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たまにご実家の仕入れ先から野菜と一緒に珍しいものが手に入る事があるらしく、以前、土産だと言ってくれた物の中に、薔薇のように赤くて先端が黒い羽根のペンがある。使ってみると意外と使いやすくて密かに愛用品になっているけど、絶対にそれを僕にくれたフェルメール本人には教えたくない。
聖ヴィルフ国の街を簡単に言うなら、地図のちょうど真ん中に大聖堂が建てられていて、そこから放射線状に大きな道が十字に入り、更にそれを均等に分けるように二本の道が通っている。それだけなら意外と単純だって思うでしょ?けれども、その喩えでいうケーキカットされた部分が一番厄介だったりするのだ。
何せ、僕は今、身を以てそれを体験している所だから。
「こっちです!」
走り始めた時は僕が彼女を導いていくつもりだったのに、いつの間にか立場が逆転してるっていう、ね。これでも紳士として彼女を守ろうと思っていたのに、ほんと情けない限りです。はい。
しかも、もう今はどの辺りを進んでいるのかすら分かってないとか。
「すみません、私の事情に巻き込んでしまいまして」
がくりとうなだれてしまったのを誤解した彼女が僕に頭を下げてきたので、僕も慌てて首を振る。
「いえ!首を突っ込んだのは僕の方ですのでお気になさらず」
そう言うと、腰まで伸びたひまわりのような明るい金髪をふわりと揺らしながら、彼女は碧い瞳を弓形にして口元を緩めた。
ぶつかってきた時から礼儀正しく、身なりもそれなりに上等なワンピースなので多分どこかのご令嬢じゃないかなとは思ってる。けど、訊ねてみても良いものかどうか。ただ、土地勘があるという事はこの辺りに住んでいる住民の可能性も無きにしも非ずなんだよね。
こういう見極めって本当に難しくて、もし聖ヴィルフ国でも身分のある屋敷のお嬢様だとしたら、これは大変失礼にあたるんだもの。あーどうしよう。
「……あの、お名前をお訊きしても?」
悩んだ挙げ句、せめてお名前でも訊けたら良いなという希望を選択してみる。
「あ、誠に申し訳ございません。私は……っ、そんな!は、早くこちらへ!」
――のに、彼女の碧い瞳が僕を掠めて後ろを射貫き、再び逃げるよう促されてしまった。
「は、はい」
まさかの追っ手。いや、まさかでもないけどさ。こんな時ぐらい空気を読んで欲しいと思ってしまった僕はいけない子でしょうか。だって、ねぇ?
今日は大広場で大きな催しがあるせいか、お店の大半は閉まっているし路地を歩けば極端に人がいない。おかげで、逃げるにも身を隠す場所が中々見つからないのだ。
そんな不安を煽るように、コホッと咳が一つ溢れた。
「あの、先程から咳が出ておりますが、大丈夫ですか?」
「コホッ、す、すみません」
五月蠅くしてごめんなさい、の意味を込めて頭を下げる。女の子を一人にさせる訳にはいかないなんて思いながら、彼女に迷惑をかけてるんだから。……僕がお荷物になってどうするって話だよ。
「いいえ」
それなのに、彼女は満面の笑みを浮かべて僕を気遣った。
真っ青な空の下で、路地とも言えない細い坂道を転けないようにしながら下っていく。紺色のワンピースの裾を翻しながら、前を走る彼女の鮮やかな金髪が太陽に反射して、まるで稲穂のように輝いていて綺麗だった。
ああ、やっぱり僕はどこかで彼女を見ている。
後ろ姿ではあるけど、その思いは一層強くなっていく。
「こちらです!」
随分遠くまできてしまったなぁ、と思いながらも彼女についていけば、逃げ場のない袋小路に出てきてしまった。それも、排水路に近いのか湿気ていて妙に生臭く、陰湿だからぞわりと寒気が体を駆け抜けていくほどの。
ミュールズにもこういう場所はあるけれど、普段は来る事などないから落ち着かないよ。っていうか、ぶっちゃけ苦手かも。
「……ごめんなさい」
「いえ、引き返しましょう」
道を間違えるって事は、やっぱりどこかのご令嬢なのかな?
異国人の僕の方こそ迷惑をかけているのに、彼女を咎めるはずがない。徐に来た道を戻ろうと歩くも、彼女が付いてくる気配がなく。
振り返ると、彼女はワンピースを握りしめて俯いていた。
「どうしました?もしかして、疲れが出てしまいましたか?」
それなら仕方ないけど、個人的には一刻も早くここから出たい。追っ手も迫っているだろうし。
何なら手を貸しますよ、と数歩ばかり彼女に歩み寄れば、端の方で小さな生き物が走った気がして息を飲んだ。
……いや、ここ本当に駄目だって。
「……ごめんなさい」
なのに、彼女は謝るばかりで動いてくれる気配がない。
「あ、あの、せめて」
場所の移動を、とお願いしようとしたら、じゃり、と砂を踏みつける音がして最悪を考えて振り返ると。
やはりというべきか案の定、僕たちは黒い衣を身に纏った三人の男たちに道を塞がれてしまっていた。
「……」
ここまで執拗に追いかけてくるなんて。
彼女はそこまでしなければならない程の重要な存在、ということなんだろうか。
関わってしまった以上、最後まで守りぬきたいけれどはっきり言って時間を稼ぐぐらいしか出来ないだろうな。それに、前世で培った柔道技しか持ち合わせていないみそっかすなのに、同時に三人というのは難しいかも。
――けど、やるしかないよね。
今までだって、どうにかやってこられたし。下手をすれば腰や手首を痛めてしまう可能性もあるけど、そうなったらそうなった時ってことで。
とりあえず、彼女に隙を突いて逃げて下さい、と告げる為に振り返ろうとした、その時。
「っ、え?ど、どうして」
ぐっと首が絞まり、拘束されてしまった。
僕が驚いたのは、それが他でもない共に逃げていた金髪の女の子だったからで。
「ごめんなさい」
耳元で謝られても、自分の身に何が起きたのか直ぐに理解するのが難しかった。しかも、意外と力強い。
これはもしかして、と考えなくても分かってしまう。
ああ、僕は嵌められたんだなって。
――そこへ。
「よくやった」
低く、唸るような硬質な声音の声が囲まれた塀の中で響き渡る。
砂利を踏みつけながら、勿体ぶって登場したのは――――
「……黒の、ターバン」
僕の夢に幾度も現れてはオーガスト様と僕を殺す、頭に黒いターバンを巻いた刺客だった。
ああ、とも、うー、ともつかない声が漏れて、あまりの衝撃に体が震える。
そんな僕の動揺に拘束する彼女がびっくりしたらしく力が弱まったのが感じられた。けれども、その油断をついて逃げる余裕すら生まれない。むしろ、今の僕は腕を放されたら直ぐにでも地面に座ってしまいそうなくらい力が抜けてしまってる。
だって、まさかって思うでしょ。
夢だけだと思っていたら、本当にその存在が現れるなんて。
正夢、なんてものじゃない。
今、確実に『死』がこんなにも間近にあるのだから。
「コホッ、……コホ、うっ」
そんな最悪な時でさえ、吐き気は突然やってくるわけで。
またあの不快感と共に両手が使えないので地面に石をばらまきながら、喉にはちゃっかり異物感が残ってしまった。いや、もう出ないで下さいって言えたら良いのに。
ああ、もしかしなくてもこれって僕の緊張度合いと関係があるんだろうなぁ。なんて、今はどうでもいいのにそんな事を考えてしまう。
「ミュールズの双子の兄で間違いない」
ハアハア、と乱れた呼吸を整える僕の傍まで寄ると、男はハンカチでそれらを拾い上げ、その一つを一つつまみ上げて空へとかざした。こんな光の届かない鬱々とした場所でも、僕が吐き出した宝石は煌めきを放つらしい。呆れちゃうね。
「なるほど。ミュールズだとこういう珍しい宝石が生まれる訳か」
ミュールズだって?それって、一体どういう意味なの?
「だが、仕方がない。女神様の為に、お前には死んでもらう」
「っ、コホッ」
もう夢の中で何度も見慣れた長剣が鞘から抜かれ、体は硬直しているはずなのに咳が更に酷くなった。
きっと、僕の緊張感からきてるんだろう。
何せ、悪寒なんて生易しいものじゃない、あの剣を見てしまうと悪夢が蘇って恐怖が体中を巡るからだ。
どれだけ宝石の吐き出しが辛くても、あの剣に貫かれる感触より恐くはない。
それだけ、この男に僕は恐怖を教えこまれてしまっているんだろう。……悔しい事に。
まさか、こんな所で死ぬなんて――
しかも、騙されてのこのこおびき出された上に見知らぬ土地で、だなんて。
つくづく、自分の軽率な行動が疎ましくて仕方ないよ。皆が僕にもっと危機感を持て、と言うのはつまりはこういう事だったんだろうな、と思い返して情けなくなる。
「ごめんなさい、……ごめんなさい。ごめんなさい!」
剣を直視できず、目を閉じた背中越しに彼女の謝罪だけがやけに響き、苦笑いをしようにも失敗してしまう。これだけ罪悪感を抱えているのだから、彼女も悪気があって僕を陽動した訳じゃないに違いない。きっと。
せめて、僕の屍を見ないようにしてあげられたら良いけど、なんて。
そんな希望は、きっと――
「死ね!」
「――っ!」
振り下ろされる衝撃を覚悟して、歯を食いしばる。
なのに、その瞬間は訪れる事がなく。
「させるかよ!」
――え?
金属がぶつかった音がして、そして何より聖ヴィルフ国にはいないはずの、聞き慣れた声が聞こえた気がして瞼を開いた。
「……フェルメール、さん?」
この時の僕の驚きようが分かってもらえるだろうか。黒いターバンの男の刃を受け止めているのが、エルの誘拐事件以来、全く会っていなかった人なのだから。まさか、こんな形で会うなんて思いもしていなかったよ、こっちは。
しかも、ここは聖ヴィルフ国だよ?二回も言ったけど、本当にあり得ない。
「遅くなってすまねぇな!てか、お前もちょこまか動き回りすぎなんだよ」
「え?あ、す、すみませ、……って、どうして」
いけない、素直に謝りかけたけど、どう考えてもおかしいのはそっちでしょ?
はぐらかさないで下さい、という視線を向けながら問うと、フェルメールは飛びかかってきた黒い装束の一人を足で蹴りながら何とも言えないような表情で僕を見た。
……それって、どういう?
「こざかしい真似を」
「そっちこそ、女使ってあくどい事してんじゃねぇよ」
けれども、直ぐに黒いターバンの男と言い合いになって視線が離れていってしまう。
いや、別にそれが嫌って訳じゃないよ?ちょっと寂しいなって思ってしまっただけで……言わないけどさ。こうしている間にも、フェルメールは四人を相手に奮闘してくれているのだし。
「……ごめんなさい」
すると、どう考えてみても非戦闘員の彼女はフェルメールの戦いぶりで何を思ったのか、不意に僕の拘束を解いてくれた。
「はぁ」
だけど、予想通り力が抜けて僕は地面へとへたり込む。
フェルメールが頑張ってくれているとはいえ、恐怖の象徴が目の前にいるのだからそう易々と活力が戻るなんて事はない。拳を握るだけで、まだ震えが止まっていないのが自分でも分かるのに。
無意味に手をぐーぱーとさせていると、後ろから彼女が声を掛けてきた。
「あの、私」
「お怪我はありませんか?」
「……え?」
急に僕からそんな質問を受けてびっくりしてしまったようで、戸惑いの声が漏れる。。
「何か、僕に出来る事は?」
「え、……っと」
まあ、そうなるのも頷けるんだ。だから、せめて僕に言える事は。
「脅されているのなら、どうか頼ってきてください」
だって、逃げている最中の彼女は本当に怯えていたもの。追っ手を見れば、顔を硬直させて恐くて仕方ないというような。
最終的には僕を殺す為にこんな辺鄙な場所まで連れてきたけど、ここへ来るまでの道のりの中で葛藤があったと思いたい。
「っ、で、でも」
「僕が何処の国の何者かはご存知なはずですよね?」
「は、はい。でも」
「大丈夫、だから」
ね、と彼女を仰ぎ見ると今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「……っ、ごめんなさい」
ああ、やっぱりな、なんて思ってしまう。
そこでようやく、どこで彼女を見たのかも思い出した。
――そう。
この子は確か、大聖堂で行われた女神降臨の時に女神役を演じていた女の子だ。
あーこれですっきりした!なんて思っていたら、ドカッとフェルメールになぎ倒されて、黒装束の男たちが勢いつけて真横を転がっていくのが目に入った。
「ぅ、わ!」
いやいや、待って!ねえ、ちょっと待って!い、今、何かさっきより大きな生き物が出てこなかった?僕を助けるための行為だけど、その、なんていうか暴れ過ぎでは?ここが得体の知れない生き物たちの楽園だと知っての所業か!
「さてと、次はお前さんだぜ?」
「……くそっ!引くぞ!」
そんな相手方の声も耳を通り過ぎるだけで、僕にとってそれどころではない。はっきり言うけど、生きている今はこっちの方が重要案件だからね?
だから、奴らの監視に忙しく、結局名前も知らない彼女が一緒に行ってしまった事も気付かなかった。
「無事か、イオ」
――ああ。
「え?ひ、っ……ぶっ、無事なわけないじゃないですか!」
「っ、なっ、ど、どうした急に抱きついて!」
だって、今明らかに触角が見えたよね!?こ、この世界にもアレがいるって事だよね!?うわぁああああっ、恐いーーーーー!
「フェルメールさん!一刻も早くここから逃げましょう!?は、早くっ、じゃ、じゃないと!ああ、もうやだぁ!」
大抵の生き物なら僕だって対処できるけど、ここに棲み着いている連中とだけは仲良く出来ないもの!ほら、ぞわわって!鳥肌が!
「こ、この体勢で涙目とか反則過ぎんだろうが!っ、ちょ、ちょっと待て。落ち着け、イオ。な?……動揺しちまった俺もだけど」
「だ、だって」
「なあ、お前さ、今自分がどういう体勢になってるか分かってんのか?」
「……へ?」
言われて、息を整えながら顔を上げるといつもよりフェルメールの顔が近くにあって。
「……」
僅かに頬が赤いものの、眉間に皺を寄せてオリーブ色をした三白眼が少し呆れを滲ませ僕を映していた。……ん?あれ?というか、どうしてこんなに近いんだろう、と視線を下げると。
「うわぁ!?」
どうやら、僕は無我夢中でフェルメールに抱きついていたようで。
「……す、すみません」
慌てて彼から距離を取った。
……ううっ、恥ずかしい。出来れば今すぐ逃げ出したい。
「お前でも苦手ものがあるんだな」
「ありますよ!」
僕をなんだと思ってるんですか?全く、もう!なんて言いつつどうにか羞恥心を押さえ込む。フェルメールは苦笑いだけで済ませてくれたけど、思い出すだけで恥ずかしくて消えたくなるので背中を向けた。
ほんと、穴があったら入りたい。
「そ、それより、どうしてフェルメールさんがここにいるんですか?」
さっきも思ったけどね。
アルから第二騎士団を辞めるかもしれないって聞いていたから、もしかしてなんて思ってしまう。なのに、フェルメールときたら。
「誤魔化しか?」
「ちがっ!」
振り返るといつもの飄々とした顔でニヤリと笑っていたのだから、ついキッと睨み付けてしまった。
「おうおう、やっぱり顔が真っ赤じゃねぇか。まあ、歩きながら話そうぜ」
「っ、……分かりました」
多分、これ以上言い返した所でからかわれるのが関の山だというのは分かってる。それに、その提案は願ってもないから、僕は素直にフェルメールさんに同意した。
「――で?」
「でって、お前ね、冷たくない?」
忌々しいあの場所からようやく離れたとはいえ、やっぱりここがどこだか分からない。まあ、僕はフェルメールに付いて行ってるだけですが。
「そうですか?いつもと同じ仕様だと思いますけど」
「それもそうか?まあいいや。俺、騎士団を辞めるつもりだったんだ」
……やっぱり。アルの言っていた事は本当だったんだ。――でも。
「どうして、ですか?」
それを僕が聞いて良いものか悩んだけれど。僕たち双子をずっと見てくれていたこの人に、何か悩みがあるのなら助けたいと思ってしまった。
歩く歩幅を僕に合わせ、少しゆったり歩いてくれる。
そんなフェルメールだからこそ心配で、僕より空に近い顔を仰げば、彼は困ったように微笑んだ。
「どうしても守りたいものが出来ちまっただけの話だ」
フェルメールが照れるなんて、珍しい。とはいえ、何故か僕も気恥ずかしい。この世界じゃあ、滅多にここまでストレートに言う人なんていないからね。
「守りたいもの?」
他人事だけど、告白にも似たそんな喜ばしい答えでホッとする。監督生になるほど優秀な人なんだから、暗い気持ちで辞めようと思ったわけじゃないんだな、と。安心、っていうべきなのかな。
「そ。でな、それをあの方に正直に言ったんだ」
「……」
「どう言われたと思う?」
え、どうって。
「そんな事、僕に聞かれても」
「『それなら、お前を専属に任命してあげよう。お前なら自ら犠牲になってでもあの子を守ってくれるだろうからね』ってな」
うん?よく分からないけど、つまりフェルメールの守りたいものというのは人だって事?それでこの国まで来てるって事は――
「あの子というのはアルミネラ、ですか?」
ふふふ!分かるよ、それは凄く分かる!兄という成分を抜いても、アルはとっても綺麗だし可愛いしフェルメールにも懐いてたもんね。僕の洞察力も大したものでしょ、と自慢げに笑ってやったのに、何故かフェルメールは眉間に手を添えて宙を見上げた。
「あー……そうくるか。いや、そうじゃないかとは思ってたけどな。お前はほんっとに鈍いな!いや、過小評価が過ぎるのか?」
いや、ちょっと待って。
「それって褒めてませんよね」
「当たり前だ」
当たり前とか言われた!酷くない?
「お前さ、この前コルネリオ様に散々指摘された事を忘れてるとは言わねぇよな?」
指摘、というと……他人からの好意、だっけ。それが何か?という視線を送ると。
「あとどれだけラブコールを送れば、お前に俺の思いが届くんだろうな?」
「ラブコールって、そんな」
相変わらず、人をからかうのが好きだなぁ。
結局、いつもの冗談かと笑いを零すと、フェルメールはそんな僕を見て目を細めた。
「コルネリオ様が簡単に俺を野放しにしてくれるとは思わなかった。だが、飼い殺しでも、お前を守る事が出来るならそれで良いと思ったんだ」
「そんなの」
「間違ってる、なんて言うなよ。俺の人生だ、例えお前にだってこればかりは譲れねぇ。俺は俺のやりたいようにやる、そこが誰かの檻の中だとしてもな」
知り合ってから、僕にちょっかいをかけるのはずっとただのおふざけだって思ってた。
それに、僕が誰かの『守りたいもの』になるっていう事もあり得ないって。
そんな価値があるとは思えなくて。
「……フェルメールさん」
「ってな訳で、ほら。珍しい事に、そこで殿下がお前を探しているのが見えるだろ?俺がいる事を副団長は知っているがそれ以外は知らないんでな、悪いが俺はここまでだ」
そう言って、ポン、と背中を押されて再び人混みの中へと足を踏み込んでしまう。先程までの静けさが嘘のように、いっきに人々の賑わう声が僕をその中へと引きずり込んでいきそうだった。
――や、待って。
それはまるで嵐のようで。まだ喧噪に浸りたくない僕は最後まで抵抗してみる。
だって。
フェルメールに言いたい事だけを言われてしまって、僕がどう思ったのかなんて全く考えようとしてないよね?……何か、腹が立ってきた。
「フェルメ……っ、うそ、もういないとか」
あの人はいつもそうだ。
大事な事だけ言い捨てて行ってしまう。
僕がフェルメールという存在に、どれだけ助けられたのか知りもしないで。
「……フェルメールさんの、ばか」
コホッ、と空咳が飛び出して、この憤りに石を生み出す体が反応したのかと思うと泣きたくなった。




