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以前、クラスのご令嬢がたとの女子トークで、憧れの人に抱っこされた時に言われて嬉しい言葉が「羽根のように軽いね」だった。実は僕も過去にそれを実体験したけれど「羽根みたいに軽いな、気持ち悪い」という言葉だったし、尚且つそれが天敵のノアだからお互い嫌な思いしか残らなかった。
『誘拐』という言葉をご存知だろうか。
人の意思に反して連れ去る、という意味だけど。――僕はちょうど、その被害に遭っているのではないかと思う。
「あ、気が付いた~?」
ふわりと意識が浮上して瞼を開くと、そこは見覚えのない天井だった。……って、いうか。
「ネネ先生!これは一体、どういう事ですか!?」
というのも。
あの時、ノアに言われるがまま部屋から飛び出した僕を待ち受けていたのは、まるで待ち構えていたみたいにそこに佇んでいたネネ先生だった。
そして、僕が驚いて声を発する前に、ごめんねーと言って何か霧状のものを顔にかけてきたのである。当然、急な事に対応出来ずそれを吸い込んでしまい、ものの見事に意識が飛んでしまったっていう、ね。これを誘拐と呼ばずして何という、だよ。ほんと。
どれだけ眠っていたのか分からないけど、きっとあの騒ぎでオーガスト様たちも僕が居なくなった事に気が付いているだろうなぁ。これはもしや、腰に紐を巻かれるなんていう馬鹿な話が実現されるのでは?……どこの罪人だよ。恐ろしい。
「いやぁ~、騒がれたくなかったしさぁ、このやり方が一番手っ取り早いかなぁって~」
騒がれたくないって、それってもう悪者の常套句でしょ。
「……先生も僕を殺すつもりですか?」
じゃなかったら、あんな絶妙なタイミングであそこにいるはずないものね。
嘘だと思いたいけど、この国ではもう誰の事も信用出来ない。しれっと食事に毒が入ってるぐらいなんだから。
それでも、リーレンの視察の時にはお世話になったネネ先生を信じたいという気持ちもあって、顔を直視出来ないでいる。はっきり言って、恐いんだ。――肯定されてしまう事が。
「うーん、随分と追い詰められているみたいだねぇ~」
なのに、ネネ先生ときたら相変わらず飄々としているものだから、思わずムッときて睨んでしまった。
「そりゃあそうですよ!夢の中でも現実でも殺さそうになってるんだから」
まあ、夢の中では確実に殺されてますけどね。こう、オーガスト様とセットでグサッと。なんて、軽く言えたらどれだけ良いか。
すると、ネネ先生が急に神妙な顔付きになって考え込んでしまった。もしかして、拙い事でも言っちゃったかな。夢の事とか……言わない方が良かったのかも。
「……夢でも似たような事が?」
「え?ええ。この国に来てから毎日そんな夢を見るんです、それも同じ場面ばかり。しかも、夢に出てくる男は実在していたようで……もう、どうすれば良いのか」
こんな事、誰にも話せなかったから勢いとはいえついネネ先生には言ってしまったけれど、本当に大丈夫なのかな?……ここに来て、猜疑心に飲まれてばかりで嫌になる。
僕はいつから、こんなにも卑屈になってしまったのかな。
布団があるとはいえ、宮殿にある物とはほど遠いぐらいの堅い木で出来た簡易ベッドの上で三角座りをしながら体を丸め込む。
このまま現実逃避出来たらどれだけ幸せだろうな、なんて。
「あーなるほどね~。石吐きの他にも予知夢まで授かるなんて、……全く。女神様はよほど君が気に入ったみたいだねぇ」
いーなー羨ましい~、って、まあそちらの国の方からすればそうかもしれませんけど。僕としては申し訳ないけど嬉しくないです。っていうか。
「予知夢って?」
「ん~っとねぇ。簡単に言っちゃえば、予言の夢バージョンって所かなぁ。これもちゃーんと『女神の恩寵』の一つだったりするんだよ~」
「はあ」
そうですか、としか言えない。
何となく納得出来たけど、根本的な問題は変わってないし。
半ばがっくりとしてしまった僕に、ネネ先生は髪を耳にかけながら微笑んだ。
「けれど、『理由』が見つかるのは良いことだよ~。今まではどろんこの中に手を突っ込んでひたすら探ってる状態だったけど、見つけた石がどれだけ小さくてもそれは確実に君の手にあるんだから、ね~?」
ねー、って。……なんだか、前世で幼い頃に体験した宝石探しを思い出してしまったけれど。
「説法ですか?」
まるで本物の宣教師みたいですね、と冗談めかしに呟くと、これでもボクは本物だからね~と笑いながら頭を撫でられた。その時、間近から色のついた眼鏡越しに見える、その金灰色の瞳には慈しみが込められているようで、妙な安心感に肩の力が抜けていく。
――ああ、そうか。
そこで、ようやく気が付いた。
「ネネ先生は、僕を助けて下さったんですね」
だって。
そうじゃないとおかしいよね?
もし、ネネ先生が僕を殺すのだとすれば、きっと眠らせるなんて面倒な事はせず、扉を開けた時点で殺せたはずだもの。
それなのに、わざわざ眠らせて移動させるという事は、どういう思惑かまでは分からないけど助けてくれたと判断して間違いない。
「すこーし荒っぽい真似しちゃったけどね~」
じっと見上げると、ネネ先生はさらりと顔にかかった髪を耳にかけて、僕の答えに丸を付けるようにあははと笑った。
「正直に申し上げれば、やり方は強引過ぎだと思います。今頃、ミュールズから共に来た同行者たちの間でちょっとした騒ぎになってるのかと思ったら、申し訳なくって」
……特に、アルが。
ただでさえ、クルサードでも誘拐事件に巻き込まれてしまっているから余計にね。今度こそ、あの子がパニックにならなきゃいいんだけど。どうもアルは僕がいなくなると不安になるみたいだから、そこが心配。でも、まあ……ミルウッド卿が上手く対処してくれそうな気はするけど。
……。
今まで大人組の痛烈な洗礼を受けてきている所為か、後々の事を想像するだけで頭が痛い。反省文の追加だけじゃ足りないのは確実だしね。おっと、蝋燭なのに眩しくて涙が急に。……くっ。
今すぐベッドの端で現実逃避にはしろうか、と本気で悩んでいると不意にネネ先生がポンと僕の肩に手を乗せた。リーレンではよく見てきたニコニコ顔で頷かれてしまったけれど……うん?
「まあ、安心してよ!ちゃんと対策は打っておいたよー」
「……対策とは?」
あれ?何だか嫌な予感が。
「君の代わりにルネッタを置いてきたから~」
へぇ、ルネッタ嬢を。ふむふむ。
「……」
「……」
……駄目だ。
「不安しか残らないじゃないですか!」
「だよねぇ、ボクもそう思うー」
あはは、じゃないでしょ!あーもう!どうすればいいの?うちのお腹が真っ黒な大人組に囲まれて、小動物みたいにぷるぷる震えてるルネッタ嬢しか想像付かないんだけど!しかも彼女、ドジっ子タイプですよ?明らかに何か失敗しそうで心配なんだけど!?
「ぼ、僕、戻った方が……というか、ここはどこですか?」
そもそも、ここがどこか分からない。見た感じ、宿屋っぽくはないけど机とベッドだけというシンプル過ぎる部屋、になるのかな?かといって、落ち着かないというわけでもない。例えるなら、誰かの私室みたいな。
「ここはね、ボクが面倒をみている教会の一つだよ~」
「あ、そうなんですか」
なるほどね。どうりで、最低限の生活必需品しかないわけだ。となると、この部屋は急な宿泊などに使われる部屋という事なのかな?
ネネ先生が面倒をみているという事は、ここはネネ先生の息の掛かった教会ともいえるよね。枢機卿という役職がどういう役割を担っているのかは分からないけど。
何せ、ミュールズとは違ってこの国は宗教が国を動かしているんだから、何もかも違いすぎて僕には分からない事が多い。
「そういうわけでー、君はしばらくここに居てね~。本当に殺されたくなかったら」
「……」
匿われたと理解した時点でそうじゃないかな、とは思ってた。――でも。
「どうして、ですか?」
確かに、夢でも現実でも殺されそうになっているけど、それなら僕たちに警戒を促すだけでも充分に効果はあるはずなのに。それこそ、オーガスト様たちにも知らせて、式典が終わるまで僕を部屋に軟禁でもしておけば良いだけの話でしょ?
「こんな事を言いたくはなかったんだけどねぇ。君が、……いや、君たちが石を吐いた時の状況がすっごく悪くてさぁ」
「そ、そうなんですか?」
えっと、僕はそのおどろおどろしい言い方が微妙に恐いんですけど。
「実はさぁ、基本的にうちの国では『双子』って良くない存在と見なされてたりするんだよねぇ。それでもって、あの鐘が鳴った時に、まず、君が出しちゃったでしょ?」
……そうだけど。でも、その時はアルの代わりで。
「あの時の君は妹さんの恰好だったから、『妹が先に宝石を産みだした』って認識されたのがまずかったわけ~。もし、君たちが入れ替わってなかったらこんな事にはならなかったんだから」
気付かれてたんだ、という驚きもあったけど、今はそんな事より話の先が気に掛かる。なので、僕もしれっと言葉を繋げた。
「どういう事ですか?」
「古い伝承でさ、血の繋がった者が同時に『女神の恩寵』を授かった際には、初めの者を尊重し崇めるように、なんていう暗黙の了解があるんだよねぇ」
「……じゃあ、二人目は」
「『女神の恩寵』を授かった者の妨げとなる悪しき者扱い」
「……そんな」
「中でも過激派なんかはさー、『双子』で妹さんの次に『女神の恩寵』を授かった君を早く消さないと国が滅びる、とでも思ってるんじゃないかなぁ」
「……っ」
驚きに、言葉も出ない。
というか、それはあまりにも理不尽過ぎる。
そもそも、僕はミュールズ国の人間であって、聖ヴィルフ国とは何も関係なんてないのに。
「だから、君にはここに隠れていてもらいたいんだ。ボクの我が儘を押し通す形になってしまって大変申し訳ないんだけどねぇ~」
「そんなこと、」
……ない。あるはずがない。
けれども、声に出せば涙も一緒に出そうな気がして、唇をかみ締めた。
ああ、なんて僕は愚かなんだろう。
この人は……この人ほど、他人への慈しみに溢れた人はいないのに。
リーレンの視察の時も、クルサードの罠に嵌まってしまった僕を許してくれたじゃないか。
――そこまでしてくれる人を、疑うなんて。
「一応、ルネッタには君のとこの王子様にだけは伝えておくよう言ってあるよー。それでも、彼らがここを嗅ぎつけるのも時間の問題だという事は理解しておいてねぇ」
そう言いながら髪を耳にかけて苦笑いを浮かべられたけど、首を振る。
むしろ、充分過ぎるほどだ。
少しばかり猶予を貰えただけでも、僕には充分。
ああ、こんなの――
「……ネネ先生、僕」
感謝しきれないに決まってる。
「あー!先生って言った~!ボクは先生だけど、エーヴェリー君の先生じゃないよね~?」
って、もう。なんで、素直にお礼を言わせてもらえないかなぁ。恥ずかしいのか照れるのか分からないけど、急に話を変えられたら嫌でも気付くよ。……まあ、今はそれでもいいけど。
「……じゃあ、ネネ、さん?」
「えー?んーっと、ボクにはレベッカっていう名前があるんだけどなぁ」
あー、うん。はいはい、分かりましたよ。だから、そんなにチラチラ見てこなくても。
「えっと……じゃあ、レベッカさん、で良」
「わぁーい!格付けが上がったー!これでやっとスローレン女史と並んだ~!わーい!自慢してやろ~!今度、手紙に書いとこーっと!」
あ、やっぱりウェンディさんだけ名前呼びにしたこと気にしてたんだ。っていうか、お二方が手紙のやり取りまでしてたなんてちょっと驚きの事実なんですが。
ファミリーネームからファーストネームになるだけで、こんなにも喜んでもらえるのは嬉しいけど気恥ずかしいなぁ、と苦笑する。むしろ、僕の方こそこうして縁を深めてくれた事に感謝すべきなのに。
「ということで、」
「な、何です?」
お願いですから、その明らかに『裏がある』という満面の笑顔は止めて下さい。ほんと、心臓に悪いから!
「エーヴェリー君に似合う、とびっきり可愛い名前を考えようね~」
「えっ?」
うん?
「ここで生活するなら必要だよね、ぎ、め、い」
「あ、……ええ、確かに。僕もお世話になるのだから、もちろん雑用でも何でも出来る事があればお手伝いするつもりです」
なんだ、そっか。そういう事なら何だってするつもりだけど、でも可愛い偽名って…………いや、ちょっと待って!
「それって」
「ざんねーん!気付くのが遅かったねぇ、エーヴェリーくーん」
うわぁあああああっ!大人って汚い!
悔しいままにレベッカさんをジッと見つめたら、実にイイ笑顔で微笑まれた。
「だいじょーぶ!君なら、直ぐにシスターのお仕事もこなせるよー」
……あの、泣いて良いですか?




