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前世では、小学校の頃に勝負しては弟をよく泣かせていたけど。今生では、妹の方が僕より強い。なんていうか、悪運の持ち主には敵わないなっていつも思う。
「な、にを」
言っているんだか、と続くはずの言葉が出てこない。
今すぐ笑って、誤魔化せば良いだけなのに。
ヒューバート様の目が、そんな事はさせないと言っている。
僕は、絶対に屈しない。――けど。今まで、そう今までグランヴァル学院の方では、決して誰にもバレていないはずだった。
慎重に慎重を重ねて、エルフローラに手伝ってもらいながら、何とか妹の代わりを務めていたもの。
――なのに。
これは、一体どういう事なの?
誰かが口を滑らすという事はない。だったら、どうして?
咄嗟に返事をする事が出来ないという時点で、もはやそれが正解だと言っているようなものなのに、僕はいまだに身動き一つ出来ずに、ただヒューバート様の瞳から目を逸らせずにいた。
「不思議ですか?」
「……っ」
「何故、それを知っているのか、と。あなたはきっと、今までの記憶を探っている事でしょうね」
見かけだけならば、その笑みは相手を惚れ惚れとさせる甘い砂糖菓子のようなもの。
だけど、今の僕には通りがかりにかけられたような黒いペンキにしか見えない。つまり、僕にとっては無価値に等しい。
「それでは、種明かしと致しましょうか」
そう言って、まずはお茶でもどうぞと意味もなく薦められる。
「結構です」
「おや、残念」
当たり前でしょ、こんな時に。
「それより」
「分かりました、お話しましょう」
あー、なんてじれったいやり方。人を弄んで、何が楽しいんだか。
あまりにも焦らされすぎて、目を細めて睨み付ければ、ようやく彼は満足したようで足を組み直して微笑まれた。正直、そういう所も好きになれない。
「私がそれを知ったのは、新歓パーティでオーガストが自作自演の暗殺未遂を起こした時です」
初っぱなから、そこですか?
あー……もう勘弁してよ。まさか、殿下のしでかした事にも気が付いていたなんて。
どうりで、殿下が最近、特にヒューバート様には低姿勢だなぁって思ってたよ。僕を庇ってくれた、あの朝だってさ?そっか、そうだったんだ。ヒューバート様にバレていたから、強気に出られなかっただけなんだ。
……この件は、後でどうにかするしかないか。はあ。もう!殿下のばか!余計な仕事、増やすなんてー!
「続けて下さい」
内心ではかなりの衝撃で頭を抱え込んでしまっているけど、平常心を装って先を促す。こういうのはね、貴族社会で一応鍛えられていますから。
どうせ、殿下の事は、今は置いておく事しか出来ない。重要なのは、ここからでしょ。
「……オーガストが羨ましい」
「は?」
「いや、詮無きことです。襲撃があった際、セラフィナ・フェアフィールドがアルミネラ・エーヴェリーであるはずのあなたに『イオ様』と声をかけたのが聞こえました。一瞬、耳を疑いましたが、どうやら聞いていたのは私だけのようで。その後の、あの華麗な撃退技で敵を仕留めた事も知っています」
あの時、誰にも聞こえてなさそうだって安心してたけど……やっぱり、聞こえてたのか。
しかも、それがヒューバート様だったとは全くついてない。
「その後、アルミネラ・エーヴェリーという少女とその兄君との関係や情報などを集めて、学院でのあなたを注意深く見ていれば、おのずとあなたこそイエリオス・エーヴェリー殿だという真実が見えたのです」
もはや、ぐうの音も出てこない。
ここまで、ばっちりと証拠を揃えられてしまっていれば、観念せざるを得ないだろう。
あんな、たった一言で。
されど、一言。もちろん、セラフィナ嬢を責めるつもりなんて毛頭無い。彼女は、あの時、僕を助けてくれたんだから感謝しかない。
けれども、ここで取り乱してしまえば、それこそヒューバート様の良いようにされるだけなのは目に見えている。だから、敢えて落ち着いている風を装って黙ったまま彼を見据えた。
「……」
次に、何を言われるのか。
覚悟を決めて、ティカップを持つヒューバート様の出方を待つ。
息を飲み、ここからが正念場になる――そう思った僕を今すぐにでも罵倒してやりたい。
先ほどとは打って変わって、豪快にお茶をぐいっと飲み干したヒューバート様は、急に立ち上がると僕を見下ろす。それも、前世でいうなら憧れの柔道家を見て興奮している後輩のように。あれ?ちょっと分かりづらい?
「あなたは、まさに私が望む理想の細君そのものです!」
「さっ?」
は?いや、なんて?一体、何を言ってるんですか!?と止める暇もないままに、ヒューバート様は更に顔を輝かせ、片手で拳を握って天井を仰いだ。
「短絡的な妹君とは全く違って、何事にも慎重にけれども確実に仕事をこなし。頭の回転も速く、ユーモアもあって社交的、また貴族としての礼儀や常識もわきまえておられる。何より、あなたは美しい!初めて会ったその時に、私は確信をしたものです。噂で聞いていた月夜の妖精姫とはあなたそのものだと。触れると倒れそうなほど儚げに見えますが、そこら辺の婦女子よりもしっかりしていて芯がある。奥ゆかしくて、佇まいも凜としていて、私の隣りに立つべき人はあなただと、あなたしかいないと思ったのです」
それは、どうも。ではなくて。
えーっと……駄目だ、おかしなスイッチ入ってるって。絶対。
「新歓パーティの際、身につけられていた宝飾品の数々よりもあなた自身が輝いていました。どうか、私と結婚して頂けないでしょうか?」
うん。それでもって、どうして、その勢いでプロポーズまでいくのかが分からないしあり得ない。
というか、ちょっと待って?
「結婚って。僕は正真正銘、男ですよ!?」
いくら理想の相手なのだとしても、気をしっかり持ちましょうよ!
目まぐるしいまでの僕への称賛から、プロポーズ。いや……あの、ほんと、考え直して?
ああ、どうしよう。この人の、ヒューバート様の思考回路が理解出来ない。若干引き気味で素に戻って反論した僕に対して、ヒューバート様は逆に首を捻る。
「何か問題でも?」
「問題だらけですってば!第一、同性同士の結婚など王族では前代未聞だし、子孫だって残せません。それにっ、……いや、その前に僕にはれっきとした婚約者が」
「ああ、そこは簡単な事ですよ。あなたは、公の場では『アルミネラ』だと名乗っていれば良いのです。子供は、本物の彼女が産めば問題はありませんよね。ただ、エルフローラ・ミルウッド公爵令嬢については諦めてもらうしかありません。彼女は、聡明ですが真面目過ぎるきらいがあるので、後に私とあなたの関係を壊しかねないので連れてはいけません」
「っ!?」
急に、何を?というぐらいに、何の話をしていたのか分からなくなって言葉に詰まる。
えっと、まさかさっきの件は本気だった?
ありったけの僕への賛辞も、プロポーズも全て?
そんな……僕には冗談にしか聞こえてなかったのに。
「非常に申し訳ありませんがね」
今までの会話を思い出して呆然としている僕へヒューバート様が優しく微笑む。
「……本気、ですか?」
「最初から、そのように申し上げているはずですが?」
――ああ、そうか。
この人は、どんな状況になってしまおうが、常に本音を語っていたという事か。
信じられない、いや、信じたくない。
けれど、その認識は今度こそ合っている。
ああ。僕は、ずっと見当違いに思考を走らせていたんだ。
ここに来た当初から、ヒューバート様とトーマス様は日常と同じように楽しげな会話を繰り広げていたのも、それが彼らの普通だからで。
僕だけが、勝手に勇んで緊張しながら彼らをおかしいと決めつけていた。
……僕だけが。
きっと、ヒューバート様にとっては僕たちが入れ替わっている事実すら、いつもの日常の一部にしか過ぎない。そんな事は些末な出来事でしかない。
だから、簡単に僕への提案も出来るわけで。
「それを、僕が受け入れるとお思いですか?」
価値観が全く違う。いや、そもそもヒューバート様とは次元が違う。
という事は。
……僕の妹を、エルフローラを、一体何だと思ってるんだ。
何を言われても冷静に対処しようと心がけていたけれど、自分の大切な人たちを物扱いされては黙ってなんていられない。
「おや?怒らせてしまいましたか?」
「当たり前です!大切な妹と婚約者を人形のように扱われて喜ぶとでも?あなたは、僕をビジネスパートナーにでもするつもりでしょうが、彼女たちを蔑ろにするつもりなら刺し違える覚悟は出来ているんでしょうね?」
「蔑ろになんて、とんでもない。アルミネラ・エーヴェリー嬢に関していえば、ちゃんと愛せる自信はあります。私の唯一神である、あなたと同じ顔を持っているのですから」
たったそれだけ。それだけの事で、アルは慈悲の対象ですよと言わんばかりの顔をされ、今までにないぐらいに血が沸き上がる。怒りで、目の前が赤く染まった。
エルにしたって、敢えて彼女に触れなかったのは、己に刃向かうのであれば一切の容赦はしないということだ。
それで、僕が納得するとでも思っているのだとしたら――
「馬鹿にし、っ!」
「ぅわおっ!殺気で咄嗟に身体が動いちゃいましたけど、あ、あの、偽物騎士みたいに投げるのは止して下さいね!」
主を守るように立ち塞がったトーマス様が、行動とは真逆にオドオドしながら軽口を叩いた。
あまりにも血が上りすぎて席を立った僕の鼻先に、ケーキナイフをピタリと止めて。
「……」
塞がれた右目の傷に皺を寄せ、剣呑な光を左目に宿しながらも、美人が怒るとめっちゃ恐いんっスから!と続けたものだから、思わず脱力してため息を吐き出してしまう。
主も主なら、従者も従者か。
半ば呆れて、毒気がすっかり抜けてしまった。いや、それはそれで助かったけどさ。
多分、行動の早さからいってトーマス様は、何かしらの体術か武術の心得を取得している。まあ、クルサードの第一王子であるヒューバート様が、たった一人の従者しか連れてきていないのだからその時点で察するべきだった。
寸止めで良かった、とホッとしながら早々に両手を軽く挙げてギブアップの姿勢を示す。ほんと、緊張感も出さないなんてどういう神経しているんだか。
彼は、相当手慣れていると言って良い。
「トーマス」
「はいはい。物騒な物は控えますよっと」
「万が一、彼を傷つけていればお前でも許しませんよ」
「やっ、神に誓ってそれはないっス!!」
「分かっているのなら、今回は許します」
これだけみれば、いつもと全く変わらないのに。
関わる前までは、ただ楽しい人たちも居るものだと思えていたはずで。
ナイフを向けられた時点で動きを止めた僕だけど、それを逆手にとって握りしめてやっていれば、また違う状況に変わっていたかな。
……なんて、そう簡単に彼らが見逃してくれるはずもないか。
「お座りください、従者の非礼をお詫びします。あなたがどの範囲まで下げれば怒るのか、わざと煽った私も悪いのです」
「そこまでして、気に入らない部分は見えましたか?不合格なら、僕は万々歳ですよ」
あり得ない。人を試すにしても、もっと違う方法があるでしょ。
なんというか、全てにおいてこの人は陰湿過ぎる。僕を怒らせる事を第一の目的にするのなら、確かにこれが一番効果的であるには違いない。
そりゃあね、妹と婚約者に手を出されたら僕だって黙っちゃいないもの。
「本当に、申し訳ありません」
紳士的に謝罪を受けても、もしかしてこれすら……なんて猜疑心が育つのみ。
何度も何度も引っかかる自分にだって腹が立つし、またやられたと分かれば卑屈にもなる。
「もういいですけどね」
「正直、彼女たちには嫉妬を隠せません。ですが、あなたを構成する一部にそれが含まれているのなら、私はどうにか乗り越えて克服しましょう」
にっこり、清純そうに微笑まれましたけど。
「……」
んー、はい。では、ここで少し考えてみましょう。アルミネラとエルフローラに嫉妬するほど、僕を欲しがるなんておかしくない?それだけ、好意的って事なんだろうけど。
文面だけでいえば、甲斐甲斐しいのを全面に出して純粋に良い人を装っているけど、よく考えてみれば実は恐い。
だって。
フェルメールのそれとは明らかに違う。
「申し訳ないですけど、僕は同性愛者ではありませんよ?」
もしかして、という思いで可能性を問いかける。
僕は、ヒューバート様にとって都合の良いビジネスパートナーだけじゃないの?あの事件以来ヒューバート様がやけに絡んでくるようになったけど、今知った事実から考えてみれば、同性だと理解しておきながらどうしてあそこまで僕に触れようとしてきたのか、その心理が理解出来ない。困らせたかった、という理由なら僕の気持ち云々は置いておいて分かるけど。
というか、別に、彼がそうであったとしても構わない。でも、僕をその対象にされても困るのだ。前世だって今生だって、僕は異性にしかそういう好意を向けられないもの。
なにより、今の僕にはエルフローラにしか興味が湧かない。
けれども、ヒューバート様の答えは僕の予想の遙か上をいっていた。
「私も同性愛者ではありませんよ。ですが、美しい人。あなたの魂そのものに、私の心が震えたのです。同性同士での愛の育みの仕方は存じませんが、あなたを抱くように言われたら私は躊躇わずあなたをこの手で抱けますよ」
「絶対にやめて下さい」
むしろ、そんな目に遭うくらいならば、いっそひと思いに殺して下さい。
あまりにもゾッとして、思わず自分の腕をさすって身を引く。
……いや、そんな顔をされても受け入れないよ?というか、微妙に色を含んだ視線を向けるのは止めてください。
「なら、俺は」
「どうして、そこで名乗りを上げられたのか分かりませんけど、あり得ません」
はい、そこも残念そうにしない。まったく、どいつもこいつも。
二人がかりで来られたら、多分僕はおしまいだろうなと思いながら睨み付けると明らかにため息を付かれた。え?僕が悪いんですか?違うよね?
あー、もうやだ。この先、下手にこういう話はしないでおこう。
もっとも、今はセラフィナ嬢という人質を取られている状態でもあるし。これ以上話せば、交渉すらままならない。
今日は、とにかく彼女の身柄の交渉をしなければ。
「……僕が、あなたの案に乗ったとしてセラフィナ嬢を無事に帰国させてくれるんですか?」
「おや?私の所に来て下さるのですか?」
「簡単に決められるはずないでしょう。先に、僕の質問に答えて下さい」
彼女には、待っている人がいる。
それに、マリウスくんには必ず帰ってくると宣言したのだ。
「彼女は、現在宿泊先で軟禁させて頂いています。世間には、彼女は病気で治療中だという事にしていますので、あなたが彼女を迎えに来るという名目で我が国へと渡って頂き、そのままトレードさせてもらう形になりますね。もちろん、その際に現在あなたの代わりにリーレン騎士養成学校に通っている本物のアルミネラ・エーヴェリー嬢も一緒に来てもらう事になりますが」
話しぶりからして、最初からそんな計画を練っていたんだ。
僕たちを騙しながら、虎視眈々と。
ヒューバート様は、そんな途方もない話を普段と同じ口調で語った。どこまで先の未来を彼が見通しているのか想像もつけず途方に暮れる。
ああ、こんな人に敵う訳ない。
そう思ってしまう自分がいる。
「……けど、アルミネラはオーガスト殿下の婚約者ですよ。僕はともかく、アルが正式に婚約も破棄せずあなたの婚約者になったとすれば、これは外交問題に発展するんじゃないですか?」
「そうでしょうね」
「そうでしょうね、って」
そんなにあっさり答えられても、国同士の問題にまで発展ともなるとただじゃ済まない事になるのは明白なのに。
この人は、一体何を考えているんだろう?
先程までは、ヒューバート様がどこまで先を見ているのかが恐ろしく感じたのに、今は短絡的にすら見えてしまう。この人の頭は、どうなってるんだろう?
全く考えが読めなくて、悔しい。
……ひょっとして、裏にまだ何かあるのかも。
「もしかして、まだ何か隠されているんですか?」
「ふふっ。さすがは私の女神。ですが、お教えする事は出来ません」
まるで、前世で見た俳優のように薄く微笑みながら人差し指を口元に当てる仕草は、悔しいけどサマになってる。ヒューバート様の横でトーマス様も楽しそうな笑みを浮かべながら、もう何度目になるのか新しいお茶を用意していた。
多分、これ以上訊ねても無理かな。
内心、苦々しく思いながら、ポットから注がれる仄かにフルーツの匂いが漂う紅い色のお茶を眺めているだけしか出来ないでいた。
――が。
それは、突然の事だった。
僕の横で今の今まで俯きながら無表情になって沈黙を貫いていたアメリア嬢が、いきなりガシャンと目の前に並ぶ茶器を鳴らしながら勢いをつけて席を立ったのだ。




