6
閲覧とブクマ、そして評価をありがとうございます。
疑惑の心は更に根深く溶けていく。
光よ。
嗚呼、そなたもまた明日への恐怖にうち震えている事だろう。
天は我らをお救いになられる。
何故ならば、明けない夜はないのだから。
芸術の国ミュールズの究極の芸術作品を一つ挙げるとするならば、誰しもが王家の所有するこの城ヴィール城を出すだろう。正式な名称は、ヴィヴェル・バラン城。この地に建てられてからおよそ千年以上は経っているというのに、いまだ汚れを知らないその白さは衰えを見せず他国の者は必ず一度は訪れる観光地であるという。
その白亜の城の内部の一角である、王家の方々の居住空間。その中でも独特さでは類を見ない『トランプの部屋』と呼ばれる書斎は次期国王となられるオーガスト・マレン=ミュールズ殿下の私室でもあった。
このお城には色んな題材の部屋があるのは知っていたけれど、本当にトランプのような壁紙が一面を覆っているので少し感銘を受けている。宮廷の侍女にそつなく淹れられたお茶を差し出されてもなお、ぼうっとこの格式高い部屋を見回していたら、奥にある部屋から緋色の髪をなびかせた精悍な顔立ちの人物が相好を崩して僕に近付いてきた。
「久方ぶりだな、イエリオス」
――あ。
僕としたらいけない。すっかり浮き足だっていて、殿下に失礼な態度を取ってしまった。
「殿下におかれましては、」
「よいよい、そのような固い挨拶は抜きで構わん。それよりも、少し緊張しているようではないか」
「……大変失礼致しました」
まさか、初見でそこまで見抜かれてしまうとは。
突然の訪問――という訳ではなく、本日は正式に殿下からご招待を受けていたりする。初めて殿下の私室に招かれたという事もあって、今日は朝からずっと落ち着かずそわそわしていたのだ。
そりゃあ、殿下とは父の職業上、プライベイトでもご厚誼を預かっているよ。殿下の婚約者であるアルミネラの兄としてもね。
けれど、今まで二人きりで会った事など一度も無かった。
それが節度ある距離感であるし身の程を弁えていたのだから、緊張して当然じゃないかな?それとも、僕が小心者過ぎるとか?こういう時こそ、僕を励ましてほしくて心の中でアルミネラを思い浮かべる。あ、駄目だ。失敗した。その顔は殿下にトマトを投げつけようと企んでいる時の顔だ。うん?でも、どうしてトマト?
「そう畏まってくれるな。……やはり、お前に記憶がないというのは本当のようだな」
「え、ええ」
まあ、座れ、と促され殿下が腰を下ろしたのを確認してから、一言礼を告げて向かいのソファーに座らせていただく。
微妙に居心地の悪さを感じてしまうのは気のせいなんかじゃないはず。僕が忘れてしまった一年半、殿下とも何かあったのだなと表情を見れば気付いてしまったからだ。
素直に寂しさが募るのに、同時に面白くないとも思ってしまう。それは殿下に対して失礼過ぎるよね。
「何か問題はないか?」
問題か、問題ね。あるにはある、というか、頭が痛い悩みなら尽きないなぁ……自慢じゃないけれど。特にその一つは、殿下には絶対に話せないので困っている。
それは――
「支障は全くありません」
あなたが好意を寄せているご令嬢の話だからだよ。
というのも、生徒会での話し合い以降、セラフィナ嬢が僕の部屋に遊びにくるというのがぱったりと無くなったのは良いのだけれど。
……敢えて彼女と距離を取っているはずなのに、何故か最近、行く先々でばったりと遭遇してしまうっていう事が多くて。
初めはセラフィナ嬢が故意に僕と鉢合わせになるように画策しているのかと思っていたけど、最近では彼女も疲れた顔で苦笑いを浮かべてくるのでそうではないと気が付いた。
もう、何かに導かれているとしか思えないぐらいあまりにも遭遇率が高いから、お互い、ほとほとうんざりしている。
本当に、どうしようかな、と最近の頭痛の種になっているんだよね。でも、それを殿下に話せるはずはないでしょう?何せ、セラフィナ嬢は殿下の想い人なのだから。……で、合っているんだよね?彼女から直接、殿下から好意を寄せられていると聞いていないけれど、僕なりに少し調べてみたらその線が濃厚なんだけれど。
彼女が短期留学でクルサードに行っていた時なんて、どうしても僕と彼女の友好的な関係を壊したい輩がいたようで三角関係を確立させようとしていた節があったようだし。というのは、この間の素行の悪い生徒に利用されたご令嬢に聞いた話だったりする。
まあ、どうして彼女たちを利用しようとしたのが隣国の王子だったのかも僕には全く分からないけれど。その王子も今は居ないし考えても埒があかないので流しておくしか出来ない所がもどかしい。……どうしようもないんだよね。
「だがな、イエリオス。一年半、という歳月は短く感じるだろうが恐ろしく底は深いものなのだ。お前が失った記憶は何者にも代えようのない貴重で尊いものであると知っていてくれ」
「……はい」
今まで誰にも言われた事がなかったのもあって、殿下のお言葉が心の臓に深く刺さる。
セラフィナさんが思い出させようとしていた理由も、きっと彼女にとっては大切な思い出だったからだろうな、なんて。……今だからこそ、僕も理解出来た。
だけど、僕は自分の身にそんな不可思議な現象が起きてしまったとしても生きていかなくちゃいけないのだもの。
『前の』僕を知る人たちが『今の』僕と比較していても。
「いや、このような言い方をするなど俺は卑怯千万だな。本当は、お前が俺との約束すら忘れてしまった事に腹が立っていたのだ」
「約束、ですか?」
――また約束。
あのさ、僕は一体どれだけの人物と約束を取り交わしているのだろうね?ちょっと軽々しすぎやしないかな?人と約束するという意味をどう思っていたんだか。
首を傾げて聞き返すと、凜々しいお顔を渋面にした殿下がははっ、と子供のように無邪気に歯を見せて楽しげに笑った。
「聞けば肝を冷やす事になるぞ?であれば、お前が再びその気になるまでアレは保留にしておこうと思う」
「は、はあ」
いや、ちょっと待って。本当に、僕はどんな約束をしたわけ?ここまで殿下が楽しそうな所、久しぶりにお見受けしたのだけれど。なんて驚いていたら、虚を突かれてしまった。
「所で、マリウスから聞いたがお前はアルミネラに変装して学院で生活をしているそうだな」
うーわー!レヴィル様ー!どうして、言っちゃったんですかー!そりゃあ、いつか気付かれるだろうけど!
「ええ、そうですね」
頭の中ではかなり悶えているけど、殿下に気付かれないように平静を装って肯定する。
なのに、殿下ときたら。
「女装か」
……うっ。
「女装ですね」
くっ、ううううぅぅ……っ。
「そうか」
「はい」
そうか、って!頬杖をついておられるからか、何も反応が無いのが逆に恐ろしいのだけど!?せめて、イエリオスが女装とはな!って笑ってくれたら良かったのに。それならこちらも、いやぁ、いまだにスカートが慣れませんでー、と話題の一つでも提供出来たのになぁ。
こう、微妙に受け入れられている感じがするので、僕の方が狼狽えてしまっている。
……どうしようか。
いっそ、女装についてもっと話を拡げるとか?いや、待って。ここは一旦落ち着こう。女装の話はひとまず置いておいて。――あ、そうだ。それこそ、セラフィナ嬢について何か……
「セラフィナは何か言ってこなかったか?」
って、殿下も同じ事を考えておられた?
「セラフィナ嬢ですか?」
「お前をイエリオスだと見抜いている様子や素振りは?」
それなら最初っから知られていたけどね!などとは口が裂けても言えないので、首を捻って考えたフリをする。
「さて、特には」
すると、殿下には珍しく小さなため息をはき出してから豪胆な顔に笑みを貼り付けた。
「そうか、それならいいんだ」
殿下が何を気にされているのか分からない。
セラフィナ嬢が、アルに変装している僕を見抜く?
彼女が言うには、それは既に前世で知っていたという話だった。さすがに、それは殿下に話すべきではないと僕でも分かる。――では、どういう事か。
そもそも、殿下とセラフィナ嬢の関係も噂でしか知らない。そんな僕がとやかく詮索するのは人としてどうか。ああ、もう。
今の僕は、全員が何か心の内に隠していそうで気になって仕方ない。
全てが疑心暗鬼だ。はあ、と心の中のもやを吐き出したくて吐息して頭の中を整理しながら、名匠の芸術品で彩られている廊下を歩む。
先程、辞する際に殿下に、何かあればいつでも来いと言われたけど、あまりにも恐れ多くて行けるはずがない。なんて、途方に暮れている。……はは。いや、笑い事じゃないんだけど。
結局、やけに殿下が僕に対して親しげだったのは、失った一年半の間に取り交わされたという『約束』に由縁したものだろうか。僕にとって王族は敬慕の対象でしかないというのに。
一体、どうしたらそんな風に和やかな関係になれるのか。
恐い物知らず、ってその時の僕に言えるものなら言ってやりたい。叶えられない願いだけど。
「……っ」
緊張で疲れが出たのか少しばかり立ちくらみが起きてでしまい、慌てて邪魔にならないよう廊下の端に移動する。さり気なく壁を支えにしているのを誤魔化すようにアーチ状に切り取られた冬の寒空をガラス越しにぼんやり眺めていると、後ろから声が掛かった。
「こんな所で何をしているんだ?」
その声には聞き覚えが……というか、本当にこの人僕のこと監視してない?え、恐い。
「これはルドー卿。珍しい所で会うものですね」
案の定、 振り返れば国宝級の美形が首を傾げて立っていた。
いやぁ、偶然であればいいなぁ。……本気でね。これ、僕の本心。
「そうだな。ここで鉢合わせするなんて、因縁に近いのかもしれないな」
「え?」
なにそれ、不穏。さらっと、とんでもない発言する?
「いや、何でもない」
いやいやいや、何でもないこと無いよね?ね!?なに?何なの?この何の変哲もないお城の廊下は何か曰く付きだとか?
「そうですか」
とか言って、僕もおすましなんてしなくても良いのだけどね?なるべく誰にも弱味を見せたくないのだからしょうがないじゃない。こればっかりは性分だもの。
「エーヴェリー」
僕が心の内でどれだけ不安がっているか知りもせず、ルドー卿が更に数歩近付いてくる。
「何でしょうか?」
その距離に驚いて、思わず一歩引き下がってしまう。決して、ルドー卿が恐かった訳ではないと言い訳を口に出しそうになったのは、彼が少しばかり落ち込んでいるように見えるからか。いつもの自信満々な態度ではなく、俯いてどこか哀愁を漂わせている姿に罪の意識を感じてしまった。
このまま、放っておいたらいけない気がして。
「ル、」
「いつか、共に墓参りに行ってくれないだろうか」
「……よく分かりませんが、僕でよろしければ」
ポツリ、と呟かれた言葉の意味を追求する術を僕は知らない。
どなたの、とは聞いてはいけない気がして深く考えもせず受け入れる。それが正しいのだと、何故か直感めいたものを感じてしまって。
すると、ルドー卿が柳眉を寄せて苦笑いをした。
「お前じゃないと駄目なんだ」
「……っ、そ、そうですか」
その顔は心臓に悪い。コルネリオ様もだけど、ご自分が端正な顔立ちだという自覚はおありなのか。後、そんなに僕に対して心を解放しないで、と言いたい。だって、僕は目を奪われる美しさに免疫がないのだから。
過去の僕に問いかけたい。
ルドー卿とどういったお付き合いをされていたので?
下世話な話などではなく、単純にこの眩しいまでの美貌との付き合い方をご教授願いたい。
「ん?なんだ?」
「……いえ、何か嬉しい事でもあったのかと思いまして」
苦笑いをしていると思ったら、今度は微笑しているのだもの。ころころと表情がよくお変わりになることで。
初めてお会いした時との差が激しいけれど、意外と一番付き合いやすい方なのかもしれない、なんて思えた。




