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例えば、老婆に差し出された林檎が二つあったとして、誰も明らかに毒が入っている方なんて取らないに決まっている。――ましてや、それが毒で禍々しい色に変色していたとしたら尚更ね。
「殿下」
現場検証をしている正騎士たちよりもワンランク上の騎士に囲まれながらも、ややお疲れ気味のセラフィナ嬢を抱き締めている殿下に、僕は何の躊躇いもなく声をかけた。
「ア、アルミネラ」
僕の呼びかけだけで、慌てて殿下はセラフィナ嬢を解放したけど、どうでもいい。
しかも、僕よりもアルが殿下の婚約者だと知っている騎士の皆さんの方が、浮気現場を見られて真っ青になりながらこれには訳がとか、ち、違うんだ、とばかりに慌てて首を振る夫のようになっていて、笑いを抑えるのに必死だったりする。ほんと、止めて。今は笑わせないで。
「怪我は?」
「あ、ああ。お前の機転のおかげで、何とか無事だ」
「左様で。今回の一件は、とやかく言うつもりはありません。けど、男のクセにコソコソとしたりする前にやることあるでしょ。自分の気持ちをちゃんと伝えたりだとかさあ?心から求めている物があるのなら、もっと堂々として!」
周りからすれば、何を言っているのかさっぱり不明な内容だけど、オーガスト殿下にはちゃんと僕の言いたい事は伝わったようで。いつもなら、アルに罵られたら言い返すはずが、今は険しい顔のまま歯を食いしばって黙ったまま見返される。
「それと、謝ったら許さないから」
「……っ」
――そう、この一件は。
反王族支持者たちの暗殺未遂事件になってしまったようだけど、実は違う。
決して表沙汰には出来ない真実が隠されていて。
――つまり、この事件を企てた真犯人は他にいて、今、僕はその人物と対峙しているのだ。
「私は、これ以上誰にも何も言うつもりはないから」
暗に、陛下にも父上にも黙認してあげる、と言っているのは、この計画の主犯がオーガスト殿下だったからで。
つまり、想像になってしまうけれど、不審者と対峙していた殿下の態度から鑑みるに、アルミネラという正式な婚約者も捨てがたいが、今は何よりセラフィナ嬢がどうしても手に入れたかった――というのが主な理由なのではないかなと。
そこで、わざわざ自分をかっこよく見せる為に、暗殺者の偽者を雇って己の暗殺を企てた。
自分の命を賭してまでセラフィナ嬢を守りながら戦えば、きっと彼女は自分に心を委ねるだろう、なんて甘い考えを元に。
その計画に必要となるのは、念のため当日の警備で誰からも不審に思われない騎士の制服。
ただ、コルネリオ様には多分、盗んだ時点でこの事件が起きるのを見通しされてしまっているはず。昨日のあのヒントには、そういう意味合いも含まれていたし。コルネリオ様も知っていて陛下に言わないんだから、さすがお腹が黒いお方は。
あーあ、叔父に借りを作っているって知らないんだろうなぁ。腹が立ったから教えないけど。
だから、当然、不審者二人組は警備の抜け道も知っていたし、裏口から易々と会場に侵入する事も出来た。
多分、その侵入の手助けをしたのは殿下が引っ張ってきた楽団の内の誰かって所かな。最初に、アルが倒した人物が可能性大。
で、殿下の計画として最後に残るのは当然セラフィナ嬢と二人きりだったはずだけど、僕とアルミネラというイレギュラーな存在が居た所為で計画は失敗。逆に、アルミネラを演じる僕が敵に取り入って、雇ったはずの敵が僕を選んだのだから、殿下はあの時相当焦ってしまったのだろう。
あの男の『儲け話』と言った意味がこれで繋がる。
これから、どうするのか全く興味はないけれど、言いたい事は言えたのでちょっと気持ちも軽くなった。
まあ、この辺で勘弁してあげようかな。
殿下には、精々これに懲りて、全うにセラフィナ嬢に告白するなり、アルミネラとの婚約破棄を陛下に求めるなりして欲しい。
ただ、殿下との話し合いの合間も相変わらず、ずっと僕をガン見していたセラフィナ嬢のどこが好きなのか僕には決して分からないけれども。僕と一緒で前世を覚えている事は何となく理解したけど、それでも何故こんなにも彼女に見つめられなければならないのかは未だに謎過ぎて恐い。
もしかして、前世での知り合いだったりして?
いや、僕にアナウンサーなんて職業の知り合いや友人はいなかった。
うーん。まあ、いいか。後で訊こう。
殿下との話し合いが済んだ頃合いから、張っていた気がようやく落ち着いてきたのか、この身体のあちこちが悲鳴を上げだしているのが分かる。要は、全身が重たい。痛い。
それでも、音をあげずに立っていられるのは、僕が今誰の姿をしているのか、という一点に尽きる。
ただ、愛する半身の為に。
かけがえのない、妹の為に。
唯一無二の、盟友の為に。
僕の大事な家族、アルミネラ・エーヴェリーとは嫌いな人間には絶対に欠点を晒さないのだ。
例え、相手が一国の王子様でも。なので、背筋を伸ばして殿下に笑顔で、後はよろしくと頭を下げて踵を返したのだけれど――目の前に。
「やあ、アルミネラ。怪我はなかったかな?」
「……あ」
心配そうな憂いを帯びた顔とは全く違って、僕にしか見えない怒りのオーラを沸々と湧かせながら堂々と僕の前に立ちはだかったのは、地獄の鬼神――などではなくて、今回のリーレン騎士養成学校の訓練指揮官であるコルネリオ様だった。
えーっと、あの、何をそこまでお怒りになっていらっしゃるやら。
一瞬にして冷や汗が背筋に流れていくのを感じながら、コルネリオ様には分からないように首を傾げたのに、何故かそれがバレたようで、わざわざ膝を折ってまで視線を合わされてしまう。どんな罰ゲームなのでしょうか。かなり恐い。
「あっ、だ、大丈夫です」
「けれど、とても恐い思いをしたろう?」
なんてイケボで問われたら、もう何も言わずに頷くほかない。これって、ある意味脅しですよ!?
「ああ、やはりそうか」
実は、コルネリオ様が登場した事によって、僕たちは今かなり注目されてしまっているのだけど、さすがは腹黒コルネリオ様。まるで、これはデモンストレーションの一環だから、とでもいうかのように、筋肉やら筋が痛くて震える僕の手をそっと握って、その色っぽい唇を手の甲に押しつけた。
「っ、ひぅ!」
うわぁ!!ちょっと、なに考えてるんですかー!!
「やっぱり、震えているね」
それは、ただ単に恐かったんじゃなくて、この身体を使って初めてあんな真似したからですけどね。コルネリオ様にも、僕が普段身体を動かさない子供だという事は分かっているので、それを利用しているに過ぎない。
けれど、……どんな意図が?
「ちゃんと歩ける?」
「……」
ああ、なるほど。そういう事ですか。
僕と視線をしっかり合わせた後、わざと僕を歩かせて誰にも分からないようにぐっと手を引っ張られてしまえば、コルネリオ様の狙い通り僕の身体はバランスを崩してそのままコルネリオ様へと凭れかかった。
「……っ!」
言い訳するけど、これ僕は別に協力した訳じゃないからね?ただ単に、あの背負い投げで身体が限界だったのを見破られてしまっただけの事だから。
悲しいけれど、この身体にあの運動量はかなりの負荷だったって事だろう。
今となっては、あの時、上手く投げられたのは奇跡だったとしか言い様がない。
「大丈夫だよ、もう安心して」
きっと、周りから見れば、やはりアルミネラ・エーヴェリーとは所詮十四歳のまだ幼いお嬢様で、恐かったのをずっと我慢していたんだな、なんて思われているのだろうか。やっぱり。
しかも、そこへ現れた父親の部下であるコルネリオ様を見て、ようやく緊張の糸が解けて倒れ込んでしまうなんて、と。殿下の前では気丈に振る舞っていたはずなのに、コルネリオ様を前にすると途端に気が緩むなんて構図、どこからどう見てもアルとコルネリオ様には特別な繋がりがあると感じてしまう。
多分、それがこの人の狙いなんだろうな。
「もっ、申し訳ありません」
「良いんだよ。今回は、たまたま暴漢に勝てたとはいえ、君はまだか弱き乙女なのだから、恐くなって当然なんだ」
「……あ、ありがとうございます」
「アルが無事だったなら、もうそれで充分だから」
「……っ」
うああああああああっ!!もういい、もういいや。もう、僕にはお手上げだ。この人の前では、どれだけ足掻いたって勝てるはずなんてない。どこまで先を読んで企んでいるのか分からないけど、こうなったらコルネリオ様の策に乗っかかってしまう以外ないだろう。
世のご令嬢ならば、この時点で腰が砕けているだろうお声が、普段より甘い色を乗せられているのが分かって顔が熱い。きっと羞恥心で真っ赤になってしまっている顔を見せたくなくて俯いてしまった僕の耳元で、後は任せて、と呟いたコルネリオ様に小さく頷いた。
後は任せてって、何をするつもりなんですか?ちょっとどころか、かなり不安で仕方ない。
「オーガスト殿下」
えっ?な、何で、突然殿下にお声を?
しゃがみ込んで僕の身体を支えたまま、コルネリオ様が殿下に視線を投げる。
「どっ、どうされましたか、叔父上?」
まさか、ここで呼ばれるとは思わなかった殿下でさえも驚いて僕たちの元へ駆け寄ろうとし、コルネリオ様から片手で制された。
「ああ、そういう意味じゃなくて。この子は、私が連れて行きます」
「えっ、あ、ですが」
「一応、貴方の婚約者なので、ひと声必要かと思いまして」
一応って……いや、もう僕は突っ込まないよ!知らないったら知らないからね!
「……お任せします。アルミネラの事を、宜しくお願いします」
「はい」
なんて、まさか殿下が頭を下げるなんて。
これは、先ほど僕がお灸を据えた事に影響してるのかな、って、うそ!?
「っ、あ!」
「しっかりしがみついていて」
不意に、身体が浮いたかと思えば、殿下の許可を貰ったコルネリオ様によって、僕は今、人生初のお姫様抱っこで抱きかかえられていた。
嘘でしょ、こういうのは本当に勘弁して下さい!
前世から数えても人生初となるお姫様抱っこにかなりショックを受けて、半泣きになりながらもコルネリオ様を見上げれば、案の定そこには仏のように神々しい笑みを浮かべたお顔があって。
……あ、やっぱりまだ怒っていらしたんですね。
だったら、もう腹を括るしかほかはない。って、何で僕ばっかりこんな目に――!
コルネリオ様が満足するまで、この罰ゲームに付き合わなければならないのか。何度も気が遠くなりそうになりながらも、コルネリオ様に大人しく身を委ねてこの会場を後にした。
僕たちの後ろから、殿下がまるで苦虫を噛んだかのように、眉間に皺を寄せて目を細めながら見つめていた事など気付かずに。




