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エーヴェリー領にある屋敷のホールには、一メートルもの長い尾羽が飾っていたりする。しかも、根元は目に優しくないファッションピンクなのにそれが徐々に青みがかって綺麗な朝焼けのような紫色になっているのだからひどい詐欺だと思う。大きさもそうだけど、一体どんな鳥の羽根なのか気になって、一度両親に尋ねてみたら父は明らかに目を逸らし、母がニコニコと笑うだけだったのでそれ以来訊いてない。
「これは、さすがに僕でも予測出来なかった事態だよ」
と言ったのは、式典が終わってから直ぐに聖ヴィルフ国との話し合いをしてきたミルウッド卿だった。ただ、そういうわりには、聖ヴィルフ国が名産にしている乾燥フルーツが入ったビスコッティに手を伸ばしてかれこれ五つ目に突入してるけど。話し合いでお腹が空いてしまったのなら、もうほんとごめんなさいって言うしかない。
「この度は、ご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ありません」
ほんとにね。って事で、同じくビスコッティに手を伸ばそうとするアルを立たせて、今回の同行者の全員へと頭を下げる。
事前に面倒くさいとごねるアルを宥めながら入れ替わりを解いたので、エーヴェリー家の嫡子としての立場は守れた。アルに任せられないんじゃなくて、僕自身の問題で。それに、こういうのは貴族としてのケジメだからね。宰相である父に迷惑はかけたくないもの。失敗なんて恐れるなって言葉があるけど、この世界では役に立たないからね。
さて、どう始末をつけるべきか――と頭を悩ましていると僕の対面に座っていたオーガスト様が、いや、と僕に視線を送った。
「お前たちに責任はない。『女神の恩寵』については耳にした事はあったが、まさか自国の民が授かるとは思ってもいなかったしな」
お前たちも突然の事で不安だろう、と言い置いてから、オーガスト様がその整った眉に皺を寄せる。
「ただ、あちらも別件で何かトラブルがあったらしくて、お前たちの事はこっちで面倒を見てほしいと言われてしまったがな」
「別件のトラブル、ですか?」
そんな問題あったっけ?と、首を傾げると。
「私が参列していた席の付近に新人の修道士が数名居たのですが、お二方が石を吐き出した同時間帯に、聖堂内で鳴った鐘の音に大層驚いて、……いや、あれは取り乱しておりましたな」
扉の前に立っていたキルケー様が渋面を作りながらそれに答えてくれた。
そう言われて、あれか、と記憶をたぐり寄せる。つい数時間前の事なのに、自分に起こった出来事の衝撃の方が強くて吹っ飛んじゃってしまってたな。
「私も、音がすごく大きかったからびっくりしたよ」
確かに、大きな音だったのは覚えてる。けど、僕は咳が酷くてそれどころじゃなかったけどね、とは言えないので、そっか、と労う。
「私はてっきり演出の一つかと思っていました」
僕もテオドール様と同じく女神再臨の演出かと思ってたんだよね。その後、枢機卿の皆さんが騒いでいたから違うのかなって気になってたけど、それ所じゃなくなった、っていう。ね。
「そんなに大ごとになるものなのか?」
たかが鐘で、と物騒な言葉を口にしたのはオーガスト様だった。……うーん、戻ってきてから何故かずっと苛ついてますよね?
「宗教の事は俺には分からん。だが、信者ではない者が『女神の恩寵』を授かってしまったというよりそれは重要な案件なのか?」
……オーガスト様。
もしかして、だから機嫌が悪かったとか?形だけの婚約者だけど、ちゃんとアルミネラの事で怒ってくれているのだとしたらありがたい。まあ、この人はアルじゃなくても国民の事を第一に考えてくれる優しい方だけど。
「そうおっしゃると思って、話し合いをするまでの間にちょこっと情報を集めてみました」
そこへ、じゃじゃーんと得意げな顔でニヤリと笑ったのは、オーガスト様の隣りに座っているミルウッド卿だった。
さすがは、元外交官。先読みに長けてる!というか、その血を受け継ぐエルフローラもそうだけど、ミルウッド公爵家の人たちって皆どんな時でも冷静に行動出来るものなの?いや、ほらだって、エルもセラフィナさんが鼻血を出しそうになると、分厚めのハンカチ出すから最近ではそつがなくなったっていうか、躊躇いがないっていうか。まあ、今はこの件と全く関係がないから流すけど。
「素晴らしい、その行動の速さを見倣いたいものですね」
「テオドールは真似をしなくて宜しいかと。お父上が泣かれますよ」
「酷い言いぐさだね、キルケー殿。しかしまあ、ヴァレリー卿を何度か怒らせた事は否定しないがね」
あはは、……そっかー。ミルウッド卿は第一騎士団の団長すら怒らせてしまうのか。何というか、この人は色んな人を悩ませる天才なんだなぁ。そう思うと、この人を制御出来る父上って本当に凄いのかも。
「戯れはそれぐらいにして、話を進めろ」
ため息混じりに先を促しながらも、オーガスト様のお顔に先程までの険は無い。もしかしたら、これらのやり取りはオーガスト様の心もほぐす為にされたのかもしれないなんて思える。
「では、さっそく。この大聖堂は、教皇の為に作られたものでした」
うん?という事は、ここが聖ヴィルフ国の王城と呼んでも差し支えはないってこと?
「……」
「……」
「……」
「……」
――って。いやいやいやいや。まさかそれだけじゃないよね?え?説明放棄しちゃう?……何より、大人数でこの沈黙って下っ端の僕からすれば辛いんですけど。
「……えっと」
くっ。所詮、僕は前世同様未だに小心者の日本人ですよ。さて、声を掛けてみた良いものの、どうしようかと思っていると。
「それって、あの鐘も教皇様のものって事ですか?」
なんと、いとも簡単にスルリと質問を投げたのは僕の隣りに座っていたアルミネラだったので内心で驚いた。
「さすがアルちゃん、鋭いね」
「教皇のもの、……教皇しか使えないという事ですか?」
しかも、そんなアルのヒントから答えを導くように、ディートリッヒ先輩がそれに追従していく。
あれ?このコンビ、最初はバラバラだったけど意外と合ってるんじゃない?なんて僕が思ってしまうのは仕方がない。フェルメールからディートリッヒ先輩に警護が代わって、ずっとノア贔屓だったアルがやっと態度を軟化してくれたのかと思うと、そりゃあね?それを余裕だと判断されてしまったようで、ミルウッド卿の水色の瞳がキラリと光った。
「即ち?」
え、まさかの僕ですか?す、すなわち……えっと。
「あ、あの鐘は、教皇様に何かが起きないと鳴らないという仕組み、……でしょうか」
「そう!過去に鳴らされたのは、この大聖堂が完成した時を除けば全て代々の教皇が死した時であるらしい。嘘か真実かは分からないけど、教皇しかこの聖堂の鐘の鳴らし方を知らないのだとか」
良かったー!っていうか、ミルウッド卿は抜き打ちで僕だけテストするのを止めて下さい。ほんと、心臓に悪いんだから。
「そんな曰く付きの鐘が鳴った、という訳ですな」
「犯人捜しに忙しいんでしょ。それならそれで良いじゃないですか、向こうが勝手にしてくれっていうんなら」
そう言って、今まで会話に入ってこなかったノルウェル卿が僕の横に置いてあった自分のカップへと手を伸ばす。
オーガスト様たちが戻ってきてから、一日のノルマを忘れてたとか言い出して今までずっと筋トレをされてたんだけど終わったって事かな?
「……む。そうだが」
普段は陛下の近衛兵を務めているだけあって、ノルウェル卿の言葉には説得力がある。それでもオーガスト様はしかめ面のままだけど。
「護衛する側にとっては、変に介入されるより断然良い。ねぇ、イヴ。君もそう思うだろう?」
「『女神の恩寵』を授かった者がどういう待遇に見舞われるのか分かりませんが、暴漢にはそれ相応の対処で結構、という事でしょうね」
「だね!」
なんて、ミルウッド卿も同意しながら三人でアハハハとか笑い出すので本気で恐い。特に、キルケー様の今の言葉は多少やり過ぎても問題なし的に聞こえた気がする。コルネリオ様に守るように言われているんだろうけど、お願いだから早まらないで、と言っておきたい。言えないけどさ。
若干引いてる僕と同じくオーガスト様も程々にな、と言いながらも顔が引き攣ってるし、テオドール様とディートリッヒ先輩は……いや、なるほどーとか顔に出しても良いけど口では言わないように。ほ、ほら!うちの子、震えちゃってるよ!女の子なんだから、こういうどす黒い空気は。
「格好いい」
……お兄ちゃん、寝込んで良いかな?
アルが騎士に憧れを抱いているのは知ってるけどさ。知ってるけど、こういう腹黒さは身に付けないでほしいというか、もっと素直に育って欲しいというか。まあ、多少は必要になるだろうけどさぁ。……あーもう。
こんな場所で言い聞かせる訳にいかないし、と頭を悩ましていると視線を感じてオーガスト様と目が合った。何となくだけど、その燃えるような緋色の瞳から覚悟を問われている気がして頷いてみせる、と。
「この式典はまだ引き続き行われるが、お前達に任せて良いのだな?」
どうやら、それは正解だったようで。僕の肯定によって、オーガスト様は普段の威勢の良い態度に戻りノルウェル卿方の空気を破る。
「明日からと言わず、直ぐにでも体勢を整えます」
先程の真っ黒な場面は嘘だったようにオーガスト様に拝礼する騎士のお二人は、男の僕から見てもかっこよかった。そりゃあ、アルが憧れるのも分かるくらいね。
あれから宮殿に戻って僕たちが行った事といえば、ノアを交えての打ち合わせだった。何せ、オーガスト様には未だノアを紹介出来ていないのだ。……だって、元暗殺者だし。
経歴やいきさつはいくらでも誤魔化せるとは言われたけれど、僕の方が我慢ならなくて。ずっと、アルと入れ替わっていた身で何を、とか思われているかもしれないけど、それでこりごりしたというのが正直な所だったり。言えるのなら初めから言っておく方が絶対に楽だと思う。これ、本音。
そんな訳で僕の部屋に集まって取り決めたのは、式典の最終日の前日まで入れ替わりを中断するということだった。ほら、最終日だけはきちんとしなきゃ示しが付かないからね。
要は、やっぱりアルの護衛の強化で。宝石を吐く『女神の恩寵』を授かった女性は危険な目に遭いやすい、という情報をミルウッド卿が話してくれた事に由来する。きっと、オーガスト様に言ってしまったら、即行で帰国しようとするだろうから止めたのだとか。それを聞いて、あり得そうだと思ったのは僕だけじゃないようで、皆して頷いていたから少し笑ってしまったほどだった。さすが、皆さん王家に仕えてるだけありますよね。
そこで、唯一渋ったのはアルミネラ、なんだけど。
たまには素直に頷いてよ、とお願いしたい。でも、うちの子がごねたのは僕を心配してくれての事だったからで、いやもう、ほんっと可愛くて可愛くて!……可愛いが故に、僕はまた一つあの子の期待に満ちたお願いを叶えなくてはならなくなっ、……あ、視界が滲むのは気のせいかな?室内だというのに雨が降ってきたんじゃないの?あははは、は。……もうやだ。
とまあ、そういう方向でアルとノア以外の方々からは同情の視線を貰いながら、ようやく受け入れてくれたので二日目の今日は紳士用の貴族の礼装を着ています。どうかな?ちょっと装飾の刺繍がキラキラして落ち着かないからサラに言ってみたんだけど、チラ見されただけで終了だった。いや、まあ僕本人よりも僕の事が分かってるサラが可とするなら良いんだけども。それに、ぶっちゃけ言うと、楽!これに尽きる。もうね、ほんと身軽って最高だなって。
だってさ、女性の正装って本当に重たいんだよ、ねぇ知ってた?どれだけ布を溜め込んでるの?というフリルに、そこさぁそんなに付け足しちゃう?っていうくらいのたくさんのレースたち。他にも、何それ、見えないよね?何故そこに?っていうリボンとか刺繍とか施されていたりするし、忘れちゃいけない厄介な存在のパニエさんもあるわけで。女性も筋トレが必要なんだな、と本気で思ったほどだった。あれで高いヒールを履きこなすんだから尊敬しちゃう。エルたちは凄いんだなぁ。帰国する前にお土産買わなきゃ。
――なんて。今回、現実逃避はしてないよ?
ただ、今日のイベントは大聖堂から飛び出して、大きな広場へと向かう通りのあちこちで色んな催しをやるようで、各国から来た賓客にも楽しんでもらいたいらしく僕たちも見て回っている、というのが今の状況。昨日のように一ヶ所に集まるのならミュールズで固まっちゃうから目立つけど、こうして大勢に埋もれちゃえばそれなりに目立たない。
あー良かった、今日はゆっくり楽しめそう、と僕が思うのも仕方ない事じゃないかな。うんうん。という感じで、お上りさんになってないのに実は幾つものパレードがぶつかったおかげで人の波に攫われて、現在、絶賛孤立奮闘中だったりしてね。……そうだよ、こんな年齢のくせして迷子だよ。ううっ。
皆、知らないだろうけど、僕これでも十五年プラス二十年は生きてるんですよ。つまりは三十……いや、マイナス思考は良くない。頑張れ、僕。まだまだいける。
多分、はぐれたのは僕だけじゃない気がするんだよね。なので、お説教は一人じゃない、はず。よし!とまあそれは置いといて。
目的地は大広場だったから、そっちに向かえばいずれ合流出来るかなと。希望的観測というなかれ。けれども、ここで気をつけなければならないのが、迷子によくありがちな闇雲に彷徨うパターン。
「……」
うん、ここは大人しくこの場に留まっていた方が良いのかも。多分、キルケー様辺りが僕を探してくれそうな気がするし。
よし、そういう方針でいこう、と決めて端に寄ろうとした僕の背中に、突然、衝撃が走って思わず転けそうになってしまった。
「……っと、と」
「もっ、申し訳ございません!」
ぶつかってきたのが人だとは理解していたけど、まさか女の子だったとは思わず慌てて僕も取り繕う。
「い、いえ。こちらこそ、不注意でした。お怪我はありませんか?」
振り返ると、ちょうど僕と同じ身長の前世ではよく見かけたひまわりみたいな綺麗な金髪の女の子が不安げな顔で僕を見ていた。
あれ?この子、どこかで――
「え、ええ」
頷きながらも、どこか落ち着きがなく焦燥感を滲ませているのがありありと見て取れる。忙しなく辺りを見回す碧い瞳の彼女に問いかけようと口を開くと。
「いたぞ」
そんな声が聞こえたかと思うと、彼女は明らかに身体を震わせた。ああ、これって疑いようもなく。
「もしかして、追われて」
ますか、と最後まで言う前に何度も頷かれてしまった。よほど恐いのか、顔を強ばらせた彼女をこのまま放っておくなんて僕には出来ない。
急速に早まる心臓に連なるようにコホッと咳が一つ漏れた――けど、そんな事より今は彼女を助けないと。それに呼応してもう一度咳が出たけど、困惑する彼女に「失礼しますね」と一言謝って彼女の手を掴む。
「っ、え?」
やっぱり、驚かれるのも無理はない。――けど。
「逃げましょう、もう少しだけ頑張ってください」
「は、はい!」
追っ手が一人なのかすら分かってないけど、乗りかかった船だもの。こうなったら、最後まで付き合うしかない。
彼女の手を取って走りながら、まるで走馬燈のように、いつも厄介なトラブルに巻き込まれるのですから慎重にして下さいませ、と国を出る前にエルに言われた事が頭を過ぎった。
見知らぬ女の子と一緒にいるこんな時に思い出すなんて。
そう思うと、罪悪感と同時に不思議と頑張れる気がしてしまい少し笑ってしまった。
……ごめん、エル。
呟いても届かない思いを歯がゆく思いながら、隠れる場所を探す為に僕は知らない街の角を曲がった。




