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比類無き美しさには誰も彼も敵わない。
エルに頼りすぎもよくないと思った僕がいけなかったのだろうか。
きっかけは、生徒会室で仕事中のエルを待たせてもらっている時のことだった。
一緒に登下校をしているので教室で待つよって言ったのに、エルやルドー卿、それに何故かアンダーソン生徒会長にまで反対されて生徒会室で待つ事になったのだ。来月にはテストがあるし、少しでもこの一年半の遅れを取り戻したくて時間が出来れば勉学に取り組んでいる。
誰にも迷惑をかけない部屋の片隅はまさに最適で、いつの間にか僕は集中していたらしい。そう、『らしい』というのは、突然そこへスッとか細い指が視界を遮ったかと思うと書き終えた単語を指したから我に返ったのだ。顔を上げると、見るからに不機嫌そうに目を細める美少女と見間違うばかりの可愛い少年が僕を見下ろしていた。
何か?と訊ねれば「間違ってる」の一言。フォッカーくんは地学や歴史が得意であるらしく、僕の前に椅子をわざわざ持ってきて、その日は一時間ほど勉強を教えてくれた。正直、本当に教えてくれるとは思わなかったからびっくりっていうか。ね?大変有難かったのだけれど……何というか、生徒会役員の方々の見咎める事なく生温い視線を浴びながらの勉強は微妙に気恥ずかしかったんだよ。って事で、それならエルを待っている間、今度は別の場所でフォッカーくんに勉強を教えてもらう事になったっていう。
……それが、この結果だよ。
一年の内に二度開かれる試験の中で、一番重要とされる年末のテストに向けて勉強する者が多いのだと今日僕は初めて知った。というより、寮に戻って自室で一人するよりも誰かと共に行った方が励みになるからかな。
外の寒さから逃れ暖を取るように生徒が集まった図書館は、予想以上の大混雑で。一生懸命、隣り同士で空いている席を探した結果、ようやく見つけたのがまさか彼女たちの向かいだったとは思わないじゃない?
当然、驚く僕とセラフィナ嬢。
レヴィル様とフォッカーくんは別に何とも思わなかったようで、一瞬だけ目を合わせた後にお互いの世界に入ってしまった。やっぱり、二人とも性質がよく似ている。性格通り、さっぱりしているというか他人に関心がないっていうか。
微妙な沈黙が起きたあと、セラフィナ嬢が少し席を外しますね、と苦笑いを浮かべ思いきり僕に気を遣ったのを見届けたのはどのぐらい前だったのか。だから、何事もなく教科書を取り出したフォッカーくんの後を追いかけて、慌てて教科書を拡げて集中していたので気付かなかったのだ。彼女がなかなか帰ってこないのをレヴィル様に相談されるまで。
「かれこれ、もう十五分以上戻ってこないんです」
言われて、時計を確認してみれば確かに彼女が席を立ってから二十分が経過しようとしていた。婦女子が席を外す時間は長いとはいえ、さすがに二十分は長すぎるか。
「ついでに棚を見て回ってるんじゃないですか?」
ああ、僕もフォッカーくんと似たような事を考えていた。多分というか十中八句、彼女は僕が避けている事に気付いているから気を遣ってうろうろしているのではないかって。
「そんな事はあり得ません。だって、ここにまだ読んでない本があるんですよ?彼女はそんな事をする人じゃない」
うーん……だとすると?
「あなたにこのようなお願いをするのは心苦しいのですが、一度確認してきてもらっても宜しいでしょうか?」
うわぁ……、そうくる?僕がアルミネラではなくイエリオスだって分かっていて言っちゃうかぁ。いや、でも罪悪感に満ちた表情を見たらレヴィル様も苦渋の決断をされたとみた。
「分かりました。もしも倒れていたら大変ですしね」
本当に倒れていたら一大事となるので、ここは自分の性別に固執している場合じゃない。席を立ってフォッカーくんに許しを乞おうとしたら、視線も合わせず「休憩にしましょう」なんて素っ気なく言われたので可愛くて思わず笑ってしまった。
「……何です?」
「いえ、何も」
おっと、いけないいけない。本人は冷ややかな態度で僕に接しているつもりなのだから、僕も合わせておかないと。
「私が十分経っても戻ってこなかったら、どなたか呼んでください」
一応、先を見越して二人にお願いをしておく。十分過ぎてもセラフィナ嬢と僕が戻れなかったら、きっと手に負えない状況になっているだろうからね。――と、視線を感じたので二人を見れば何故か二人が目を瞬かせて僕を見ていた。
「な、なあに?」
えっ?本当に何なの?
「そつがない」
「間抜けじゃない」
「とても合理的」
「面白味がない」
って、フォッカーくんの最後の言葉はどう考えても悪口だよね!?そこまで言っちゃう?というか、皆して僕を何だと思っているの?……うぅ。
「と、りあえず、行ってきますね」
ああ、駄目だ。このままだと口がひくついてきちゃいそうからさっさと行こう。
女装を始めて約一ヶ月が過ぎたけど、なるべくレストルームには入らないように心掛けている。女装している申し訳なさと僕の矜持がそれを『可』と受け入れきれなくて。余程の時でも人がいない時を見計らって紳士用に入るか、ほとんど使われていない校舎まで遠征するのに。なんて、必死で避ける手立てを考えた所で良い案なんて浮かぶ訳ないよねー。要はセラフィナ嬢が危機に陥ってなければ良い話。
……入り口で出くわすのが狙い所。
自身に言い聞かせるように心の中でそれを何度も唱えながら、エントランスを抜けて人気のない廊下を歩く。
コツコツと、妙に自分の足音が気になってなるべく音を立てないように歩いていたら、きゃっ、という小さな声が聞こえて続いて人が壁にぶつかる音がした。
「えっ」
もしかしなくても、これは。
直ぐに想像がついて、足を速める。そして、ちょうど角を曲がった所で。
「調子に乗ってんじゃないわよ!」
以前、会った事がある女子生徒がセラフィナ嬢に向かって手を振り上げていたのが目に入り――
「……っ!」
パン、という大きな破裂音がした――――わりに、実はそんなに痛みはなかった。
「どうしてっ!?」
寸での所で上手く庇えた事を褒められるより、逆に詰られるってどうなんだろうね?
ああ、だけど、やっぱりちょっとジンジンしてきたなぁ。
思わず頬に手を当てながらもセラフィナ嬢の問いには答えず、彼女を僕の後ろにしてから暴力を振るおうとした女子生徒の正面に立つ。ちゃんと目が合うように。
「ど、どうして、ここにあなたが!?その子は殿下の心を弄んでいるのよ!?だから、あなたの代わりに私が……、な、なんで」
ああ、良かった。僕が怒っているってやっと気付いてくれた。でも、僕が何に怒っているのか分かっていないだろうなぁ。
「私を言い訳に使わないで。他人に暴力を振るうのに正当な理由なんてどこにもないよ」
僕を苛立たせたのは彼女の身勝手さ、だ。『アルミネラ・エーヴェリー』を免罪符にすれば何でも許されると思っている、彼女の。
言い聞かせるように、分かりやすくかみ砕いて言葉を紡いでみた。この間の人気のない場所で会った時も思っていたんだよね。『アルミネラ』の味方とかなんとか言っていたけどさ、それって要するにアルの持つ『殿下の婚約者』という権力を利用したいだけじゃないかって。
僕の可愛い妹に被害が及びそうだから何とか説得したかった――けど。
「それでも、私達は認めないわ!」
うーん、駄目か。
あーあ、と内心でがっくりしながら息を吐きつつ、失礼するわ!と言い残して去って行く女子生徒の後ろ姿を見送る。
まさかこんな所で絡まれていたとは思わなかったなぁ。レヴィル様が心配していたものとは違った危機だったけど、これはセラフィナ嬢の事を僕が避けていたから、……なんだろうな。
今日はたまたまお互いに一人だけだった事は運が良かったとしか言えない。いや、どうかな?まとめ役の男子生徒がもっと仲間がいると言っていたし、まさか嵌められたんじゃ、と確認しようと思って振り返った途端。
「彼女とは偶然で」
「お顔を見せてください!」
「ぅ、わぁ!あ、はい」
不意打ちで間近まで迫っていたセラフィナ嬢のあまりの気迫に負けて、為すがまま彼女の伸ばされた手に身を委ねる他なかった。良いんだけど、なんか怒ってない?っていうか、……近いんだよ。
「ああ、やっぱり腫れてきてますね」
そんな僕の心中を余所に、ちょこんと両手で僕の頬を挟みながら左右を確認していたセラフィナ嬢がため息交じりに呟いた。もしかして、罪悪感を感じてる?それなら僕の方こそなのに。
「イオ様が怪我をする必要なんてないのに」
シュンとしているセラフィナ嬢にドキリとしてしまうのは、彼女が類い稀なる可憐な容姿だからに違いない。きっと、そう。
――でも。
「僕だって、……男ですよ」
あまり身長が変わらないけれど。
アルミネラの身代わりで女装をしているけれど。
僕は、一人の紳士でありたいのだ。
壁にだって何だってなるさ、困っている人がいるならね。まだまだ半人前だけど。いや、そこは大目に見てもらいたいなぁ、なんて。
一人で悶々としてしまい、恥ずかしくなって我に返る。そこで、セラフィナ嬢がずっと俯いている事にようやく気付いた。
「えっと、……大丈夫ですか?」
もしや、僕が来る前から既に暴力を受けていたのでは?という思いは杞憂に終わった。何故ならば、彼女が急に片手を拳にして戦慄いていたからだ。えっ?どういう?
「……まさか、ここで好感度が上がるイベントに繋がるなんて思わなかったわ。こうならないように、ずっと回避してたのに!」
こ、好感度?イベント?うん?何の話?
「これが定められた運命だっていうんなら、運命なんてクソ食らえだわ!……上等じゃない。イオ様が記憶を取り戻すまで、私は何度だってこの運命をたたき折ってやる!歯車すら壊してみせるわ!」
彼女が何に怒りを感じているのか僕には分からないけれど、どうやらまだ諦めてないって事だけは分かってしまった。
……そんなにも、彼女は。
「君は、どうしてそこまで僕の記憶に固執するの?本来、前世なんて必要ないでしょう?」
だって、そうじゃないか。全員が前世の記憶を持っているのならまだしも、僕たち以外にそういう人はいないという。
だったら、記憶を持っている僕たちの方がおかしいのに。
「そうですね。ええ、全くその通りです。私は……前世の私は、画面越しでしか会えないあなたが好きでした。妹思いで優しくて、誰にでも紳士的で控えめな所が好きだった。だけど、転生してから会ったあなたは、もっともっと素敵だった。本質は変わらないけど、自分より他人を優先しちゃうぐらいお人好しで嘘を付くのがへたくそで人間じみてた」
そこで言葉を句切ったセラフィナ嬢の水色の瞳が僕を捉える。
ああ、これはまるで――
「あの人は、あなたのような綺麗な笑顔なんて作れない。けど、不器用ながらに陽だまりのような笑顔を浮かべるような人なの」
お前は要らない、という死の宣告のようだ。
「……そう。何だか、散々な言われようだね。僕の事は嫌いだって事かな?」
そこまで前世の僕とやらに思い入れがあるのなら、今の僕は役不足なのだろうから。
「違います!私はあなたが好きなんです!ただもう一度、会いたくて……あなたの中にいるもう一人のあなたに会いたいんです」
もう一人の僕だって?
「だから、申し訳ないけれど私はあなたがどれだけ嫌がっても記憶を取り戻してもらうつもりです。勝手だけど、私の為に。……何より、あなたの為に」
……僕の、ため?
それを思い出して何になるの?
そんなの、
「勝手過ぎる!ふざけないでよ!いい加減にしてください!あなたは身勝手だ!以前と違うというなら、それならどうして今の僕を認めてくれないんですか!あなたの理想を押しつけないで。……もう金輪際、僕に関わらないでください」
――ねぇ。僕の為だと言うのなら、お願いだからもう諦めてよ。
……胸が、痛い。
感情が黒く塗り潰されていくこの感覚で吐きそうだ。
ああ。
「……帰ります」
このままだと僕はどんどん嫌な人間になってしまう。
こんな態度なんて取りたくないのに。……腹立たしいったら。
今はセラフィナ嬢の顔など見たくなくて、何より涙が溢れるの隠したくて踵を返した。
戻ってきた僕の顔色が、もしかしたら相当悪いものだったのかもしれない。その内セラフィナ嬢が戻ってくるとレヴィル様に報告して、フォッカーくんにも謝罪する。黙々と荷物を纏める僕を二人がおろおろした顔で見ていたけれど、何の反応も出来なかった。
逃げるように図書館を出れば、冬の風が待ち構えていたようで僕の全身を冷やすように撫でていく。とっくに心は凍てついているというのに、……なんて皮肉。
風に乱された髪を手で梳きながら歩いていると、目の前に季節外れの果物が落ちていた。
「……」
こんな所に果物?というか、明らかに怪しすぎる。
何も考えず自然と手が伸びて思わず拾い上げてしまったけれど、ちょうど手のひらにすっぽり収まる新鮮そうな果実は、地面に落ちていたにも関わらず綺麗な形を成していた。
……どうするべき?
今更になって放置しておけば良かったという後悔に襲われる。周りを歩いていた生徒たちが名乗り上げる事もなく去っていくので、僕だけが立ち止まったままとなる。
元の位置に戻す、のもなぁ。
一難去ってまた一難とはこの事なのか。頭を抱え込みたい衝撃を抑えて果物を見下ろしていると、何故かいきなり歩道の横の茂みがざわめいた。
「えっ」
何なの?恐い!
まさか、先程のお返しをされるのでは?なんて身構えていたら「よお」と男の声がしたので視線を向ける、と――
「……え、っと」
そこには端正な顔立ちをした、異国の人であると証明する褐色の肌の青年が立っていた。……頭や肩に木の葉を付けて。ま、まあ、そこは流すとしよう。だって、茂みから出てきたんだから当然だよね。うん……でも、何故茂み?
しかも、僕に対して親しげな態度を取っているけれど、残念ながら僕の記憶に異国の友人など存在しない。
「どちら様でしょうか?」
だから、疑ってしまうのは自然の流れといえる。
「おいおい、そんな恰好だからって演じなくてもいいってばよ。オレたち、一夜を共にした仲だろう?」
水くせぇな、と苦笑いを浮かべられても僕の方が困る、というか本当にどちら様?
国一番と評判のコルネリオ様やルドー卿とはまた違う美しさに目を奪われてしまいがちだけど、発言が軽いのでどうも信用ならないというのが僕の見解。
一言で言えば、不審過ぎる。
そんな僕の気持ちを空気で察したのか、彼は毛先が青みがかっている不思議な色合いの編み込まれた長い髪を後ろにやって、その手を形の良い顎に添えた。
「えっ、マジで?」
……ま、ま?
「マジでオレのこと覚えてねぇの!?」
あの、誰か翻訳をお願い出来ないだろうか。異国の言葉を交えながら話されても分からないのだけれど。
「申し訳ありませんが、本当に記憶にありません」
唯一、僕に分かる『自分を覚えているのか』という問いには答えさせていただく。そこは僕なりの誠意のつもり。
けれど、彼とこれ以上立ち話をするつもりはないので、失礼させて頂きますと言って早々に離れることにした。
正直、訳が分からない状況が増えるのはうんざりなんだよ。
もう、失望した顔は見たくない。
背中越しに「なんで覚えてねぇんだよ」と悲壮に満ちた声が聞こえてしまって、何とも言えない気持ちになった。




