から少しずつ馴らされていくのだとか。

 だから、よほどの問題がなければそのまま入団出来るという。

 私も、コルネリオ様の下で働きたい。

 その為には、やっぱり実績を積みあげていくしかないんだろうな。

 なんて、そんな話の後にため息をついていたら、フェルには呆れた顔をされてレインには何故か頭を撫でられた。よく分からない。

 結局、私をちゃんと分かってくれるのは双子の兄だけなのだ。

 そう、昔から。

 幼い頃は、兄がよく熱を出しては心を閉ざしていた時期があって、小さい私はすごく寂しかった。だから、何とか私を見て欲しくて少しでもイオの感情を引き出せるのなら、といたずらを思いつけば何でもやった。……まあ、半分以上自分の興味本位もあったけど。

 私がお兄ちゃんをどれだけ深く愛しているのか、きっと兄は分かっていないだろう。




 ナオをイオの所へ連れて行って、しばらくしたある日の事だった。

 なかなかしっぽを出さないナオの追手を捕まえるのに、主体は第二騎士団が行って私たち見習いはそのサポートという役割を担っていたけど、敢えておとりになってずっとナオが使っていた寝台で寝ていたらいきなり侵入してきた男に殺されそうになった。

 長い紐のようなもので首を絞められるという経験が初めてだったから、あの時はかなり苦しかったけどフェルとレインに何とか助けられたので事なきを得て、その時に反撃して捕まえたのがノアという男。

 といっても、名前を教えてくれなかったから、後に私が勝手に付けたんだけど。

年齢は、フェルよりも大人っぽいから二十代前半ぐらい?まっさらという表現がピッタリ似合う真っ白な髪と鮮明な朱い瞳が印象的で、思わずじっと顔を見ていたら。

「えーっと。不意打ちで飛び道具出されても困るから、お嬢はまずその馬乗りを止めような。それから、気が付いてねぇだろうがこの子一応こう見えて女の子だから。あんたも、その手をそこからどかしてくれねぇか」

 時が止まったかのように動かない私とノアに、フェルメールが両手を叩きながら声をかけてきたので我に返る。

「えっ?女?」

 そう呟いたノアの言葉と同時に、私の胸元に置かれた彼の手も必然的に動いてしまって。そりゃあ、アクシデントが起きた時とか、まさにこういう場面に出くわした時に困るからってお母様に貰ったプロテクターのようなものは着ているけど、やっぱりあまり気持ちの良いものでもないなと揉まれた感想を浮かべつつ。

「だから、止めようねって」

 思わず、グーで殴ってしまったのは仕方ない。

「えげつねぇ。お嬢のそういう笑いながら問答無用で殴る所が、全くイオと正反対だわ」

「はぁ?ケンカ売ってるわけ?」

「あほ。お前も、少しはあの恥じらい方を身に付けろ!」

 何なの、全く。フェルは、イオに理想を追い求め過ぎだって。

 フェルメールを半目で睨みつけながら、頬を押さえて痛がるノアからすっと退く。と、同時にレインが素早くノアを先程私が首を絞められた紐で拘束してようやく落ち着いた。

「それで、どうするの?第二騎士団の人を呼んでくる?」

「まあ、それが妥当だろうな」

「あの……まだ、時間が早いんで寝直しても良いですか?」

「って、コラコラ。お前は、立ったまま寝るんじゃないつーの」

 逃げられないように、両腕を後ろ手にして親指同士を紐で結ばれ、どうにも出来ないだろうノアを見下ろしながら相談し合っていたけれど。

「なあ。……取引をしないか」

 さすが、暗殺者とでもいうべきか。こんな状況になっていても、ノアは諦めていないようで不敵に笑いながら顔をあげる。

「はぁ?お前と俺たちの間には、取引の材料なんざねぇだろうが」

「いや、あるはずだ。俺を騎士団に引き渡せば、ここに女が居たって言ってやる」

「ばーか。んな事、上が揉み消すに決まってんだろ」

だよね。コルネリオ様の耳に入ったところで、既に知った事実なのだから変わりもしない。

 もしかして、それが弱点だと思っているのだろうか。フェルと同じように呆れていると、彼は更に笑いだした。

「連行中にも叫ぶぞ。そこのプラチナブロンドは女だってな!」

「そんなもの、誰が信じるか。ここにいる連中から、山猿だって言われてるぐらい女らしくねぇってのによ」

フェルメールにはそう一蹴されたけど、私は彼に興味が湧いてしゃがみ込んだ。

「ねぇねぇ、あなたはどうしたいの?」

「お嬢!」

 どうしてだか、この男が気になって仕方ない。フェルには止めろという目で見られたけど、昔から気になったら最後まで突き進んでしまうのだから諦めてもらうしかない。

「教えて?」

「……酔狂な女も居たもんだな」

「そうじゃなかったら、ここに居ないよ?」

 おかしなことを言うなぁ、と首を傾げたら、何故か一瞬間を空けて笑われた。

「確かにな。こりゃあ、面白い」

 そう言いながら先程とは違う空気を纏うノアに安心して、もう少し近づいてみる。

「おい!」

「だいじょーぶ。もう、何もされないから。……でしょ?」

 フェルはまだ警戒を解いていないので怒られたけど。昔から、こういう勘は外れた事がない。愛しい兄にも、僕には難しいけどアルは本能で生きているよね、と言われた事があるくらいだし。

「本当に、変な奴だ」

「どうも。それで?あなたの言う取引ってなあに?」

 と、じっと彼の真っ赤な瞳を見つめて訊ねてみる。

 彼の瞳は朱いけど、私の婚約者と名乗る王子の目の色とは全く似ておらず、宝石のようにキラキラとしていてとても綺麗。

 あの男と近い年齢とは思えない大人びた顔付き。改めて見れば、異国人らしくはっきりした顔立ちだけど、断然、目の前の彼の方が男前に見える。

 なーんで、こんな人殺しを生業にしてるんだろうな。勿体ない。

 公爵家の娘にとっては高望みだろうけど、私にだって選ぶ権利があれば良かったのに。

 そりゃあ、望みを言えば一番の理想はイオだけど。兄妹じゃあ、結婚出来ないし。何より、イオが唯一恋愛の情を抱いてるエルには絶対に勝てないのは明白だもの。

「なあに?私の顔に何かついてる?」

 私と同じように、こちらをじっと見ていた彼に問いかければ、何故か焦った顔で目を逸らされた。

「い、いや」

「そっ?顔だけなら、美形の兄とそっくりだから、そこそこ自信があるんだけどなぁ」

 多分、見惚れられていた。そんな気がして、笑えばフェルから深くため息をつかれるしまつ。

「お前にもっと、あの落ち着きとしおらしさがあれば」

「いいもーん。これが、私なんだから」

 こんな私が好きだとイオが言ってくれたのだから、自分を否定する訳にはいかないのだ。

 いつも何かやらかす度に、呆れながらも仕方ないなと言って頭を撫でてくれる兄が、私を大切に大事にしてくれる限り私は私を貶めるような事はしない。

 イオをとても愛おしいと私が思うように、兄も私を愛おしく思ってくれている。

 相思相愛。あー、なんて贅沢なんだろ。

「よくそんなにコロコロと表情が変わるものだな」

「どうせ、またイオの事でも考えてたんだろ」

 お縄にされている状態でも、余裕気に私を観察していたノアが目を細めて呟くと、私の後ろに立っていたフェルが呆れたように覗き込んできた。

「ちょっと、見ないでよ!私のイオが穢れる!!」

「おまっ!言うに事欠いてそれかよ!やっぱ、同じ顔でも、ぜんっぜん癒しになんねぇっての!」

 ついでにあっかんべーと舌を出してやれば、フェルにもやり返された。これが、いつもの私たちで。なんだかんだと、憎まれ口をたたき合いながらも笑える、こういう関係がとても楽しい。

 私のお兄ちゃんはイオ一人だけど、仲間というか良い兄貴分が出来て嬉しかったりする。

 フェルには絶対に言えないけど。

 だって、言ったら絶対につけあがるだろうからムカつくし。

「話を進めて良いだろうか」

「ねむ……あ、どうぞ」

 ノアが騒ぐ私たちに呆れたのか、ふあぁっ、と大きなあくびをするレインへと視線を投げつけた――みたいだったけど、彼はどうでもよさ気に頭を下げた。

「……」

 うん、レインってこういう奴なんだよ。許してやって。

 などと敵に言えるはずもなかったので、とりあえずにっこりと微笑んでみせる。

 美しい兄と同じ顔だけは良いと昔から常に言われていたので、愛想笑いは得意なのだ。えっへん。

「取引したいんでしょ?それで、あなたは何が望み?」

「ここに居た男の消息、と言いたい所だが教えてはくれないのは分かっている。そうだな、とりあえず解放してくれたら一つ言う事を聞くというのはどうだ?」

 まるで名案だとばかりに言ってのけるけど、こういうのはよくある常套手段の一つに過ぎない。私だって、まだ一年にも満たないけど、見習い騎士の端くれだもの。それぐらいの知識はあるのだ。

 だから、卑怯かもしれないが先手を打たせて貰うことにした。

「いいよ」

「おい!お嬢!!」

 ノアの拘束を短刀でさっと解いた私に後ろから抗議の声がかかる。

 この部屋では、年長者であるフェルの言う事に従うのが騎士学校のルールだけど、私にとって大事なのは、何より大切なイオに厄災が振りかからないかという事なのだ。

「自由になったでしょ?じゃあ、今度は私の番ね。あなたの依頼者の首を刎ねてきて」

 なんてことない作業だよね?と、続けた私の言葉に、何故かフェルでさえも息を飲んだのが分かった。

 でも、これはとても良い案だと思ったのだ。この目の前の男を捕まえた所で、次の追手が放たれるだけの話だし。その内、グランヴァル学院の寮内でイオが匿っているのがバレてしまったら、それこそイオもナオだって危ないのだから。

「お嬢、それは」

「十四の小娘だから、それはないと思ってた?ああ、フェルは貴族じゃなかったもんね。貴族社会ではこういうのって当たり前だよ。それに、私はこれでもこの国の宰相の娘だし、あんなんでも王太子の許嫁だから、狙われる事には慣れてるし平気なの。そうじゃなかったら、騎士になりたいなんて言い出さないでしょ、普通」

 これは、お母様と私だけ内緒だけど、お父様に仇をなそうとしたりイオに不埒な事をしようとしていた人たちには、痛いぐらいのお灸をすえた事なら実はいくらでもあったりするのだ。


 多分、そこが私とイオとの決定的な違いだろうな。



 イオは……私のお兄ちゃんは、誰にでも優しくて、だからこそ甘いのだ。

 例えば、人に嫌な事をされても少しだけ自分さえ耐えていれば解決するとでも思ってる。

 けど、私は違う。

 もし、私の家族を害するような人がいたら、私自ら手をかけてやるぐらい造作もない。

 だから、騎士という職業はきっと私の方が似合っているのだ。



 兄なら、人を殺められないから。

 人に傷を負わせてしまった時、きっと、後悔して苦しんで心を壊してしまうだろうから。



「あの方が、お前を止めないのはそんな理由も含まれてるってことか」

 そう、コルネリオ様はそういう私の順応性に気が付いているからこそ、入れ替わりなんて面倒な事も受け入れてくれたんだろう。人殺しに躊躇いがない部分さえも。

 やっぱり、そういう意味でもあの人は凄いなと思う。

 眉間に皺を寄せたままのフェルを見てから、ノアの瞳と目を合わせる。

 これで文句はないよね?と、訴える。

「私は約束を守ったよ?あなたは、どうなの?」

 先に解放したという既成事実を問答無用で押し付けただけだという事は、一目瞭然。だから、文句を言うかと思って待ち構えて見ていれば。

 しばらく、ノアは黙ったままこちらをじっと見返していたのに、徐に私の頬に手を添えた。


「気に入った、俺の主になってくれ。いや、俺をお前の手札に加えて欲しい」


「はあ?やだよ、めんどい」

 それより、約束はどうなの?と話を切り返せばノアは大きく頷き返した。

「分かった。なら、首を刎ねて証拠を見せればまた考え直してくれるのか?」

「えー?うーん……、まあ考えなくもないかなぁ」

 他人の人生を預かるなんて、まっぴらごめんなんだけど。

「今の言葉に偽りはないな?」

「分かったよ。あ。でも、エグいのは止めてね。見たら吐いちゃう」

「了解した」

 という風に、何故か話はトントン拍子に進んでいって、ノアは侵入してきた時と同様にスッと天井裏から出て行ってしまった。

 さすが暗殺者。音もなく現れて消える。便利だなぁ。だけど。

「……」

 何か、とてつもなく面倒臭い人に絡まれてしまった気がする。

 うーん、と立ち尽くして悩んでいると。

「ぅをい!」

後ろからチョップを食らい悶絶してしまう。

「いたっ!不意打ちは止めてよ、フェル」

 以前も王太子の暗殺未遂で勝手に動き回ってしまった罰だとかで、手刀を食らわされて痛かったのに、まさか、また同じ目に遭うとは。

 涙目になりつつフェルを見返せば、どうやらかなりのお怒りモードのようで彼はワナワナと震えていた。

「このっ馬鹿!!どうして、お前にはイオみたいな慎重深さがねぇんだよ!!」

「どうしてって……、あ!きっと、イオに備わってるから私には欠けてるんじゃない?」

 双子なだけに。

 なんちゃって、と笑いに変えようとしたら、何故かそのあと更にこっぴどく怒られる羽目になった。

 おかしい、何がいけなかっただろうか。




 ノアを手札に加えるという話は、まだまだノアが帰ってくるまでに時間に猶予があるだろうと気長に捉える事にして。ノア以外の追手についても、私たちは第二騎士団の先輩方と連携を図ってなんとか撃退していく事に成功していった。

 ……のだけど。

「お前は、ほんと馬鹿だな」

「痛いってば!そこ、叩かないでよ!」

 と、言ってさすったのは包帯をぐるぐると巻かれた状態の左腕で。

 けれども、実はあちこちに切り傷が残ってたりする。

「せめて、顔に傷がなかっただけマシだろうが」

「そりゃそうだけど」

 まさか、些細なミスをやらかして大きな怪我を負ってしまうとは思わなかった。

「……悪かったな」

 ため息をついたフェルメールが、二段ベッドの下を陣取る私の隣りでしゃがみ込みながら頭をかく。その申し訳なさそうな表情が嫌で、そっぽを向いた。

「別に、フェルの所為じゃないじゃん。戦闘中に突然現れたあの人のタイミングの無さと運だと思うよ」

 思い出すのは、一昨日夕暮れの戦闘時。

 どんどん相手側に余裕がなくなっているのか、大胆にも大人数で不法侵入をしてきた先で発見した騎士との戦闘の際中に、たまたまコルネリオ様の甥で私とは同期のエアハルト・グスタフがかち合ってしまったのだ。

 それまで、他の見習いが刺客に遭遇する事もなかったので私たちの戦いは知られていなかったし、彼も突然の襲撃に焦っていたのか敵に背中を向けてしまった。

 そう、騎士としてあり得ない事に。

 当然、見境のない相手は逃げようとする彼に切りかかっていったので、近場にいた私が助けに入るしかなく運悪く傷を負ったというだけの話。

「まあ、その通りだけどよ。お前を庇えきれなかった」

「……」

 この何とも言えないしんみりした空気が、昔からとても苦手な私は更に俯く。

「もしかして、私が女だからって反省してる訳じゃないよね?」

「はあ?そりゃあ、もちろん」

 良かった。もし、フェルメールが傷ついた顔をしていたらぶん殴ってた。

「だったら、本当に気にしないで。不意をつかれた僕も悪いんだから」

 だって。

 いつだって、そうだったのだ。

 公爵家の、しかも宰相の娘だというだけで怪我をすれば皆が大ごとに扱って。唯一、イオだけが、私をただの人として扱ってくれていたから救われた。


『みんな、こんな切り傷で大げさだなぁ』


 そう言って、ふわっと甘く笑って不思議な呪文を唱えてくれた……あの歌は何だったっけ。

 確か、痛い部分を撫でながら。

「いたいのいたいの、飛んでいけ!」

 そう言って、空へと放つ。

「は?何だそりゃ」

 突然の呪文の言葉に、フェルが思いきり謎だという顔をしていたけども。

 これは、私とお兄ちゃんだけの。

「ふふっ。秘密」

 ――そう、秘密の合言葉なのだ。

「まーた、それか」

 どうやら、フェルには秘密というのが私たち双子の物だと察したようだ。まあ、フェルの前では、そういう場面を結構見せているからなぁ。

 ふふん。二人だけの特別だけど、しょうがないから許してあげよう。

「けど、そのナリじゃ、イオんとこには行けねぇってのは分かってるよな?」

 そりゃあ分かっていたけど、フェルも痛いところを突いてくれる。

 コルネリオ様や騎士団の情報が本当だとすると、ナオの追手の件も、そろそろひと段落が着いたようで、約十日後に控えた王家主催の円舞会の前に迎えに行こうという話が出ていた。

「分かってるよ!」

「よし。明日にでも、俺とレインで行ってくる。お前は、お利口に待ってるんだな」

「どうせ、何も出来ないもーん!で。……あのさ、お願いなんだけど。イオには、怪我した事言わないで欲しいんだ」

 多分、きっとイオは入れ替わりを後悔するだろうから。

 それが痛いぐらい理解出来るから、絶対に内緒にしたい。


 私は、きっと恐いのだ。


 兄が、私のために心を痛めてしまうのが。

 儚げな見た目と同じように、ボロボロと心が壊れてしまうのではないかと。

「はあ?秘密にしててバレた時、多分烈火のごとく怒るぞ、あいつは」

「ん。だろうね。けど、言わないで」

 少し伸びてきた髪を耳にかけながら聞くフェルメールの言葉が痛烈に胸に突き刺さる。だけど、でも。

「お願いね!」

「……どうなっても知らねぇからな」

 その時は、連帯責任だよね!と茶化せば、フェルは私たちの関係をどう感じたのか、ただ嘆息して立ち上がった。

 彼も、今のイオの精神状態が危うい事は理解している。

 だからこそ、乗っかってくれた訳だけど。

「どうなっても、って言われても。要は、バレなきゃ良いんだよね」

 怪我を負った時点で、母には円舞会のドレスの変更の連絡もお願いした。当然、母にはそれで怪我をした事がバレてしまったけど。

 お母様も昔はよくお父様に内緒で大型獣とじゃれ合いたくてよく戦って怪我をしたものよ、と笑って快く引き受けてくれたので、多分私も隠し通せるはずだろう。

 大丈夫。きっと、どうにかなる。

 と、その時はまだ楽観的に考えていた。


 だけど。

 その数日後、私は今までに感じた事のないほどの怒りと焦燥を覚える事になる。




「はぁ?あのさ、もう一度言ってもらえる?」

「止しなさい、アルミネラ。私も、話を聞いた時点で既に手は回している。だから、ちゃんと安静に」

「でも!!」

 二日前に戻ってきたというナオの話を聞かされたのは、何故か他の誰よりも遅い三日後の事だった。既に七日後に控える円舞会の準備もあったけど、ナオと戻ってきたはずのフェルメールの姿がずっと見当たらなくて、不思議に思っていたのもつかの間。


 まさか、お兄ちゃんに関する大事な話を、妹であるこの私に内緒にしていただなんて。


 寮にある私たちの部屋にやってきたコルネリオ様とナオが突然話し出した内容は、信じたくはないほど衝撃的なものだった。

「嘘だ、信じられないっ!」

「アル」

 ナオが本当に人の心が読めるというのが本当ならば、イオは私たちに言い寄られていると白状した後もずっと隣国の王子に追い詰められていたという。

 しかも、相手は私と兄が入れ替わっている事も知っていて、それでも尚、イオに執着していたらしい。それもそのはずで、相手の目的は私ではなく兄一人。

 私やエルに手を出さない事や、相手の国に留学中、軟禁されてしまったセラフィナという女生徒の命と引き換えに、兄は相手の要求を呑んでしまったという事だった。

 


 ――つまり、クルサード国の王子に絶対服従を。



 そんなの、嫌だ。

 あり得ない。

 いつも最後まで諦めないお兄ちゃんが、降伏するはずない。

 どうして?

 どうしてなの?

 どうして、こんな大事な時に怪我なんか!

 

 ああ、きっと。



 ――――きっと、あの兄は人の居ない所で泣いているはず。



「……イ、イオに、会いに、い、いかないとっ。きっと、一人になったら心細くなってるから!どうして。ああ、どうして、こんなっ!!」

 思考だけがぐるぐると周り、取り乱す私をきつく抱きしめ、コルネリオ様が耳元で強く制止するよう私の名前を叫ぶように呼んだ。

「アルミネラ!!」

「……ひぅっ!」

 久しぶりに聞く、身体全体を震わせるコルネリオ様の特別な声音。

 驚いて、動きが止まった私と目を合わせたコルネリオ様の瞳は、普段の鮮やかな緋色ではなく燃えるように赤かった。

「君が、こうなるだろうと思っていたから黙っていたんだ。落ち着いて、よく聞いて。私は、ナオナシオ殿下からこの話を聞いてフェルをクルサードに向かわせた。分かるかい?円舞会までに、セラフィナ嬢を奪還すればこちらの勝ちだ」

「……フェルは、フェルなら、それが出来ますか?」

「ああ、彼ならきっとやってくれる。それに、あの国に居る私の手の者には既に手紙を飛ばしておいた。だから、大丈夫。イオは、絶対に渡さない」

 そう言って、少しでも安心するようにもう一度ぎゅっと抱きしめてくれたコルネリオ様の上着を握る。

 それでも、全てを失いそうで怖くて手が震えたままだ。

「すまない。もっと、早くお前たちに知らせる事が出来れば良かったのだが」

 私たちの様子をじっと見守っていたナオと目が合って、彼は申し訳なさそうに目を伏せた。

「いいの。ナオのせいじゃないよ」

 分かってる。なのに、心は恐怖に縛られて笑えない。


 ずっと、これからも傍に居ると思っていた兄の存在。

 何より、兄に置いて行かれるかもしれないという恐怖が私を支配していて震えさせる。



 恐いと、ただひたすら思う。



 イオが熱を出す度にどこか遠くを見ていた時の、幼い頃に感じた漠然とした恐怖。

 双子の私を置いて、消えてしまうんじゃないかと感じたあの頃の不安が蘇る。

 

「アルミネラ……お前は、イオを失うのではなくイオに捨て置かれるという事が恐いのか」


 私の心を読んだのか、蒼白になっているだろう私にナオは驚きに目を見開いた。

「そうなのかい?」

 コルネリオ様も、ナオの言葉に少なからず驚いているようで。

 それに、ただ小さく頷く。


 何を驚く事があるというのだろう。


 私たちは、双子の兄妹。

 何よりも、誰よりも愛してやまない己の半身。

 だからこそ――

「イオとは、ずっと一緒じゃなきゃイヤ」

 だからこそ、兄がこの国を出るというのなら、私もここから出て行って、ずっと兄の傍に居たいと願う。

 そう告げた私の目を見て、コルネリオ様はしばらくとても悲しそうな顔をすると、次の瞬間、まるで悲劇と喜劇の合間を走る役者のように少しおどけてみせた。

「それは困ったね。私には、君たち双子が必要だというのに。アルもイオも失ってしまったら、今度は私が泣いてしまうよ?」

「……うふふ」

 そんな様子に、思わず笑いが込み上げてくる。

「前と一緒」 

 それは、四年前のイオの誘拐未遂事件で、短時間だったけどイオがいなくなった事が恐くなって泣いてしまったあの時。

 コルネリオ様は、恐怖に支配された私に今と同じようにおどけてくれたのだ。

「そうだよ。もうずっと昔から、私には君たち双子が大事なんだ」

「……っ」

 急にボロボロと涙が込み上げて、涙が零れる頬にコルネリオ様が両手で添えて涙を拭う。

「だから、ね。イオには、ちょっと意地悪しようか」

 と、今度はウィンクをしながらお茶目に笑ったので、つい吹き出してしまった。

 やっぱり、コルネリオ様と一緒にいたい。

 この人には、いくつになっても敵わない。

 そう思う私の傍らで、ナオが何とも言えない顔をしていたけど今は気にしない事にした。





 ――そして。


 円舞会、というかイオの奪還計画は無事に終えた。

 はず、だったのに。

「あんなに怒らなくてもいいじゃん」

 片がついた途端、イオに怪我の事をこっぴどく怒られてしまった。

 自分なんて、数時間前にあの隣国の王子に襲われそうになってたクセに。

 人の事言えないじゃん、と唇を尖らせて言えばそれとこれとは話が別です、と微妙に真っ赤になりながら敬語で言い返されたので憤慨している。そりゃあ、エルの前だったし恥ずかしかったのかなとか何となく察したけど。

 私だって、あの時の事は腸が煮えくり返りそうな思いだった。

 イオに向けられる特別な感情。

 あの王子が兄へと向ける視線が酷くねっとりしていて、気持ち悪いなんてもんじゃなかった。これなら、まだフェルがちょっかいをかけている方がまだ健全だと思ってしまうほどで。

 昔から、あの勘の鈍い兄は自分が同性に襲われかけているというのを、たまに理解出来ていないふしがあるので恐い。

 そりゃあ、あの容姿だから異性も当然あったけど。

 私やサラが何度か窮地を救ってあげた事を、いまだに気が付いていないのではないだろうか。

 けど、まあ最終的にあの王子も何とか諦めてくれて本当に助かった。


『言っておきますけど、前世を含めて僕が完全に降参するなんて一度もなかった。完全に敗北したのは、あなたにだけです』


 イオがあの王子に言った、あの言葉に偽りがない事は私が誰よりも知っている。

 さすがに、前世の方はしらないけど。

 いつだって。私が、大きないたずらをした時だって、全てを元に戻す事をイオは諦めた事などなかったのだ。

 そんなイオに、あそこまで言わせるなんて。

「あの王子、やっぱり少し痛めつけてやるべきだった」

「物騒な」

 ベッドに三角座りをして縮こまっている状態の私を、ひょいと覗きこんで呆れた顔をしたのはフェルメールで。

「お前の兄が、根っからのお人好しだという事は理解出来た」

 ナオが、目の前の勉強机の椅子に座って振り返る。

 イオたちと別れたのがほんの二時間程前で、今はようやく学校の寮の自室で、皆でようやくくつろげている時間帯。

 もう真夜中だというのに、二人共寝付けないのか私にこうして付き合ってくれている。

 ちなみに、レインは当然のごとく惰眠を貪っているけれど。

「それより、俺は前世だとか乙女げーむってのに驚いたけどな」

 一週間ぶりに身体を洗えてホクホクのフェルメールが、あの時の会話を思い出し感慨深そうに天井を仰いだ。

 フェルメールも、イオのためにかなり頑張ったんだろう。何て事のないように普通に腕を組んだシャツの袖口から見える肌には、生々しい傷跡が見え隠れしていた。

 フェルメールからイオへの愛はどういう形だか知らないけど、兄のことで動いてくれたという事実がすごく嬉しい。

 こんなにも、私のお兄ちゃんを大切に思ってくれている人がいる。

 イオを、大切な私の半身をこんなにもたくさんの人たちが守ろうと動いてくれたのだ。

「俺も、今までたくさんの人間の心を読んできたが、あの三人は今までに見た事も聞いた事もない情報が溢れていて新鮮だった」

 と、ナオが言う三人とは、イオとセラフィナというお嬢さんと隣国のお姫様だろう。

 三人は、『前世』という今の生を受ける前の人生を覚えているという。

 だから、イオは幼い頃にあんなにも熱を出してうなされていたんだろうか。それなら、その記憶を少し忌々しいなんて思うのは、きっと駄目な妹なのかもしれない。

 兄の全てを知っておきたいと思う私は、独占欲の塊に過ぎない。だからといって、我慢出来ないのが私だけど。いつか、イオに聞けたら良いな。

 そういえば。

「ナオって心が読めるんだっけ。……イオって、普段何を考えてたの?」

「それ!俺も聞きてぇと思ってた!」

 こういうのは、禁断の話なんだろうけどね。

 イオに関しては、興味が尽きないのだからつい口から出てしまった。

「俺が話せる範囲だと、特別おかしくもなかったな。ずっとイオイオと朝から晩まで感情をむき出しにイオの事ばかり考えているアルよりは至極思考はまともだった。さすが、この国の宰相の子息だけはあると感心したほどだ。お前は少しやかましい」

 それって、私も心がだだ洩れという事なんだろうか。

「えー!そんなの私の所為じゃないんだけどー。そんじゃ、フェルは?普段、何を考えてるワケ?」

 どうせ、フェルだってイオのことばっかじゃないの?と、不満を口にしたら、何故かナオが急に黙りこみフェルとじっと顔を見合わせた。

「……自主規制を、奨める」

「すまん」

 固い表情のナオに、どういうわけかフェルも眉根を寄せて謝ってしまった。

「はあ?二人にしか分からない話とか止めてよね」

「うるせぇ!男には男の事情っつうのがあんだよ!」

「出た、男の事情!フェルは、直ぐそうやってはぐらかすんだから」

 そういう男同士でしか理解出来ない感情は、私には分からない。それを、少し寂しいと思うのは間違っているのかな。

「……しょうがない。男は、常に疾しい……から。ぐう」

「レイン、起きて?って……寝てる」

 不意に頭上から手が下りてきて、頭を撫でられたので自分の上段ベッドを覗いてみれば、一瞬だけ起きたのか手が伸びた状態でレインはまた眠りに入っていた。

「こいつも、普段何を考えてんのか分からねぇよな」

 私と同じようにレインの寝顔を呆れた顔で見つめていたフェルが、ため息をつきながらほんと、この部屋は纏まりがねぇ、と愚痴を吐きだす。

「その代表格が何を言うやら」

 ぷぷっと笑ってやると、またチョップを食らってしまった。

「っつう!だから、痛いってば」

「うるせぇ。もう、早く寝やがれ!」

「はいはい。分かったよ!」

 普段と変わらない仲間たち。何一つ変わる事のない彼らとの関係。

 出来る事なら、まだこのままでいたい。

 まだ、ここでやっていきたい。

 けれど、いつか別れはやってくるのだ。




 その日は、突然、朝の訓練中に急に呼び出された。

 今日はまだ問題を起こしてもいないのに、と不思議に思って教員室へ行けばそこにはあり得ない人物が立っていて。

「少し、お前と話がしたい」

 いつもの淡々とした話し方で、自分とよく似た色合いの蒼い瞳を私に向けてきたのは、イルフレッド・エーヴェリー。まぎれもなく本物の、私とイオの父だった。

 多分、その時の私は硬直していたのだろう、珍しく教員に同情の眼差しを受けながら、空いている会議室へと案内してもらい、そのまま成す術もなく二人きりにされてしまった。

「お、父上、今日はどうされましたか?」

 多忙を極める国の宰相を務める父がわざわざ、息子に会いに時間を割くという事自体に違和感を覚えて、とてつもなく心臓が早鐘を打っている。

 それは、とても警告音に似ていて素直に恐い。

「普段通りでかまわない。それとも、少しはイエリオスを見習ったかね?アルミネラ」

「……なあんだ、お父様ったら知ってたんだ」

 さらりと名前を呼ばれた事に、実はかなり動揺していたけど何食わぬ顔で笑って答えた。

 うん、私だって少しは成長したんだから。なんて、思ったのもつかの間。

「騎士を真剣に目指す覚悟はあるか」

 重い。他でもない、父からの問いかけだからこその重み。

 けど。

「ずっと、内緒にしてた事は謝るよ。ごめんなさい。でも、私は騎士になりたい」

 騎士になりたい事は謝らない。そこは、イオにもそう告げている。

「……そうか」

 だから、父にも同じように答えたけども、父は昔から一言で十を語る所があって私はすごく苦手なのだ。

 お母様みたいに、思った事を何でも話してくれたら分かりやすいのに。

 きっと、イオなら父の言葉の裏も読めるんだろうけど。

「何か、思う事があったら言ってよ。私は、イオみたいに頭が良くないんだしさ」

「今回の件で、陛下から直々にイエリオスを文官にどうかという話があった。もし、あの子がそう願うのなら、ここにイエリオスが居続ける訳にはいかない。分かるね?」

「……」

 多分、もっと複雑な話をかみ砕いてくれているのだろう。

 誰にでも、私でもそれは理解出来た。

 それは、イオがリーレン騎士養成学校を辞めてグランヴァル学院に入り直すという事で、つまり私が騎士になるのなら正式に、アルミネラ・エーヴェリーを名乗ってここへ来るということだ。

 けど、そうなったらもう男子ばかりの寮生活は出来なくなる。

 そう、つまりフェルともレインともお別れしなければならないということ。

 それに、女だという事で今まで馬鹿言って笑い合ってた仲間にも白い目で見られるかもしれない。

 それは、寂しいしかなり辛いことだ。


 だけど。



「いいよ。イオが文官になりたいのなら、私はまたここに入り直して皆と新しい関係を築きたい。きっと、皆なら分かってくれる。女だからって馬鹿にされても、何度でもぶつかってみれば良いって、他でもないここで私は習ったから」

 きっと、お父様も私をそういう目に遭わせたくなくて、しばらく目をつぶってくれていたのだ。馬鹿な私でも、それぐらいは分かる。

 寡黙な人だけど、家族をとても愛してくれているのは私もイオも分かっているから。

 でも、大丈夫。



 私なら、きっとやれる。



「元々、イオが騎士に向いていないってお父様だって初めから気付いてたんでしょう?」

 そう。イオは、弱すぎたのだ。

 優しすぎる心が。

 直ぐに悲鳴をあげてしまう身体が。

「もっと、早く止めるべきだったか」

「入れ替わる前に?けど、お兄ちゃんが考えを改めてくれてたと思う?貴族の子息に生まれたからには、回りと同じように将来は立派な騎士になってエルを養うんだって思い込んでたお兄ちゃんがだよ?」

 頑固なのは私と同じで、あの兄が簡単に父の説得に乗る訳がない。

 イオも、私と同じでこの父に苦手意識を持っているけど、自分の意志は貫く子だから。

「分かった。これから、イエリオスに会う。再転入などの心づもりはしておくように」

「うん」

 それで用件は済んだとばかりに、父はいつものように静かに部屋を去っていった。

 誰もいない会議室で、ようやく大きなため息を吐き出す。

「あちゃあ」

 イオも、きっと驚くだろうな。

 せめて、コルネリオ様みたいに伝書鳥のようなものがあれば、事前に連絡出来るんだろうけど。まあ、仕方ないか。

 私だって心臓が飛び出すんじゃないかってぐらいかなりびっくりしたんだし、イオにも大いに驚いてもらおう。



 それに。


 今は、フェルたちとのお別れを考えるだけで精一杯だもの。







***




 綺麗に清掃された廊下。

 グラウンドからは、まだ若い少年たちの掛け声が響き渡り、教室からは教師の声が漏れていた。

 リーレン騎士養成学校を作った当初は、国王や王弟のマティアスと共に何度か訪れたにも関わらず、久しぶりに通る廊下は、どこか懐かしくもあり新鮮だった。

 その男の視界に、鮮やかな緋色が飛び込む。

 だが、その男イルフレッド・エーヴェリーは、視線を向けるだけで黙ったまま彼を見据えるのみ。あと数歩、という所で互いの歩が止まり、相手の男が頭を下げる。

 まるで、行き道の途中で偶然出会ったかのように。

「今回の一件は、全て私の失態です。申し訳ありません」

 イエリオスに相対するのは、コルネリオ・フェル=セルゲイト。二十代後半の美丈夫で、王弟の子息、それからこの学校の校長を務めている男だった。

 そして、彼はイルフレッドの部下の一人でもある。

 そんな常に自分と同じ視線で物事を捉える事が出来る冷静沈着なその若い男が、謝罪と共に今度は深々とこうべを垂れた。

「……」

 だが、彼は愉快だとも面白いだとも思わず、動じることなくただ立ち止まり再び緋色の瞳と目が合うまで黙って見ていた。

 いつものように、淡々と。


 だが、再び目がかち合った途端、イルフレッドの蒼い瞳から鮮明な意志が放たれる。


 その瞳だけで、威圧されたような気分になってコルネリオは静かに息を飲む。

「……覚えているかね。王宮魔導師の占星前から、うちの子供たちが生まれてまもなく、君はあの子たちが欲しいと私に直談判した事を」

「はい。それは、今でも」

 十四年前。

 コルネリオがまだ十五の時、まだ学生の身ながら父マティアスの支えになる為に文官の見習いとして彼を教育してくれたのは、他でもないイルフレッドで。厳しいけれども、それ故に恩義あるイルフレッドにコルネリオは懐いていたため、彼の屋敷へと何度か訪れた事があった。傾国の美女と謳われたエルメイアは、とても気さくなご婦人でたまに驚かされる事もあったのだが、コルネリオはこの夫婦から学んだ事は多い。

 そんな彼が、双子が生まれたという報告を受けて、直ぐにエーヴェリー卿の屋敷へ行ったのは今もまだ昨日の事の様に覚えている。

 そこで、初めて会った双子に彼は強く惹かれたのだ。


 何となく、という直感よりも明確に。


 だから、まだ精神的には幼い彼は、ただ素直に、イルフレッドとエルメイアにその場で、この子たちを僕に下さいと言っていた。

 この双子が、己のこれからの人生の鍵となる、そう思えてならなかった。

 初めは冗談だと思われて軽く流されていたのが、何度も熱心に双子に会いにくるコルネリオに、イルフレッドたちはいつしか彼が如何に真剣なのか理解していった。

 だが、無情にもアルミネラは甥であるオーガストの婚約者に決まり、成長する過程でイエリオスも文官ではなく騎士を目指すと言い出した。

 確かに、コルネリオは欲しいと言ったが、双子の両親は是とも否とも言っていないのだから、当然の結果ではあるのだが。

 それでも、コルネリオは諦めなかった。

 いつ何が起きるかも知れないと思い、虎視眈々としながらどれだけ彼らに心を砕いて回りを懐柔してきた事か。

 そんな様子を、イルフレッドもまた黙って見続けていたのだから、そのような問いかけをされたのだとコルネリオも理解している。

 ずっと、お互いに腹の内を探りあいながら。

「例のクルサードの王子とは会った事が?」

「円舞会後、彼らが話をつけた後に。もちろん、釘は刺しておきました」



 予定では、円舞会後にコルネリオも彼らと共に話し合いに参加するつもりであったが、甥のエアハルトやオーガストといった面々に足止めを食らって、トーナメント会場からなかなか動けず時間を要してしまったのだ。

 フェルメールからの報告書によれば、イエリオス自らがヒューバート王子を諦めさせたと記述されていたのを記憶している。

 どちらかというと、妹の方がこういう場面では非情を通り越して冷酷にあしらう事が出来るのに、よくやったものだと彼の成長を嬉しく思えた。

 その話し合いの場へと向かう途中、ヒューバート王子たちと出会ったのは十全だった。

 既に、コルネリオが彼らとどういう関わりを持っているのか、ある程度の情報をわざと流してあったので、彼らとのすれ違いざま目が合ったのだ。

 だから、コルネリオは微笑んで告げた。

『あの子達に、先に目を付けていたのは私なのだから、横取りしようとしたのが間違いだったね』

 と、牽制を交えた優越感を隠すことなく。

 案の定、欲しい物は何でも手に入れてきたヒューバートが目を細めて睨み付けてきたのだが、何も言い返さず去って行った。

 たったそれだけの邂逅だったが、とても重く濃厚な数秒間を互いに味わった。



「……」

 だが、コルネリオは己の主観や感想を述べるでもなく、ありのまま事実だけを口にする。未だに越えられない壁であるイルフレッドに、己の本心を悟られぬよう慎重に。

 コルネリオからの報告を受けて、やはり相手に何も読ませない真顔のまま、イルフレッドは了承の意を頷きに転じた、のだが。

「あの子は、まだ会議室に残っている」

「……っ」

 小さく告げられたその言葉の真意を瞬時に読み取り、コルネリオが息を飲んだ。

 体の内から喜びが湧き立ち、態度に表れてしまったのだ。

 タオ国からナオナシオ王子という大物が触れた事で、イエリオスがいずれこの国を担う若者の一人として陛下に認識されて、文官にというお言葉をいただいた、という情報。

 それは、双子の入れ替わりもそろそろ終焉を迎える時がきたという事で、イルフレッドが彼女にそれを通告したのは考えるまでもない。

 それを見越した上で、気落ちしているだろうアルミネラを支えてやれ、と暗に示されていれば、誰だって喜ばないわけがないだろう。

 もちろん、その通告はコルネリオに対しても、今し方言外で含まれていて、不服があれば申し立てよ、とまである。

 ここまで読めるようになるまで、どれほどの月日を費やしたことか。コルネリオは、夫妻に認めてもらえる事に努力を惜しまなかったのだ。

 軽く首を横へと振って、己に異存はないと告げる。

 それよりも、この甘美な喜びが、いかにコルネリオにとっての贅沢なことか。

「分かりました。何かあれば、またご連絡申し上げます」

 と、挨拶もそこそこに、コルネリオは去って行った。

「まだまだ、だな」

 その様子をイルフレッドは淡々と見つめながら、しかし内情では、彼にはまだ教育が必要だと痛感せざるを得ない。

 己の子供たちさえ絡まなければ、コルネリオもそれなりに成長した方だと思うのだが、まだ詰めが甘い部分というのが否めない。

 確かに、今回の件ではイエリオスが単独で結論を付けてしまった結果を覆すのに、大人たちが処理すべき事項が多かったのは事実。イルフレッドにも落ち度があった。

 だから、完全にイエリオス一人の責任とは言えないので、彼を叱りつけようなどとは思わない。

「……」


 ――さて、どうしたものか。


 一国の宰相でありながらも、一人の父親として息子にいかに冷水を浴びせてやろうか、と頭を悩ませながらイルフレッド・エーヴェリーはリーレン騎士養成学校を後にした。





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