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お互いの素性が明らかになってから、マリウスくんとはたまに図書館に一緒に行く事がある。調べ物をしていてなんとなく、いつか人も鳥のように空を飛ぶことが出来るのかな、と口に出したらとっても残念な子を見るような目で見られたのが忘れられない。いや、でもさ、前世じゃ飛行機っていう乗り物がありましてね。
あれから、ネネ先……じゃなかった、レベッカさんから僕の事はここのシスターに一任してあるから、と言われて置いて行かれたけれど。
朝の身支度を調えた所で、僕を呼びにきてくれた人物の顔を見たら頭が痛くなってしまった。いや、実は着替える際にシスター服を手にした時点で軽く目眩を覚えてしまっていたけれど、その艱難辛苦は乗り越えていた。
――で、どうしようね?
「……っと、お助けしたいのは山々なのですが、まずはその状態をどうにかして頂きたいのですが、ルネッタ様」
そう、この教会のシスターというのは、どうやらこのルネッタ嬢の事だったようで。まあ、それは見知った人だったから内心ホッとしたけどさ。……ね?
まさか、僕を呼びにきて何故か廊下でひっくり返ってるとは思わないじゃない?びっくりしすぎておはようございます、も言えなかったよ。おまけに、修道服のスカートもまくれ上がっているしまつ。なので、これでも弁えているので直ぐに室内へ体を方向転換させて頂いたけれども。
「ひ、ひゃあ!ご、ごめんなさい!ごめんなさい、本当に!も、もう、大丈夫ですので!」
本当なんだろうか。いや、疑うのはよくないけどさ。
「お怪我はありませんか?それと、おはようございます」
振り返ると、ルネッタ嬢が立ち上がっていてスカートの裾をポンポンとはたいていたのでホッとする。これで更に酷い事になっていたら、今すぐレベッカさんに彼女を保護する嘆願書でも書かなければいけないのかと本気で思っていたから良かった。朝からスリルは体に良くないって。
「わわっ!おはようございます、です!それと、ありがとうございます。どうも、私おっちょこちょいで」
ですよねー、知ってます。
えへへ、と頬を掻きながら困ったように笑っているけどね。もうちょっと気をつけようか。
「……」
「……えっと、どうしました?」
っていうか、何?そんなにジロジロ見られても。僕の顔に何かついてる?はっ!?いや、もしかして……やっぱり、男の僕にシスターの恰好は似合ってないのでは?ある意味、それはそれで嬉しい誤算。
「いえ、あの特徴的な髪を隠していても、やはりお美しいなぁ、と」
「あはは、ありがとうございます」
残念、全く違う事だった。だけど、社交辞令でも嬉しいかな。っていうか、僕より妹を是非見て貰いたいけども。可愛くてキラキラしてるから!絶対、僕より似合ってるから!これ、自慢。
「しばらくの間ですが、御使い様とは一緒に働く事となりますので何でも訊いて下さいね」
まずは食事する場所へ向かいましょうか、と言われ共に歩きながら、彼女がにっこりと愛嬌のある笑みを浮かべたけれども。
「レベッカさんから話は聞いていますよね?」
とりあえず、真っ先に言っておかなければならない事がある。
それは、巻き込まれて怪我を負いたくなかったら僕に深く関わらない方が良い、という事。ましてや、女の子だから傷跡でも残ったらと思うと申し訳ないよ。
そんな思いで問いかけてみたけれど。
「ええ、全て承知しております。ですが、私なら全く問題はありませんので」
不安がる所か、朗らかな笑顔を保ったまま首を振られた。
「だけど」
最悪、共に殺されるかもしれない――のに。そう言いかけた僕の言葉を遮って、ルネッタ嬢は数歩先へ進むと翻って人差し指を唇に当て、そして。
「私もね、御使い様と同様の『女神の恩寵』を授かった一人なんです」
だから、私は殺されるような事はありません、と断言して一瞬だけ自嘲気味に微笑んだ。
「ルネッタ様も、なんですか」
まさか、こんな身近に存在するとは思わなかった。っていうか、『同様』っていうは僕たちと同じ宝石吐きって事だよね?
あまりにも驚きすぎて瞠目した僕にルネッタ嬢がクスクスと笑う。
「ええ、状況的には御使い様と全く似たようなケースでしたよ。ただ、うちの場合は『二人目』が強かだっただけで」
「え?」
それって。
「ひゃあ!」
どういう事ですか、と問おうとしたら、後ろ向きだった為に彼女が階段から落ちかけて、慌てて手を掴んで引っ張った。
「っ、……はあ。大丈夫ですか?」
あー良かったー!上手く助けられて本当に良かった!
階段から落ちた事のある僕としては、彼女が二の舞にならずに済んで良かった。まあ、落ちた衝撃で一時的な記憶喪失になった僕が言うのもアレだけどね。
なにぶん、ルネッタ嬢とはさほど身長も体格もあまり変わらないから、一緒に落ちなくて良かったっていう事の方が正しいのかもしれないけどさ。
「……ルネッタ様?」
もしや、どこか打ったかな?と思い、そういえば抱きとめたままだったなぁと顔をのぞき込むのに体を離す。
「大丈夫ですか?」
「……はうぅ。卑怯、です」
「は?」
いや、ごめん。今、あまりにも意味不明過ぎて素が出ちゃったよ。う、うーん。女の子相手にこれはいけない。
「あの、大丈夫ですか?」
顔が赤いけど、もしかして顔面をぶつけてしまったかな?――あ。もしや、昨日レベッカさんが帰る前に、『これ、最終兵器ねー』と言いながら投げて渡してきた、レベッカさんと教皇様を繋ぐ身元保証書的なネックレスにでも鼻をぶつけてしまったとか?それなら、服の中にそんなものを隠していた僕が卑怯だったかもしれないけど。だって、堅いし。不良はこういうの卑怯って言うじゃない?え?違う?これはやっぱり謝った方が良いのかな?あー!ちっとも分からない!一体、何が卑怯なの!?
「そのお姿ですっかり油断していた私も悪いのです、ええ。だから、先程の言葉は前言撤回させて戴きますとも」
「いや、あの?」
一体、何のこと?もしかして、この子はセラフィナさんと似たような性格だったりする?
「御使い様には――いえ、この呼称も私を惑わす一つですね……なるほど!それはいけません。それはない!ふっふーん!気をつけよう!いつだって油断大敵だー!……ふう」
あ、やっと終わったのかな?セラフィナさんも大概だけど、あれは前世での業だと思ってるから慣れてしまった。ルネッタ嬢の一人芝居は……うん、ごめん。ちょっとついていけないや。
「申し訳ありません、っていうか引かないで下さい!私、よく失敗しちゃうので、適度にレベッカ様からの注意をイメージしないと落ち着かなくて」
えっ!今の、もしかしてモノ真似してたの!?
「ソ、ソウデスカ……へぇ」
……濃い。濃過ぎるよ、聖ヴィルフ国!ミュールズも変わり者が多いと思っていたけど、世界は僕が思うよりも広かった。ああ、無情。……じゃなくて。
僕、本当にここでしばらくやっていけるのか本気で心配になってきた。
あはは、と愛想笑いで誤魔化したけども、さすがに愛想笑いも限界があったらしく直ぐに見抜かれて、ルネッタ嬢にポンと肩へと手を乗せられる。その笑顔が、どこか彼女の上司であるレベッカさんと似ていたのは僕の気のせいだと思いたい。
「大丈夫ですよ。きっと、直ぐに慣れると思うのでご安心ください。ね、――――
「イリスさま!!」
「おはよう、みんな」
ここ二日の間に記憶した、舌足らずの幼い声に振り返る。それから視線を落とせば、可愛い笑顔が三つあって思わず頬が緩んでしまった。
「も、もう!どうして、そんなにびじんなの!」
「これ以上、きれいにならないで!」
「うっ、おれにはまぶしすぎるぜ!」
えっ、なんで?
僕にはよく分からないけど、初めて会った時から何故かそう言いながら直ぐに顔を背けられるので、ちょっと理不尽さを覚えてる。僕の顔はそんなに見ちゃいけないレベルなんだろうか、とか。僕としては、彼らともっと交流を深めたいのになぁ。というのも、彼らはこの町に住んでいる労働者の子供で、毎日顔を合わすので仲良くなった。
初日は、もう何をすれば良いのかさっぱり分からなくて、ルネッタ嬢の失敗に付き合いながらも後ろをついていくばかりだったんだけど。今では、こうして花壇に水やりをするなんていう簡単な仕事をさせてもらったりと、結構穏やかに過ごさせてもらっている。花も子供も可愛いし。こういう生き方も悪くないかなぁって。
ほんと、あの数日間が嘘のように。……まあ、悪夢はまだ見てるけどね。
ここは、聖ヴィルフ国内でもたいぶ田舎の方にあり、どうやら貧しい人々が多く暮らしている町らしい。なので、学校にも行けない子の為にこの教会では勉強を教えているという事だった。そういう慈善活動からでも分かるように、この教会の神父様たちは本当に優しくて、訳ありの僕にも普通に接してくれるのでありがたい日々を過ごしている。
そんな僕の偽名はイリスといって、単に『イエリオス』から二文字抜いただけなんだけど、たまたま女神様の御使いにそういう天使がいるようで。
「イリス様、本日も後ほどお祈りをしに参りますね」
「お待ちしております」
「イリス様ー!さっき、隣町から野菜が届いたから後で持って行きますね」
「いつもありがとうございますね」
まだ三日目だというのに、町民にも僕の存在が浸透し過ぎて少しばかり戦慄している。え?どういうことって思うでしょ。僕なんて、当事者なのに置いてけぼりにあったような気分で途方に暮れているからね。うん。これでも、目立たないように隅っこの方で掃除をしたり、植物のお世話をしていただけなんだけどなぁ。
町民の皆さんの友好度合いが強すぎて、ルネッタ嬢に相談してみたら「あー、イリス様のイメージとイリスさんのお姿がぴったりなんですよね。ここはもう受け入れちゃて下さい!」という無茶ぶりを返された。実に明るい笑顔を添えて。
ま、まあ、でも、それは仕方ないのかなとも思う。うん。偶然にも天使と同じ名前にしてしまった……あれ?ちょっと待ってよ、決めたのはレベッカさんだった、はず。……う、わぁーっ!また嵌められたぁああああああああ!!!!くっ!悔しいけど、今は置いといて。ちなみに、置いておくだけで忘れないから。いいね?
問題は、ここでも女装だという事がバレてないって事の方がかなりショックだったり。
グランヴァル学院はさぁ、アルという存在がいるから僕も恐々しながらでも女装を頑張れたわけだよ。アルに少しでも見えるように、如何に女の子らしく見えるかってエルから学んで。
――なのに。
「イリス様、うちの孫なんてどうですかね?そりゃもう働き者で、ここらの若者の中ではしっかり者と評判なんじゃが」
「いやいや!イリス様にゃ、うちの息子が合ってるね。男はやっぱり逞しくないと」
ものの見事に、女の子だって思われているのがね、本気で切なくて。
……そんなに、僕って女の子に見えるのかなぁ?この間の男装に間違えられた時もショックだったけど。ううっ。帰国したら、絶対に筋トレ増やそう。
「何を言うか。イリス様だとここいらの若者なんぞ芋同然よ。大都市へ行く方が絶対に幸せになれる」
「何だとー!」
「やるか、このやろう!」
えっ、えっ!?ちょっ、ちょっと、待って!
「はい、おーわり!おじいちゃんもおばあちゃんたちも喧嘩しないで!イリスさんは私と同じく神に仕える方ですので、世俗との婚姻は結べませんよ」
と、そこへひょっこり現れたルネッタ嬢によって何とか喧嘩は収まった。助かったけど、ありがたいけど。
「えっと、どうされたんですか?」
町のお年寄りの方々と共に驚きが隠せないでいるのは、彼女が修道服ごと泥まみれになっているからで。
「ちょっと、子供たちと遊んでいたら転けちゃいまして」
いや、転げたぐらいでそんなに汚れないと思います。とは言わず、彼女がこれ以上酷くならない為に先導して教会の中へと戻る。普段からどれだけうっかりなんだろうと思うぐらい、彼女は朝から晩まで何かしら失敗をやらかしてしまうので気が気じゃない。ほんと、どれだけアクシデント体質なんだか。
「ありがとうございます、イリスさんが来てくれて一番助かっているのは私ですね」
僕の後ろを付いて来ながら、ルネッタ嬢が苦笑いを浮かべたのでいえいえと首を振った。
「昔からこういうのには慣れているので気にしないで下さい」
なんて言いながら、思い出すのはやっぱり僕の可愛い妹との幼少期の毎日で。
エーヴェリー領の屋敷に住んでいた頃は、毎日が大変だったなぁ、と。何せ、どこでどう遊んできたのかあの子は必ず汚れて帰ってきたから、それをどうにかするのが僕の役目みたいなものだったし。病気がちだったあの頃は、それも気分転換になって良いなって思う事もあったから。
「妹さんとはとても仲が良いですよね」
あ、しまった。つい、思い出してニヤついてたかも。
「まあ、いつも振り回されてばかりですけど」
幼い頃はお遊びの一環だったのに、本格的に女装する羽目になるとは思わなかったけどね。ははっ。
「ちょっと羨ましいです」
「ルネッタ様にもご兄妹が?」
「はい、姉が一人」
お姉さんか。僕には、前世でも今生でも上に兄弟はいないから羨ましいかも。
「そうなんですか」
どんな感じの人なのかな。やっぱり、彼女と同じくドジっ子かどうか気になるのは必然だよねぇ。意外としっかり者だったりして。
「事情があって、あの人は他の枢機卿の方の養女となっておりますが、私と違って綺麗な人なんですよ」
「ああ、ルネッタ様はどちらかというと可愛いタイプですよね」
「はぅ!も、もうやだ……レベッカさまぁ、私耐えられませぇん」
「ルネッタ様?」
え?急にしゃがみ込んで顔を覆っちゃったけどどうしたの?また一人芝居始まっちゃう?それとも、気分が悪くなってとかだったらどうしよう。
「えっと、私の姉の話でしたっけ」
「は、はい」
……何だったんだろう、今の。何となくエルと同じ動きだったから、懐かしいけど急すぎてびっくりした。何はともかく、お部屋は目の前だから少しばかり休んでもらった方が良いのかも。
「今は、エディッタ・ティーティエ、と名乗っているようです。そういえば、この間大聖堂で行われた女神降臨で女神役をしてたんですよ、ご存じないかもですが」
「……女神役を?」
――――ってことは。
「父親譲りの金髪で、赤い髪の私とは大違いで」
指先で摘まんで離すとサラサラと流れ落ちる赤い髪に苦笑いを湛えながら、ルネッタ嬢は部屋の扉を静かに開いた。
「全て、自分の思うままに動かしたい、そんな性格までそっくりでした。あ、付き添い、ありがとうございました。では、着替えて参りますね」
ぱたんと閉まる音も小さく、何も言えずしばらく佇む。
その途端、急にあの例の吐き気が催してきて、抑え込む事も出来ず手のひらに石を吐き出してしまった。
「……っ」
その原因が何か、というのはもう充分理解している。
――まさか。
僕を殺そうとしている一味に、ルネッタ嬢のお姉さんがいるなんて。




