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もしも、色に匂いがあるのだとすれば、あの方の放つ鮮やかな緋色は、僕の記憶からいまだ消える事のない、幼い頃に弟と見た空まで届きそうなぐらい燃え上がる炎の匂いかもしれない。チリチリと踊るように舞う火の欠片がいくつも飛び交い、幼かった僕はただただ圧倒されるばかりだった。
活気溢れる城下町の商店街。夕闇の中、もうすぐ夜を迎える下町は、たとえこの国の内政を司る宰相が身柄を拘束されてしまっても、彼ら民衆の日常は何一つ変わってはいなかった。
――僕と、その隣りを歩くとある人物を除いては。
「だから、今すぐ着替えたまえよ!」
「この恰好の何処がおかしいと言うんですか!」
フォンタナー邸からリーレン騎士養成学校まで、実は徒歩で十五分程度。フォンタナー邸から密かに抜け出す事に成功した僕は、民が暮らす城下町に詳しくないので土地勘のある者に頼るしか無かった。というのも、僕の住むエーヴェリー家のお屋敷よりも、フォンタナー伯爵のお屋敷は貴族街でも城下町に近い位置にあったりするんだよね、実は。おかげで、街中にあるリーレンまでの道先案内人が必要だったのだ。うん。情けない話だけど、そこまでは致し方ない。
問題は、アシュトン・ルドーがその案内役として選んだのが――
「あのねぇ、こういう機会だから言わせてもらうが、君は一体自分をどのように評価しているんだい?」
「ライアン様こそ、僕を何だと思ってるんですか?」
何と、あり得ない事にグランヴァル学院の現生徒会長にしてエルが兄のように慕う幼馴染み、ライアン・アンダーソン侯爵子息という事だろうか。
「見た目は、儚い美しさを他者へ知らしめる為にその短い命を燃やす妖精」
「っ、ごほごほっ」
しまった。あまりにも驚きすぎてむせちゃったよ。どうせ、ここぞとばかりに悪口を並べるに違いないと思っていたのに、そんな美辞麗句がつらつらとライアンの口から出るなんて思うはずないでしょ?
「……ご、じょうだんを」
しかも、目を細めている所為で表情が読めず、つい動揺を隠せなくて狼狽えてしまうしまつだし。度し難い。
「もちろん、私にとっての美の女神はエルフローラ以外にいないよ。けれど、学院での君の評価は概ねそんな感じだよね」
「そ、りゃあ」
学院での僕は、アルミネラと入れ替わっているんだからあの子が褒められるのは当然だよね。そうでしょうね、と納得すると同時に心の底から安堵する。僕がライアンに褒められるなんて事がないから、背筋がぞわぞわするんだもの。ちなみに、ライアンだけでなく誰の目から見てもエルは美人だから。そこは絶対に譲れない。
「分からないかい?」
「はい?」
うん。とりあえず、僕はどうしてライアンにそこまで呆れた顔をされるのか分からない。不名誉なことこの上ないって憤っていい場面?なんなら、地団駄でも踏もうか?
「つまり、だ。そこまで彼らに言わせしめる容姿の侍女がどこに居るというのかな?」
「は?」
え、……っと?
「眼鏡ぐらいで誤魔化せるとでも思っているのかい?変装するなら、もっと目立たないような服装にしたまえよ」
「と、言われましても」
眼鏡は、僕のじゃないんだよね。それでもって、僕にとっても不本意だけど、この女装には深い訳がありまして。
――というのも。
今回の件、つまりフォンタナー邸からの脱走についてアシュトン・ルドーが出した案がこうだったのだ。
まず、放課後にアシュトン・ルドーがフォンタナー邸へ来る――のは、いつも通りとして。今日は、アルミネラを挟んで親交のあるセラフィナさんがやってきた。名目は、……えっと、慰問とか激励とかそういった理由だった気がする。そこは大雑把だったから覚えてない。
男ばかりの部屋への訪問だからと、わざわざフェアフィールド家の屋敷から侍女を連れてきて室内で待機させるようにした。大抵の貴族の子女は学院の寮に侍女を連れてきているけど、セラフィナさんはご両親に無理を言ってまで一人で生活しているから、侍女が必要なら自宅へ戻らなくちゃいけなかったりするのだ。
けれど、その手間はどうしても必要だった。
この時、昨日までのハイテンションさが息を潜めたアルベルト様の紳士的な行動に軽く目眩がしたけど、ざっくりと割愛させてもらう。もう、学院に復学しても僕はきっとそういう目でアルベルト様を見てしまうだろうなぁ。……知りたくなかった。
それと、彼女が手作りのお菓子を作って持ってきてくれて、なんとそれを食べた僕とアルベルト様が腹痛を起こしてしまったのだ。というのは筋書きなだけで、実際は美味しくいただきましたとも。でもまさか、本当に手作りだとは思わなかったけど、昔からお菓子を作るのが好きだったらしい。って、脱線した。
話を戻して、と。彼女の名誉の為に大袈裟にはしないでほしいと直ぐに騎士へと頼み込んで、そこでアルベルト様と共に手洗い場へ向かい、僕たちはお互いの衣服を交換しあう。そして、僕はアルベルト様になりきって、支えてくれるアシュトン・ルドーに凭れて顔を隠す形でアルベルト様の私室に戻った。ここが一番の正念場で、しかも僕をよく知るフェルメールの目をどう誤魔化すかというのが難点だったわけだけど、アシュトン・ルドーは抜け目がなかった。
僕を監視する為とはいえ、騎士たちもずっと同じメンバーではなく交代制となっている。
まあ、要はフェルメールが屋敷の外の警備にあたっているのを学院でアルベルト様から聞いて、この日に決行したというわけ。
僕とアルベルト様の背丈や髪色が似ているという点も上手く利用している辺り、さすがだなぁと思わずにはいられない。ほんと、その才能を国の為に発揮してくれないかな。
一方で。
アルベルト様にはしばらく手洗い場で引きこもってもらい、騎士たちによる検分が終わった所でさっと寝室に移動して引きこもる。今日はもう眠るらしい、と部屋から辞するセラフィナさんに証言してもらう事で、アルベルト様が騎士と直接話さずに済むというおまけ付き。正に一石二鳥というやつだよね。
お暇する為に、アルベルト様の私室に訪れたセラフィナさんとフェアフィールド家の侍女には中に入ってもらって。そこで僕は再び侍女と服の交換をして、侍女が予め被っていたウィッグを借りる、と。
これで、なんちゃって侍女の出来上がり。
後は、セラフィナさんと一緒に屋敷から出て行くだけとなり、そこでアシュトン・ルドーに自分が身に付けていた伊達眼鏡をかけられたんだよ。まるでデザートのメニューを読み上げる程の甘い声で「せめて、これをしていけ。無いよりマシだ」との一言を添えてね。さっき、ライアンには無意味だってばっさり切り捨てられちゃったけど。
でもって、そこからすんなりライアンと合流出来た――訳ではなくて。
屋敷から出て、後は敷地外までセラフィナさんの後ろを黙ってついて歩くだけ、となった時の事だった。決して油断なんてしていなかったけれど、僕たちの前にフェルメールが立ちはだかったのだ。
ね?まさかって思うでしょ?僕だって思ったよ。いつもなら気軽に声を掛けてくれるけど、今回はやけに真面目な顔をしてたんだもの。もうね、この時の緊張感を五文字で表せ、という問いに答えられるぐらいに。吐、き、そ、う、って四文字だ!いや、そんな事はどうでもいいんだってば。
結論から言って、フェルメールはセラフィナさんに今回はあまり深入りするなという忠告がしたかったらしい。直接顔を見ないようにセラフィナさんの後ろに立って、ずっと俯いていたから分からないけど、僕には何も言ってこなかったから多分気付かれていないはず。……うん。そうだと良いなぁという希望でしかないけどさ。なんにせよ、通された時はどれだけ感動した事か。その後直ぐにセラフィナさんに笑顔で「顔に出てますよ」と指摘されてしまったぐらいです。はい。以後、気をつけます。
そこから馬車に乗って屋敷から離れてから、ライアンと合流して今に至る。
という感じで、会った矢先からずっとライアンと喧嘩をしているのだけれども。
「せめて、服装は男物にすべきだろう?」
「……はあ」
早々に、難癖を付けられるとは思わなかったなぁって。ウィッグだって目立たない髪色なのに、これ以上どうしろと?
「あーもう、時間が惜しい。付いていたまえ」
「え、あ、はい」
なんて流れになったから、てっきりこの恰好について文句をいうのは諦めたとばかり思っていたのに、何故か連れていかれたのは五分も歩いてない距離にあるライアンのご友人のお店だった。
……うん?何がどうして?っていうか、ライアンにも貴族以外のご友人が居た事にびっくりしてる。いや、ほんと、もう何が何だかって状態なんだけど。
「どうして、ここまで?」
僕を手助けしてもライアンには何の得もないだろうに。なのに、服まで面倒を見てくれるなんて下心があるとしか思えない。となれば。
「まさか、エルの気を引きたいから、とか言いませんよね?それとも、何か裏があるんですか?」
ライアンの目的なんて、エルフローラしか考えられない。
適当に店長さんに見繕ってもらい、貴族というより庶民的な恰好に収まった僕を値踏みするかのようなライアンの視線がやけに痛い。似合ってないなら似合わないとはっきり言ってくれたら良いのに。前世ではこういうラフな服の方が好きだったなぁ、という割とどうでもいい事を思いだしてしまった。
「……」
ライアンを見れば、どうも何か言いたそうにしているので、放っておいてとりあえずお借りしたフェアフィールド家の侍女服をハンガーにかけておく。明日にでもアシュトン・ルドーに回収してもらおうと心に決めてスカートの裾を整えていると、実はね、というライアンの声が背中にぶつかってきた。
「現在、私とエルちゃんの婚約が持ち上がっているんだよ」
――ああ。
「では、これは僕への情けというわけですか」
「そうだよ。全てを奪われてもまだ諦めない君への手向けのつもりさ」
「なんだ、……同情だったんですね」
声は、震えていないだろうか。
手は、足は。
急な浮遊感で吐き気を催してしまったけれど、気付かれないよう静かに何度も呼吸を繰り返してみる。気持ちを落ち着かせるように。
「そうですか」
なるべく。
そう、なるべく普段通りに見えるように、と。
だけど、
「お祝いの言葉は」
「怒らないのかい?」
――っ。
「え?」
怒る?
「なんだ、君にとってエルちゃんの存在はその程度のものだったのかい?今まで君をライバル視していた私が単なる馬鹿みたいじゃないか」
「あなたに何が分かるんですか!」
僕にとって、エルがどれだけの存在か。
この世に生を受けた時からずっと隣りにいたアルミネラとはまた違う。親同士が親しかったから決まった婚約だけど、彼女の事は直ぐに好きになっていた。
幼少の頃はまだあどけなく、美しいというより可愛いという言葉の方がよく似合う聡明な女の子。僕の妹とは正反対に見えて、実は無邪気な所がそっくりで。
いつしか、アルと同じぐらいかけがえのない存在になっていた。
そんな彼女との婚約が無かった事にされてしまって。
しかも、次の婚約が決まりそうだなんて。
そんなの、
認められるはず――――
「分かるよ、分かるとも。今の状況は、以前までの君と私の立ち位置が逆転しただけの事なのだからね」
「……っ」
確かに、……そうだ。
今の僕たちは、以前と立場が入れ替わっているといえる。
「悔しいだろう?悲しいだろう?それはずっと私が抱えていたものだ。だからこそ、君の気持ちが手に取るように分かるのだよ」
……情けない。
怒りに身を任せて、暴言を吐いてしまう所だった。
ライアンはもうずっとこのもどかしい思いを抱えていたのに、今まで僕を罵った事なんて一度も無かった。なのに、僕ときたら。
「……」
「急に大人しなったね。私に怪しげな技を仕掛けたあの時の威勢の良さはどこに置いてきたんだい?」
怪しげな技?ちょっと何の事だか分からないけど、言い過ぎた負い目から聞き返すのも躊躇ってしまう。
「……大人しく、なんて」
「このまま、私がエルちゃんを奪って良いというのなら好きにしたまえ。けれど、このどうしようもない状況に怒りが湧くというのなら、……まあ、手伝ってあげない事もないかな」
「なんですか、それ」
いや、ほんと。何故か急に、距離を詰められてきた気がするのは気のせいかな。
「本当は、君を助けるなどまっぴらごめんだったんだ」
と見せかけておいて、辛辣なお言葉をちょうだいしてしまったっていうね。何だか、振り回される感が。
「それって、つまりここで時間を潰すつもりだったって事ですか?」
なぁーんて。
「それも考えていたよ」
……本気だった。うわぁ。
「だったら、何故」
「簡単に手に入る恋などロマンの欠片もないだろう?」
「は?」
うん?ごめん、ちょっとよく分からない。
「最後にエルちゃんに選ばれてこそ、真の愛を得たという事になるのだよ」
「はあ」
正論だけど、なんだろう……ライアンは何故か違う気がする。そもそも、障害があるのが当然ってどうなの。まあ、今までずっと僕という障害があったものね。えっと、……何だかすみません。
「婚約といっても、正確には君との婚約が白紙になったから、うちの両親がミルウッド夫人に打診している段階なんだ」
「えっ!」
あー。なんだ、そうだったんだ。僕はてっきり、ミルウッド夫妻には既に合意を得ていて、後は陛下にお伺いを立てているだけの状態だとばかり。
油断は禁物だけど、ほんの少し脱力してしまう。
「だから、私と君は今同じ位置にいるわけだ」
「あー、ですね」
うん、微妙に嬉しそうに見えるのは僕の幻覚かな?意外とライアンって、熱血漢だったんだ。そんな新しい一面、知りたくなかったよ。
「それに、私も今回の件では全てが上手く出来すぎているのがどうにも解せない。だから、ルドー卿の話に乗ったんだよ」
「ありがとうございます……?」
で、合ってるんだよね?多分。
「という訳で、君にはちゃんとした身なりで行ってもらわねば困るのだよ。相手に君だと気付かれなければ意味がないだろう?」
「……そうですね」
何というか、分かりづらいぐらい遠回しの激励なんだろうな。彼なりの。ここまで会話を突き詰めた事がなかったから分からなかったけど、ライアンはかなり捻くれているとみた。
そういえば、エルが以前「お兄様は常に物事を公正に見る目をお持ちで、それに誰に対しても気配りを忘れない優しい方なんですのよ」と言っていたけど、……分かりづらい。分かりづら過ぎるから!それとも、ここまで捻くれているのは僕に対してだけなんだろうか。
「時間が勿体ない。さあ、行こう」
「は、はい」
それでも、僕の髪色は街中でも目立つという理由で、パーカー付きの上着を買ってもらった。ざっくりと着られる大きさで淡い青色が実に夏らしくて、このお店の店長と同じぐらいハイセンスな才能を持っているライアンが割と本気で憎らしい。しかも、僕の好みを把握している辺り、ほんと何なの?……似合う似合わないは別として、逆に目立ってなければいいんだけど。




