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真面目な話、リーンハルト先輩にとってディートリッヒ先輩は、鬱陶しい存在だけどノルウェル家を継ぐ者としては認めているらしい。それは何故って?ディートリッヒ先輩がいるからこそ、自分は羽を伸ばして自由に動き回れるからだって。
短い期間だったけれど匿ってくれていた教会の方たちにお礼とお別れを言って、僕はオーガスト様たちと再び宮殿へと戻った。
ちなみに、ルネッタ嬢も明日にはこちらへ戻ってくるらしい。というのも、聞くところによると彼女はレベッカさんのアシスタント的な役割を担っているようで、普段はレベッカさんが援助しているいくつかの教会を転々としているのだという。
本当は町の人たちにも挨拶をしていきたかったけれど、時間も限られていたし何故か神父様たちにも止められたので、僕だけローブのフードを被った状態で顔を隠しながらの道中となった。まあ、ほぼ馬車移動だったけど。たまに怪しい人物扱いされてへこんだのはここだけの秘密。
その小旅行とも呼べる帰路は、特に何も起きなかった。だからといって、気が休まるはずもない。だって、相手は僕が何処にいるのか既に把握しているわけで監視はされているだろうから。夢のように人混みに紛れてぐさっと刺されるなんて事もあるかもしれない、なんて考え出したらキリがないけどね。
当然、そういった最悪の結果を予測するのは僕だけじゃない。
元外交官、もとい元諜報員だったミルウッド卿はもちろんの事、陛下の近衛兵を務めるノルウェル卿も同様で、キルケー様にしてもそうだった。とまあ大人組だけで留まらず、全員が危機感を持っていたから、常に厳戒態勢で宮殿に戻ったと言えば良いのかもしれない。
ちなみに、囚人よろしく腰に巻かれた縄については、僕への戒めだったらしくあの数時間で解かれた。ほんと、良かった!生きた心地がしなかったからね!ただ、キルケー様のベルトの部分にまるで鞭のように仕舞われているのが気になるところ。ばっちり僕の目に見えるように持っているのは、縛られる覚悟を問われているようで心臓に悪い。断じて一人でうろうろしないとも!
アルに至っては本当に手首を縄で繋ごうとしたから、生まれて初めて妹に対して一生のお願いという言葉を使って止めてもらった。……なんだろう。なんか、こう……大切なものを失った気がする。兄としての威厳かな?ははっ。……くっ。
――という感じに、再び宮殿での日々が始まったわけだけども。
「ねぇ、良いでしょ?」
久しぶりの兄妹水入らず、であるけれど。
Q.妹が甘えてきます。ただ、甘え方が他とひと味違うのですが、どうすべきでしょうか?
A.……強く生きましょう。ガンバッテ!
なんて、ふざけてる場合じゃなかった。
「だ、駄目だよ。それは、……だめ」
聖ヴィルフの宮殿は、主に国賓の宿泊施設のように取り扱っているため寝室だけでも部屋が広い。前世の僕の部屋と弟の部屋を合わせてもそれ以上あると思う。寝室だけで、だよ?
そんな広大な部屋なのに、僕とアルは隅っこの方で話をしていた。何故って?それは、僕がアルから逃げていたからだよ!……捕まったけどね。ううっ。
そんなアルとの距離は、もうすぐ鼻がくっついちゃう範囲内。簡単にいえば、顔が近いです、アルさん。それでもって、右手は僕の首元にあるタイを解こうとしているので、必死で止めている状態だったりして。うちの子、積極的なもので。いやぁ、あはは。って笑ってる場合じゃない。
「イオを甘やかせるのは私しかいないじゃない」
「それは、そうだけど」
そう言われてしまえばそうなんだけどさ、と僕よりも淡い蒼い瞳をのぞき込めば、そこには困惑した少年の顔が映り込んでいた。
「ね?私に委ねてよ」
「む、むり。無理だよ」
というかさ。
「もっと落ち着いて話し合わない?さっきは、アルの勢いにちょっとびっくりして逃げちゃったけど」
何も壁ドンする事ないよね、と僕は思うのですよ。
まさか、とうとう妹にまで壁ドンされるとは思わなかったなぁ、お兄ちゃんは。そりゃあ今までさ?どれだけ君と同じ手口で逃げ道塞がれた事か、なんて言えないし、ましてやそれが万華鏡のように様々なイケメンたちのオンパレードだったって事も言えないよ?けど、ついにそこに妹も加わるとなると地味にショック、いや、ほんとはかなりダメージが大きいです。
僕だって壁ドンしたい。あ、いや、別に本気でしたいわけじゃないけどさ。……あーもう、恥ずかしい。
「せっかく二人きりになれたんだし、しばらく戻ってこないから良いじゃないのさ。けちぃー」
けちって。妹よ、ますます母上に似てきましたね。ではなくて。けちとかいう問題じゃないんだってば。その唇を尖らしてる顔は好きだけど。
「こ、こら、タイを引っ張らないの」
僕への抗議として、指で摘まんでいたタイをびんびんと引っ張ってくる辺り、この状況を楽しんでるよね?僕への意地悪だって分かっててやってるんだもの。そりゃあ、黙って居なくなったのは申し訳なかったけど……って、あれは不可抗力だから。
「それに、二人きりってわけでもないでしょ?」
そう言いながら、もう一つの部屋である応接間へとちらりと視線を投げつけた。
今日は、男性ばかりの懇親会という事でオーガスト様がそれに出席している。護衛にはノルウェル卿とテオドール・ヴァレリー様が付いているので特に問題はないはず。ミルウッド卿は、元諜報員らしく定期的に密使を通じて本国と情報の交換をしているようなのでここにはいない。
そういうわけで僕たちは……というより、アルが暇をもてあましているので困ってる。誰がって?主に僕が。
「イヴ様なら問題ないって。もう一人に関しては興味ないけど」
もう一人……相変わらず、ディートリッヒ先輩は名前を呼んでもらえてないんだ?フェルメールに懐いてたから、そのフェルメールを毛嫌いしてたディートリッヒ先輩とはなかなか距離が縮まらないのは分かるけど。それでも、ディートリッヒ先輩はこの先もアルの護衛役を担うんだから、いずれどうにかしてあげないとな。そんな事を考えながら、アルの説得を試みる。
「いや、でもね」
「イオ」
あ、だめだ。見ちゃだめなやつだ。
「……」
見ない見ない見ない見ない見ない。見ないったら絶対に見ない。
「……」
……う。
「……っ」
……そういう顔で見つめてくるのほんと止めて。
僕がそういうアルの切ない顔に弱いの知ってるでしょ!?何なの?小鳥なの?子犬なの?可愛すぎでしょ!そんなの直ぐに保護したくなるに決まってるじゃないか!
「……分かったよ。ちょっとだけ、だからね」
結局、こうやって押しきられるのはとうの昔に知ってたよ。だって兄だもの、妹には甘い生き物だからね。僕はどうせどが付くほどのシスコンですよ。それが何か?
はあ、と息を吐き出して抵抗を止める。と、アルは先程とは打って変わって大変満足そうな笑みを浮かべながら、容赦なく僕のタイを引っ張った。
「おや、まあ」
それが、寝室から出てきた僕とアルを見た時のキルケー様の第一声だった。
なんとも間の抜けた……いや、失礼。僕としては、怒られる事を覚悟してたんだけどなぁ。というか、ちょっぴり期待してたのに。なにせ、いつ暗殺者が侵入してくるとも限らないのだから、僕たちの行為は危険だもの。
けれど、キルケー様はさすがコルネリオ様のファンクラ、第二騎士団副団長を務められる方だった、というわけだ。
アルが問題ないって言ってたけど、ほんとに何も言わないんだなって。寛容なのかコルネリオ様から命令を受けているのか。こんな時に不謹慎ですな、とたしなめるぐらいして欲しかったのに。
「何やらいかがわしい会話をしているなと思っていたら、そういう事だったのか」
逆に、ホッとしたような半ば呆れたような表情を滲ませたのはディートリッヒ先輩で。
「……気を揉ませてしまってすみません」
僕はというと、久しぶりのドレスに少し気が遠くなっていた。
「でも、やっぱりイオの方が似合ってるよね、そのドレス」
そんな僕の隣りでは、久しぶりに身に纏った男性ものの貴族服に身を包まれたアルが、実に楽しそうに裾を持ちながら今にもスキップをしそうな勢いでクルクルと回る。
全然入れ替わる事が出来なくて、淑女らしい振る舞いにストレスを感じていたのなら兄として良かったと思うべきなのかもしれない。うん、気は晴れたかな?
「あはは、お世辞でも嬉しいよ」
僕が着たって誰の得にもならないけどね!
「お世辞じゃないのに」
「男としては些か矜持に傷が付くのですよ、姫君」
そうそう。……って、言わないで。それ秘密でお願いします、キルケー様。しーっ、ね?あと、ディートリッヒ先輩は僕をどう慰めようかとか悩まなくて良いですから。お顔にばっちり出ちゃってます。
「もう慣れてますから。けど、こんな風にコルセットとペチコートで腰から下をがっちり締め付けられるのは苦手です」
女装だけなら、僕だってある程度慣れてるよ。そりゃあ、伊達に一年以上それで過ごしてないからね。でも、ほんとコルセットはくせ者なんだってば。これって、どうしてここまで締め付けるわけ?くびれの曲線美?女性には何も食べるなって事ですか?
「私も嫌い。たまに内臓が飛び出すんじゃないかって思うもの」
さすがアル、言い得て妙。っていうか!
「まさか、このドレスから逃げたくて僕に入れ替わろうよって迫ってきたわけじゃないよね?」
「そっ!そんな事はないよ、全く。あはは、やだなぁイオったら」
始めの『そ』が動揺で大きくなってしまったのを、僕は見逃してないからね?もういいけどさ。
「それじゃあ、改めてお茶にしよっか」
なんて、嬉しそうな顔で両手をぱちりと合わせたアルが告げた所で、不意に来訪者を知らせるノックが部屋に響いた。
「……むう」
でもって、直ぐにぶす暮れて頬が膨らむうちの子可愛い!ねぇ、見て!ほんと可愛いから!
「しょうがないよ、こればかりは」
「出て参ります」
誰もいなかったらそのほっぺたを突いて弄り倒したい。……じゃなかった。つい、本音がぽろりと。
ここでは一応、我らが保護者もとい監督者である年長者のキルケー様が用件を聞きに扉の外へと出て行った。と思ったら、直ぐに引き返してきたので仰ぎ見る。うん?何だか、釈然としてない感じ?いや、元々塩顔ってそんなだけど。
「どうしました?」
「現在行われている懇親会にて、殿下が至急アルミネラ様をお呼びとの事のようです。他国の皆様も同様なので、と」
「アル、じゃなかった……私を?」
「はい」
なるほどね。このタイミングで呼ばれるなんて事があるとは思わなかったなぁ。だから、キルケー様も眉間に皺を寄せてるのか。
「もう!これだから嫌なんだよ。……行かないと駄目なのかなぁ、もうやだあ」
がっくりとうなだれたアルに肩入れしてしまうのは僕の悪い癖だと思う。つい、どうにかしてあげたいたくて。
「急ぎなら僕が出ようか?その代わり、君は絶対にここから出ちゃ駄目だけど」
僕が一番恐れているのは、アルが僕の扮装をしたまま外へ出て行ってしまうこと。身軽になったアルなら少しぐらいと思って飛び出しそう。そんなの、どうぞ殺してくださいと言わんばかりでゾッとする。
「えっ、良いの?でも、大丈夫?」
というアルの放った言葉の後半部分は、僕ではなくキルケー様に向けられていたらしく。
「念のため、私が護衛に付きます。それで構いませんね?」
「お願いします」
僕を抜きにして二人はぽんぽんと話を進めていった。えっと、当事者は僕なんですけど?まあ、別に良いけどさぁ。
「ディートリッヒ先輩、申し訳ありませんが」
悔しいけれど、ノア以上にアルのお目付役はなかなかいない。とはいえ、ディートリッヒ先輩はリーレンに在学中、統括長という優秀な人にしか与えられない称号を持っていたのだから充分頼りになるはずだ。それは僕よりアルが一番分かってると思うんだけどな。
「ああ、しっかりと監視しているから」
……いや、監視しているって表現おかしいですからね?いきなり凶暴化なんてしないはずだよ?ちょっと余所のご令嬢がたより動き回るのが好きなだけで。……うちの子、エネルギッシュなんだよ。
よろしくお願い致します、と頭を下げてアルの方へと歩み寄る。
「もし、襲われてノアとディートリッヒ先輩が敵わなかったら叫んで逃げてね、『火事だ!』とでも言いながら」
その方が、闇雲に叫んでるより効果があるもの。ああ、前世で不審者撃退の講習に付き合っていて良かった。ちょこちょこと役に立っててありがたい。
「けど、部屋から出ない方が良いんじゃないの?」
それはそうだけど。
「部屋に侵入されてしまったら、の話だよ。あの人たちは恐ろしくしぶといよ。中でも、リーダー格の人は強いから」
何度も襲われたからこそ、それが分かる。僕はいつも抵抗すら出来ていないけど、助けに入ってくれたフェルメールがそれを教えてくれたからね。
彼らは何度打ち倒されても、しばらくすれば起き上がってまた立ち向かってくる事が多かった。僕を殺す事しか頭にないような。
「……」
やっぱり、心配だなぁ。
こんなタイミング良く、オーガスト様に呼ばれるなんてなさそうだもの。アルとアルに付きそう騎士を減らせば、部屋に残っているのは二人だけで容易に暗殺出来るんだから。もしかして、オーガスト様に呼ばれたなんて嘘だった、なんて事はないよね?……けど、僕を殺せるのであれば、アルのフリをしている僕がいなくなったその時が好機だし。まさか、僕たちが入れ替わってるなんて相手はきっと気付いてないはず。
「……ねぇ、やっぱり、急いで服の交換を」
「いいから!私は大丈夫だから、早く行って!」
「わわっ、ちょっ!」
酷い!僕はアルの事が心配なだけなのに。なにも、背中を押して無理矢理扉まで歩かせる事なんかないじゃない?
「だから、アルはちゃんと役目を果たしてきてよ」
入り口付近だからか、アルは意外にも言葉を選んでいるらしい。こうしてみれば、アルも僕の真似が上手くなったなぁと実感する。何だか、僕がもう一人いるみたいで不思議な感じ。
「分かったよ。行ってくるから、そっちは気をつけてね」
なるべく急いで帰るから――そんな思いを込めて、アルに手を振る。
「うん、ごめんね」
すると、アルは殊勝そうに謝ってくるものだから、思わず笑みが零れ出た。
馬鹿だなぁ、わがままの事ならいつも通りだから気にならないのに。
「いいよ」
だから、そんな顔をしないでよ、と暗に含んで笑いかけるとアルも笑みを浮かべたので頷く。それでも、頼りない笑みだから苦笑してしまったけど。
「行ってくる」
もう一度そう言ってから、キルケー様と共にその場を離れた。
アルの身に危険が迫らない事だけを祈って。




