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閲覧とブクマ、そして評価をありがとうございます。

 例えば、双子だからといって好きな色が全く同じであるという認識は間違っている。例を挙げるとするならば、ノルウェル兄弟。ディートリッヒ先輩は砂漠のようなベージュを好むけど、リーンハルト先輩は濃度の高そうな深い赤色が好きだったりする。




 ――頭が、痛い。

 ズキズキと、痛みが脈動している。

 この手の痛みは、幼少期に何度も味わって慣れたはずだけど、久しぶりに味わうとやっぱり痛い。

 これが悪化すれば、熱が出てくる。

 ああ、嫌だなぁ、と思った所で目が覚めた。

「……っ」

 ……ここは、どこだろう。

 瞼を開けると、雑草を下敷きにして、ざっくりと蔦のようなもので編み込まれたものに寝かされているのが分かった。何とも奇妙な状況に思わず眉を寄せて仰向けになれば、ここは大きなテントの中である事が知れる。だからといって、安心するはずもない。何故なら、そのテントを見る為には僕の視界を阻むものがあるわけで。

「……」

 一瞬、気が遠のいたのは錯覚なんかじゃないはずだ。


 だって、まさか敷物だと思っていた蔦は途切れるのを忘れたかのように壁の役割をもこなし、最終的には天井すら覆う――――まるで、鳥かごのようなものであったのだから。


 どう頑張って前向きに捉えようとしてみても、これは僕を逃がさないようにする為の檻としか考えられない。器用に作られた出入り口を見れば、そこだけちゃっかり鉄製の鍵がかけられているのが恨めしい。そこも原始的なままで良かったのになんて憎らしく思っても、どうする事も出来ないと分かってしまう。

 確か、フォンタナー伯爵にホットミルクを勧められて……その時には、僕を眠らせるつもりで予め睡眠導入剤の類いの何かが仕込まれていたんだろう。

 意識を失う直前だったから、フォンタナー伯爵の話をきちんと聞き取れているか曖昧だけど、あの人が今回の騒動の黒幕だったというのは理解した。ただ、僕の知る上では、フォンタナー伯爵は体制派でも反体制派でもなく中立だったはずなんだけど。……いや、今はそんな事はどうでもいいか。

 とにかく、ここが何処なのかっていう――

「起きたのか!?おい、どっちだよ!起きたんだよなァ?やっと起きたのかよ、遅ぇな!」

 ……ねぇ、どうして僕は初対面の人に怒られてるんだと思う?

 薬で強引に眠らされたおかげで、頭がまだぼんやりしていたりするんだけれども。僕を閉じ込めた檻の隣りに並んだ別の檻にいる見知らぬ人と目が合った途端、いきなりキレられるっていうね。

「えっと、……ごめんなさい?」

 これって謝った方が良いのかな?よく分からないから、微妙に疑問文になってしまった。

「べ、別に良いけど」

 う、うん?どっちなの?

 檻同士といっても、僕たちは約一メートル離れてる。まあ、それはいいとして。蔦で出来た柵に食いつくようにしがみついてまで睨まれていたのに、急に手のひらをかえすように恥じらわれた僕はどうしたら良いと思う?流しても良いよね?

 燭台の明かりでも分かる、健康そのものといった肉体を覆う褐色の肌。僕を見据えた青い双眸は、数分前に顔を合わせてから様々な表情を見せていて、今は凪いだ海のように穏やかだった。左肩から垂らされているここいらでは見かけない複雑に編まれた長い髪が、黄金きん色でありながらも青みがかって不思議な色合いである事が分かる。

 肌の色合いでナオを思い出すけど、島国であるタオ連合国は黒髪が多いはずだからまた別の国の出身なのかもしれない。とまあ、思い出した所で意味はないか。

「それで、えっと」

「オレの名はミレイ。あんたはミュールズのイエリオス・エーヴェリーっつうんだろ?」

「は、はい。そうですけど」

 名前を訊いたわけじゃなかったのに自己紹介されて、尚且つ名前を言い当てられたら誰だって戸惑うよね。という事で、僕も困惑を隠せないんだけども。

「あんたを連れてきた男が他人のそら似を強調しながら言うもんだから、多分、本人なんだろうなって」

「他人のそら似?」

 僕を連れてきた男というのは、フォンタナー伯爵の事だろうか。それとも、別の誰かにでも引き渡したのかな。

 騎士の警備をすり抜けて、僕をあの屋敷から上手く連れ出したとしても、人一人分の大きさの荷物を持っていたらフォンタナー卿でも怪しまれるに違いない――という部分に頭を悩ませていたら、物騒な言葉を放たれた。


「そ。オレたち、奴隷商に売られちまったワケ」


「どっ、奴隷!?」

 父の仕事の関係上、この世界には奴隷という存在が居る事は知っていたけど。

 そんな、まさか。

 しかも、…………僕が。

「あー、やっぱあんたも攫われてきたクチ?まあさ、分からなくもねぇよなァ。オレら、他の奴らに比べるとキレーじゃん?オークションで売る方が高く売れるし」

 わー。この世界で自画自賛している人、初めて見たー。じゃないよ!それ所じゃないんだってば!

「オークションって。あ、あの、ここはミュールズではないんですか?」

 ミュールズでは、人身売買は許可されていない。ただ、闇市となれば僕にはお手上げ状態だけど。

「あんたより先に捕まってる先輩としてのオレの勘だけど、ここはギリ、ミュールズってとこかなァ?常に移動してっから、明日には別の国じゃね?」

「別の……そんな」

 ……フォンタナー卿は、本気だったんだ。

 あの時、意識が朦朧とした状態で聞いた『この国からいなくなってもらいたい』という言葉は、フォンタナー卿の本音だった。


 消えていなくなれ――って。


「っ、」

「おいおい、大丈夫かァ?」

「は、はい」

 こんな時に、頭痛になんて負けてられない。

 ……ええと。ミレイさんの言うオークションで売られるとするなら、買われた先が何処の国の人物なのかが重要になってくる。しかも、奴隷として売られてしまえば、逃げ出すのも難しいだろう。


 ――最悪、もう二度とミュールズの土を踏む事が出来ない。

 

「考えられる行き先っつったら、セレスティア辺りだなァ。クルサードは、近頃になって奴隷連れに厳しくなってきたし。セレスティアは、労働者としてなら受け入れる。あそこは入国審査が甘いからな」

「お詳しいんですね」

「まあな。オレってウツクシイから、直ぐそういった連中に目を付けられちまうワケ。まっ、悪運だけは強いからいつもギリギリで助かんだけど」

 また美しいって……まあ、綺麗な人ではあるけども。

 コルネリオ様やアシュトン・ルドーに比べると、どうしてもよく見かける異国の美形としか思えない。多分、僕は一生分のイケメンや美形を見過ぎてしまって、正しい判断が出来なくなってしまったんだろうな。……そこ、男としてどうなの?あ。駄目だ、そこに疑問を持ってはいけない。虚しくなるだけだから。くっ、目から水が。

 でも、この人自己陶酔するようなタイプには見えないんだよね。典型的なナルシストが学院の生徒会に一人いるから分かるけど、自己愛が高いようには思えない。むしろ、……逆?何にせよ、不思議な人だな。

「……はあ。あの、つかぬ事をお訊ねしますがどのようなご職業で」

 しょうか、と僕が最後まで言う前に、何故かいきなり笑われた。え、質問の仕方が変だった?

「やっぱ、あんた貴族の坊ちゃんなんだなァ。そんな丁寧に訊かれたの初めてだわ」

「そ、そうですか」

 なんだ、良かった……僕の訊き方が悪かったわけじゃないんだ。

「おー、わりぃわりぃ。馬鹿にしたワケじゃねぇから。エーヴェリーっつうと、ミュールズの宰相がそんな名字だったなァってふと思ってさ」

「……」

 申し訳ないけれど、そこは沈黙させてもらう。黙秘って時には必要だと思わない?お互い分かっていても、敢えて話さないでいるのは大切。

「ま、いいや。オレ、吟遊詩人ってヤツなんだよ。世界中を旅してっから、行く先々のお国柄とか情勢は常に頭に入れておかないとやばいワケ」

「そうでしたか」

 吟遊詩人か。奴隷と同じように、吟遊詩人と呼ばれる人たちがいるのは知っていたけど、実際に出会えるとは思わなかったなぁ。まあ、お互い囚われの身なんだけどもね。ははっ。ワラエナイ。

「んで、三日前に飯食わせてくれるっつう奴に付いていったらあっさりこのザマでさァ。昨日、あんたが連れてこられて、青白い顔してっし、全く起きねぇから大丈夫かァ気になってたんだよ」

 あー、だから僕は起きて直ぐに怒られたのか。

「そうだったんですね、それはご心配をおかけしました。僕は、……いえ、僕も騙されて薬で眠らされていたようで」

「へぇ。なんか事情ありそうじゃん。暇だし、詳しく教えてくんね?」

「暇だしって」

 気軽に国の内部事情を話せるはずないでしょ。っていうか、他人の身の上話を退屈しのぎのネタにしようとしないで下さい。

「オレね、自重しねぇ主義なの。オレの師匠は気難しい婆、おねーサマだったんだけどさァ、やれそこは掘り下げるなだのやれここは明確にしろだのと五月蠅かったワケよ。でも、まァ、吟遊詩人って詰まるところ、誰かの半生を歌にして世に広めんのが仕事だろ?だから、興味がある事には首を突っ込むのがモットーなワケ」

「もう何だか開き直り過ぎて、いっそ清々しいぐらい潔いですね」

 ほんとに。堂々とし過ぎて、怒ってる僕の方が馬鹿みたい。吟遊詩人って、もっとこう、歴史や人生観に深いこだわりがある人がなるものじゃないのかな。確かに、全ての歴史には人間が深く関わってくるから、あながち間違ってはいないんだろうけど。彼の師匠という女性の苦労が目に浮かぶ。

「褒め言葉として貰っとくわァ。あーけど、これはちょっとやべぇなって内容ならさすがのオレでも誰にも言わねぇからさァ。それも、オレのモットーだから。んじゃまあ、定番のフレーズで訊くわ。――オレに、あんたの物語ハナシを聴かせてくれないか」

 精悍な顔にある、二つの青い瞳が僕を捉える。それまで特に何も思わなかったのに、蝋燭の火を浴びて輝く瞳は、まるで宝石のようにきらきらとしていた。褐色の肌も相まってか、おとぎ話に出てくる不可思議な存在のようで魅入られてしまった自分がいる。

 もしも、それが吟遊詩人である証拠というのなら、もはや疑う余地はない。この人になら話しても良い、と思えてしまうのだから。

でも。僕の身に起きた事なんて、物語というほど大したものではないんだけれど。

「……分かりました」

 仕方ない。いまいち信用出来ないけど、話せない部分は濁せばどうにかなるだろう。



「――で、ついさっき目が覚めたと」

「はい」

 アイスクラフト様の自刃の件や固有名詞を使わず、どうしようもない部分は脚色してみたりしたけど……伝わったかな。慎重に話さないといけなかったから、精神的にちょっと疲れた。

「聴かせてくれて、あんがとよ。滅多に高貴な身分の奴と関わり合いになる事ねぇから、すげぇ新鮮な気持ちになれたわ。貴族ってめんどいな」

「そうですか」

 僕も、公爵家に生まれていなかったら多分同じ思いだったと思うよ。貴族って、ほんと大変。

「なァ、言って良い?」

 簡単に人を信じちゃいけないんだもの。信じてた人に騙されていたのは、これで二回目。不信に陥りそう、なんて暗い思考に傾きかけていると、向かいの檻からミレイさんが再び恥じらいを見せてきた。

「……何をです?」

 僕よりも年上で間違いない人物に、そわそわしながら何度もチラ見されても困るんですけど。という僕の密かな主張が、当然ながら返事にも反映される。このコンマ数秒、目を逸らしたい葛藤との戦い。ね、分かるでしょ。

「あんたさァ、人身御供って分かる?」

 いわゆる、スケープゴート。犠牲。供物。生け贄のようなもの、だっけ。

「はあ、まあ」

「そう、それな。気付いてないかもしれねぇけど、あんたまさしくその『人身御供』にされてんじゃね?」

「えっ!?」

 ど、どういうこと?僕が、人身御供だって?

「だって、そうっしょ?宰しょ、じゃなかったァ。あーえーっと、あんたみたいな身分の子供が一人だけ、一介の貴族の屋敷に切り離されるなんておかしいじゃん。しかも特赦付きとか破格にもほどがあんだろう?それって、そこに何か秘密があるから調べさせる為に派遣したとしか思えねぇんだけど」

 ……確かに。

 今となっては、もう気付くのが遅いだろうけど。城の牢が駄目な理由もよく分からないままだったし。


 いや、そもそも、最初からおかしかったんだ――


 だって、いくら管理に困るからとはいえ、現職の宰相の息子を一貴族に預けるなんて、父と同じタイプである陛下がなさるはずはないもの。しかも、たまたま居合わせただけの外交官に、なんて。

 ……誰か、嘘だと言って。

「んで、しまいにゃあ差し入れに本だろ。それって急かされてるとしか思えねぇよ。それにさァ、一度脱走出来たって事はだよ?あんたが屋敷を抜け出せるぐらいの隙をわーざーと!作ってたんだよ、騎士の皆さんは」

「……かもしれませんね」

 という事は、コルネリオ様も父たちと仲間だったって事になる。

 もしかして、アイスクラフト様の自刃は既に予想されていて、僕たちの帰国に併せて筋書きを作っておいたのかもしれない。うわぁ、……どうしよう。困った事に、父上と陛下とコルネリオ様ならやりかねないって納得している自分がいる。あーもう、泣きそう。

「ケド。まあ、全てが水の泡になっちまったワケだけどなァ」

「……っ」

 うー……、今のは心臓にダイレクトに来ましたよ。くう……水の泡かぁ。水の泡。いっそ、その泡の中に潜りたいよ。

「……親父さん達はさァ、別にあんたを試そうとか思ってたワケじゃねぇと思う。あんたにしか出来ないって判断したんだろ、きっと」

「自分が情けないです。……期待に応えられず」

 敵にいいように扱われて、挙げ句に奴隷商に売られてしまったんだから。父たちには逆に面倒をかけてしまってる。

 散々、空回った挙げ句の自業自得ってやつですよね。はい。

 今まで感じた事がないぐらいの自己嫌悪で、心が黒いクレヨンに塗りつぶされていくみたい。立っていたらどうにかなってしまいそうで座り込むと、向かいのミレイさんも僕と目を合わせるようにしてしゃがみ込んだ。

「いやァ、それはちげぇよ。あんたの話を聞いて、オレは周囲の大人達は何でもかんでもあんたに任せすぎだろって思ったんだけど」

「そんな事は」

 ――ない。と思う。

 昔から、うちの教育は谷というより奈落に落とすぐらい厳しいものだし、この間、父に宰相になりたいって言ったから、きっと。

「ほらァ、それ。あんた、幾つだっけ」

「じゅ、十五、です」

「そう、十五の子供……はァ?十五!?マジか!貴族だからかもしれねぇが、あんた……十五にしちゃ達観し過ぎてんだろっ!はーっ!十五ねぇ。ああ。もしかしてさァ、昔から色んな目に遭ってたりしてるクチかァ?」

 そこまで驚くような事かな?

 そりゃあ、アルと入れ替わってグランヴァル学院に入学してから色んな体験はしたけども。

「……えっと、まあ」

 身に覚えがあり過ぎて、咄嗟に否定出来ない……くっ。未熟者め。

「――で、これまであんたはそれらを全て乗り越えてきたってワケだァ」

「僕一人の力ではありませんが」

 いつだって、助けてくれる人が居たから――――だから。

「そこ、だ。一人じゃないってあんたが主張しても、今まで何とか切り抜けられたのは事実なんだろう?そういった実績が積み重なると、大人は期待しちまうんだよ。次もやってくれるはずだァ、って」

 僕に期待を?

「それなら、やはり僕に責任がありますよね」

 だって、父や陛下に期待してもらえてるって事は良い事だよね?公爵家の子息として、宰相の息子として、それだけ目を配られているという事なんだから。

「だーっ!ちげぇよ!あんたを守るべき大人がァ、未成年に重たい荷物背負わせて何が期待だ!んなもん、食えもしねぇ花と同じじゃねぇか!」

 ……えっと、例えがいまいち分からない。花に何か恨みでもあるのかな?それとも、食べられる花が欲しかったとか。ってそういう問題じゃないか。



「そうやって、全てを背負い込もうとするあんたも悪い。けど、あんたが泣きつけるような場所を用意していない大人達も悪いんだ!」



 ――でも。

 コルネリオ様はいつだって待ってるって、キルケー様に言われてたんだよ。なのに、僕は断ったんだ。コルネリオ様を信じられなくて。


 あの人こそが、もしかしたら黒幕だって思い込んで。

 手を差し伸べてくれた人に、疑いを向けて背を向けた。

 

 今更、都合良く甘えられるはずないよ。

 途方に暮れるって、こういう事を言うのかな。間違った方向へつっきって、どうしようもない事態に陥った所で過ちに気付くなんて。

 僕を閉じ込める蔦の檻に葉をすり潰されても咲いているいじましい花が、今は痛々しく見えてしまう。

 いっそ、その命を奪ってしまった方が幸せなんじゃないか――なんて。

「あんたさァ、オレといく?」

「えっ?」

 急に、何を。

「身分なんか捨ててラクになれば?っつうだけの話」

 ……身分なんか、と言いきれるのが自由である証拠だよ。ああ、そうか。この人のいう『身分』とは、きっと『しがらみ』の事なんだ。


 貴族の、しがらみ。

 公爵家の嫡子としての、しがらみ。

 現宰相の子息であるという、しがらみ。


 そのどれもが僕を縛り付けている、って言いたいんだ。

 でも、だからといって僕は。

「僕は、」


「そんな訳の分からない男の話になんて乗るなよ、イオ」


 空気が、震えたような気がした。

 けれど、それは大間違いで僕が勝手に息を止めただけだった。収縮運動を繰り返す鼓動が再び呼吸を促し、ゆっくりと落ち着くために深呼吸する。

「フェルメール、さん」

 決して待っていたわけではないのに、名を呼ぶだけで泣きそうになった。

「やっーと見つけた……はぁ」

 えっ?えっ?

「だ、大丈夫ですか?」

「すまん。お前の顔を見たから気が抜けた」

 息を吐き出しながら座り込むから何事かと思ったけれど、怪我を負ったとかそういった理由じゃないなら別にいい。という僕の苦笑いは、隣りの檻の中の人物によってあっさりと無に帰されてしまった。

「はっ。情けねぇなァ、兄ちゃん」

 当然、フェルメールもそこに食いついてしまうわけで。

「うるせぇ。イオ、こいつは誰だ?」

「あ、僕と同じく奴隷商に売られた吟遊詩人のミレイさんです」

 いわゆる、檻仲間というものです。とまでは言わないけど、分かる範囲だけでも紹介しておく。

「売られたって、お前こそ情けねぇじゃねぇか」

「悪かったなァ。あんたらよりオレはウツクシイからしょうがねぇんだよ」

「ちょっ、こんな所で喧嘩しないくださいよ」

 驚いた。二人とも誰とでも仲良くなれる人なのに、どうして喧嘩腰になってるんだよ。同族嫌悪とか言わないよね?平和主義の心をどこに投げ捨ててきちゃったの。

「おっと、悪い。何人かぶちのめしてきたから、そろそろ気付かれそ――」

「……」

 不意に、ミレイさんが人差し指を立てて口元へと当てる。意外な事にフェルメールが素直に従って押し黙ると、直ぐにテントの外が騒がしくなり始めた。

 そこからは、無言でお互いの顔を見るだけに留まる。


「……イオ」


 しばらくして、外の喧噪に交じりフェルメールが呟くように僕の名を呼んだ。目の前に居るから、名前など呼ばなくたって良いはずなのに。

「何です?」

「たまたま最初に昏倒させた男が、鍵を持ってたんだよ」

 そうですか、と言いたい所だけど、今の僕は「はい」としか答えようがない。

 だって。


「けど、な。けど……さっきから何度も試してんだけど、こっちの鍵じゃねぇみたい、っ……なんだ」


 必死に、何度も鍵穴に鍵を差し込もうとするフェルメールの顔が泣きそうに歪んでいるから。

 僕が、この人を泣かせるわけにはいかないもの。

「お前を、助けられねぇ!」

 蔦で出来た檻だから、フェルメールの憤りに満ちた手が振り落ちても、形を一瞬歪めただけで直ぐに元通りになってしまった。

 今まで必ずといっていいほど助けてくれたから、その悔しさが痛いほどよく分かる。

「僕の方ではないのだとしたら、その鍵はミレイさんの檻の方ですね。早く開けて差し上げてください」

 鍵がないと分かれば、直ぐに誰かがやってくるはずだろう。時間がない事はフェルメールも分かっているはず。

「……悪い」

「謝らないでください」


 そういう時もある。

 今までが上手くいき過ぎただけの事だ。


「助かったよ、兄ちゃん。あんがとなァ」

「礼ならイオに言え」

 フェルメールが見つけた鍵は、やはりミレイさんの檻の鍵であったらしく、僕の時とは違って呆気なくカチャリと開いた。解放した礼を言われても背を向けるフェルメールに、ミレイさんも肩をすくめる。

 ……全く。この人は、もう。

「僕は大丈夫ですよ」

 声を掛けなければ自暴自棄になってしまいそうな危うさに、当人が気付いてないってどうなの?いつだって、僕に情けない所は見せたくないって言ってたじゃないか。

「大丈夫なわけねぇだろうが、ばか」

 あ、振り返った。と思ったら、ばかって何だよ。ばかって。今は不問にするけどさ。

「だって、フェルメールさんが来てくれたって事は、もう少し我慢すれば良いだけの話でしょう?もう一度、助けにきてくれるんですよね?」

「っ、くる。絶対に、お前を助ける」

 あーもう。僕より年上のくせにつらそうな顔しちゃって。

「良かった。その言葉が聞けただけで安心しました」

「……ああ。おう、安心しとけ。必ず、お前を助けにくるから」

 ――――うん。

 いつもの、フェルメールだ。

 どうやら、夢から醒めたらしい。年下に奮い立たされるようでは、まだ本物の騎士とは呼べないな。今度、からかってみようかな。あ、でも、報復が恐い。

 調子を取り戻せた事で、ようやくオリーブ色の瞳に光が戻ったような気がする。

「信じてますね」

「絶対だ」

 これで、フェルメールは大丈夫だろう。後は――

「了解です。では、早く逃げてください。ミレイさん、短い間でしたがありがとうございました」

 本当に短い時間だったけど、この人と話せた事はとても貴重な体験になったと思う。今までトラブルやアクシデントに遭う度に、解決してから叱られていたのが分かった気がする。

 僕はもっと、誰かと話し合わなくちゃいけなかったんだ。

 そうする事で、認識がかみ合うようにすべきだった。

 ミレイさんのいう『泣きつける場所』が必要かどうかは、そこから決めれば良いのだと思う。

 ――恩には最大の礼を。

 これは前世の記憶があってもなくても、当たり前の事だよね。きっちりと頭を下げて感謝の念を送ると、ミレイさんが少しだけ目を瞠った気がした。

「……あんた。そっかァ、オレもあんたと話せて良かったよ」

「いえ、こちらこそ」

 そう言うと、何故か微苦笑されてしまった。

 これだから貴族の坊ちゃんは、なんて思ってるんでしょ。分かってますよ。

「同類のよしみで、あんたの物語ハナシは誰にもしゃべらないって誓ってやるよ。んじゃ、またなァ!」

 また、なんて事があるのか分からないけれど頷いておく。

 先にミレイさんをテントから出して、フェルメールがこちらを見てきたので口角を上げて背中を押してやる。


 どうか、自然な笑顔に見えていますように。


 もしも、もう二度と会えなくなったとしても、最後に見た僕は笑っていたと覚えていてくれたら、――僕はそれで。それだけで。


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