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閲覧とブクマ、そして評価をありがとうございます。

九章、始めます。そして、これが最終章となります。

 月を溶かして塗り込んだような髪が、風に弄ばれて鮮やかに踊る。

 その身が纏うは一枚布で出来た粗末な衣服。

 だがしかし、人々の目にはどのように映ったか。

 風を孕み、白き肢体を包むそれは、鳥でさえ囀る事を躊躇わせるほどの空を覆う夜の蒼を凝縮した雫の如しその者の瞳に宿る色をしていた。




 僕は、朝が嫌いだ。

 だって、体はだるいしまだまだ眠たいのに我慢してどうにか気力で起きるけど、二度寝をしてしまって結局はサラに起こされてしまうから。

 衣服を着替えてから出来たての朝食を目の前に少しぼんやりしていると、その間に髪をセットしてくれていたサラの「お急ぎ下さい」という一言で慌てて食べる羽目となる。

 ここで一つだけ安堵するのは、その日の準備は既に前日に済ませている事。だから、後は身だしなみを整えればそれで完了。

 さあ、今日も一日頑張ろうか、と自室の扉を開けるだけ。

 それが、僕の日常で。


 何一つ変わらないのに、不安は今日も僕を襲う。


 古びた建物が並ぶ一角から飛び出して、同じ制服を身に纏う貴族の子息や子女に倣ってこの国で最も有名な学院に繋がる石畳を歩いてく。

「おはようございます」

 僕の顔を見るなり緊張した面持ちで挨拶をしてくる見知らぬ生徒に返事をしながら歩いていると、後ろからやっと耳に馴染んだ声がしてホッとする。

「おはよう、エル」

 振り返れば、白百合のような清廉さを身に纏った美の化身ともいうべき少女が微笑みを浮かべて僕を見ていた。ダークブロンドの長い髪が冷たい風によってさらさらとなびく様は美しい。朝の陽光を浴びて輝く睫毛の下にある赤銅色の瞳を緩めながら、僕の幼馴染みであるエルフローラ・ミルウッド嬢はたおやかな身のこなしで僕の傍へとやってきた。

 エルとは父親同士が親友ともいえる間柄で、五歳で初めて会ったのち婚約関係を結んだ仲だ。控えめな性格で気遣いも出来るエルフローラは、僕の双子の妹、アルミネラとも仲が良く、この先もずっと彼女と共に過ごすものだと思ってた。いや、思いたかった、と言い直して良いかもしれない。

 何故ならば、それが叶わない事を僕は知ってしまったから。

 今でも嘘だと思いたい。出来れば、嘘だと言ってほしい。そんな僕の願いをあざ笑うかのような酷い仕打ち。


 なんと、僕の知らぬ間に彼女との婚約が解消されていたのだ。


 それというのも、国王陛下に認められていた僕たちの婚約を僕の父、イルフレッド・エーヴェリー公爵が解消を訴えて、陛下もそれを了承したのだという。それを聞かされた時はあまりの横暴さに感情が昂ぶってしまって、その場で父に問いかけたぐらいだった。

 何故、そんな事をなさったのか。

 隣りにいたアルミネラが、あーこの間の、なんて口にしたからそれがつい最近の出来事だと知って僕は更に驚いた。一度決めた事は必ず押し通す厳格な父が、何故、そのような軽率な行動に出たのか。せめて、理由を知りたいと思うのは当然だろう。

 なのに、父は今の僕には話せない、と淡々とおっしゃった。

 きっと、怒って良い所だったと思う。憤りをぶつけて、泣いて叫んだって。僕にはその権利があるはずだから。けれども、感情を抑えて唇をかみ締めるに留まったのは、その後に続いた理由に僕も納得せずにはいられなかったからだ。今の僕では聞けない理由。

 それは――



 僕の記憶には、空白の時期があるから。



 この世に生まれて十五年と半年。大人からすればまだまだ子供の領域だけれど、僕にはその十五年半のうち、十四歳から一年半の記憶がないのだ。正確には、長年妹と暮らしていた領地の別邸から城下町にある本邸へと戻ってきて、将来の為にリーレン騎士養成学校に入学しようと準備を進めていた所まで覚えている。

 次に目が覚めたのは、見覚えのない部屋の中だった。

 頭痛に苛まれながらもうっすらと瞳に映ったのは、心配そうな顔で僕を見下ろす愛しい妹で。何が起きたのかさっぱり分からなかったけれど、アルミネラと目が合って不安げな表情がふと和らいだのを覚えてる。

 聞けば、何故か僕はグランヴァル学院の寮内の一室に寝かされているという。アルが言っている意味が全く理解出来ず首を捻るも、彼女は僕がエル、エルフローラに会いたいだろうから、と言うのだ。僕としては、そもそもアルミネラが行く予定だったグランヴァル学院の寮で、どうして僕が寝かされているのかという事が知りたかったんだけど、どうやら上手く伝わらなかったらしい。

 けどまあ、エルに会えるというのなら彼女から事情を聞けば良いかと判断して、褒めて欲しそうな妹の笑顔に心が和んだ。それはそれとして。

 妹の姿が目に飛び込んでから、どうしても気になっていた事についてようやく聞けると彼女の短い髪に手を伸ばした所で、外からバタバタと忙しない来訪者の知らせが届いた。

 僕の体感ではたった数時間前まで、妹は艶やかな長い髪を一つに編み込んで動く度に跳ねさせていたのだ。なのに、いつの間に切ってしまったのかまるで僕に似せた短さで、一体、この短時間に何が起きたのかと思わずにはいられなかった。

 もしかしたら、僕がここに寝かされている事と同じ事情があるんじゃないかと。

 父から受け継いだ白金色の長い髪は腰に近付くほど彼女の気性に似て癖が強かったけれど、風に揺れてなびく様はとても綺麗で僕の自慢の一つだったから。

 僕にとっては何よりも重要だったのに、無粋な来客が寝室に入る許可を取ってきた事にも眉を潜める。しかも、寝かされている僕ではなくアルミネラに対してだ。視界の端にサラが映っていた以上、ここは僕の部屋だと仮定して良いはずだ。なのに、アルに伺いを立てるなんて。

 しかし、残念ながら僕がどういう事かとアルミネラに訊ねる前に、彼女は僕の了承も取らず来客を受け入れてしまった。それが僕にはとても不愉快だったけれど、扉が開いた瞬間、僕の思考は停止した。


 僕は、僕の瞳に飛び込んできた春の色を纏った少女に目を奪われたのだ。


 一瞬にして惹かれた、と言っても過言ではない。肩に掛かるか掛からないかという絶妙な長さのストロベリーブロンドが少女の可憐さを引き立てる。エルのような美人ではなく、可憐な顔立ちは可愛いという揶揄では表現出来ないほど愛らしい。まるで、女神様の愛を一身に受けて生まれてきたのかと問わずにはいられないぐらいに。

 言うなれば、絶世の美少女ともいうべきか。

 確実に僕の知り合いではない。――そのはずなのに、彼女は室内を見渡す事なくこの僕を見て直ぐに表情を緩めたのだ。うっすらと頬を染めて、とても嬉しそうに。

 あれから、今も胸がざわついて仕方ない。

 まあ、そこで彼女が何故か親しげに話しかけてきたので素直に誰なのかと訊ねた事で、僕が記憶を失っている事が発覚した訳だけど。


 そこから、僕の日常は変わってしまった。


 さすがに僕の様子がおかしいと思ったアルミネラに連れられて、登城していた両親との話し合いが行われた。


 ――その際に分かったのが、僕には一年半の記憶が欠落しているということ。


 騎士になりたかったアルミネラに騙されて、リーレンではなくグランヴァル学院に通っていた事を知って驚いたのも束の間。まさか、彼女がいつでも断念しても大丈夫なようにと女装までしていたというのだから、もはや声も出なかった。

 詳しく聞いた所によれば、僕の服を全て持っていくという暴挙に出たらしいので女装は仕方なかったのかもしれない。僕は、僕が妹に弱い事を誰よりも知っているからね。

 それに、そんな行動を取る前にアルが正直に話してくれていたとしても女性の騎士は少ないし、いずれ王太子に嫁ぐ彼女の身の危険を思えば反対したに決まっているもの。かなり強引な手口ではあるけれど、こうでもしないと僕が受け入れないとアルも分かっていたのだろう。となれば、最終的に折れてあげるのは兄として当たり前の事だといえる。妹を甘やかすのは僕の特権と言って良いのだから。


 そういった訳で、僕は記憶を失っている今もグランヴァル学院でアルミネラ・エーヴェリーとして学生をしている。


 いつ暴かれるか分からない、という不安に苛まれながら。

 そりゃあさ、昔は――そう、幼い頃はよくアルのお遊びに付き合って入れ替わったけれども。今と昔では気軽さが違うし、僕もそろそろ成長期に入るだろうからいつまでも周囲を騙せるなんて思えないんだけどなぁ。

 気休めでしかないけどわだかまりを取るように、はあ、と一つため息をこぼしてしまう。

「ご心中、お察し致しますわ。ですが、あまり気を張らず自然体でお過ごし下さいませ」

 ああ、緊張を和らげる事には失敗してしまったけれど、エルからは労りの言葉を貰えたのでまずまずかもしれない。

「ありがとう、エル」

「いいえ。いいえ、私は幼馴染みとしてお側に居る事しか適いませんもの。あなたの助けになれるのなら、こんなに嬉しい事はありませんわ」

 そう言いながら、首を振って小さく笑うエルフローラには感謝しかないや。

 記憶を失ってからいまだ戸惑う事が多いけれど、こうして何とかやっていけるのはエルフローラを始めとした周りの協力があっての事だ。

 もちろん、この学院にいる全ての生徒が、僕が一年半の記憶を失くしている事を知っている訳ではない。安全性を考えて、ごく一部の親しかった人物たちだけに伝わっているようだ。まあ、エーヴェリー家はミュールズ国では最も古くから続く公爵家の一つだし、父は現宰相でもあるから何かと敵は多いからね。息子、いや、この場合は娘になるのか、その空白の間を好き勝手に改ざんされてしまえば弱点にしかならないもの。そういった部分も配慮して、本当に限られた者しか知らせていない。

 その中の一人が――

「あっ!おはようございます!アル様、エル様」

 元気に手を振る明るい少女、セラフィナ・フェアフィールド子爵令嬢。この少女こそ、無遠慮に僕の寝室へと入ってきたご令嬢で、僕が記憶を失くしたと発覚するきっかけとなった人物である。

 エルから聞いた所によると、彼女は入学当初からよく話掛けてくる人懐こい性格のようで、色々あって僕たち双子の入れ替わりも知っている今では仲良しの友達だという事だった。何がどうなったらそうなるのか分からず、色々って?と聞き返してみたんだけど、「ええ、本当に色々と。色々とありましたのよ」と言った時のエルが少し遠くを見ていたのが若干気になってしまったけど、何の説明もされなかった。

 でも、人懐こいというのは本当のようで僕たち以外の友人は多いらしい。ただ、その友人の多くはどうやら彼女に首ったけのようだけど、それに気が付いているのやら。

 僕でさえ、彼女のとびきりの笑顔に一瞬心が奪われたのだから奪い合いになるのも頷けるというものだ。僕はいまだエルに未練があるから、その競争に入っていこうとは思わないけれど。

「おはようございます、フィナさん」

「おはようございます、じゃなくて。おはよう、フィナ」

 どうも彼女を前にすると、何故か敬語が出てしまう。何なんだろうなぁ、と首を傾げながら言い直してみてもしっくりこない。

「ふふっ。話しやすい口調で構わないですよ」

 うーん、と眉間に皺が寄ったのを見られてしまい、セラフィナ嬢が笑いながらフォローしてくれる。そんなやり取りを毎回する度に申し訳ない気持ちになっている。うん、次こそは自然に言えるようになりたいな。

「所で、今日もエル様から補習を受けるんですよね?私もまたそちらにお邪魔させてもらっても良いですか?」

「ぼ、私は別に構わないけど。……君のような、その、可愛い子が『男』の部屋に出入りするのはあまりよくないんじゃないかな」

 寮内での交流なんて表面上は仲の良い令嬢同士でしか見えないけど、僕の正体を知っているから倫理的にいけないんじゃないかなって。

「可愛いだなんて……えへっ。ご心配して下さり、ありがとうございます。でも、今までと何一つ変わらないようにしたいので、遊びにいかせてほしいんです」

「何一つ、か」

 この学院で過ごした一年半という期間。

 その間、僕はどうやら色んな出会いを果たしていたらしい。その一人でもあるセラフィナ嬢の言葉には妙に説得力がある。揺るぎない自信というのか、こだわりというか。

 僕には女性の心理など理解出来ないけれど、これほど愛らしい令嬢ならば他のご令嬢方にさぞや苛められているんじゃないかと思っていたのに、全くそんな感じを見受けられる事はなかった。というか、セラフィナ嬢は男女問わず自ら話し掛けに行くタイプで、他の生徒たちとも和やかに会話をしているのを何度か見かけたほどである。そりゃあ、全員と仲良くなるのは無理だけどね。学生の集う食堂などでも、端の方に集まる生徒たちから嫌な視線を受け取るし。

 それでも、概ね彼女のこの毅然とした性格が好感を得ているじゃないかなと僕は思っている。記憶がない今の僕も、そんな彼女の態度に救われているのは事実だ。


更新は不定期とさせて頂きます。

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