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これは余談だけど、女神ヴィルティーナ様の逸話に『黄金の羽根』というものがある。何でも、その昔、空腹の末に隣りの家のアヒルを食べてしまった村人が、口から羽毛を吐き出す病にかかったという。
村人は、町の医者に診てもらっても治せないと言われ旅に出た。
国一番の名医がいると聞けばそちらへ向かい、何処かの国に薬草に詳しい者がいると聞けば探し出した。そうして、世界中を回ったけれど、誰も村人の病を治せる者は現れなかった。
そして、行き着いた場所がこの聖ヴィルフ国で、村人は女神ヴィルティーナに懺悔した。
すると、彼は黄金の羽根を吐き出した後、二度と羽根を吐き出す事は無かったという。
――それが、『女神の恩寵』の原典とも謂われている。
何だか随分と歩かされた気がする。
懇親会がどこで行われるのか事前にオーガスト様に聞かなかった僕も悪いけど、何も別館でする事はないんじゃないかなって思うんだよね。宮殿が広いのは分かってたけど遠いんだってば。これじゃあ、アルに何かあった時直ぐに駆けつけられないじゃないか。うん。ただの八つ当たりですとも。
おかげで、悶々とする時間が増えて、余計に帰りたくなっちゃった。今からでも適当に理由をつけて帰るとか遅くないのでは、と思う僕は心配のし過ぎでしょうか。そんな事でアルに怒られたらお兄ちゃん少し泣いちゃうかも。いや、嘘だけど。
でもさぁ、と脳内会議で悩んでいると、ようやく到着したらしい。僕たちをここまで案内してくれた聖職者が、扉の前に並ぶ衛兵たちに声を掛ける。その様子をぼんやり眺めていると、僕の守護霊よろしくずっと後ろを付いてきていたキルケー様に背中をトントンと叩かれた。
そこに「どうしました?」という言葉は声には出さない。けれど、僕が僅かに顔を後ろへと向けた事によって、キルケー様がそれに気付き耳打ちするため顔が近付く。はい、ここでイケメン注意報です。
なんてことのない動作のように見えるけど、実はキルケー様は僕より背が高いからこそ自然を装えるという所をどうか着目して欲しい。というか、そういう動作ですら格好いいとか反則じゃない?多分、僕がオーガスト様にするのなら思いっきり背伸びをしなくてはならないし、オーガスト様にも少しばかりしゃがみ込んでもらわなくちゃいけない。それを別の視点から見てみてよ。どうかな?格好いい所か必死過ぎて憐れみを誘うよね、って。……自分で言っておいてダメージが半端ない。いや、凹んでる場合じゃないや。
「油断なさいますな」
僕がそんな事を想像していたとは全く知らないキルケー様がぼそっと呟く。どうやら、用件はその一言だけだったようで直ぐに顔は離れていった。残念な事に……とか言わないよ!僕が至近距離のイケメンに慣れてきたなんて大間違いだからね?
けれど、その一言は僕にとってあまりにも衝撃的過ぎた。
そう。
キルケー様が、わざわざ僕に油断するなというぐらいの危険が待ち構えているとするならば。
即ち――
アルが危ない。
これに尽きる。
うんうん。分かるよ、やっぱりそうだよね。皆まで言わなくても僕には分かる。それならば、オーガスト様には申し訳ないけど何とかしてこの場を辞さないといけない。そうだよね?という思いを込めてキルケー様に視線を投げれば、ゆっくりと、だけどしっかりと頷かれた。
――のに、目の前にいた彼らもちょうど話が終わってしまったらしい。
ああ、もうどうしてこのタイミングで終わっちゃうかな?こういう時に限ってついてない。ごごごご、というような見た目からして厳かな雰囲気を醸し出しながらも意外と軽やかな音を立てて開かれた扉を前にして、急遽決断を迫られる形になってしまった。……仕方ない。
こうなったら、オーガスト様に事情を話そう!
そうだ、そうしよう。そうと決まれば話は早い。とりあえず、オーガスト様の所まで行くしかないので、そのまま聖職者に続いて室内に一歩踏み出すと。
「お、お待ち下さい、アルミネラ様!」
「え?」
後ろからキルケー様の慌てた声が聞こえたけれど、時既に遅しというやつで。
「ぅ、わあ!」
急に室内から伸びてきた腕に手を取られて、引きずり込まれる勢いのまま転倒しかけた。が、中にいた人物によって抱きとめられてホッとする。
「す、すみません」
と言っても、僕は全く悪くないんだけどね。いやぁ、ははっ。
全く、何考えてるんだ。一体、誰の悪戯だよ、と呆れながら相手を仰げば――――
「……っ!」
「手荒なまねをして、大変申し訳ありませんでした」
……心臓が、止まるかと思った。
「ご無礼を承知で嘘をつき、この場へとご足労願ったのは私でございます。聖人である貴女様の御心を踏みにじるような真似をしてしまい、大変申し訳ございません」
「……」
立っているのがやっとで、何と答えれば良いのかすら分からない。それぐらい、脳が動きを止めている。自分という一つの個体が、全く別の物のように感じるほど意識が遠のく。
このまま気絶出来れば良いのに、なんて。
――そこへ。
「アルミネラ様」
「……あ」
いっきに血の気が引いてぶるりと震えた僕の肩を引き寄せられて、声が漏れた。背中越しに感じる体温は温かく、生きている実感を取り戻す。
……僕は生きてる、よね?ちゃんと呼吸出来てるよね?
まるで自分という概念がかき消されてしまったかのようで、恐い。
案の定、キルケー様にも今の僕の不安定さが伝わってしまったようで、そのまま守るように抱き寄せられた。
まあ、立っているのもギリギリだけど、正直に言うとこういう体勢は恥ずかしい。そりゃあ、フェルメールには不意打ちで何度もされているけどさ。僕の意思じゃないからね?
「これは一体、何の真似ですかな?」
そんな様々な事情からあまりの衝撃で声が出ない僕に代わって、キルケー様が目の前の男に訊ねる。と同時に、右耳に微かな金属音が聞こえたので、話しながらもキルケー様が臨戦態勢に入ったのが分かって息を飲んだ。
「今は争うつもりはございません。ですが、もし攻撃を仕掛けてくるおつもりであれば、我が部下の刃が背中を貫くだろうという事だけはお知らせしておきましょう」
「そのような姿勢でありながら脅しをかけるとは。人を馬鹿にするのも大概にして頂きませんと」
キルケー様の言うことは尤もだと思う。
けど、この人にはきっとそんな皮肉は通じない。どうして分かるかって?
それは、この目の前にいる黒いターバンの男とは嫌と言うほど顔を合わせてきたからに他ならない。だけど、今はそんな事など些末な事に過ぎない。
――何故ならば。
「聖人であるお方に対して、当然のことをしているに過ぎません」
僕を前にして、彼ら全員が畏まって平伏しているからだ。
いつもなら、殺意をむき出しにして刃を向けてきたはずなのに……なのに、こんなのって。
「……」
……ああ、吐きそう。
まるで忠誠を誓う騎士のように膝を突き、頭を垂れる男たちを見下ろすという行為に戸惑い、僕の心を反映して手のひらで覆った口からコホッと咳が一つ零れた。そして当然、僕の隣りに立つその人も同様で。
「聖人とおっしゃておきながら謀るなど言語道断ですな」
あ、怒ってる。怒ってらっしゃる。最近、ちょくちょくキルケー様を怒らせていた僕が言うのだから間違いないよ。って今はそれどころじゃない。
「誓って、アルミネラ・エーヴェリー様には嘘を付くつもりはありません」
……ああ、そうか。
この人は、今、目の前にいるのが『女神の恩寵』を授かった一人目アルミネラ・エーヴェリーだからこそ、こうして礼儀を尽くしてるんだ。……そっか。そうだよね。すっかり忘れていたけれど、今の僕は『アルミネラ』だった。
「……では、私をここへ呼んだ理由をお聞かせ下さい」
レベッカさんのいうように、本当にこの人たちは一人目と二人目への態度がこうもあからさまに違うんだ。襲われずに傅かれるなんて。
――――皮肉だね。
「その前に、そちらの騎士殿には武器を全て手放して戴こう。こちらとしては、聖人の御前での殺戮はなるべく避けたいので」
殺戮って。微妙に生々しい表現使うの止めてよ。
「……」
室内をざっと見渡せば、男を含めて相手は六人。外で立っていた衛兵も入れたら合計八人にはなるだろう。キルケー様の腕がどれほど立つのかは知らないけれど、それでも容易に逃げ出せるとは思えない。
僕が、見誤っていたからだ。
てっきり、襲われるのは部屋にいるアルの方だとばかり思ってた。いや、思い込み過ぎてた。
始めからアルミネラ・エーヴェリーを連れてくるのが目的だったなんて。
キルケー様が油断するなと言ったのは、正にこういう事なんだと今頃になって気が付いた。
馬鹿だなぁ。
悔しくて、握りしめた拳に力が入る。
喉の奥に石の存在を感じながらも、意地で吐き気を我慢した。まるで泣き言をのたまうように、宝石を吐き出すだけの存在に成り下がりたくはない。
そんな僕の心情を知ってか知らずか、キルケー様の手が僕の肩から離れていく。その動作に心細さを覚えて後ろを振り返れば、僅かに微笑まれたような気がして目を見張る。
……え、どういう?
気軽に聞ける空気じゃないから声に出せない。けれど、キルケー様は答えてくれる素振りなど全く見せず、次から次へと己の腰に携えていた剣など諸々を床へと置きだしてしまった。
「……」
……えーっと。正直言って、この人どれだけ隠し持ってるの?という感想だけ述べておきます。いや、ほんと。僕もこのドレスじゃなかったら、足に短剣ぐらいは忍ばせていたけどさ。それ以上に持ってるんだもの。何なの?騎士団員って皆そうなの?まあ、最後に置いた縄だけは本気で要らないと思うけどね。
「用心のため、拘束させて頂きます」
おい、と男が声を掛けると端で待機しているフードを目深に被った者が、キルケー様と僕を後ろ手に縛り上げていく。
無益な殺しはしないと宣言されていたけれど、本当にその通りなんだなぁ。あんなに僕の時は全力でかかってくるのに……って、本気だもんね。あはは。……ワラエナイ。
「……っ、」
布でぎゅっと手首を締め付けられて、痛みに声にならない声が漏れる、と。
「あっ!ごっ、ごめんなさい!」
フードの奥からそんな声が聞こえて、思わずのぞき込んでしまう。
「……あなたは」
まさか、彼女まで来ていたなんて思わなかったな。
あれから僕を訊ねてくる事もなかったようだから心配だったけど、どういう状況であれこうして会えてホッとする。ルネッタ嬢から、エディッタ嬢は『二人目』だって話を聞いてたから尚更そう思う。
「も、申し訳ありません、痛いのは我慢して下さい」
そう言って、直ぐに僕の視線から目を逸らしたエディッタ嬢は罪悪感を顔に貼り付けて、少し頭を下げると直ぐに離れていってしまった。
あーそうか。また忘れがちだったけど、今の僕はアルミネラだから彼女とは面識がないんだった。……もっと話がしたいと思うのに。今はやり過ごすしかないんだろうな。
「……」
さて、と。
エディッタ嬢の件はとりあえず置いておくしかない。それに、今は僕にしか出来ない事がある。
「どういうおつもりですか?」
僕の緊張感が具現化したかのように咳が出た。
それでも、この男と対峙する事からは逃れられないので、怯えているのを隠したくて睨むようにジッと見据える。そうする事で少しでも威嚇できていたら良いな。
「貴女様のご兄妹には、この国の安寧の為に命を絶ってもらわなければならないのです」
「言っている意味が分かりません。どうして、兄が死ななくてはならないの?」
「全ては女神ヴェルティーナ様への献身です。『女神の恩寵』を授かりし者の定めであるからです。何の因果で授かるのかは不明ですが、同じ血脈での二人目など、ただのあやかりに過ぎない。最も崇拝されるべき聖人の亜種であるからです」
冷静に、落ち着いて会話をしよう、と自分に言い聞かせていたけれど。……あー駄目。これはさすがに。
「理不尽な。兄も私も貴国とは全く関係がありませんよね?」
ただ、僕たちはたまたまこの国へ来て『女神の恩寵』を授かっただけのこと。なのに、どうして。
「例え、異教徒であっても例外はありません。特に双子であれば尚更の事、この国が災禍に見舞われると伝承にあるのです」
……今まで。
今まで、どんな困難にぶつかっても仕方ないって思ってた。受け入れて消化して、それから全力で抗ってきた。
それが、相手への誠意でもあると思えたからだ。
だけど、今回ばかりは全てが理解出来ない。
どうして僕が、なんて考えてしまう。……嫌なのに。そんな風に思いたくなんてないのに。
――でも。
こんな事が、まかり通って良いわけがない。
「アルミネラ様を人質にして、イエリオス様をここへ誘い込むおつもりか」
……え?
「まさか、そんな」
僕はてっきり、今のうちに部屋に奇襲をかけて『イエリオス』を殺すつもりなんだと思ってた。『アルミネラ』とキルケー様を拘束したのは、ただ単に僕たちを切り離す為の行為だとばかり。
「左様。これまで何度も排除に失敗しているのでね。聖人をこのような目的で危険に晒してしまうのはこちらとて不本意ですが」
「手段を問わなくなった、という事ですな」
「どう取って頂いても構いません」
もはや、キルケー様の嫌味ですら男には効果はない。
――そんなにも、彼らは。
「……兄をおびき寄せて、確実に殺そうって?」
僕を殺したいのか。
アルミネラを、僕の大事な妹を人質にとってまで。
「滅相もございません。高貴な方のお目を汚すわけには参りませんので、致死量の毒を飲んでもらう予定です」
「っ!」
……この人とは、わかり合えない。
死なせる事が出来れば、それで良いって?
自分の所為で、むざむざ大切な人が死ぬ場面を見て誰もが平気だってそう思ってるの?
それが当たり前だから?
それが、宗教として正しいとされる行いだって?
そんな馬鹿な話があって良いはずはない。
僕の代わりをしてアルが死ぬぐらいなら、
――――それなら、いっそ。
「……あなたが殺すべきなのは」
「アルミネラ様!いけません!早まってはなりません!」
ああ、やっぱりキルケー様には止められるって思ってた。
「何でしょうか?殺すべきは?」
僕の成り代わってるアルを殺されるぐらいなら、僕が本物だと名乗るのは兄として当然の義務じゃないか。
「アルミネラ様!」
「うるさい!その騎士を黙らせろ!」
「殺すべきは、この僕だ!」
「アルミネラ様!」
「貴様、まさか!」
あーもう!皆黙っててよ、と叫びたくなった――その時。
不意に、部屋の扉が開いた。と、思ったら。
「何なんですか、もう。こんな場所に呼びだ……ち、ちちちちちょっと!これは一体、どういう事ですか!」
聞き覚えのある声がして――
ひょっこりと顔を覗かせたルネッタ嬢と、ばっちりと目が合った。
「……」
あのさ、今、確実にどういう事ですかって僕に対して聞いているよね?でも、申し訳ないけど答えられないからね?
少し離れた位置にいたエディッタ嬢の口からルネッタ嬢の名が微かに漏れたような気がしたけど、今は構ってなんていられない。
「助けて!」
この千載一遇のチャンスを逃してなるものか、とただその一言を告げる事に全神経を集中させたから。
「はい!」
その途端、ルネッタ嬢が跳ね返るように部屋から飛び出す。教会で共に居た時は子犬みたいだなぁって思ってたけど、何だろう……こういう動物いるよね。妙にすばしっこいの。
「つっ、捕まえろ!」
男が慌てて指示するも完全にタイミングが遅れたのが、僕ですら分かってしまう。ルネッタ嬢を追いかけて仲間たちが出て行くのを見ながら、男がチッと舌打ちしたのも見逃しはしない。
明らかに、好機はこちらにあるといえる。
「……」
「……」
恐らく、彼らが戻ってくる事はないだろう。
相手もそれが分かっているからか、恨めしい目つきで僕を見ていた。
「逃げられるとは思わない事だ」
――分かってる。
けれど、それは絶対に言ってやらない。
この男との決着は、すぐそこまで近付いてるって僕は夢で何度も見ているから。
これまでずっと、この男は恐怖の対象でしかなかったのに、今は負けてたまるかという思いの方が勝ってる。
男はスッと目を細めて僕を睨んでから、苛立ちを隠すことなく出て行った。
「……今回はなんとか助かりましたな」
はあ、と肩で一息をつくと、キルケー様が手首をさすりながら近付いてきた。
「申し訳ありません、僕の所為で……って、どうして手が自由に?」
いやいや、ちょっと待ってよ。なに?もしかして、キルケー様って縄抜けの名人とか言わないよね?
「こういう時の為に、ちょっとした秘密道具を所持しているので」
「……そうなんですか」
あ、心なし自慢げだ。いや、自慢しても良いと思うけど自慢するのは限定五名までとかにして下さいね。秘密って言ってるんだから。
「もしや、彼の方のご指示でしょうか?」
「……ええ、きっと」
僕もそうとしか思えない。
レベッカさんには、全てを見透かされているようにしか思えないもの。
「それにしても、あの少女は一体何者なのでしょうか」
「何者とは?」
「この部屋の前には衛兵が二人立っておりました。仲間ではない者をすんなり通すとは思えません」
言われてみれば、確かにそうだ。
ルネッタ嬢が二人をあっさり気絶させる、なんて芸当は申し訳ないけど出来ないように思う。
「……そうですね」
もしかして、それすら事前にレベッカさんが?
確信はないけどそうかもしれない。
けれど、今はもう、自由になってもヒリヒリと痛む手首に視線を落とすしか出来ないでいた。




