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これより八章を開始します。
意外かもしれないけど、僕が初めて目にした緋色はオーガスト様でも陛下でもなく、まるで精巧に出来た人形のように綺麗過ぎてどこか恐いと感じた父上の部下だった。
おおよそ一ヶ月ぶりの自国から見上げた空は、真夏であるというのに今にも泣き出しそうな鈍色の重たい雲で覆われていた。――なんて。そんな風に見えてしまうのは、僕の今の心境からかもしれない。
オーガスト様が陛下の名代として参加したヴィルフ国の式典は、同行した僕とアルミネラが『女神の恩寵』を授かったり殺されそうになったりと、割とスリリングでサスペンス的な状況に陥って本当に死ぬかと思った。けれども、どうにかこうにかこうして無事に生還出来たのは、他でもなく一緒に旅をした人たちのおかげである。何より、王太子であるオーガスト様の初の国外でのお仕事だったしね。集められた彼らが各分野においてエキスパートだったから、僕たちは助かったんだろうなと本気で思ってる。要は、今回はたまたま運が良かっただけなのかな、って。
そして、僕にとっても聖ヴィルフ国への旅は初めての国外旅行だったんだけど。まあなんていうか、いつも通り。うん。ほんと、色々と巻き込まれたなぁ、と暗い雲で覆われた空の彼方を見てしまうのは許して欲しい。思い出すとね、ちょっと疲れちゃう時ってあるでしょ?そんな感じ。
きっと、僕の愛しい婚約者、エルフローラ・ミルウッド公爵令嬢に話せば、またもや困らせてしまうかもしれない。い、いや、今までだって僕だけが悪い訳じゃないんだけどさ。だよね?そうだよね?ね?けど、エルに黙っていたらそれはそれで怒られるに違いないので、こう、オブラートをどこまで重ねるのか僕の力量に掛かってるのでは?と真剣に悩まずにはいられない。という話は、ひとまず置いといて。
そんなエキサイティングな体験もようやく終わりを迎えたかと思えば、今度は母国で予想外ともいえる出来事が起きていた訳で。その情報はヴィルフ国にいる僕たちにも、もたらされたのである。
それは――
城内の牢に閉じ込められていたロレンス・アイスクラフト様が、そこにあるはずのない凶器で自刃した、というものだった。
簡単に言ってしまえば、何者かがアイスクラフト様に刃物を渡したという警備の甘さを現宰相である父イルフレッド・エーヴェリーが責任を負い、審問会に掛けられる事になったという。
宰相は文官たちの頂点でもあるけれど、城全体の警備もきちんと把握しておいて然るべきだからね。アイスクラフト様がどのように入手したのか、そして己に刃を突き立てたその時間帯の警備に問題は無かったのか、そういった事情を詳しく問いただされるとの事らしい。
いきなり更迭、簡単に言えば宰相の任を解かれるという訳ではないみたいだから、そこは安堵したけれど。父が拘束されたという事実に、僕たちは驚きを隠せなかった。
おかげで、ミュールズに帰国するまでの道のりは行きと比べてかなりどんよりとしていたと思う。もう、ドナドナなんていうレベルじゃないよね。オーガスト様なんて、僕とアルミネラになんて声を掛ければ良いのか分からない、なんて顔にはっきり書かれてあったし。アルの警護を担うディートリッヒ・ノルウェル先輩も似たようなもので、常に物言いたげな表情を浮かべるものだから、こっちが逆に気になって仕方なかった。
けど、僕と同じくオーガスト様の同行で一緒に来ていたテオドール・ヴァレリー様はというと、何と気さくに励ましてくれるから、度々オーガスト様にお前空気読めよという顔をされていたけれど、実は僕としては逆に清々しくて話しやすかった。グランヴァル学院に在籍されていた頃から分かってたけど、テオドール様は少しナルシストでロマンチストだからね。大変な境遇に居る者に対して、優しく励ます事が自分に課せられた唯一だ、なんて思っているんじゃないかな。底なしの前向きさが長所のテオドール様らしい、とつくづく思う。
逆に冷静だったのが、やっぱり場数というか経験の数が違うからか、ウィリアム・ノルウェル様とイヴ・キルケー様、それとクロード・ミルウッド卿――エルの父君の大人組だった。当然といえば、当然か。
ただ、現宰相の拘束なんて前代未聞と言って良い。ほぼ毎日、顔を合わせている仕事の同僚なのに、そんなにも落ち着いていられるのだろうかと僕なんかは思ってしまう。
まあ、騎士のお二人はまだ分かるんだよ?騎士という職業柄、きちんと公私を分けていそうだもの。陛下が統治するこの国を守る為にいつ誰がどうなるともしれない生活を送っているのだから、例え国の中枢を担う宰相が拘束されようが陛下の身に何もなければ問題はない。騎士団には確固たる優先順位があるのは、貴族の子弟である僕ですら知っている。
問題は――というか僕が気になったのは、ミルウッド卿で。
元外交官という立場から今回は僕たちを引率してくれていたけど、ミルウッド卿の本来の仕事は宰相補佐なのだ。つまり、父が拘束されて審問会に掛けられるという事は、例え国から離れていたとしても宰相補佐であるミルウッド卿も同様であるということ。即ち、ミルウッド卿は帰国した直後に拘束される事になっていた。
――なのに。
相変わらず、何を考えているのか読めない態度で奥様やエルへのお土産を嬉々として買い込んでいたし、アルと珍しいお菓子を買い食いしてたりとそれはもうこの旅を十二分に満喫されていたのだ。もうね、逆に開き直ってる?とでもいうような。
だけど、あの人の事だからというより、うちの父とミルウッド卿の事だから、何か策があるんだろうなとは思ってる。結局、僕の徒労で終わるんだろうなぁ、なんて。
とまあ、帰国までの間、僕なりに色々と考えてはいたけれども、まさか僕自身も巻き込まれるとは思わなかった。え?何があったのかって?まあ、よく考えてみてよ。僕の立場を。
前世では、柔道を愛する一人のしがない大学生だった僕だけども。今生では、ミュールズ国の現宰相イルフレッド・エーヴェリーの息子として生きている。そう、今の僕はエーヴェリー公爵家のたった一人の跡継ぎになるのだ。女の子であるアルミネラでは成り得ない。
つまり、父上に対する体の良い人質になるってことなんだよね。
まあ、それも父上の身の潔白が証明されるまでの間だけど。
ミュールズの検問所に着いて早々、ミルウッド卿と同じように拘束されるとは思わなかった。とはいっても、縄で縛られたりはしなかったのでそこは素直に喜んだけどさ。……ね。分かる人には分かるよね?縄で縛られるのは、もう、その、なんていうか、うんざりですっていう。あ、聖ヴィルフ国の日々が走馬燈のように流れて、ってそこは流そう。
結局、挨拶もそこそこに国境で待っていた第一騎士団の団長にミルウッド卿は連れていかれ、僕はというと、ついこの間まで大変お世話になった第二騎士団の団長フランツ・エルンスト様によって軟禁場所へと護送されるという事になった。
え、何処に?というのは尤もな疑問だと思う。
ではさて、何処でしょう?なんて言わないよ。だって、僕も知り得ない場所だったのだから。
そこは、とある伯爵家の邸宅とだけ言っておく。……まあ、直ぐに分かるけどね。
「今日は、退屈しのぎに盤上ゲームを持ってきたぞ」
そう言って、まるで自分の部屋へ戻ってきたかのように、上質なモノトーンの革製のソファにもたれ掛かったのは、燭台に灯されたオレンジ色の明かりを受けてキラキラと輝く銀色の髪を持つ麗しい顔の青年、アシュトン・ルドーだった。
……。
は?――――って、今、明らかに思ったよね?だよね?
僕も同じように思ったので、是非とも安心して欲しい。いや、ほんと。この人、どうしてこんな堂々と来られるのかな?って。しかも、よく聞いて。というか、大いに呆れてくれたら良いよ。僕がこちらにお邪魔させて頂く事になり、今日で三日目になるのだけども。
アシュトン・ルドーは恐ろしい事に、翌日の放課後からずっとここへやって来ているのだ。
ね?はあ?ってなったでしょ?昼間は普通に授業を受けて放課後には生徒会の仕事もあるのに、あなたは一体何を考えているんですか?って。はっきり言って、あり得ない。正直言えば、ちょっと恐い。なんというか、一年前のセラフィナさんを彷彿させるなぁってさ。というか、僕がここから出られない分、余計に性質が悪い気がする。例えていうなら、鬼ごっこで逃げた先が袋小路だったみたいな。
初めて来てくれた時は、確かに僕だって心細かったから嬉しかったよ?ま、まあ、すこーしばかり泣きそうになった事は否定しない。誰にも相談出来なくて、これからどうなるんだろうって不安に押しつぶされそうになってたからさ。
けどさ?だからといって、毎日来ちゃう?っていうか、僕の今の立場って微妙だと思うんだけど、お客様は構わないんだなぁってどうでもいい事を思ったりなんかもした。一応、僕が変な真似をしないように監視と護衛を兼ねて、第一騎士団と第二騎士団から数名ずつの騎士が屋敷や部屋の外に常駐しているんだけども誰も咎めたりしないんだよね。まあ、その理由はおいおい分かったのでいいんだけど。何となく、こいつまた来たのかって思ってる人はいると思う。僕の中では、確実に一人はそう思ってるなって。
僕が内心でそんな風に考えているとは露知らず、アシュトン・ルドーは徐に分厚い一枚板で出来ている豪奢な机の上へと盤上ゲームをどっかり乗せた。
「お前に先攻を譲ってやろう」
「……はあ、ありがとうございます」
いや、そんな得意げな顔されましてもね。まあ、いいけど。
しょうがないな、とこの屋敷の侍女が淹れてくれたお茶を一口飲んでから手を伸ばす。そこへ、客が居る際には開かれたままの扉がノックされた。
「遅くなってごめんね。少し準備に手間取っちゃって」
やってきたのは、アシュトン・ルドーがどうして誰にも咎められないのかという所以の人物。なんて言っても全く意味が分からないと思うので、真相を語ると。
僕が本来居るべきリーレン騎士養成学校の寄宿舎にも自分の屋敷へも戻されず、エーヴェリー公爵の嫡子という肩書きだけで軟禁される事になった場所は、僕たちより数日早く帰国した外交官のベルナル・フォンタナー伯爵家のお屋敷だった。
当事者である僕は知らされていなかったのだけれども、初めは父たちと同じ城内の貴族専用の牢に入れられる事になっていたらしい。それが、何故か不特定多数の人から抗議があり問題となったようで。ちょうど帰国したフォンタナー伯爵の耳に入って、それならこちらで預かりますよーという一言からフォンタナー伯爵のお屋敷にお邪魔させてもらう事となったのだとか。……というのを、これも不思議で仕方ないんだけど、何故かアシュトン・ルドーから教えてもらった。
ちなみに、どうして問題になったのか頑張ってしつこく聞いてみた所、世の中には倫理観がない者がいるのでな、と思いきり視線を逸らされ言われたけど全く意味が分からなかった。もしかして、政敵に過激派でも居るのかと思うと、痛い思いは嫌なのでそれは確かに不安にもなる。でも、僕だって宰相の息子である以上、全て受け入れる覚悟は持ってる。多少の暴力なら僕だって耐えてみせるのにな、と今更僕が訴えた所で覆りようもないから言わないけどさ。
そんな訳で、現在、僕はフォンタナー伯爵の屋敷にお世話になっているのだ。
そのフォンタナー伯爵には、十七歳の一人息子がおられる。それがこの方、アルベルト・フォンタナー伯爵子息である。ここで、あー!とそろそろ気が付いた方もいるはず。
アルベルト・フォンタナーとは、僕が妹の代わりを務めて行っているグランヴァル学院の現生徒会副会長なのだから。
これで、もうお分かりいただける事かと思う。アシュトン・ルドーがこうして毎日ここへ通える理由。それはつまり、容赦なくアルベルト様というコネを堂々と使っているからに過ぎないのである。
もうね、もう、その話を聞いた時は呆れを通り越して、外聞もなく頭を抱えてしまいましたとも。
僕がフォンタナー邸に軟禁された事も、どうやらアルベルト様から聞き出したようだしさ。アシュトン・ルドーも伊達に副会長補佐という役職をこなしている訳じゃないんだなって、ぼんやりと思ってしまったくらいだよ。全く。宰相になれる程の才覚をそういう所に使うんじゃないと喉元まで言葉が出そうになって飲み込んだからね。
名目は、学業や生徒会業務で多忙なアルベルト様からのたっての頼み。
僕としてはそんな安易な理由がまかり通ったのが、ここ最近の一番の衝撃的展開だった。
「本当はお二人で気兼ねなく、と言いたい所なんだけど、僕が居ないと僕の友人としてルドー様がここに来られる理由がなくなっちゃうもんね」
滅相もございません、と頭を下げたいのは僕の方です。というか、迷惑をかけてるアシュトン・ルドーも謝るべきだと思うんだけど。なのに、なんなの。そのちょっと不満そうな表情は。美形だからって許されるとでも思ってるの?
「いえ、助かっています。本来であれば、アルベルト様はうちの妹と同じくグランヴァル学院の寮で暮らしていらっしゃるのですよね。それなのに、今回の件でこうして屋敷から学院に通う事となってしまって、僕の方が心苦しい限りです」
先程の、軟禁先のよく分からない問題には、ついでの条件としてフォンタナー伯爵の令息であるアルベルト様の自宅通いが含まれていたのだ。
フォンタナー伯爵の奥方はアルベルト様が幼い頃に病でお亡くなりになったらしく、この屋敷で暮らしているのはお二人と数名の使用人のみであるという。フォンタナー伯爵は外交官のお仕事をされている為、滅多に屋敷には戻られない。それはほぼ国から離れているという意味でもあるけど、戻ってきても国内の仕事もあるから屋敷に戻ってこられないからだという。その為、僕を預かる事になったものの、伯爵の不在を見越してアルベルト様が寮から屋敷通いとなったんじゃないかなと僕は思ってる。何せ、屋敷から出られない僕だけでなく数名の騎士も敷地内でうろうろする訳だしね。
もしもの場合、アルベルト様が伯爵の代理を担えるのだもの。
「まあ、僕の父はかなりの変わり者だけど、イエリオス君はアルミネラ嬢と同じく綺麗だから仕方ないなって納得したから気にしないでよ」
「はい?」
うん?……えーっと。フォンタナー伯爵が変わり者だという事は、僕もそれとなく理解してたけど。でも、ちょっと待って。アルベルト様の話が見えてこないんだけども?
「見た目からしておかしい人だけど、息子である僕が特殊な性癖を持っていない事は保証するから安心してね」
そこでにっこり微笑まれましても。ていうか、やっぱりアルベルト様って生徒会の中でも常識的だと思ってたけど、意外と僕の見解は合ってたんだなぁ……じゃなくて。特殊な性癖って何ですか?
困惑しかない、というのがバレてしまったのだろう。僕がどう答えれば良いのか戸惑っていると、アルベルト様が、えっ!?と大きな声を上げて直ぐにアシュトン・ルドーに視線を移した。あの、その人は僕の後見人などではありませんよ?
「兄妹だからな」
「……うわぁ。そっか、そうなんだ」
ちょっ、二人とも僕より年上だけどもそういう言い方ってどうなの?いや、よく分からないけど、褒められてなさそうっていうのだけは直感で分かる。
「それでよく今まで何事もなかったというのが信じられない。さすがは宰相のご子息様だね」
……絶対に褒められてないよね、これって。でも、反論するにしても根本的な話が分からないし。ぐぬぬ。
「それよりも、違う話をしよう。ここで話せる内容は限られているが、何か聞きたい事はないのか?」
「……あ」
僕がアシュトン・ルドーの長所を答えるとするならば、真っ先にこう口にするだろう。
僕よりも戦況を読むのが上手く、効率を考えて動く人だ、と。
オーガスト様の宰相候補を決める時は敵として立っていたから、先手を打たれて何度それで泣かされた事か。今でも、アシュトン・ルドーの方が次の宰相に向いていると僕は本気で思ってる。
但し、この人の忠誠が僕ではなくてオーガスト様に向けられていたのなら、だけど。
そう。父君が早逝して若くして公爵という身分を授かったアシュトン・ルドーの問題は、この国に忠誠心が無いという事なんだよね。僕がそれを知ったのは、ミルウッド卿からの課題の僕の答えに何故か感銘を受けたようで、まるでプロポーズをするかのように貴方に仕えたいとか言い出された時だった。
ほんと、誰かもっと早く教えてよ、と言いたかった。それまで僕は、アシュトン・ルドーが宰相になれないのは重度の女性嫌いが原因だって思い込んでいたんだから。コルネリオ様と国を二分するぐらいの美形で、既に公爵であるアシュトン・ルドーに、執事やら片腕やらになりたいとか言われた身にもなってほしい。おかげで、こうしてここに来ているのもその一環だというのは既にアルベルト様もご存知だ。
だから気を利かせて、本当は二人きりの方が良いよね的な言葉を頂戴した訳だけど。僕は全く問題ないですから!むしろ、アルベルト様が居て下さる方が気持ち的にすっごく楽で有難いです!と心の底から感謝してる。なんて、口には出せないんだけどね。
キラキラと輝く白銀色の髪の下にある女神様が創りだしたかのような端正な顔を僕へと向けて、嫌味なぐらい長い足を組みながら頬杖を突くアシュトン・ルドーは、まるで神話の世界の登場人物のようだった。……ほんと、嫌味なぐらいに。二度言うよ。
「しばらく国外に居たお前にとっては、まだ何もかも整理が付かないだろうからな」
「……そうですね」
本当に、その通りだとしか言い様がない。
今まで失態を犯した事の無い父が、こうして審問会にかけられるという事自体、寝耳に水であるとしか言えなかったんだから。
「何が知りたい?」
冷静でありながらも奥底に情熱を秘めた怜悧な碧い瞳が、僕を貫く。
僕が、まず何を求めるのか分かっているくせに。……嫌な人。
「……」
そこで、机の上でずっとおざなりにしていた盤上ゲームのコマを一つ手にとった。このゲームでは、コマを『人』に見立て行う。人と人との対戦ゲーム。
――そう、人間。
情報とは人間の行動といえるだろう。
「……そうですね、」
僕の家族がどうしているのかは、だいたい予想が出来ているから今はいい。
僕が、一番気に掛かっているのは――――
「エルは、今、どうしていますか?」
僕の大事な婚約者の事だ。
更新は不定期とさせていただきます。




