夜明け前
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八章の番外編となります。
一つ目は、イヴ視点のお話です。
――――友よ。
彼は、昔から本を読むのが好きな大人しい子供だった。
周りの大人たちはこぞって彼を聡明だとはやし立てたが、聡明であるが故に彼はそれらを受け流してきた。
建国時から王家を支える文官を多く輩出するエーヴェリー公爵家や歴史に名を残す騎士の系譜といえるノルウェル公爵家とは違い、彼の生家、キルケー公爵家は幾度も起きた戦争によって功績を挙げたパッとでの成り上がり者である。これといって大した歴史もない家に生まれたからといってさして彼は不満もなく、己に見合う暮らしを恙なく過ごしているばかりだった。
そんな彼の運命が動き始めたのは、就学する前年に行われる社交界デビューに達した貴族の子供たちを集めての王家主催の舞踏会での事であった。
華やかな宴とは裏腹に、その多くの子弟は人脈を拡げる事に尽力する。けれども、中にはその努力を放棄して、まだ遊び足りないとばかりに彷徨く者も少なからず居て。
彼自身はそうでなくても、彼が親しくしていた友人が正にそのはぐれ者に該当していた為に彼も付き合わざるを得なかったのだ。
その結果、彼はその友人と共にとある陰謀に巻き込まれてしまったのだが、それを語るのはまた別の機会にするとしよう。ただ、結論からいえば、彼はその時一人の友人を失い、一人の友を新たに得たとだけ述べておく。
――その新たな友というのが他ならぬ、コルネリオ・フェル=セルゲイトであるという事も。
人生とは、数機な因果で成り立っている。
イヴ・キルケーがそう思えるようになったのは、ごく最近の事である。多感な少年期、美貌の少年と噂されるコルネリオとの出逢いは、それほどまでに彼の人生に影響を与えてしまったのだ。
何しろ彼は、そもそもリーレン騎士養成学校に行くつもりなど毛頭なかった。それが、コルネリオとの出会いでリーレンへと進み、三十に手が届く前には第二騎士団の副団長を任されてしまったのだから。まさに、夢のような栄光の人生。二人の関係をよく知らぬ者からはやっかみを受けたが、強靱な精神力を持つイヴの相手にはならなかった。
そうしてコルネリオの女房役として十八年間を過ごしてきたイヴにとって、今回のベルナル・フォンタナー伯爵の事件は起きるべくして起こったとしか言えないものである。
――というのも。
彼の親友であるコルネリオという男は、それはもう外面が大変に宜しく、女神も見惚れるのではないかという程の美貌も相まって、一つの宗教の教祖のように崇める者が多くいたのだ。
かくいうイヴも、初めてコルネリオと会った時はその美しさに硬直してしまったぐらいだったが。それはまあ置いておくとして。赤子の時から美の化身と謳われ、幼少期には既に多くの信者を抱え込むほどになってしまったコルネリオには、今やオーガスト王子を差し置いて次期国王になるべきだという派閥が出来上がってしまっていた。
当然、コルネリオは直ぐに気がついたという。
しかし、まだ幼かった彼にはそれを食い止める術が見いだせず、静観するしか出来なかった。そうして、いつしか反体制派と呼ばれる一大派閥へと成長したコルネリオ派はとうとう国王達の目にも留まる事となったのだ。
それでも、まだコルネリオは動向を探りつつも動く事はしなかった。その頃のコルネリオは、幼いオーガストよりも己が優れていると確かに自負していたし、国王になっても構わないと思っていたのだ。
だが、ほどなくしてそれは覆される事となった。
そのきっかけは、コルネリオ・フェル=セルゲイトに命よりも大事なものが出来た事だ。
イヴと知り合ったのは、それから約一年後の事である。
誰にも言わず、一人で反体制派を討伐しようと暗躍していたコルネリオに巻き込まれる形でイヴは共犯者となったのだ。
そこからのコルネリオの勢いは凄まじかった。
相棒を手に入れて余裕が生まれたコルネリオは、学校を卒業して直ぐに学校長に就任する事にしたのである。――なるべく自然にみせかけて。
そう、ちょうどマティアスも引退を考えていたという事もあり、コルネリオは第二騎士団という力を手に入れ、見事に己の地位を掴んでみせた。傍から見ればその成り行きは、コルネリオの天命であるとしか思えないほどだろう。
されど実際は、周到に周到を重ねてそうなるようにコルネリオ自身が仕向けた結果に過ぎなかったのだ。
イヴもコルネリオの共犯者ではなかったら、きっと今も知らなかったに違いない。それほどまでにコルネリオは、巧みに糸を張るのが上手かった。
どうしてそこまで、という言葉を何度喉奥へとおしやったことか。
しかし、イヴが疑問を感じるのは最初の一年だけだった。
己の命すら顧みず、にべもなく反体制派を殲滅する事だけに心血を注ぐ男を傍で見守っている内に、そのひたむきな感情に突き動かされてしまったのだ。
情が移った、と言い換えても良い。
ずっと国王達には監視されていると知りながらも、敢えて彼らの支持を受け入れる。そんな馬鹿な真似を繰り返すコルネリオを、イヴは見捨てる事など出来なかったのだ。
それは今でも変わることは決してない。
こんな愚か者と付き合えるのは、きっと己だけだろうという自惚れすら芽生えている。
だからこそ、今回の大捕物から発生した最悪の事態は必ず収拾しなければならなかった。
地下室を思わせる閉鎖的な空間の天井に浮かぶ、幾つもの照明の明かり。幻想的なそれは、この闇市のメインともいえるオークションを投影しているかのようである。
ベルナル・フォンタナーの手に落ちた悪友の宝の一つを取り戻すべく、隣国に足を踏み入れたのは実に数時間前のこと。イエリオス・エーヴェリーと呼ばれるその宝が、コルネリオ以外の者の手に渡るのは時間の問題でもあったため、騎士団でも選りすぐりの精鋭部隊を引き連れてここに必死で駆けつけたのだ。
イヴの知る限り、闇市が開催されるのは数ヶ月に一度の事である。それも、開催地は直前まで明かされない為、場所を特定するのは至難の業でもあった。
それが今回はたまたま開催月と合致しており、開催地も運良く掴めた事が何よりの僥倖だったといえるだろう。
仮面越しに、チラリと遠くに座るコルネリオを垣間見る。
この会場内にはコルネリオとイヴの他にイエリオスと親交があるフェルメール・コーナーという騎士を動員したが、時間をずらしてばらばらに座っているため、こうして時折確認しておかなければならなかった。
座席の数は百程度。けれども、服装や動作から彼らがただ者ではないというのは明らかだ。
はあ、と彼らしからぬため息が一つ溢れた。
ざっと見渡すだけで、イヴの不安を掻き立たせる要素は充分にあるからだ。
諸国漫遊中の異国の王族。神聖国の枢機卿。上流貴族ではあるが、こういった闇の世界で生きる者たち。ひとたび仮面を取れば、隠しきれそうにない素性を持つ者ばかりであふれかえっている。少しでも不穏な動きをすれば、彼らの配下が直ぐにでも刃を向ける事は間違いがない。だからこそ、イヴは神経を尖らせて、今は一人の騎士として己が守護するべき相手、コルネリオ・フェル=セルゲイトを見守るしかなかった。
再びコルネリオを視界に入れて、今度は緊張をほぐすように小さく息を吐き出してみる。その時、ようやくでっぷりと腹を突き出した商人が現れて、薄汚い笑みを浮かべて高らかに最後のオークションを宣言した。
「続きましては、今回のオークションの目玉の登場となります!」
盛大な拍手と共に舞台へ引きずり出されたのは、一人の少年。
黒い布で顔を覆われていたが、後ろの方に座るイヴでも分かるぐらいに肌が透ける生地であつらえた服を着せられていた為に、否が応でも線の細い肢体がイエリオス本人であるとイヴでも分かる。
その痛ましさに目を細めて見ていると、ここに至るまでに昂ぶっていた客の高揚も最高潮に達していたようで、近くに座る不特定多数から生唾を飲み込む音が聞こえて嫌悪が走った。
そこへ、間髪入れず商人が、勿体ぶるように顔を覆っていた黒い布をはぎ取ったため、会場内は大歓声に包まれた。
(なんと、酷な……)
――と、視界の端でフェルメール・コーナーが立ち上がったのが見えて、直ぐに対処すべく立ち上がろうとしたが。
「失礼」
ちょうどイヴの前に座っていた男が立ち上がり、フェルメールの襟首を掴んだかと思えばどういう訳かそのまま無理矢理引っ張って会場から出て行ってしまった。
「……」
はて、と僅かに面食らったものの、その去り際の声で男の正体に思い当たる。
(……なるほど)
男がどうして厄介事を引き受けてくれたのかまでは理解に及ばないにしても、二人が知り合いだという事は知っている。
さて、どうするべきか――と、コルネリオに視線だけ送れば小さく頷かれた。
どうやら、あとは己に任せろ、という事らしい。
だが、直ぐに動いてはならない。彼らの後を追うように抜け出せば不自然さが際立つのは目に見えている。ならば、とイヴが再び舞台を見上げれば、憐れな少年はあどけない顔に羞恥の色を染めながらも、己の不安を隠そうともせず俯いていた。
(――くそ)
その庇護欲と被虐心を同時にそそられる姿に、イヴは思わず頭を抱え込みそうになってしまった。
コルネリオとの付き合いが長いために、彼の存在は生まれた時から知っていたし何度も見かけた事はあったが、会話をしたのはつい最近の事だった。
それまでは、大事な友の人生を狂わせたエーヴェリー兄妹の事は、彼らの美しい容姿から小悪魔のように思っていたのだ。実際に会えば分かる、というコルネリオの言葉を信用せずに。
――だが。
イエリオス・エーヴェリーは、コルネリオから話を聞いていた通りの少年だった。
それも、見た目が美しいばかりではなく、心までもが純真無垢で汚れなど知らないのではないかと思わせるほど純朴で。父親のイルフレッド・エーヴェリーと同じく真面目であるのに、性格は穏やかで礼儀が正しいのでイヴでも直ぐに好感が持てるほどだった。
触れれば直ぐに儚く折れてしまいそうな印象を人に与える為に従順で扱いやすいかと思いきや、大きな幹のような芯が通っていて頑固な所が面白い。妹のアルミネラ・エーヴェリーと違い体力面が劣っているものの、頭の回転が速いのでもしも騎士になりたいのであれば手助けしても良いとすら考えてしまうぐらいには気に入っているといえるだろう。
それでも、コルネリオの事を思うと、少年には早く真実に気付いてほしいと願っている。
そもそも彼は十五にしては達観しているからか、どうも聞き分けが良すぎるのだ。その為、一人で何でも抱え込むので、いつか危険に陥るのではないかと心配もしていた。
それを、イエリオスには忠告したはずだった。
いまだ信用されていない己の盟友でなくとも、別の誰かに頼れば良いのだと伝えたのだ。
――なのに、このザマで。
何より、イヴにはコルネリオが必要以上に大事にしていた至宝が、無防備な姿を晒して客を喜ばせている事に憤りを感じていた。
恐らくイエリオスは、底意地の悪い商人と客がわざと煽った事に気付いていないのだろう。それすら歯がゆく、苛立たしい。
イヴの目に映るイエリオスが俯いていた顔を、商人が杖で無理矢理上げる。
明らかに奴隷として扱われ、少年が唇をかみ締めたのが分かった。
(……なんという事だ)
正直にいうと、もう見ていられないでいる。イエリオスの表情や動作の一つ一つが、ここにいる全ての客の欲を煽っているのだから。
己がここまで憤りを抱えているのだから、コルネリオは相当腹に据えかねているだろう事は想像に難くない。
そこで、何気なくふと思い立った。
一体、ここに居るどれだけの人間が、あの美しい少年が何者であるのか気付いているのだろうか、と。
確証はないが、聖ヴィルフ国の祝祭で『女神の恩寵』を授かった双子として注目を浴びていたのだから、それに参加していた者は明らかに知っている。とすると、このオークションにも参加している何人かは正体に気付いているかもしれない。しかも、分かっていて誰もこのオークションを止めないのだ。
なんと頭の痛い話だ、と息が漏れた。
これは救い出した後の処理が厄介だな、と更に仕事が増えそうな少年の父親に思いを馳せて、イヴは競りの始まりと共に席を立った。
今回の闇市はオークションがメインとあって、もうすぐ立て直される予定の古い修道院が会場となっていた。近隣住民から聞いた所、立て直しに必要な費用を工面してもらう代わりに貸し出したのだという。
以前はクルサードで開催される事が多かったが、王太子が政策に関わりだしてから厳しく取り締まりが行われるようになったらしい。その為、今回はセレスティアが開催地となったのだ。
そういった情報を手に入れてきたのが、ついさきほど問題行動を起こしたフェルメール・コーナーだった。
今年、第二騎士団に入団したばかりのイヴの後輩にあたる男だが、リーレンでは監督生を務めるほど有能とあって使いやすいのは確かだった。
ただ、この男の唯一の欠点は、コルネリオの思惑でエーヴェリー兄妹と接点を持ってしまった事だろう。
リーレンの入学式で兄の名で現れたのが少女と気が付いてしまったが故に、悪い男に目を付けられたのだ。
そこは同情に値する。いや、むしろイヴには同じ穴の狢と呼んでも良いほどだ。
しかし、運が悪かったと思って諦めた自分とは違い、フェルメールは諦めなかった。何を、と問われたら、それは情熱だといえるだろう。
――そう。
たった一人に向けての、情熱。
騎士としてあるまじき思いを拗らせ、フェルメール・コーナーという男はイヴの友の大切な宝に心を奪われてしまったのだ。
フェルメールは己の心に従って、何度もイエリオスのピンチを救った。それは騎士でなら当然の振る舞いだが、動機は全くの不純なのである。
つまりは、懸想。
そうして、暴走するフェルメールに首輪を付けていたのだが、つい先程それも無駄である事が判明したというわけだ。
コルネリオの共犯者となり、十八年。国を守る騎士団の副団長に就任してまだ二年と浅いが、ここまで扱いかねる団員はフェルメールが初めてだ。
(仕事は出来るというのに……残念だ)
廊下に出ると各箇所に立つ見張りの目をかいくぐりながら、イヴは息を吐き出して首を振った。
イエリオスが舞台へと連れ出された、あの時の事を思い出す。もしも、フェルメールがあそこで飛び出していたのならオークションは即刻中断したはずだ。そして、奴隷商はベルナル・フォンタナーとの売買契約を後ろ盾にして、二度とイエリオスの所有権を手放そうとはしないだろう。
最悪、少年は二度とミュールズの地に戻れなくなっていたかもしれない。
そういった未来を、あの男は全く理解していなかったのだ。イエリオスを見つけた事への条件反射だったとしても、これは副団長のイヴの監督不行き届きとなる。
既に聖ヴィルフ国の枢機卿に説教をされているだろうが、せめて一言は注意をせねば、とそのまま廊下を突き抜けて、修道院の裏手に出た所でようやく二人を見つけ出した。
「君に、ボクの名を呼ぶ権利を与えよう」
だが、二人の間に流れるただならぬ雰囲気に、咄嗟の判断で物陰に隠れる。
急に耳に入ってきたとはいえ、枢機卿の言葉に重みがあった。
一体、何の話をしているというのか。
聞き耳を立てるつもりは全くないというのに、イヴはタイミングの悪さを呪わずにはいられない。
そこに、フェルメールが驚きの声をあげた。
「えっ」
「あはははっ、そんなに驚かなくて良いじゃない~。だって、君は見事にボクの問いに応えたよね~」
重要な部分を拾い上げると、どうやらフェルメールはあの年若い枢機卿の何らかの質問に答えたという事のようだ。なるほど、内容云々は分からなくても良く分かる。
だが、フェルメールは更に戸惑いの声をあげた。
「え、っと、……え?」
「おや、自分で気付いてないの~?」
「……すみません」
二人の表情を窺う事が出来れば何の話をしているのか分かるかもしれないと思うが、相手が相手なだけにイヴはジッと息を潜めてやり過ごすしかない。
修道院の壁に凭れ、イヴは肩で息をついた。
イヴがレベッカ・ネネと初めての邂逅を果たしたのは、ついこの間行われた聖ヴィルフ国の祝祭にイエリオスたちの警護で付き添った時だった。一応、リーレンの視察が入る際にレベッカ・ネネの身上書などは確認していたし、コルネリオからレベッカが裏社会にも通じているという話も聞いていた。
だから、レベッカ・ネネには細心の注意を払って対峙するようにしていたのだが、イエリオスには無害である事が最後に分かった。
(そして、今回も……か)
フェルメールを止めたのは、イエリオスを守る為。
それは大いにありがたいが、コルネリオの思惑で動いているイヴにしてみれば今回はたまたま利害が一致しただけに過ぎないと分かる。
――だからこそ、レベッカ・ネネとは相容れる事はないだろう、という事も。
「ボクの質問覚えてる?彼が本当に困った時、君はどう動くのか」
「はい、覚えています」
「君は彼を助けたくて席を立ったんだ」
なるほどな、とそこでようやくイヴは合点がいった。
聖ヴィルフ国の祝祭前からフェルメール・コーナーが思い悩んでいるのは、コルネリオとイヴの懸念材料の一つでもあったのだ。騎士としての自分とイエリオスを助けたい自分。その両方に苛まれて、フェルメールが・コーナーが暗中模索の闇の中で彷徨っている事は理解していた。
いつ暴走するか分からない。だからこそ、そんなフェルメールを放ってはおけずコルネリオは退団願いを拒否し、単独の役目を言い渡したのはイヴの記憶に新しい。
その問題を、レベッカ・ネネも見抜いていたというわけだ。
「君は、騎士という身分よりフェルメール・コーナーである事を選んだんだよ」
そして、レベッカ・ネネは問答の一つにして諭したのだ。
(さすがはヴィルフレオ教の司祭だな)
心の葛藤で立ち止まる信者に、進むべき道を己の力で導かせる。それこそ、宗教の神髄ともいうべきだろう。
若くして枢機卿になったという点が何とも不可解だったが、問題を解決に導いてくれた手並みが鮮やかで今は大いに納得出来る。
故に、警戒を怠ってはならない人物なのだと確信がついた。
「……ですが、俺はその所為であいつを危険に晒そうとしてしまったんです」
フェルメールの声音に後悔が滲む。
どうやらフェルメールも、自分が問題行動を起こしたと分かっているようだ。それならば、もうとやかく言うべきではないな、とイヴは判断して踵を返そうと背を向けた、――が。
「確かにあれはまずかった、ほんとーに~!最悪なパターンで~!ひじょーにね~!そうですよねぇ~、えっと確か……イヴ・キルケー副団長、だったかな~?」
レベッカ・ネネには既に見破られていたらしい。
軽くため息をはき出して姿を現すと、フェルメールが息を飲んで驚いた。
「っ、……副団長」
呼ばれて、フェルメールをその目に映す。
普段のフェルメールであれば動揺など隠し通していただろう。それだけイヴも買っているフェルメールが取り乱している点を踏まえて、一応の弁解を黒髪の男に示しておくことにした。
「立ち聞きするつもりは全くありませんでしたので、ご容赦下さい。先程は、我が騎士団員の身勝手な行動をお留め下さりそのご配慮に深く感謝の意を申し上げます」
「いえいえ!ボクもエーヴェリー君が無体な目に遭っているのが忍びなくて、フェルメール・コーナー君をだしにしただけなので~」
よくもぬけぬけと物を言う。
それならば、とイヴは目を細めてにこやかに切り返した。
「ほう、左様でしたか。我が国の問題に、わざわざお手数をお掛けしてしまった次第なのかとひやひやしておりましたが」
簡単にいえば、こちらの問題に勝手に手を出すな、だ。
少しでも殊勝な態度をしていたのならば、イヴも嫌味を口にする事はなかっただろう。なのに、レベッカはすっとぼけたのだからイヴも毒舌になるというものだ。
「あっはっはっ、とんでもない。他国の問題に首を突っ込む程、ボクは暇ではありませんよ~。ここに居るのも偶然ですしね~」
「左様でしたか」
「そうですよ~、あははは」
そして、今度はあけすけな言葉で返される。
(全く腹の底が読めない男だ)
そこでイヴも開き直ることにした。
何でも話す意思があるというなら、最初から話してもらおうじゃないかと。
きっと、この様子をコルネリオが見ていたらさぞ驚いたに違いない。だが、長年の共犯者は次の瞬間には面白がっただろう事はイヴには想像がついてしまった。
「それにしては、コーナーに名を呼んで良いというお言葉を耳にしたのですが?」
はっきり言えば、それについてはフェルメールとレベッカのプライベートに関わる内容である。イヴには何の関わりもないから断っても当然といえるのだが。
「ああ、それですか~。いやぁ、ボクは彼に『許可』を出したんじゃないんですよ~。ボクはね、彼に『権利』を与えたんです」
「権利?」
だが、疑問を口にしたのはフェルメールで。
「そうだよー、ボクは君に『権利』を与えた。その意味が分かるかな~?」
さらりと艶のある黒髪を耳に掛けてフェルメールを見ると、レベッカは口を三日月の形にしてクスクスと笑った。
レベッカのこういった悪戯っ子のような態度が、イヴにはひどく気に触る。しかし、今は努めて冷静になるよう徹した。
「俺……私を、認めて下さったということでしょうか」
目を瞬かせたフェルメールに、さあてね~、と背伸びしながらレベッカが背を向ける。終始はぐらかすのは、もうこの男の特性だと受け入れるしかないのだろう。
「まあ、次に会う時は好きに呼んでよ~」
「あ、ありがとうございます」
「あはは、お礼を言われるようなもんでもないんだけど~。そんじゃまあ、出来なかったお説教は副団長さんにしてもらってね~」
じゃあ、ボクは行くよーという言葉を言い残して、レベッカ・ネネは修道院の壁を飛び越えて行ってしまった。
やはり、自分にはどうもあの男は理解しがたい。あまり関わりたくないものだ、とイヴは息をついて壁の向こうから足音一つ聞こえないことに顔を顰めた。
「……油断ならない男だな」
「煙に巻くのが得意な方ですので。キルケー様、先程は大変申し訳ありませんでした」
近付いてきたフェルメールに視線を戻す。と、一度目のイエリオスの救出に失敗してからの焦燥感が消えている。だが、罪悪感が抜けたわけではないようで、むしろ粛々と罰を受け入れようという意思が見えた。
(ようやくか。だったら、後は――)
「己が如何に軽率な行動をしたのか理解したか。それならば、私はもう何も言うまい。あとは彼の方に報告をするように」
フェルメールへの刑罰はコルネリオの仕事となる。これ以上は問わないと決めてここで話を切り上げた。
そう、イヴはあくまでもコルネリオの手足に過ぎないのだ。それ以上でもそれ以下でもないのだと、いつも己に言い聞かせている。
「はい」
そろそろ、オークションも終えている頃合いだろう、と次の作戦の為に室内に戻ろうと翻って、そこでふと立ち止まった。釣られてフェルメールも立ち止まる。
「……それと」
「はい?」
「いや、忘れてくれ」
「え?は、はあ」
何を自分は言いかけたんだ、とイヴは内心で驚いていた。
――友人は選ぶように、だなんて。
いくらレベッカ・ネネが気にくわなくても、それを団員に強要しかけたとは。冷静になりきれていないのは私もか、と軽く頭を振ってイヴは今度こそ歩き出した。
ようやく落ち着いたのは、もう夜中の午前零時を過ぎた頃だった。
強行軍に次ぐ強行軍。イエリオスが連れ去られてから睡眠時間を削って捜索に掛かりきりだったので、やっと緊張の意図が解けたといっても過言ではない。
つい先程まで居座っていたマティアスがようやく帰り、今はコルネリオの執務室でやっと二人きりになった所だった。
こんな遅くまで侍女を待たせるのも悪く早々に引き取ってもらったので、代わりにイヴがお茶を淹れる。特にコルネリオからのリクエストもなかったので、イヴの好きな茶葉に牛乳を加えたまろやかなテイストに仕上げてみた。リーレン時代からイヴの得意とする淹れ方なので、コルネリオも異論はあるまいとお茶を差し出す――ついでに、イヴは今一度、あることを確かめようと口を開いた。
「フェルメール・コーナーの件ですが、本当に宜しかったのですか?」
あれから無事にイエリオスを救出出来たものの、フェルメール・コーナーを彼に引き渡してしまったのだ。
――彼の騎士として。
それが本当に良かったのか、イヴには分からない。
だからこそ、確認をしたかったのだが。
「……」
(無視か)
無視された。それも、露骨に書類を読んでいますというフリで。
「フェルメール・コーナーの処罰について、再度確認をしたいのですが」
それならこれでどうだ、と言葉を少し言い換えてみたのだが。
「……」
結果は全くの同じだった。
(……くそ)
時折、コルネリオは子供のようにわざと無視を決め込んでくる時が多々ある。しかも、イヴに対してだけこういった真似をしてくるのだからあくどいというか何というか。
ただ、解決法は実は至って簡単なのだ。
「……はあ。お前は、あれで良かったのか?」
上下関係をばっさり切り捨てて、対等の立場に戻ること。
言葉で示せ、と言いたくなるが、イヴも毎回黙ってコルネリオの我が儘に付き合っているから今更だろう。
「いつかはあの子に騎士を、と考えていたから、その点では良かったのかもね」
執務室の真ん中を陣取る金地の布で覆われたソファーに腰を下ろしたイヴが、少し瞠目してコルネリオを見た。
「お前にしては珍しく暫定的な表現を使う。では、本心は?」
確証ではない言い方に驚いたのだ。
だから、直ぐにコルネリオの裏を見抜いた。
「不服以外の何ものでもないよ。……分かっているくせに。キルケー副団長は、悲嘆にくれる無二の友にも手厳しいお方のようだ」
「ぬかせ、悪友」
おおお、と大仰に天を仰ぐ盟友を半目で見やると、今度はクスクスと笑われてしまった。
「ふふっ。品行方正と名高いイヴ・キルケーの悪態を聞けるのは、きっと私だけだろうね」
それを言うならば、自分の方がこの聖人君子と呼ばれるコルネリオ・フェル=セルゲイトの素顔を知っている貴重な存在なのかもしれないとイヴは思う。
でもそれは、身内だからこそで。
「俺は、お前が恐ろしい。フェルメール・コーナーが、いずれ彼に付くという事は見越していたんだろう?それが少し早まっただけで。それよりも、今回お前がどうしても欲しかったのは、彼の信用を得ることだ。何が、悲嘆だ。内心じゃ、浮かれているくせに」
女神ですら恋に落ちるのではないかといわれる程の清らかな微笑を浮かべながら、この男はどこまでも己の欲を追求する事をイヴはずっと昔から知っている。遡れば、出会った当初に。
さしずめ、イヴもイエリオスと同じくコルネリオに選ばれた唯一無二の存在なのだろう。執着度合いや役割は全く違うが。
「おや、さすがは理解者。やっぱり、イヴを選んで正解だったね」
ただイヴがイエリオスと違うのは、自分でも案外とその位置づけを気に入っているということ。そして、イヴもまたコルネリオを選んだことだろうか。
どこまでも続く闇の中で見つけた、小さな光のように。
「それはお褒めに預かり光栄ですな、我が運命共同体殿」
夜が明けるのは、まだもう少し先である。
気になる方がいらっしゃるか分かりませんが、イヴがフェルたちを見つけるまでのレベッカとの会話文を一応載せてきます。
フェル「あ、あの」
レベッカ(以下略)「ふう。どうやら、君はボクの予想以上に空回りをしているようだね~」
「す、すみません」
「謝るのはボクじゃないでしょうが。さて、どうしてボクが連れ出したのか分かってる~?」
「そ、それは、俺が何も考えず飛び出そうとしたからですよね」
「だいせいかーい。まあ、ボクが動かなくても君の上司が捕まえてくれただろうけどね~。ボクも我慢がならなかったからさ」
「それは、あいつを心配して下さったということですよね」
「まーね~。昨日の夜も会ったんだけど、まーた彼ってば、とんでもない事に巻き込まれてるなぁって」
「昨日の夜?」
「ああ、こっちの話~。だから気にしないでね~。それよりも、前にボクが投げた質問覚えてる?」
「あ、はい。確か、あいつが本当に困った時、俺はどう動くのか、でしたよね?」
「よしよし、偉いね~」
「ははっ、あの、そういうのは止めてください」
「いやぁ、ごめんよ~」
「はあ」
「君に、ボクの名を呼ぶ権利を与えよう」
「えっ」
(以降、イヴに聞かれる内容となります)




