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女装を始めて、一ヵ月。
女装にはだいぶ慣れたけど、アルの行動を思い出しながら動いているがまだまだ慣れない。エルフローラとは、やはり公爵家だからか優等生が多い同じSクラスになれたので彼女にフォローをしてもらいながら、それなりに楽しい毎日を過ごしているけど。
最近、不可解な事が起きている。
エーヴェリーの残念姫なんて裏で呼ばれているはずなのに、何故か突然見知らぬ生徒からプレゼントや花束を貰ったり、あんなに嫌悪感を見せていた殿下にちょくちょく出会ったり。
……そして、ここが一番謎なんだけども、何故か例の残念系美少女セラフィナ嬢に尾行されていたりしている。
何なのかなぁ?僕の経験上でしか語れないけれど、知らない人から贈り物を貰うというのはまだ理解出来る。なんたって、アルミネラは双子の僕が言うのもなんだけど、見た目は儚くてまるで伝説に登場する妖精のように美しい。
銀糸に近い白金色の髪は、光を受けるとまるでこの世の者ではない煌めきを放っていて、長かった時はよく見惚れていたなんて事はよくあった。触れたら直ぐに傷がついてしまいそうな、透明感のある白い肌。
夜の妖精が月夜に踊るという、マリーベルの祝福の湖のような蒼い瞳。
まだ悪名がとどろかなかった頃は、『月夜の妖精姫』だなんて大層な二つ名で呼ばれていたはず。けれど、まあ、その後に殿下との婚約を発表してから、妹のアグレッシブな部分が暴かれてしまって直ぐに残念姫に変更されちゃったけど。
そんな我が道を進む暴走娘に、入学早々、手紙を出してみたものの、まだ返事が届かない。あちらのリーレン騎士養成学校は、男子校みたいなものだから将来の王太子妃になる予定の彼女の貞操が心配で、毎日気が気じゃない。
……もしかして、バレてたりしてないよね?
いや、バレてしまって仕方なくでもこちらに戻ってきてくれたら、そりゃあお兄ちゃんとしては安泰なんだけど。僕の精神上の問題。
グランヴァル学院からリーレン騎士養成学校までは、徒歩で一時間ほどの距離がかかる。だったら、今度の休暇に外出届でも出して、一度覗きに行ってみようかな、エルも誘って。
あ、でも待って。男ばかりの学校にエルを連れて行って、知らない男の人に一目惚れをされても困る。彼女には、きちんと僕の好意を伝えきれてないけど、大切な人に変わりはないから。
ああ、もっとはっきり言える人間になりたいなぁなんて、ぼんやりと物思いに耽っているけど、実は今、とてつもなく面倒なことに巻き込まれているわけで。
「だから!なんで、この俺がこの女と共に食事を取らなければならんのだ!?」
「私が、アルミネラ様とご一緒したかったからよ!」
「俺は、お前と、だな!くそっ……ッチ」
舌打ちは、外聞としてあまりよくありませんよ、殿下。けど、僕だって、本当は同じ気持ちですけどね。はあ。
何でこんな事になってしまったんだろうなぁと、今思い返してみてもいまだに謎は解明出来ない。というか、僕はただいつものようにエルフローラと二人で昼食をとるために学生食堂に訪れた。
やっぱり、学生といえば学生食堂だしね。ここの学生は、貴族ばかりだから自分の教室で昼食を取ろうという人はほとんどいない。大抵は、このおしゃれな学生食堂でランチを取るのがステータスみたいになっている。
それで、エルと席を決めたら、そこへたまたま偶然セラフィナ嬢と出会ってしまって、何故かなし崩し的に彼女を追いかけてきた殿下にも遭遇してしまった、と。
いつの間にやら、二人が知り合っていてかなり親しくなっていたのには驚いたけど、正直、恋人同士のような痴話喧嘩を僕の前でされても困るのだ。だって、さ。当然でしょ。未来の王太子妃なんて、国が取り決めた殿下の正式な婚約者であるはずのアルミネラが、目の前の色恋沙汰をどんな風に眺めていればいいのか分からない。というか、ぶっちゃけどんなリアクションをすべきか分からない。
本当に、やめてほしい。
なので、とりあえず今は目の前で夫婦漫才のような会話を繰り返す二人は見えない者として扱って、僕はエルフローラとの会話を楽しもう。
「今日のランチは、エルの好きな卵焼きが入っているね」
「ええ、そうなのですわ。でも、こちらのお野菜が少し苦手で」
少し残念そうにシュンとするエルが可愛くて、甘やかしてあげたくなる。けど、我慢我慢。
「ああ、そうだったね。あれ?でも、大丈夫だよ。……ん、このソース、甘みが強いみたいだから一緒に食べてみてよ。美味しいから」
先に、僕が実践してみてエル笑いかけながら促すと、彼女は怖々としながらも頷いてくれた。
「わ、分かりましたわ」
ああ、本当ここがうちの屋敷だったら、多分僕はにべもなく彼女を甘やかしていたんだろうなぁ。けれども、ここは残念ながら同じ年頃の貴族の子供たちが集う学院の学生食堂で、しかもこの国の王太子であるオーガスト殿下と、その婚約者で噂に名高いあのアルミネラ・エーヴェリーが共に食事をしているのだから、食堂内の注目度は予想以上だといっていい。
おまけに、今年度の新入生では断トツに可愛いと言われている美少女、僕の中では残念系が枕詞で付いているセラフィナ・フェアフィールド嬢までもが共に食事をしているのだから、周りの生徒たちからの熱い視線といったらない。
殿下は、アルミネラに対しては高圧的な態度を取っているけれど、それ以外の生徒たちには平等に優しくて皆を先導して引っ張っていく姿勢が好感度を集めて人気らしい。そもそも、ワイルドなイケメンである辺り、女生徒たちからは多大な好意を寄せられているようで、何でも十八歳という時期特有の、少年期から青年期に移り変わるアンバランスな雰囲気が女生徒たちの母性本能をくすぐるのだとか。男である僕には、残念ながら全く理解できない。
それに、僕たち以外に共にランチをしている人物が二人いる。彼らは、入寮初日に殿下のお怒りを頂いた際に見かけたけれど、あの時はアルミネラを演じようといっぱいいっぱいだったから、あまり顔をよく見ていなかった。
――けど。
まさか、ここまで容姿が整っているなんて思わなかったなぁ、なんて。
チラリと視線を走らせた先、殿下の横に座っているのは、確か……第一騎士団団長のご長男であるテオドール・ヴァレリー殿だった。何度か遠目から見かけた事はあったけど、殿下のご学友の立場になっているとは思わなかったなぁ。
『くすむ』っていう表現はご存知ないですか?と、問いかけたくなるほど黄金色に輝く綺麗な金髪と、青緑色が混ざったいわゆる碧色と表現される瞳。金髪碧眼なんて、前世では表現されるけれど、彼の容姿はまさしくそのものだろう。イケメンというよりかは、美形寄りの甘いマスク。彼も女生徒たちに持て囃されているようで、常に自信に満ちた表情をしている。
また、そんなヴァレリー殿の隣りに座っているのは、実は面識がない上に王宮でも見かけたことがないので素性が分からない少年で。殿下とヴァレリー殿に比べたら、まだ顔立ちが幼いので僕たちと年齢はほぼ同じなんじゃないかなと思っている。
僕が引っかかっているのは、彼が前世では当たり前だった日本人と同じ特徴だということ。
つまり、彼の髪は濡れ烏のように漆黒で、不本意さを露わにしている不機嫌そうな瞳の色も真っ黒なのだ。日本人と同じように、彼もまた同世代より幼くみられがちで、『かっこいい』よりも『可愛い』が好きな女生徒には大変人気があるらしい。
こんな大注目されている中で、ちょっとでもおかしな真似なんて出来るわけがない。
内心でため息をつきながら、目の前の野菜を口に入れるのを躊躇っているエルを見る。
そういえば、先に殿下のご学友に目がいったけど、エルフローラも男子生徒たちに人気があるようで、彼女のあずかり知らぬ所で『白百合の姫』と呼ばれているらしい。
僕も、そのあだ名は純白で清楚な彼女にぴったりで気に入っているけど、これ以上エルフローラの魅力に気が付かないで欲しいんなんて思ってしまうのは、僕の心が狭いからかなぁ?いつ、恋敵が現れるとも限らない、なんて。
ああ、これ以上は気が滅入りそうだし止めておこう。
そこで、 僕の癒やしであるエルフローラが、ようやく意を決したのか、躊躇いながらも苦手な野菜を僕の薦めたソースに絡めて、ぱくりと小さな口でかじりついた。
「……ん。本当に、美味しいですわ!」
うわぁ……、ちょっ、なんて可愛い生き物なの。
あまりにも彼女の一連の動作が可愛すぎて、内心で身もだえてしまう。
普段なら、淑女たる姿勢を崩さない彼女だけど、苦手な野菜に夢中になりすぎて素に戻って破顔してしまったようで。我に戻って赤面を隠すようにお茶を飲んでいるのが、更に可愛くて仕方ない。
誤魔化し方すら、可愛いなんて卑怯すぎる。
この幸せを如何にして表現すべきだろう。
本来の僕『イエリオス・エーヴェリー』として、彼女に接する事が出来ないのが、こんなにも残念な気持ちになるとは思わなかった。だから、せめて幼馴染みであるアルミネラとしての立場を利用して、今まで出来なかったけれど、勢いのまま優しく彼女の頭を撫でる。
内心では、初めて触れたエルの髪が柔らかくてかなりドキドキしている小心者の僕である。
ああ、けど、ほんとにこの子可愛いな。
「えらいね、エル」
「……っ!!」
僕がでれでれになって彼女に呟くと同時に、何故か食堂内が一瞬しんとしてしまった。
あ、あれ?何か、拙いことでも言ったかな?
もしかして、エルを馬鹿にしてるなんて思われた、とか?ううっ、それなら今すぐ謝りたい。
「え、えーっと、どうかした?」
急に俯いて、口元に手を当てるエルには聞きづらかったので、目の前でぽかんと口を開けたまま動かないオーガスト殿下や鼻を押さえて何故か悶えているセラフィナ嬢に問いかけてみる。
「な、何でもない!」
「そうですよ!全く、これっぽっちも問題はありません!む、むしろ、ご、ごちそ……ゴ、ゴホゴホ」
それじゃあ、やっぱりさっきの静けさは気のせいだったのかな?
あ、それとも。
「私だって、人を褒めるぐらいするんだからね!」
そうか、もしかしたら皆、あの残念姫が他人を褒めているから驚いたってことなのかも!
あー、そっか。それなら、納得出来る。
もう。アルだって、他人が頑張ってみるのを見れば褒めるぐらいする子なんだよ、一応。身内だからって、贔屓しているわけじゃない。
「は?……ああ、そうだな」
「も、もちろんです!」
えらく生返事だけど、本当に分かってるのかな?
「ま、いっか」
「……幸せなのですが、複雑ですわ」
「ん?エル、何か言った?」
何だかあまり信用出来ない目の前の二人の事を気にしていたから、エルが何か呟いたような気がしたけど。
「いいえ?何もございませんわ」
小首を傾げながら、満面の笑みで首を振られる。
ああ、エルの笑顔が大好きだ。
でも、それをちゃんと伝えられないけれど、彼女の笑顔はまるで僕を有頂天にさせる魔法のようだ。
「そっか」
だから、せめて彼女の笑顔に応えたくて僕も同じように笑ったら、今度は僕たちの周りでご飯を食べていた男子生徒が、何を思い立ったのか急にバタバタとトレイを片付けて小走りで去っていってしまった。
……なにゆえに?もしかして、残念姫から呪いを受けるとでも思っちゃった?
そんなめまぐるしい日々を過ごしていたとある日、ようやくアルミネラからの手紙が届いた。
内容は、至ってシンプルに纏められていて、大変分かりやすい。
『毎日が楽しくて仕方ない。
あ、それとルームメイトにはバレたけど大丈夫!!』
これを見て、自室で叫んだ僕は決して悪くないだろう。
はあ?何が大丈夫だって?
な、に、が?
あー、もう。そら見たことか!なんて、驚きすぎて思わず椅子から立ち上がった僕に、侍女のサラによって絶妙なタイミングでスッと目の前にお茶を出される。
「……ごめん、取り乱しすぎた」
「……」
あー、うん。サラは、無口なタイプだから怒ってはいないはず。って、サラの事は、今はいい。
問題は、アルミネラだ。
「これは……近いうちに、会わなくちゃ」
相変わらず、アルは筆無精で詳細は書かれていないけど、もしかしてお風呂だとか着替えの際に、その……身体を見られてしまったのか。多分、そんな感じかな?
ただ、そのルームメイトというのがどういう人物なのか分からないから、アルが今どんな状況にいるとか、お兄ちゃんとしてはかなり不安でしょうがない。
もしや、酷いことをされてはいないだろうか、とか。
最悪、関係を迫れているなんて切迫な状況なんだとしたら、何が何でもアルを今すぐ助け出さなければ。そう、それこそ決して最善とは呼べないけれど、エーヴェリー公爵家嫡子である僕の権限を使ってでも。
ああ、でも、これは……
「これは、けっこうな大問題だって分かっているのかなぁ」