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皮肉なことに、前世ではたくさん大切なものがあったのに、全てを一瞬で失って。今生では、一つずつ増えている。
「良かった。ナオが勝ったんだよね」
「はい。一時はどうなる事かと思っておりましたが、ナオ様の勝利ですわ」
拍手喝采の中、まだ息を荒げた状態で口元の血を拭うナオを見下ろしながら、エルと一緒に立ち上がる。いわゆる、スタンディングオベーションに参加して。
誰もがナオの勇姿に歓声を送り賑やかな状態なのに、ナオは周りの観衆など一切居ないかのように顔を見上げて明らかに僕を見た。
さっき、試合前にこっちを見たのは気のせいじゃなかったんだ。なんて、のんきに笑って手を振れば。
「……っ!」
彼は、先ほどまでの闘志を宿していた金色の瞳を涼しげに細めて、まるで従僕のように腰を曲げ優雅に僕へと礼をする。
ふ、不意打ち過ぎでしょ……、心臓に悪い。
ナオの行動のおかげで、顔から火が出そうになった僕が浅からぬ関係だという事は皆に伝わる。グランヴァル学院の生徒どころか、リーレン騎士養成学校の生徒たちからも注目を浴びて、ナオを恨みがましく見てしまったけれど。
「……」
あーもう。仕方ないなぁ。ここは、腹を括るしかない。
気を取り直して、堂々と背筋を伸ばして深呼吸。それから、ナオが従者として振る舞った事から、ちゃんと僕が主だと分かるようにゆっくりと大仰に手をやや上に挙げて彼に祝福の拍手を送った。
そこから、何故か歓声が再び上がったんだけど、これは気にしなくて良いんだよね?僕の所為じゃないと言いたい。
ああ、だけど本当に良かった。
ナオとは少し同居しただけの仲だけど、僕は彼が如何に真面目で素晴らしい青年か知っているもの。だから、彼の事も心残りの一つでもあったから、晴れやかな思いに変わってホッとした。
ありがとう、ナオ。
もう何度目かになるお礼を心の中で呟き、改めてナオに向けて拍手した。
閉会式のセレモニーが始まり、国王陛下から学生たちへ労いと称賛、それから更に互いに切磋琢磨しあって精進するようにとのお言葉を頂く。
そして、姉妹校から短期留学で来られたアメリア様、まだ帰ってきていないセラフィナ嬢への激励のお言葉をそれぞれ受け賜わってからナオの優勝報酬の受け渡しとなった。
「それでこそ、リーレンの孫よ」
闘技場の中心に立つナオに、コルネリオ様に支えられながらも色とりどりの宝飾で出来た鞘に収まった短剣を差し出すマティアス様は、いつ見ても厳つく風格のある武将といった出で立ちだった。体のあちらこちらには傷があり、顔にもいくつか傷が残っておられ、緋色の短髪も陛下や殿下に比べて血の様に紅い。
父の仕事柄、何度かマティアス様にもお会いした事があるが、僕は会う度に内心恐くて緊張を隠せないほど。
そんなマティアス様の前だというのに、ナオは毅然とした態度で、低姿勢のまま差し出された剣を受け賜わった。
「これ以上ない喜びでございます。マティアス様のご意志、しかと胸に刻みつけて祖父にその想いを伝えたいと思っております」
「よいよい。お主が、この剣を持ち帰れば必然と奴には通じるわ」
ナオの戦いぶりがよほどお気に召したのか、上機嫌でガハハと笑いながらマティアス様は退いた。
「……あれ?」
ここで、本来ならナオも立ち去らなければいけないはずなのに、どういうわけか留まっている。もしかして、先ほどの試合で足でも痛めた?
「ねえ、エ」
「大丈夫ですわ」
「え?」
「大丈夫、なのです」
僕よりも、隣りでナオを見守るエルの方が確信を得ているようで、余計に首を捻らずにはいられない。少しざわつき始めた観衆たちが見ている中、ナオは徐に陛下に対して片膝をつくと頭を下げた。
「陛下、少し宜しいでしょうか」
……一体、何を?
僕だけではなく、会場中の誰もが不穏に思って押し黙る。そこへ、陛下が僅かばかりに片方の口角を上げてから口を開いた。
「……ふむ。少しの戯れだ。申してみよ」
「我が祖父リトラレン・サリウラス・シラメス・ラトスは、その昔後継者争いに疲弊し、このミュールズ国に訪れました。ですが、陛下や王族の皆様、特に弟君でいらっしゃるマティアス様に激励され、再びタオにて玉座を奪還したと聞きました。その時、私という身が今あるのは、ミュールズ国のおかげだと感銘を受けたのです。その恩義に報いる為、私が祖父の後を継いだ暁には、友好国としてミュールズ国との同盟を陛下にお約束して頂きたいのでございます」
その言葉に真っ先に反応して、少し離れた座席に座っていたヒューバート様が僕に視線を寄越してきたけど、それどころじゃない。むしろ、僕の方が聞きたいぐらいだ。
いきなり、何を言い出すのかと思えば、まだ王子の身分でありながら一国の王に同盟を求めるなんて!
突拍子がなさ過ぎて、言葉が出ない。
しかも、よりによってどうしてこの場所で、というかこのタイミングを狙ったんだか。
何を考えてるの?としか言い様がない。
下手したら、ナオの身が危ないのに。
どうするべきか、と僕が悩む間もなく、陛下は一周回って面白いとでも言うかのように愉快げに笑った。
「ほう。聞いたか、皆の者。確かに、我とマティアスはその昔タオの若者に手を差し伸べた。それが実になり、彼は今や一国の王として名高い者となったのだ。リーレン騎士養成学校は、彼が構想を立て、そして我が弟マティアスが設立したもの。リーレン騎士養成学校のリーレンという名は、彼の呼び名から取ったのだ!」
僕たちは既にその話をナオから聞いていたけど、この会場内に居る誰もが初めて知った事実に驚いているようだった。
まあ、確かに驚くよね。
まさか、リーレン騎士養成学校の冠名にそんな熱い事情が隠されていたなんて思わないもの。リーレン騎士養成学校の生徒は、誇って良い事実だと思う。
「お主は、まだ王子の身ぞ。それで、我にも報酬をねだるというのか」
「私が次期国王となるのは必然のこと。陛下と祖父の友愛を、ぜひ私にも継がせて頂きたいのでございます」
「お主、名をなんと申す」
「私の名は、ナオナシオ・ヴァルハ・レオル・ラトスでございます。祖父の縁の品を譲りうけるため、宰相閣下のご子息でいられますイエリオス・エーヴェリー殿、以下リーレン騎士養成学校の生徒質にご助力を受け賜わり、今日という日を迎える事が出来ました」
「そうか。エーヴェリーの倅にか」
いや、え?ちょっと、待って!
彼が言う『イエリオス・エーヴェリー』の中身は僕じゃないけど、僕だよね?何でわざわざ名前を出すかな?リーレン騎士養成学校の生徒の中に含めてくれたら良かったのに!
わーん。どうして、そこで名前を言っちゃったかなぁ?
今すぐにでも、違います!と叫びたい。なんて、内心で泣き言をぼやいていると、何故、僕の名前を出したのか、ナオが眉根を寄せて答えを明かした。
「左様でございます。特にイエリオス殿には負傷していた所を救われ、自身に怪我を負いながらも追手を討伐して下さいました。何度お礼を言っても、伝えきれません」
今、ナオはなんて言った?
怪我?
怪我を負った、って?
誰が?
――僕、の名を騙る……
「昔を思い出すのう。なあ、マティアス」
「俺たちも、リーレンの追手をよく叩き切ってやっておったからなぁ」
もはや、今の僕には陛下とマティアス様の会話が入らない。
あれは、聞き違いなんかじゃない。ナオは、イエリオスが怪我を負ったのだとはっきりと口にしていた。
……ああ。
そうか。
アルミネラが、あの僕にべったりの妹が、一週間前にナオを迎えに来なかったのは、ちょうど怪我をして動けなかったからってことなんだ。
それも、身動きが取れないぐらいの――大きな。
その事実に、一気に血の気が引いて僕はエルの制止も聞かず席を立った。
……ばか。
ばか!
アルの大ばか者め!
どうして、いつも僕に隠すの?
どうして、僕を頼ってくれない?
どうして……
昨日会った時にでも、一言だけでも言ってくれたら。
いつも、僕の心配ばかりして……僕には、心配もさせてくれない。
「……ル、アル!……っ、イオ様!」
その声に、ハッとする。
いつの間にか、無我夢中で歩いていたらしく、やや広いフロアに出る階段を下りきった所でエルに袖を引かれ気が付いた。
「あっ、と……ごめん」
武道会の終焉ともあって、陛下のお言葉を聞く事が徹底づけられている為に、闘技場の内部の広間は閑散としている。だからこそ、エルは、僕を本当の名で呼び止めたらしい。
「いいえ、構いませんわ。ですが、せめてもう少しだけあの場所に居て欲しかったというのが本望ですけれど」
「ごめん、よく聞こえなかった」
首を振って平気だと言われたのは分かったんだけど、その後にちょうど歓声が沸き起こったせいで聞き取れなかった。
「アルが心配なのでしょう?」
「うん……僕の代わりをしているから、怪我をする可能性は常にあったのに」
今更になって、アルが如何に危険な事をしているのか理解した。
彼女が、怪我を負った後で。
「……イオ様」
「何も言わないで、エル。僕は、今自分が如何に無力なのか思い知らされているだけだから」
人、それを自己嫌悪という。
どれだけ、自分が甘えた考えを持っていたのか嫌になる。大切な妹がやりたいと言い出した事だから、と受け入れてしまった後悔。
アルミネラは、あんな風に活発に見えてまだ十四歳の女の子なのに。
非力な自分にこれほど嫌気が差した事はそうそうない。ああ、もう。すごく腹が立つ。
ナオに追手に関しても、フェルメールやコルネリオ様に任せておけば大丈夫だと思ってた自分を殴りたい。目の前の困った人を誰より真っ先に助けようとする性格だって、僕は他の誰よりもアルの事なら分かってた。
「僕は、馬鹿だ」
俯いて、額に手を押し当てながら呟いた僕にエルが困惑する姿が目に浮かぶ。
婚約者にも、そんな顔をさせるなんて。
「……イオ様」
――と、そこへ。
「おやおや。もしかして、喧嘩でもされておられましたか?ですが、今しか聞けないので申し訳ありませんが、宜しいでしょうか?」
僕に、落ち込ませる時間すら与えないというのか。
今はただ、ひたすら憎いと思ってしまう声の主は、睨み付ける僕に反して余裕の笑みを浮かべながらもその目は全く笑っていなかった。
アルを今すぐにでも探したいのに、酷く切迫した眼差しに気圧されて驚いてしまう。
「ヒューバート様、どうしてこちらに?」
気後れして返事をしない僕の代わりに、エルが訊ねた。
「クルサードという友好国がありながら、タオ連合国の王子の戯言に付き合う陛下の話を聞き終えて後を追ってきたのですよ。しかも、彼は将来の外交官としてイエリオス・エーヴェリー殿をご指名ときています。どういったご関係なのかな、と」
「……え?」
外交官?
何を言われたのか分からず、思わずキョトンとなってしまった。
どこからそういう方向に行ったわけ?逆に、僕の方が知りたいくらいなんだけど。
「そうですか、それで陛下は何と?」
なのに、エルの方はすんなり受け入れたようで、逆に質問する余裕ぶりを発揮している。意外とエルフローラって父君に似て、豪胆だったりするよね。そういうところ、かっこいいよ……というか、僕より男前って本気で凹みそう。
「さあ?私も答えを聞かずに出てきたものですから、どうお答えされたのか分かりませんね」
笑顔で答えながらも、それ以上は不愉快だと顔に出す。そうする事によって、エルが話しづらくなるように持ってきたのだ。不機嫌ながらも、さすがやり口が酷い。
ただ、これまでヒューバート様と話してきた僕が分かるのは、陛下の返事は彼にとってあまり面白くなかったというか。不都合は聞かなかった振りをする、常套手段だよね。
「それで?さきほど、あなたは彼を己の騎士だと言いましたよね。どういった関係ですか?」
そんな事よりも、と前置きしてからヒューバート様が訊ねてきたのは僕とナオの関係性で、横にエルフローラがいるにも関わらず一歩ずつ距離を縮められていく。
僕には、何がそれほどヒューバート様を苛つかせているのか分からないんだけど。
「ナオが話した通り、兄が彼を助けて匿っていただけです。私は、別にナオとは何も、っ」
本当に何もないんです――という言葉は、途中で途切れた。
油断している訳ではなかったのに、ヒューバート様が急に顔を険しくして、僕の手首を掴んだかと思うと強い力で壁へと押しつけたられてしまった。
その勢いで背中をぶつけて痛みが走り、思わず眉根が寄った。
「……っう!」
「突然、何をするのですか!?乱暴はおやめ下さい!」
彼らしからぬ行動に、僕だけじゃなく目の前で暴力行為を見たエルも驚いて珍しく声を荒げた。そりゃあ、今までヒューバート様は婦女子には対等に優しくしている人だったもの。驚くのも無理はない。
壁とヒューバート様に閉ざされるように拘束された僕を助けようと、エルが傍に近付いてくるのが見えたので、彼女の銅貨色の瞳と視線を合わせて首を振る。
駄目だ、エル。来ちゃいけない。
「……っ、でも」
もどかしそうに戸惑うエルに、もう一度首を振れば、己を無視する僕が気にくわなかったのか握られた手首に力が込められて呻く。
「い、っ」
「あなたは、私以外の誰も視界にいれなくていい」
何を言って。
「それと、あなたの口から私以外の男の名など聞きたくはありません」
「そ、んなこと、言われても」
それは、あなたがどういう関係か教えろと聞いてきたから!
なんていう理不尽さ。
ヒューバート様が何を考えて行動されているのか分からない。
……こんな事までして。
後から上手くエルを騙せたとしても、誰かに目撃されたら疑われるのは目に見えているのに。
ここまでして、どうしてナオとの事が気になるの?そんなに、ナオは脅威でもないだろうに。
仮に、僕を外交官として派遣するにも、彼がタオ連合国の王に君臨するにはまだ早いはず。その前に、僕という存在を消してしまえばいいだけの話で。
……何にせよ、どっちみちクルサードに行かなくちゃいけないんだから、こんな馬鹿げた真似なんてしなくても。
なんて、ナオの試合を無事に見届けた後だから、間近に迫るクルサード行きが現実味を帯びてきて、思わず暗い笑みが零れてしまった。
「……そうだ。三日後には、クルサードに行くでしょうに」
セラフィナ嬢を迎えに行くという名目で。
――あちらに人質と言う名のセラフィナ嬢がいる限り、僕はこの人の命令に絶対従わなくてはならないというのに。
ほんと、何をやってるんだか。
クスクスと笑いながら零した言葉に、ヒューバート様がハッとして、握っていた力が弱まった。けど、その手は変わらず僕の手首を掴んで放さない。
「お戯れはおやめ下さいませ!アルの手首に痕が残ってしまいますわ!」
ヒューバート様が動きを止めた事によって、エルが欠かさず抗議の声をあげる。
「痛い思いをしたくなければ、少し黙っていて頂けますか?」
「っ、ひぅ」
「エルには手を出さないで!そんな事をすれば、このまま舌を噛み切りますよ」
視線だけで射殺すように、エルを睨むヒューバート様に戦慄を覚えて威嚇する。
精一杯の牽制が功を成したのか彼にはそれが意外だったようで、目を細めた端正な顔が近付いた。思わずそれに身を引いて、背中越しの壁に阻まれ自然と眉間に皺が寄ってしまう。
「……っ」
近いってば。一体、何なの?
鼻先が触れあうほどの距離から、のぞき込まれるように凝視されたかと思うと。
「まさか、本物のアルミネラ・エーヴェリー?」
何を馬鹿な――いや、だけど。
「……そう見えますか?あなたは、どちらが欲しいんですか」
これで少しは頭が混乱すれば良いのに、なんて期待して笑う。確かに、自殺まで示唆するなんて、アルならやりかねないけど。
「戯れ言を」
「っ!」
僕に遊ばれたのが気にくわなかったのか、仕置きとばかりに喉元をもう片方の手で掴まれて血の気が引いた。おまけに、嫌がらせのように手首を捻っていたぶられ苦痛に顔が歪んでしまう。やっぱり、軍事国家クルサードの人間だけあって、どうすれば恐怖と痛みが増すのかよく理解しているという事か。
いっそ、本当にこのまま死んでやろうか。
そうなったら、諦めもついてくれるかもしれない。
そんな暗い思考がよぎった――瞬間。
「本物のアルミネラ・エーヴェリーはこっちだよ!」
聞き慣れた声が響いて。
まさか、と思わず視線を向けたその先に、騎士姿のアルミネラが険しい表情で息をはずませながら立っていた。
「ア、アル」
「だから、イオから手を放して!」
どうしてここに?だとか、何故入れ替わりをこの人にバラしたの?なんて言いたい事はたくさんある。
だけど。
「ふっ、あはははっ!」
ヒューバート様が愉しそうに笑い声を上げている事も、今は全てどうだっていい。
ただ、彼女に会いたかった。
お盆休みの更新のお知らせ。
物語も佳境なので、不定期ですが更新したいと思います。
イオの行く末を最後まで見守って頂けたら幸いです。




