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この世に無色透明といえる者がいるとすれば、それは己の存在を消す事の出来る暗い生業の人種なのかもしれない。
「んで?いきなり何しようとしてくれてんだ、クソガキ」
軟禁から監禁状態に移行して、体が鈍ってしまったと言ってしまえば良いのだろうか。
元を正せば、オーガスト様に特赦の取り消しを告げられて、ここ数日の僕の心の友といえば差し入れでいただいた数冊の本だった。サラが居ないのを良いことに、ではなくて!そ、そう、気分転換!全ては気分転換の為に、ベッドに横たわって読んでみたり、椅子にちょっとだらしなく座って読んでみたりと、趣向を凝らして読むのが意外と楽しかったのだけれど、結局だらだらするしかない訳で……はい、今だけなので内密でお願いします。図に乗りました、ごめんなさい。って話が逸れた。
まあ、他にオーガスト様には侍女や侍従と会話でもしろ、だなんて言われたけど、挨拶と日常会話でそこまで話が拡がるはずもなく。
そんな具合で、久しぶりにやってきたノアと話してると、なんていうか、ね?つい、自然と手が伸びてしまったというのが真相です。
……。
体が鈍って、という理由でも良くない?あ、駄目?でもさ、組み手を思いきり弾かれて僕もかなり痛かったんだよね。そりゃあ、僕が全面的に悪いんだけども。うん、知ってる。
ただ、この苛立ちをどうしても知って欲しいと思うじゃない。だって、母や妹はどうしているのか話を聞けば、ほのぼのと毎日お茶会して楽しそうだし、アルがようやく手芸で玉結びを習得してお祝いしたとか、警備の騎士にちょっとしたイタズ、サプライズを仕掛けただのと面白そうな事ばかりなんだから!あー悔しい!僕だって妹とイチャイチャしたーい!なんて叫びたくもなるよね?こっそり脱走した僕が悪いとはいえ、この差は一体何ですか?って詰りたくもなるじゃないか。特に、嫌いな相手だとね。言いがかりですけど、何か?こんなの開き直りたくもなるでしょ。
でも、まあ、例え相手がノアであっても謝りますよ。ええ。僕が悪いのは認めます。
「……ごめん。つい殺意が湧いてしまって」
「はあ!?」
しまった、つい本音まで漏れちゃった。
「隠しようもないぐらいに悪気はあった。その、ほんのちょっと所かあわよくば懲らしめてやりたいなって」
でもね、聞いて欲しいんだ。珍しくストレスが溜まっているという、今のこの状況を。
「おま……頭どうかしてるぞ」
「そんなの、君に対してぐらいだよ」
どうだ、参ったか!という顔で見上げれば、ノアに舌打ちされた上に細めた赤い瞳で見下ろされた。
とまあ、冗談はこの辺にしておくとして。
「母上とアルは元気なんだね?」
「お前よりかはな」
言ってくれる。けれど、二人が元気であるのは僕としても救いだ。
審問会の事は、フォンタナー卿に動向を教えてもらっている。オーガスト様から聞いたように第一騎士団のジャック・シャントルイユ男爵の殺害にモーリス・ハイネさんが関わっている恐れがあるという事や、二人が不審な行動を取っていたらしいという話まで。
そして、アイスクラフト様が自死される数日前の事。二人の関係が急に悪くなっていて、父が仲裁に入ったという新しい事実も教えてくれた。個人的には、あの父が他人同士の諍いの仲裁をしたという事の方がびっくりなんだけど。まだミルウッド卿なら分かるよ?あの方はそういうのが好きそうだもの。だからこそ、何に対しても淡々としている父がそういった揉め事の対処をしているのが驚きで。でも、それも仕事の内であるなら淡々とこなしたんだろうなぁ、と思わなくもない、かなぁ。うん。
とにかく、それらの情報が審問会で、どのように取り扱われるのかがネックとなるのはまだまだ若輩者の僕でも分かる。
吉と出るか凶と出るのか。
どのような情報網を持っているのか知らないけれど、当然、母上もこの危うい現状を理解しているはず。それでも二人が元気であるということは、まだ大丈夫だって思って良い。――きっと。
「それで、何か分かったの?」
しかしながら、不安は僕の視界を塞ぐのだ。だから、その灰色の靄を振り払うように首を振って、僕をじっと見下ろしていたノアを見上げた。
「ああ。まだ明確とは言えないが、ロレンス・アイスクラフトに道具を渡したのはシャントルイユだっていう話だ」
「男爵が?」
「そして、どうやらモーリス・ハイネは、それを目撃してしまった」
……そうだったんだ。
それが事実なら、もしかしてアイスクラフト様が自刃される前に二人が険悪になったという理由は『それ』かもしれない。
アイスクラフト様に凶器を渡した事が、喧嘩の原因。
そして、父は二人の仲裁に入ったんだ。ああ、そうか。……ここで繋がるんだ。
でも、父への疑惑を消せる材料には成り得ない。
むしろ――
「二人が凶器の事を父上に話していると仮定すれば、自死を黙認していたと見なされる」
なんてことだろう。
一つ分かっても、それは潔白の証明とはならないなんて。
ノアがいると分かった上で、それでもベッドの端に座り込んで体の中の重たいものをため息に変えて吐き出す。そうしないと心を保てなくて、今すぐ座り込んでしまいそうだったから。
「……」
しばらく何も考えられない。ノアを待たせているのは百も承知なんだけど、今はぼんやりとノアの足下だけを視界に捉えるのが精一杯だった。
「……」
気を抜いてしまったら、どうにかなってしまいそう。
目に映るノアの靴が暗闇に紛れて目立たなくて、さすがは元暗殺者とかそんなどうでもいい事が頭を過ぎる。静寂は嫌いじゃない。だから、足音一つと立てず、そんな黒い足が不意にこちらへと向かってきた事で素直に驚く。
「クソガキ」
この薄暗い空間が静けさに支配されているのではなく、僕が無意識に作っていたのだと気付いたのはノアに声を掛けられた瞬間だった。
「……なに?」
その為、ワンテンポ遅れて間抜けな返事しか出来ない。
「不本意だが、これだけは言っておいてやる。お前の事は可哀相だと思うが同情はしない」
「あっそう」
別にノアに同情なんてされたくもないけど、わざわざ言う必要もないよね?何が言いたいんだ、と視線を投げつければ。
「あと、そんな情けない面のクセしてやがるのに、何が『クールなお兄ちゃん』だ。ちょっと行き詰まっただけで狼狽えるような奴は、その辺のクソ虫と同じだってんだ」
同じく不愉快さを隠そうともしないノアが、醒めた目つきでぼやいてきた。どうやら、僕に喧嘩を売るつもりらしい。よし、上等だ。買ってやる!って言ってやりたい所だけれど。
「……アルが、あの子がそう言ったの?」
そんな事より、僕には聞き逃せない言葉があった。
「クソ虫ってか」
「違う。クールなお兄ちゃん」
「さあな!んじゃ、俺は帰るわ。お前は一人になってせいぜい泣いていればいい!」
馬鹿なの?という言葉を言外に含んだのがどうやらお気に召さなかったらしい。まだ話も途中であるというのに、ノアは僕の返事も待たず一方的に言いたい事だけを言ってさっさと姿を消してしまった。知ってる?それって逆ギレって言うんだよ。もう――
「……最低」
せめて恨み言をと呟いた一言は、悔しいかな僕が望んだ静かな夜に溶けていった。
ノアの所為でムカムカして寝付けない、というのは言い過ぎだとしても。
一歩前進したかと思ったら後退していたのがショックで、太陽の匂いがする寝心地の良い布団に潜ってみても眠れなかった。なので、ここぞとばかりに差し入れの本を一気に二冊読んでしまったのだけれども、後悔はしていない。うん。
だって。……だって、二冊とも面白かったんだもの!幾つもの散りばめられた謎が全て暴かれる時。そして、ラストのどんでん返し。どちらもヒントが同じだったのが気に掛かったけれど、ジャンルが違ったので別々の味わいが堪能出来た。昔から思っていたけど、本は人を幸せにする。うんうん。これ、真理。
でも、さすがにそろそろ寝なくちゃなぁと、布団に入る前に水分を取るため応接間の方へ移動して。
「……あ。やあ、やっぱりまだ起きていたんだね」
伺うように、黄金色の長い髪をたらしてこっそり顔を覗かせていたフォンタナー伯爵と目が合った。
「フォンタナー卿」
う、やばい。とは思ったものの、窘められる感じはなく逆に相好を崩してくれたのでホッと胸をなで下ろす。
「今ね戻った所なんだけど、カーテン越しに明かりが漏れていたのが見えたから」
「……えっと。つい、読書に夢中になってしまいまして」
それより今までお仕事だった事の方が、僕としてはびっくりなんですが。外交官というと、幼少期にミルウッド卿がまだ現役の外交官だったから常に居なかったイメージの方が強い。ただ、国内に居る間はエルを連れて頻繁に我が家に遊びにきていたので、この人仕事大丈夫かな、と逆に心配になったりもしたけど。やっぱり、忙しいものなんだなぁ。
「そうなんだ。もしや眠れないのかと思って、ほら、温かい飲み物だよ。冷めないうちに飲みなさい」
「あ、ありがとうございます」
にっこりと彫りが深い顔に皺を作って渡されたカップに心が和む。どうぞ、と室内に招き入れて、さっそく緩やかに湯気がくねりながら上がる白い飲み物に口をつけた。
――あ、ホットミルクだ。
温かい牛乳の中に仄かな甘さが含まれていて、すっと喉を通る飲みやすさに思わず安堵の息が漏れてしまう。たまにサラが淹れてくれるホットミルクと同じ優しい味わいがする。うん、これなら眠れそう。
「この本は、確かコルネリオ様からの差し入れだったかな?」
「あ、はい。最後の一冊をまだ読んでいませんが」
しまった。この部屋から出られないから、読みながら応接間と寝室を行ったり来たりして、すっかり置きっ放しにしていて忘れてた。片付けが出来ない子だと思われたら嫌だな。あー失敗した。
「……へぇ。そっか、それは良かった」
うん?それはどういう意味で?次の本に関して何か問題でもあるのかと訊ねようとして、フォンタナー伯爵の方が改まった態度になったので僕も居住まいを正してみる。一応、これでも十五年プラス二十年は生きてるからね。真面目な空気は読めるんですよ、僕だって。え?誰も疑ってないって?
「それでね、皆が寝静まった今だから話せるのだけど」
まあ、確かに。さすがに、夜更けともなれば、騎士の皆さんも扉の前に立つ事はなく、交替で数時間毎に巡回しているようだった。こんな時間帯まで起きている事なんてなかったから今まで知らなかったけれど、巡回までしてもらえてありがたい。
「……何でしょう?」
そんな夜も遅い時間帯でしか話せないという前置きに、嫌な予感がして胸がざわめく。いつもなら大きな声で話しかけてくるはずの人が声を潜めるのだから、更に緊張感が増してしまう。
不安に飲まれそうになりながら、それでも真正面に座するフォンタナー伯爵の碧い瞳を見据えた。
「君のね、……君のお父上の有罪が確定したんだよ」
「どうして!」
嘘だ!そんなこと、あり得ない。きっと、きっと何かの間違いだ!
信じられない。――信じたく、ない。
「こんな時間に、しかも眠れないという君に、こんな重大な話をするべきではない事は分かってるんだ。だけど、一刻も早く君にそれを知らせておきたくて」
「……いえ」
油断したら涙が出そう。これは何かの間違いだって、叫びたくなる。でも、フォンタナー卿に感情をぶつけたってどうしようもないのに。
こういう時、父上ならどうするかな……えっと。まずは落ち着いて、冷静に受け止めないと。
「声を荒げてしまって、申し訳ありません」
「ううん、取り乱すのも当然だよ。私も尽力を尽くしたつもりだったけど、覆す事は出来なかったんだ。だったら、せめて君だけは助けたいって思って」
「ぼ、僕、ですか?」
僕を助ける、って?僕だけを?
「このままだと君に待ち受けているのは絶望しかない」
「……っ」
――絶望。
この世界に生まれ育ったから、この世界の貴族の生き方というものは理解しているつもりだった。繁栄も衰退も。たった一つの失態で、全てを失うという意味も。
でも、改めてその言葉を聞かされると自分が如何に甘かったのか理解させられた気がした。
まるで、世界が敵に回ってしまったかのようだ。
「それでね、君を預からせてもらって君がどれだけ優秀な子であるのか私には分かったんだ。君を見放しては駄目だって思った。だからさ、国外への避難を考えてもらえないかな?実はもうすぐ仕事でまた旅立たなくちゃいけないんだよ。その時に、君を密かに連れ出したい」
「それは、逃げるという事ですか?」
遠回しにそう言われているようで、フォンタナー卿を見据えながら問えば、肩をすくめてクスッと苦笑いを浮かべられてしまった。
「逃げるのではないよ。そうだなぁ、これは生きる為の手段と呼べる」
……生きる手段。
前向きに捉えたら、そう言えなくもないだろうけど。
「でも、僕には家族が」
「直ぐにとは確約出来ないけど、お母上と妹君とは必ず合流出来るようにするよ」
合流って事は、フォンタナー伯爵は母上とアルもミュールズから亡命させるつもりなんだろうか。……本当に?本当に、そんな事が出来ると思う?国の機密を全て知り尽くしている宰相の、その家族を国がそう易々と逃がすはずはないだろうに。
「お父上の処刑が終われば、君もどうなるか分からない。たいていの場合、良くて嫡子はその一生を牢の中で終える事となる」
悪くて、適当な罪を被らせて処刑、という所かな。どの国にもそういった歴史がある事は知っている。
だから、本来なら僕も父たち同様に城の独房に入れられるべきだった。それがどういう訳か、他家の屋敷で軟禁なんて事になってしまったけれど、今回は極めて特殊なケースであると言っていい。陛下が公に有罪だと発表すれば、僕も城の独房へ移送される事になるんだろう。
「君が想像するよりも辛い日々が続くだろう。まだ年端もいかない君に、そんな目に遭ってほしくないんだよ」
フォンタナー卿が同情してくれているのはよく分かる。僕と似た年頃のご子息がいるから、余計に重なって見えるんだろう。そのご好意はとてもありがたいものだけど。
――でも。
「でも、僕は」
「イエリオス君」
「……申し訳ありません、フォンタナー卿。それでも、僕はこの国から逃げるつもりはありません」
だって、オーガスト様との約束を破るわけにいかないし。
何より、ここには僕の大切な人たちがたくさん居る。
そう、僕の。
乙女ゲームの世界の『イエリオス』ではなくて、この僕が大切だと思える人たちが。
共に生きたいと思う彼らが。
――――だから、逃げない。
「そっか」
「すみません、本当に」
色々とお世話になった上にご迷惑までかけたというのに、生きて逃がそうとしてくれるなんて。身に余る光栄だけど、僕はここで生きていきたい。
「そうかぁ、そうなんだねぇ。……ははっ。まあ、そう言うと思っていたよ」
「……え?」
あれ?何だか様子がおかしい。もしかして、怒らせてしまったのかな?そう思えるぐらい、フォンタナー卿の態度が変だ。普段のおどおどした感じが無かったのは初めからだったけど。
「フォンタナーきょ、っ!」
もしも怒らせてしまったのなら何度も謝り通すしかない。でも、それよりも先にずっと俯かれたままでは対処のしようがないからと立ち上がろうとして、少し立ちくらみが起きてしまった。
こういう時に限って、もう。あまりにも動かないから貧血でも起きたかな。
「……そもそも、君はあの男の息子だったな。最後まで自我を通して、我々をどこまでも不快にさせるのはもはや遺伝か」
「な、何を言って」
目眩がする。
それと同時に、急激な眠気に襲われる。
この感じは、――――まさか。
「そろそろ、効果が出てきたね?」
「効果……と、いうことは」
ようやくフォンタナー卿が顔を上げたというのに、視界がぼやけてまともに見られない。何とかかぶりを振ってみるけれど、それでも意識がぼんやりとしていく。
「本を全部読み終える前で良かったよ。最後まで読んでいたら、君なら必ずこの屋敷内から証拠を見つけ出していただろうからね」
「な……ん、の」
「私が、君のお父上を陥れたという証拠だよ。ああ、意識が保てなくなってきたかな?」
……そんな。
「あの方には直ぐに見抜かれてしまったけど、たまたまタイミング良く君という人質が手に入ったから手出しされる事はなかったんだけどね。でも、分からせる為にはちゃんと連れ去られた方が良いかなって思って、馬鹿共に任せてみたけど失敗しちゃったんだ。要領が悪い者達ですまなかったね。……あの方も、そのまま素直に我々に賛同して下されば良かったものを」
あのか、た?――って、コルネリオ、さま?
「君の役目は終わったんだ、イエリオス君。私は君のお父上が大嫌いでね、どうか嫌がらせに協力してくれないかなぁ?ああ、いや、君も忌々しい存在だったな。あの方の楔は一人で充分だ。って事で、君にはさっさとこの国から消えていなくなってもらいたい。次に目が覚めた時、君の不幸が始まるよ。すごく楽しみだねぇ、わくわくするよ」
途絶えがちの意識の中、消えてしまえ、と放たれた言葉が痛みを伴い胸へと突き刺さる。
『お前なんて、消えてしまえ』
……昔。
そう。まだ僕たちが幼くて、前世の記憶を思い出しては熱に倒れて臥せっていた時のこと。
僕は、この言葉を言った覚えがある。
――誰に?
それは、
「っ、ア……ル」
名を呼んだ途端、鮮明な記憶が脳裏に蘇った。それと同時に、頭痛がして。
「――ぅ」
頭を抱え込んだまま、ソファーに沈んでいくのが分かる。
「それじゃあ、永遠にさようなら。イエリオス・エーヴェリー」
そこで視界が遮断され、現実から逃げるかのように僕の意識はそこで途切れた。




