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世界の果てはこの世の坩堝。
真実は時として改竄される。
もう、疲れ果てて動けそうもない。
このまま堕ちてしまおうか。
机の上には、季節の果実で彩られたパイやケーキに、チョコレート。それに、殿下がお好きなナッツ入りのチョコレートに、僕が好きなクッキーなんてものまで乗り切らないぐらいのたくさんのお菓子たちが所狭しに並んでいた。それに加えて本日の殿下は青と黒のコントラストが美しい燕尾服をお召しになっているものだから、お会いした際に失敗したと思ったのは言うまでもない。いや、でもまさか、たかが一貴族の子弟とのお茶会にそんな完璧な状態で臨まれるとは思わないでしょう?しかも、たった二人きりのお茶会にだよ?
お城に上がるからとそれなりにきちんとした身だしなみで来たけれど、見るからに差がありすぎて申し訳なかった。
そういったハプニングがあったものの、威風堂々という言葉が似合う殿下とのお茶会は和やかに始まった。
「さあ、好きなものを食べていくがよい」
……うん。初っ端から食べさせる気満々な発言を頂戴するとは思わなかったなって。
二人だけだから、当然座る位置はテーブルの端と端。僕と殿下を繋げる橋となった菓子類には目もくれず、ニコニコと頬杖をつきながら微笑む緋色の貴人の後ろには橙色の蕾を持った小さな薔薇たち。
つまり、何が言いたいのかというと。
どうして、こんなにも殿下はご機嫌なんだろうか?というのと。またもや温室とはこれ如何に、っていうね。今日は温室に縁があるとみた。
「いえ、滅相もありません。是非、殿下から先に召し上がってください」
「ははは、真面目なやつよ」
いやいや、常識の範囲だってば。豪快に笑いながら、チョコレートに手を伸ばす殿下に僕も笑顔で首を振った。
――空元気に気付かれませんように、と。
実は、まだあれから数時間しか経っていないからか、今も胸の痛みが収まっていないのだ。ううん、むしろ思い出す度に痛みが増していっているような気がする。まるで、傷口からどんどん真っ赤な血が溢れ出していくような。
それだけ、あの二人を突き放してしまった代償は大きいという事だろう。自業自得だ。……この痛みを受け止めなければ。
「……リオス?イエリオス、聞いているか?」
「は、はい!……申し訳ありません、少しぼんやりとしておりました」
ああ、やってしまった。駄目だなぁ、ちゃんと気持ちを切り替えないと。
「そうか。気にするな、たまにはそういう事もあってこそだ。なに、お前が持ってきたこの茶葉の香りが俺好みで今日の日にうってつけだったと話したかったのだ」
「痛み入ります。左様でございましたか、殿下に喜んで頂けて有難き幸せでございます」
お咎めがなくて良かった。殿下は、アルとは相容れないから喧嘩腰だけど、僕には驚くほど寛容でいてくださるからありがたい。
前もって殿下に招待を受けていたので、この日の為に僕もお土産をときちんと用意しておいたのだ。ミュールズが取引きしている国の茶葉は一通りお召しになっておられるだろうから、トリエンジェ皇国から取り寄せたんだよね。トリエンジェは海を渡って北にある砂漠の国で、なかなか農作物が育たない為に茶葉自体が希少価値と呼べる代物だ。
なので、ここまで喜んでくれたら、それを何とか手に入れてもらった甲斐があったというもの。僕に抜かりはない。多少の名誉挽回にはなったかな?……なっていたら良いな。
「所で、マリウスより聞いたのだが、アルミネラがリーレンへ行くというのは本当か?」
……くっ、想定内。想定内の質問だけど、いきなりすぎる。ええっと、どう答えるべきかな。
「行くか行かないかはまだ、その、はっきりとは」
「よい、はっきりと言ってみろ」
「……全力で行く気満々です」
やっぱり、殿下にはこの方法は通じなかったか!いや、分かっていたけどね。殿下は回りくどいのはお好きじゃないって。でも、ちょっとぐらい考える時間が欲しかったなぁって。ね?上手くいったら儲けものぐらいにしか考えてなかったよ、僕だって。呆気なく玉砕したけど。
「やはりそうか」
「何故か、幼き頃より騎士となるのが夢であったようでして」
ここは素直に答えるしかない。
以前の僕も、女装を受け入れたのはアルが真剣に騎士になりたいというから最終的に折れたのだと思う。それは、記憶がない僕だって同じだもの。
僕は、アルを愛している。最愛の妹の願いを聞かずして何が兄か。
「騎士に、か」
まるで、僕の答えを吟味するかのように殿下が呟く。
「殿下との婚儀を控えておきながら、妹の我が儘を押し通してしまい大変申し訳ございません」
アルがリーレンに入り直す事が正式に決まれば、父上とアルミネラが陛下と殿下に直に謝罪をするだろうけど、僕も家族の一員として謝りたい。王家とは毎年、公にはせずこっそり家族全員で誕生日パーティを開く程の仲だけど、アルと殿下の婚約は国できちんと取り決められたものだから。
形の良い眉を寄せて、少し思案されていた殿下が緋色の瞳を僕に向ける。
「俺は構わん」
「寛大なお心遣いに感謝致します」
もしかして、ホッとしてる?なんて思ってしまった僕は最低かな?
婚儀が先延ばしになれば、殿下はセラフィナ嬢と共にいられる時間が長くなる。その間、愛を育む事が出来るんだから――なんて、つい考えてしまうのだ。
殿下の心の内が知りたい。でも、アルではなくセラフィナ嬢を選ばれたら僕はきっと許せそうにない。
まあ、殿下が選んだ所で彼女は王妃にはなれないけれど。
ただ、唯一方法があるとすればセラフィナ嬢を側室や愛妾にすれば良いだけの話で。だからこそ、アルがリーレンで学び直す期間というのが重要となってくる。ああ、でも。
彼女はそういったふしだらな関係は嫌いだろうな。……なんて。まだ、共に過ごして二ヶ月も満たしていないというのに、セラフィナ嬢の性格を把握出来ている自分自身に苦笑する。どれだけ僕は彼女に頼っていたんだか。
旧知の仲とも呼べるほど親しくさせてもらっていたはずが、それがたった一言で綺麗に崩れ去ってしまった今は虚しさしか残らない。いや、自分が関係を断ち切ったのに寂しいという感情か。
「イエリオスこそ何か俺に聞く事はないか?」
ちょうど今考えていたセラフィナ嬢との事ならお訊ねしたいけどね。って、訊けるはずないってば。
「ははっ、腰を低くせずともよい。ここには俺とお前しか居ないのだから」
もしや、顔に表情が出てしまったのかな?いや、そんな事はないはず。なんて自問自答していると、殿下が豪快に笑い出した。
「……で、殿下」
いやはや、お恥ずかしい限りで。
「お前はやはり、お前なのだな」
「え?」
……っと、どういう意味?
「どんな時でも、ふと見せる顔や仕草は変わってはおらん。その無意識な所に今までどれだけ救われた事か。唯一、俺が親愛の友と呼べる臣下よ、お前は」
し、んあいの友。……えっ!?親愛?
「そ、そそんな、恐れ多い!」
いや、だって、たまにしか会わない僕よりも、幼少の頃より御身に仕えている方々は既にいるもの。えっと、確か。
「テオドール・ヴァレリー様は」
第一騎士団団長のご子息様だったか。
「あいつは兄であり弟であり戦友ともいうべきものだ」
ああ、戦友か。幼少期から常に陰ながら支えになっていたんだしね。戦友という表現はぴったり、……じゃなくて。ええっと、他には王宮魔導師の。
「マリウス・レヴィル様も」
「あいつは盟友と呼べるだろう。俺とあいつはどちらも欠ける事なくこの国に居なくてはならない存在だからな」
的確だ。真っ当過ぎて反論する余地もない。いや、反論なんてしないけどさ。
でも、彼らはいずれも殿下の側近であるわけで。それなのに、役職もない僕が『親愛の友』などと。
――ああ、そうか。
「殿下が僕を宰相に、と望まれているというのは本当の事でしょうか」
だから、殿下は僕に宰相になってほしいと思って下さっていたんだ。
親しみを感じて下さっていたから。……って、あれ、ちょっと待って。フォンタナー様から聞いた話に納得してしまって、つい口から出てしまったけど。
……これって、もしかして内密だったんじゃ。
ど、どうしよう、なんて焦るのを何とか隠して殿下を見つめていると、案の定、殿下の片側の眉がピクリと動いた。
「誰からそれを?いや、よい。いずれはお前の耳に入っていたのだろうからな」
……間抜けにもほどがある。
さっきからどれだけ失敗してるんだよ、僕は!もっと上手く立ち回らなければ。
「では、」
「ああ、俺はお前を俺の宰相にしたいと思っている」
気高い緋色の瞳が僕を捉える。真摯な眼差しは僕に向けられているけれど。
だけど。
それほど、以前の僕は殿下にとても信頼されていたんだと――――無様な自分の現実を叩き付けられた気がした。
「それは、以前の僕も知っている事なのでしょうか?」
悔しい。悲しい。辛い。……痛い。
色んな感情が湧きあがり僕の心を揺さぶりにかかる。まるで真冬の冷たい水の中に沈み込んでいくようだ。
息が苦しくとも、手を伸ばせども、助けてくれる者はいない。
――そう、殿下でさえも。
「当然だ、何せ約束をしたのだからな」
「……あ」
そうか。
殿下が僕と交わした約束とは、この事だったんだな。
ああ、そうか。そうだったんだ。
何もかも、僕は『僕』には勝てないんだ。
「昔からお前は俺やアルミネラと違い、何事においても慎重を期して常に冷静さを以て動いていたであろう?故に、幼心にこいつは何か違うと思っていたのだ」
「……そうだったんですか」
まさか、幼少期の時点で殿下から目を掛けて頂いているとは思わなかった。でも、それが以前の僕か今の僕であるのか、もう、……分からなくなってきちゃった。
「陛下から俺の宰相候補を選出するよう命を受けた時、真っ先にお前の顔が浮かんだのだ。そこからどんどん思いは強まっていった。そういえば、二人で大捕物をした時なぞ愉快であったな。お前は俺の使い方をよく心得ているのでな」
「なんと恐れ多い事を」
え?ちょっと何してくれているの、以前の僕。何があったか訊くのも恐いんだけど。というか、殿下が愉快そうなのがもう何とも言い難い。以前の僕って随分と大胆だったんだな。
「その後にあった初の他国の公務となった聖ヴィルフ国での事件で、俺は確信したのだ。お前こそ俺の宰相だと。お前でなくてはならないのだと」
僕には荷が重い話をされている途中なんだけど、聖ヴィルフ国の事件とやらがとても気に掛かる。殿下をそう思わせたぐらいの事件だろうから、どうにも不穏な感じしかしないけれど。
大捕物に聖ヴィルフ国の事件。……それに、何の事件かは分からないけど失敗して奴隷に転落。ざっと聞いただけでこれだけのやっかい事に遭っているというのに、以前の僕はどれだけ強かだったんだか。
「お前も了承してくれたのでな、後は父上にお伝えするだけだった。だが、帰国後に起きた事件によって機会を逸してしまったのだ。それでも、お前は構わないと言ってくれた。口約束でも良いと」
「……そんな事が」
――きっと。
きっと、様々な困難を乗り越えたからこそ、以前の僕は自分に誇りを持っていたんだろう。揺るぎない自信で以て、きっと殿下の宰相となる事を決意したに違いない。
……敵わない。
そんなの、敵うはずないじゃないか。
全ての人に認められて、望まれた存在に僕が敵うわけない。
「今のお前が再び同じ思いを持ってくれるのならば、俺はお前に宰相を任せたいと思っている」
……僕に?でも――
「殿下は、記憶を失う以前の私の方が良かったのでは」
以前の僕に比べたら今の自分がどれだけ無能で役立たずなのか、考えなくても答えは出ている。誰かを傷付ける事しか出来なくて。
自分に嫉妬し続けるしか出来ない僕なんかが――
「イエリオス、俺はな、――――ぅ、っ!」
殿下の異変を感じて、顔を上げた時にはもう既に遅かった。
「殿下っ!」
殿下の帽子が地面に落ちると共に、殿下ご自身も椅子から転げて膝をつく。慌てて駆け寄るも、血の気が引いた白い顔を渋面にして拒絶されてしまった。
「で、殿下、……どうして」
震えた手で口を覆う殿下は何も答えてくれず、世界が一瞬にして闇と化した気がして恐くなって涙が溢れる。
……ああ、くそ。泣いている場合じゃないんだよ!軟弱者!情けない愚か者め!
このままでは、殿下が――――――――――動け!
「ま、待っていてください!す、すっ、直ぐに人を呼んできますからっ!」
意識を失ったと同時に崩れ落ちた殿下に声を掛け、温室の出口で待機しているであろう護衛の方を呼びに向かう。
殿下を一人きりにするのはいけないから、とにかく走って。
走って、走って。
降り注ぐ太陽の光を浴びながら、走って。
「……っ、誰か!どなたか、来て下さいっ!で、殿下が!」
無我夢中で助けを求めた後、息が苦しくて僕もその場で座り込んでしまった。
ああ、こんな時なのに何故か喉がカラカラだなんてどうでもいい事を、僕は。
まだ、ここでへこたれるには早いのに。……なのに。
「っ、……ぁ、はっ」
なのに、何故だろう?僕はアルには劣るけれど、それになりに運動は出来るはずだ。それなのに、こんなにも呼吸が苦しいだなんて。
目の前を何人もの騎士が走り抜けていくのがやけに遅く感じた。まるで、何者かに時間を盗まれてしまったかのように全てがゆっくりで。
――ただ、己の荒い呼吸音だけが逃げ道を求めて体中を走り回る。悲鳴のように。
「っ……ん、か」
殿下!
殿下を、早く……
――――――お助け、しなければ。




