17
閲覧とブクマ、そして評価をありがとうございます。
バサバサと音を響かせながら、その狭い網の中で鳥が精一杯藻掻いているさまを彼は見ていた。青い羽根をはためかせ、今すぐ飛び立とうとして直ぐに何度も何度も地面に叩き付けられる様子を。
そこへ、年配の男がやってきた。
「申し訳ありません。一匹、逃してしまったようです。探させますか?」
明らかに年齢では彼よりも上であるはずなのに、男は随分と情けない顔をして頭を深く下げながら謝る。これが当然だと言わんばかりに。
そんな年配の男にようやく視線を移して、彼はくすっと微笑んだ。美の化身と謂われるほどの顔に妖艶さを湛えながら。
「残念だけれど、仕方ないね。けれど、次は――――分かっているよね?」
年配の男は、それだけで頬に熱気が帯びていく。彼に期待されているという高揚感で胸がいっぱいになる。
「必ず、ご期待に添えてみせます」
期待しているよ、という言葉を彼が送ると、年配の男は捕らえた鳥を籠へと移動させる為に去っていく。その後ろ姿には興味なく、彼は先程飛び去ってしまったもう一匹の鳥を見つけようと空を仰いだ。
「さあ、早く戻っておいで」
――その言葉は、まるで遠くへと投げかけるかのようだった。
式典が始まるまで僕たちの死闘で一悶着はあったものの、あれからつつがなく始まった式典は終わりを迎えた。
式が始まる前に、全員が多少の怪我はあるものの大聖堂に集合出来たので、僕としては安堵している。もう、何度感謝の言葉を伝えても伝えきれないよ。やはり、というか予想通り、オーガスト様に「次、言ったら罰ゲームな」というお言葉を頂戴したので慌てて口を噤んだのは言うまでもない。罰ゲームって、と思ったけどさ。この同行者たちならやりかねないんだよね。……全力で遊ぼうとする大人、コワイ。
あの後の事だけど、ご高齢の枢機卿は、最後まで否定しながら衛兵に連行されていってしまった。これからどうなるのかは、他国の僕には分からない……けど。
多分、というかどこからどう見ても、あの人はえん罪なんだろうなぁ、と。
僕にすら分かってしまったけど、大丈夫かなって。
でも、それはどこの国でも割とよくある事で、一人を人身御供にする事で全てがまるく収まってしまうのだ。だから、あの人も何かしらの理由で切り捨てられたって事なんだろうけど……決して気持ちの良いやり方じゃない。僕たちは被害者だけど、そこに口を出す権利はないんだよね。
だけど、ちょっとモヤモヤがあり過ぎるなぁ、と密かに頭を悩ませていたら、僕の後ろを歩いていたミルウッド卿にぽんと肩を叩かれた。
「すまない、イエリオス君。悪いけど、僕は少しばかり離脱するね。けれども、直ぐに戻ってくるから、先に行っといてほしい」
「は、はい」
うん?急用かな?まあ、今回はミルウッド卿に色々とお世話になりっぱなしだったから、僕はイエスしか答えられないけどね。ははっ。……もう、これからミルウッド卿には逆らえないよ。
ちなみに、式典が終わって直ぐに動くと目立ちそうだから、という理由で僕たちはしばらく大聖堂内を見学し回ってからこうしてゆっくり移動をしていたりする。ついでに言えば、宮殿ではなく大聖堂内にある応接室へ。
何でも、教皇様よりお話があるので、と言われたからだけど用件は言わずもがなだよねぇ。かといって、聞かない訳にはいかないのでそれまでの時間潰しでもある。
それに、僕がここに来たのは二度目であるにも関わらず最後ともなるから、丸ごと芸術品とも呼べるこの大聖堂は堪能しておきたい。帰ったら、エルに話してあげたいしね。
という訳で、僕個人としては全てが最高すぎてまばたきするのも勿体ないぐらいのご褒美が目の前に!前世じゃあ全く興味なかったのに、環境が変わると趣味も変わるものなのかなぁ。前世は前世で柔道漬けの毎日が楽しかったけどね。
あ、あの彫刻の模様は凄い!どうやったら、あんな風に彫れるのかなぁ。
「イエリオスも、ようやく天使像の良さが分かってきたようだな」
「え?あ、あはは」
……すみません。天使よりその身に纏っている衣装の装飾を見てました。っていうか、オーガスト様は隙あらば天使を勧めてくるの止めて下さい。何ですか、もしかしてそういう同好会の回し者ですか。
いや、そもそもそんな同好会があるのかどうか。これは意外と悩ましい問題かもしれない、なんて思いながら歩いていると目の前に一人のシスターが立ちはだかった。
「ルネッタさん」
けれども、彼女は先程のような険しい顔付きとは打って変わって、のほほんとした柔らかな笑みを浮かべていた。やっぱり、ルネッタ嬢には笑顔がよく似合う。
「少し、宜しいでしょうか?」
うーん。僕としては全然「宜しい」のだけれども、とチラッと僕の主君に視線を送りつけてみる。いや、だってまた何かあったら罰ゲーム所じゃ無さそうだもの。
「私がお側に付きましょう」
すると、キルケー様が名乗りを上げてくれたおかげでオーガスト様から許可が出た。わぁーい!って、どれだけ僕は信用されてないの。ううっ。
「ありがとうございました」
大聖堂の見学を数分で飽きたアルが、同じく直ぐに飽きたノルウェル卿と椅子に座って話しているのを視界に入れながら言われたのは、何故かお礼の言葉だった。
「えっ、何を言ってるんですか!お礼を言うのは僕の方ですよ!」
そりゃあ、初めて会った時は天然過ぎて心配だったけどね。僕が困っていた時、僕が不安だった時、常に傍に居てくれた事がどれだけ心強かったか。という思いを力説すれば、彼女は突然、シスターの象徴ともいうべきウィンプルを脱いで首を振った。
「イリスさ、いえ、イエリオスさんの助けに少しでもなれたのなら光栄です。でも、違うんです。だから、今はシスターのルネッタじゃなく、ただのルネッタとしてお話しますね」
そう言って、少し寂しそうな笑顔で語られたのは、ルネッタ嬢の生い立ちだった。
話をまとめると、彼女はとある枢機卿の次女として生まれたらしい。
母親は、ルネッタ嬢を産んだ際に出血が酷くそのまま亡くなってしまったという事だった。その為、父親からも姉からもずっと蔑ろにされていたという。
そんなある日、幼い彼女は『女神の恩寵』を授かった。
つまり、宝石を吐いたということ。
自分から無機物が生まれた事によって驚いた彼女が頼れるのは皮肉な事に姉だけだった。すると、姉は直ぐにその宝石を隠して、誰にも言うなと彼女に言った。当然、ルネッタ嬢は恐ろしくて言われるがまま従ったのだけれども――それからしばらくして、今度は姉が宝石を吐き出したのだ。
その時の父親の喜び様は凄かったらしい。
エディッタ嬢を様々な場所へ連れ出しては大々的に自慢して、女神の御使いのように崇めたのだという。ルネッタ嬢を屋敷に一人捨て置いて。
ルネッタ嬢は、それでもまだ良かったんです、と言う。
実はそこからが彼女の不幸の始まりだったのだと。
ある日、エディッタ嬢が『女神の恩寵』を授かって喜んでいた父親に、とうとうルネッタ嬢も宝石を吐いた所を見られてしまったのだ。
父親は、激怒した。
即ち、『二人目』となったルネッタ嬢を許さなかった。
元々、母親を殺したとずっと言われ続けて蔑ろにされていた所に、更に悪である『二人目』となった彼女に父親は暴力を働くようになっていったらしい。
実際は、姉よりも先であったはずなのに。
姉はそのことをずっと隠し続け、父親から暴行受けている所を見ても助けてはくれなかった。
そして、とうとう父親と姉によって名も知らない金持ちの屋敷へ嫁ぐという名目で売られた先で、ようやくルネッタ嬢はレベッカさんに救出されたという事だった。
「父がその金持ちに逆恨みで殺された事は、そこから一年ほど過ぎてから知りました。すみません、お返事しづらいですよね」
えへへ、と苦笑いを浮かべるルネッタ嬢に、慌てて両手と同時に首を振る。
「い、いえ」
むしろ、僕に話して良かったのかな、なんて思う深刻なレベルなんですけど。
「姉とはそこから会っていませんが、姉が別の枢機卿の養女になってしばらくしてから私が初めて吐いた宝石を隠し持っていた事が見つかって、私達姉妹の『女神の恩寵』を授かった順番が逆だった事が世間に知れ渡ったのです」
「そうだったんですか」
だから、あの人はエディッタ嬢をあそこまで罵倒していたのか。
「マコフスキー様が、あっ、さっき連行された枢機卿ですけど、姉が『二人目』だと分かるやいなや、今度は私に養女になれと言ってきてしつこかったんですよー、もう!」
「それは大変でしたね」
やっぱり僕には宗教を重んじる国ってよく分からないけど、女神様からの贈り物一つで人生が左右されるというのは恐い。僕もアルも何故か授かってしまったけれど、他国で良かったってつくづく思うもの。……っていうか。あーあ、二人してとうとうかくれんぼ始めちゃってるよ。後で怒られても知らないんだから。
「ええ。ですが、私は既にレベッカ様の養女ですしね。それに、姉がそれを阻止しようと鐘を鳴らしてくれたおかげで」
「えっ!?ちょっ……ええっ!?あ、あの、待ってください!今、さらっと重大な事をおっしゃいませんでしたか!?」
いや、あの、ほんと待って?
アルをずっと見てたから、聞き流しそうになったけど。今、びっくりするような事を聞かされたよね、僕!?
「え?姉が鐘を」
「ではなくて」
いや、そっちも充分気になりますけど!
「ああ、私がレベッカ様の養女だって事ですか?」
キョトンとしてるけど、こっちは本気でびっくりしてますからね!?
「そ、そう、それです!」
まさか、ルネッタ嬢がレベッカさんのお子さんだったなんて。あの人、確かまだ二十九歳だったよね。二十九にしてこんなに大きな娘って。ま、まあ、養子縁組だけどさ。
……。
この国に来てから、これが一番衝撃的かもしれない。うわぁ。
「もしかして、あの方ご結婚されてるんですか?」
そもそも、僕はレベッカさんについてほとんど知らない。何せ、ミュールズに視察でお越しになった時に会っただけの関係だからね。その時に出た話題なんてたかが知れてるし。
「いいえ、されておりませんよ。余所の国はどうか分かりませんが、うちの国だとわりと普通に独身でも養子をとる方が多くいらしゃいます」
「そうなんですか」
これもお国柄というものなのかなぁ。
「レベッカ様には、私の他にあと一人男の子がいますよ。これがもう、やんちゃでして。いつも叱られてばかりなんですけど、素直で心根の優しい子なんですよ」
クスクスと思いだし笑いをする所をみると、ルネッタ嬢もその子を大切にしているのがよく分かる。血は繋がってなくとも『親子』なんだろうなぁ。
「会ってみたいですね」
「ふふっ。きっと、びっくりすると思いますよ」
そっか。それなら、いつか会えたら良いな。……あ。そういえば、もう一つ大事な事があったような。
「……ん、っと。あれ?えっと」
「どうしました?」
何だっけ、と額に手を当てて思い返してみるも出てこない。確か、養子の話の際に他にも重要な話があったと思うんだけど、ね?ほら、えっと。
「ルネッタ殿の姉君が鐘を鳴らした、という件でしょうか」
すると、僕が困り果てていたからか、後ろからキルケー様が助け船を出してくれた。
「あ、そ、そうです」
それは大変嬉しいのですが、急に存在感を出さないでもらいたいなって。いや、だっていきなり耳元で声を出されたらびっくりするでしょ?絶対、故意にやってますよね?怒らないから正直に話してください。
「以前、私が姉についてお話をした事を覚えていますか?」
「ええ」
あの時、エディッタ嬢を強かな『二人目』だと表現した。全てを思うままに動かしたい性格だと。
「姉はね、焦ってたんだと思います。守ってくれる父が死んでしまったから、どうにか別の枢機卿の養子にしてもらったは良いものの、結局、私達の秘密も公となってしまったでしょう?父の伝手で取り入った先も、伝承を重んじる方なのは当然分かっていたはずなのに」
ね?と向けられた苦笑いは決して馬鹿にした笑いなどではなく、むしろ慈しみが込められているかのようだった。けれど、直ぐに視線は外され、手遊びの道具となっていた己のウィンプルに注がれる。僕からの返事は不要だとでも言うかのように。
「自分が女神降臨を再現する際に、あの鐘が鳴る事で奇跡が起きると信じていたんです」
だから、あのタイミングだったのか。……それを、僕たちが石を吐いて邪魔しちゃったって事だよね。
それは大変申し訳ない事をした、というべきかもしれない。
「あれ?でも、あの鐘の鳴らし方って教皇様しかご存知じゃないはずでは?」
確か、あの後にミルウッド卿がそういう情報を仕入れて話してくれたんだけど。
「ふふっ、そういう噂があるのは知っています。ですが、そう思っているのは一部の修道士だけですよ。実際は、大聖堂でお務めをしている者なら誰でも分かりますよ」
教皇様が急死された場合困りますしね、と言われると確かにそうだよね、としか言えない。ミルウッド卿も定かじゃないと言ってたしね。
「今回、『女神の恩寵』を授かった事は心中お察し致します。ですが、姉の愚行を止めて下さいました事にとても感謝せずにはいられないのです」
ああ、だから「ありがとうございました」なのか。
あれは、本当に偶然でしかないと思うんだけどな。ルネッタ嬢には、それこそ奇跡だったのかもしれない。
「それなら、女神様に感謝の念を送るべきだと思いますよ。僕は、いや、僕たちはむしろ翻弄された身ですからね」
イメージするのは、女神様の気まぐれ。きっと、女神様にすればたまたま目に入った僕たちに試練を与えてみようと思いついただけなのだ。
肩をすくめて見せると、ルネッタ嬢は確かに、と言って笑った。
その時、遠くの方からオーガスト様に呼ばれて振り返る。……あちゃー。アルってば、やっぱり叱られてるよ。もう、仕方ないなぁ。後で僕も謝っておこう。
「そろそろ時間がきてしまったみたいです」
すみません、と頭を下げるとルネッタ嬢が赤い髪を揺らしながらブンブンと首を振る。
「いえ、私の方こそお時間を頂きありがとうございました!」
――また、いつか。
そう言って、僕たちは別れた。
次回が最終話の予定です。




