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閲覧とブクマ、そして評価をありがとうございます。

 ひざまずけ、我が友よ。

 己の誘惑に打ち勝つのだ。

 許しを請え、我が友よ。

 女神をも恐れぬその願いは潰えるだろう。

 気高き御心を奪わんとする者は悉く退けられる。




「それで、学生生活には慣れたかい?」

 うっすらと天にたなびく湯気をくゆらせながら、紅い色の飲み物が満たされたカップを口元へと持って行く。たったそれだけの仕草なのに、どうしてこの方が行うとまるで何かの儀式のような神聖な感じがするのだろうか。思わず、その優雅さに見惚れてしまう。

「はい。……まあ、女装以外は」

 なんて、ぼんやりしている場合じゃなかった。

 わざわざ、アルミネラに無理を言って入れ替わってまでやってきたというのに時間を無駄にする所だった。気を引き締めないと。

「驚いたろう?自分がアルの代わりをしていただなんて」

 内心で自分を叱責していた僕に、長い足を組んで向かいに座る麗人が微笑んだ。その、美しい(かんばせ)に誰もがうっとりしてしまうほどの笑みを浮かべたのは、王弟マティアス・フェル=セルゲイト様のご子息、コルネリオ・フェル=セルゲイト様である。今、僕が訪れているこの学校、リーレン騎士養成学校で校長を務めておられるお方だ。

 そう、リーレン。本当ならアルミネラが変装した僕じゃなくイエリオス本人である僕が入学するはずだった学校。まあ、それは置いておいて。

 コルネリオ様は母校であるリーレンで優秀な成績を収める程の騎士の腕前を持ちながら、文官としての才能もお持ちで才色兼備な方である。王族で、ましてや崇拝する者が後を絶たないほど尊ばれるコルネリオ様とどういう繋がりがあるのかといえば、単にコルネリオ様が父の部下であるだけの話。新人の頃から父の下で働いていて、僕たち双子とは母のお腹にいる頃からの仲だったりする。

「ええ。ですが、実に僕らしいなと思いましたけれどね」

「グランヴァル学院に入った当初も、かなり大変そうだったよ。新歓パーティの時なんて、……いや、この話は止めておこう。しかし、まあ、君はいつも何かしらのトラブルに巻き込まれていて、私もおちおち安心していられなかったな」

 だから、コルネリオ様には幼い頃から何かとお世話になっていて、僕にとっては頼れる兄のような存在でもある。あ、ここだけの話だよ。そんな事、声に出すのは照れくさいからね。

「そうだったんですか」

 でもって。既にもう分かっていると思うけれど、コルネリオ様も僕が一年と半年の記憶がないことはご存知だ。

 勘の良い方だからいずれは気付かれただろうけど、僕には可及的速やかにコルネリオ様に相談しなければならない案件があったので早々に告白してしまった。コルネリオ様に相談する前に父上にも相談してみたら、彼が適任者だと言われたし。うん、えっと、……その話は後にしよう。

 とにかく、僕は放課後の全ての時間を費やしてエルに教わり、一年半の遅れを取り戻さなくてはならなかったので、コルネリオ様とこうして会えたのはかれこれ一ヶ月ぶりの事である。しかも、前回は記憶を失くした直後だったから、こうしてゆっくり腰を据えて話をする時間もなくて、ようやくと言うべきかな?毎日、僕に付き合ってくれているエルを休ませてあげたかったし、実はリーレンの校舎の中を歩くのが僕の小さな夢だったりするから念願が叶ったという感じ。

「君たちは良くも悪くも目立つ存在だからね。特にアルは立場上、標的にされやすいから入れ替わったイオがその被害に遭っていたんだと思うよ」

「……はあ」

 色んな人たちが口々に語る、僕が無くしてしまった一年半。

 やっぱり、コルネリオ様にも迷惑や心配を掛けてしまっていたんだろう。僕は何も覚えてないけど、申し訳なくてうなだれてしまう。

 そんな僕をどのように見てとったのか、コルネリオ様がクスッと笑った。


「忘れて正解だったのかもしれないね」


「……え、っと」

 数日前から僕の胸の辺りに渦巻く感情が首をもたげる。

 セラフィナ嬢の話を聞いて以来、もやっとしたものが生まれてしまった、と言えば良いのか。あの時点では何の不都合もないって言えたけれど、彼女たちにとってはそうじゃないのかもしれない、なんて。今更になって考えてしまったからかもしれない。

 そこまで彼女たちに言わせしめる『一年半の僕』が羨ましくも思えてしまった。

 正直に言って、嫉妬以外の何ものでもない。自分に嫉妬って意味が分からないけれど。

 僕でもそんな状態なのに、そこまでばっさり言い切っちゃうんだからいっそ清々しいというか。コルネリオ様だからこそ、ここまではっきり言えるんだろうな、とも思う。

「それは、……何とも言えません」

 なので、素直に心の内を白状してみた。

「おや、どうして?」

 案の定、コルネリオ様が首を傾げる。

 生まれた時から僕たち双子を見てきたコルネリオ様には、さぞや珍しいと思われている事だろう。だって、優柔不断な態度を取るのは僕らしくないのだもの。いや、至って普通だと思うけどね、僕は。そりゃあ、野生的勘、というか本能できっぱり判断するアルに比べたら僕は慎重過ぎるかもしれないけれど。

「実は、セラフィナ嬢が僕の断片的な記憶喪失の原因について推測を話してくれたのですが、僕にはそれが重要だとは思えなくて」

「何が原因だって?」

 あ、しまった。どうしようか。

 ……言っても良いんだよね?


 コルネリオ様は、もうご存知のはずだよね?


 こんな事ならアルに聞いておけば良かったかもなんて思ったけど、僕にそんな秘密があったなんて知ったのが先日なんだから聞けるはずないか。

 でも、まだ僕は半信半疑に近いからコルネリオ様はどう思うのかお聞きしたい。

「それが、……その、前世だって言うんですよ。僕は前世の記憶を持っていて、消えてしまった一年半は特に前世の僕が深く関わっていたからだって」

 おかしいですよね、と同意して欲しくてそんな言葉を口にする。コルネリオ様は僕と同じ現実主義者だから、余計に期待してしまうのかもしれない。

「前世、ね」

「僕は無くたって大丈夫なのに、あれからセラフィナ嬢は記憶を取り戻す事にやっきになってしまっているようで」

 しかも、魂を分け合っていると言っても過言じゃない愛しい妹や長年の幼馴染みであるエルフローラがその考えに賛同している事に驚きを隠せない。

 僕だって全部を否定するわけじゃない。ただ、急に前世なんていう幻のような話をするから戸惑ってしまうだけで。

 その前世とやらの確固たる証拠があるのなら、僕も信じたいけれど。

「分かった。私も少し調べておこう」

「ありがとうございます」

 うーん。結局、肯定も否定もされなかったな。だけど、腕を組んで少し遠くを見るのはコルネリオ様が物思いに耽っている時の癖だから、きっと何かしら思い当たる所があるのかもしれない。

 下手に他人に話せないし、エルもアルもそんな感じだからずっと悶々としていたんだよね、実は。でも、一人で考えたって埒があかないし、コルネリオ様に相談出来て本当に良かった。

「それじゃあ、彼を呼んでも良いかな?」

「あ、はい」

 そろそろカップの中のお茶も飲み終わる、というちょうど良いタイミングでこの話もひとまず区切られた。

 但し、視覚化も物質化も出来ない言葉とは違って、ここは学校だからあれこれ身の回りの世話をして更にお茶を淹れる侍女はいない。という事は、必然的に動くのはコルネリオ様しかいなくて。……恐れ多い事に。

 コルネリオ様が再び手ずからお茶を淹れて下さっている間に、警備役をお務めされていた第二騎士団の副団長であるイヴ・キルケー様が一人の青年を伴ってやってきた。

 キルケー様とは初対面なのだけれども、実は既に顔見知りの仲らしい。というのも、ここへ来た際に扉の前に立っていたイヴ・キルケー様に挨拶をしたらそのように切り替えされてしまったのだ。

 真面目で高潔な方だと有名なイヴ・キルケー様とも面識を持っていたなんて、()は一体どういう行動力を持っていたのだか。本当に前世が関係するのだとしたら、前世の僕の性格が知りたい。たまに聞かされる話が突飛すぎて謎過ぎる。

「よお」

 そこへ、キルケー様に連れられてやってきた新たな人物が、まるで旧来の友のような気軽な挨拶をしながら僕を見下ろしていた。ので、慌てて席を立って挨拶をする。

「こんにちは、フェルメールさん」

 ……はあ。静観している場合じゃないんだってば。ここからが本番なのだから。

 今日は何のためにここへやってきたかというと、この目の前の青年フェルメール・コーナー氏に会いに来た、と言って良い。

 ただ、一ヶ月前に一度会っただけなのだけれど、妙に馴れ馴れしい態度がどうも苦手で。向こうは、僕の事をよく知っているようだしさ。

「ふふっ」

 二度目の邂逅を果たして、さてどうしようかと頭を悩ませている所で何故かコルネリオ様に吹き出してまで笑われた。えっと……もしかして見抜かれてしまったかな。

「えっ、な、何ですか、急に」

 取り繕ってみるも、あえなく失敗。だって、コルネリオ様だけじゃなくてフェルメール氏やキルケー様にもまじまじと見られているし。ああ、恥ずかしい。

「ごめんごめん。すっかり最初の頃に戻ってしまったなと思ってね」

 最初の頃って……やっぱり、その時の僕もぎこちなかったのかぁ。どうやって克服したのか教えて欲しいよ。いや、僕なんだけど。

「うーん。初めて会った時とはちょっと違いますかねぇ。なにせ、俺に対してめちゃくちゃ警戒心をむき出してきましたから」

 え?そうだったの?と、フェルメール氏を見上げるとニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべられてしまった。

「お嬢が素性の知らない男を連れてきたんで、毛を逆立てた猫みたいに威嚇されたんですよね。いやぁ、可愛かったなぁ。はははっ」

 ははは、じゃないよ。

「ね。非常事態に遭遇していたでしょう?」

「はあ」

 コルネリオ様もそんな愉快そうな笑顔でこそっと呟かないでほしい。小声だけど、二人にもばっちり聞こえているからね?

 何だろう。どうも、この二人に遊ばれている気がしてならない。

 しかも、コルネリオ様はともかくフェルメール氏も僕の扱いに慣れている様子だし。確実に。

 アルミネラたちから事前に聞いた話によると、フェルメール氏と僕は距離感が絶妙過ぎる関係であったらしい。うん、簡潔にまとめてみたけど分かりにくいな。

 妹が言うのは、『仲の良い兄弟みたいでたまに嫉妬しちゃうぐらい』との事だけど。本物の兄妹にまで嫉妬されるほど仲が良いって兄としては複雑でならない。

 次に、僕をよく知るエルフローラには、『バランスの良い関係と呼べるでしょう。けれど、天秤に例えますと少し傾いているかもしれませんわね。主にあちらが』なんていう言葉をもらった。後半、エルが満面の笑みを浮かべていたのが印象的過ぎて、思わず思考が止まってしまったのは忘れてしまおう。何か気に入らない事があったのかもしれない。

 最後に、セラフィナ嬢は僕をじーっと見つめながら『ほぼ一方通行と思いきや、たまにデレるんですよねぇ』という謎の単語を含んでいたので正直、どういう意味か分からなかった。

 三人の話を聞いても、さっぱり想像が出来なくて実際にこうして会ってみたけれど。

「んだよ、照れんだろ」

 僕がこの人と親しかったとは思えないんだよね。……うーん。内心でため息を吐くぐらいは許してほしい。

 しかも、更にあり得ないのが――

「引き続き、フェルは第二騎士団の預かりで良いんだね?」


 僕が、フェルメール氏を自分の専属の騎士に引き立てた、ということだ。


 アルミネラの騎士ならまだしも自分の騎士だよ?どうして、そう至ったのか経緯が知りたい!と言ったら、コルネリオ様に笑顔で「イオが根負けしたからかな」なんて切りかえされてしまった。根負けって何なんだろう。まさか、争っていたとか?フェルメール氏と?

 まあ、フェルメール氏が僕に気を遣ってくれているのは初めて会った時に直ぐに分かったけれど。いや、分かってしまったというべきか。思い出すのは少しばかり恥ずかしいので割愛させていただく。

 ともかく、今の僕には彼との記憶が全くないから、コルネリオ様に相談する以外の方法がなかったのだ。そう、先程の可及的速やかに相談しなければならなかった案件とはまさに彼のことだった。

 フェルメール氏とも話し合った結果、彼が所属していた第二騎士団に一時的に預かってもらう事にしたわけだ。で、彼が在籍していたリーレンの校長であるコルネリオ様に相談したというわけ。

 第二騎士団はリーレンとはよく連携していたりするし、フェルメール氏には後輩指導として騎士団から派遣という形で務めてもらっている。

 これはもう、主である僕が不甲斐ないと言われて当然だと思う。

 自分の事すら手に余る状態で現状ではどうしてあげる事も出来なくて、フェルメール氏には大変申し訳ないと思っている。怒ってくれたって構わないのに。

 本当に、とフェルメール氏を見つめると、今度は、はぐらかす事なく笑みを浮かべて頷かれた。

 ――ああ、この人は。

「はい。まだ、もうしばらくそのままでお願い致します」

 初めて会った時と何一つ変わらず、僕を気に掛けてくれているんだな。……僕には記憶がないというのに。

「構わないよ」

 色んな人に迷惑を掛けてしまっている事が居たたまれない。

 だからこそ、悩んでしまう。


 セラフィナ嬢の言う『前世』を思い出せたらこんな思いをしなくて済むんじゃないのか、と。



 結局、キルケー様はほとんどお話されなかったなぁとぼんやり思いながら、学院の寮に戻らなければならない時間となったので席を立つ。

「イエリオス」

 持ってきていた上着を手に取ると、コルネリオ様に背中越しに呼ばれたので振り返った。

「はい?」

「実は、君に話したい事があったのだけれど」

 話したい事?それなら、雑談する前に話してくれたら良かったのに。

「えっと、何でしょう?」

「……覚えてないか。いや、また改める事にするよ」

 もしかして、確かめた?


 僕が、本当に記憶を失くしているのかを。


「……分かりました」

 それはつまり、今の僕では役不足だとおっしゃりたいのか。

 以前の僕が、コルネリオ様とどういった話をしていたのか分からないけれど、そうとしか思えない。

 そもそも、コルネリオ様は僕が記憶を失った事をどのように思っていらっしゃるのか。

 ああ、卑屈になんてなりたくないのに。

 ――分からない。


 全てが分からなくて、息がしづらい。


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