番外編 Dear.Silencer
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番外編の二つ目はノアのお話です。
彼は、それまで自動人形のように生きていた。
そこに、意思というものは存在しない。
ただ、未だ命が尽きないから生きているというだけでの人形に過ぎなかった。
そんな彼の目に映る人々もまた、心臓と言う名の『核』がある人形でしかない。
「いい加減にしてくれない?」と不意に声を掛けられて、ノアは軽く舌打ちをした。
それは、当然相手が誰であるのか、という事が分かるからだが。己の目線の高さからわざと見下ろすように視線を下げれば、今の彼と同じように不機嫌な顔をした少年がこちらを見ていた。
初夏というには充分に蒸し暑くなっている昼間とは違って、真夜中は気温も少しは下がって外は涼しい。深夜だという事もあって彼ら以外の人の気配はなく、微かな風と共に虫の音色が少年の白金色の髪をなびかせていく。
だが、彼が仕える少女と全く同じ美しい顔であるはずなのに、ノアはその少年、イエリオスを一度も綺麗だと感じた事はない。
「その言葉、まんまお前に返してやるよ」
むしろ、天敵と呼ぶに相応しい。
だから、少年には一度たりと配慮した事などないし、今後もするつもりなど毛頭無かった。それは彼が思うところの『こんな胸くそ悪い状況下』であっても何一つ変わらないのだが。
「はあ?僕のどこが凹んでるっていうの?」
「俺に絡んでくるのがその証拠だろうが」
ノアの存在を空気のように扱うイエリオスには珍しく、今はとにかく何かに当たりたい気分らしい。少しばかり冷静さを失っているイエリオスにその身勝手さを説いてやれば、僅かに瞳が揺らいで押し黙ってしまった。
これだからクソガキは、と内心で呆れ果てる。
己が忠誠を捧げる少女と同じ環境下で育ちながら、この少年は論理的な言葉に弱いのだ。言ってみれば、常識を覆す自由奔放な彼女と違って、彼が常に理屈で物事を捉えているからだが。
そこが、彼の甘い部分だと指摘してやるつもりはない。
「だいたい予想してたんだろ、お前だって」
それに、この少年がそんじょそこらの子供と同じような安直で幼稚な性格の持ち主ではない事は知っている。むしろ、十五年間しか生きていないのに、どこまでも思慮深く大人びすぎているからこそノアには違和感が際立って見えるのだ。
しかも、お互いにお互いが嫌いだというだけあって、毎日が相手の粗探しに暇がないほどである。
だからこそ、油断のならない相手だと警戒している。
「……そうだけど」
そんなノアの言葉をやはり肯定した少年の顔には、不満がこびりついていたが。
ノア自身も憤懣やるかたない感情に囚われていたので、再び視線を逸らすのであった。
何とも言いがたいどうしようもない空気を纏いながら思い出すのは、つい先刻の事である。
先程まで彼らが居たのは、リーレン騎士養成学校にある寄宿舎のとある一室で。ノアの傍らで無表情を取り繕っている少年、イエリオスの妹のアルミネラの部屋だった。
アルミネラの部屋とはいっても、寄宿舎は相部屋が基本なので彼女にも当然ルームメイトたちがいる。だが、今年入った新入生は、一度寝れば朝まで起きる事はなく、残りの一人は常に寝ているが起きてしまっても双子の入れ替わりを知っているので問題はなかった。
彼女が大きな任務中に怪我を負い、療養生活を送って二週間ほど過ぎていて。そして、ノアとイエリオスが、攫われたエルフローラたちを助け出したのが約一週間前である。
本当は、直ぐにでもアルミネラの元へと戻りたかったのだが、イエリオスの婚約者たちを助けた際に告げられた『再講習』を本当に受ける事になるとは思ってもいなかった。
イエリオスに従事している悪魔のような女、サラからみっちりぎっちり再教育とやらを施されて解放されたのはつい昨日のこと。もはや、ノアの担当業務となった夕食後のイエリオスのお茶を用意している際に、彼からようやくアルミネラに会うことを許された。シスコンここに極まれり、と内心で罵倒したのは秘密である。
コルネリオ・フェル=セルゲイトの企てで、彼女の下を離れた事はノアとて屈辱でしかなかったのに――
彼女と出会うまで、いや、彼女とも死のやり取りをしたノアにとって、アルミネラという少女がそれまでの人生観を覆したと言っても過言ではない。
親に捨てられ、孤児院からも攫われて売られた先は、裏世界で暗躍する者たちを育てる豪族の一つの道楽に過ぎなかった。そこにあるのは、ひたすら『命』を減らす事のみ。その日、一言二言交わした仲間がいたとしても、翌日には屍となっている事が多かった。
ノアが家族というものを知っていれば、それが如何に過酷で悲惨なものかを理解出来ていただろう。だが、彼はそういった温かなものなど知りもせずそれが当たり前だと思い込んでいた。
――とある目の不自由な少女に出会うまでは。
それまで彼はアルビノという性質上、タオ国では疎まれる存在であったのに、彼女は彼に温かな食事や感情、そして人と繋がる事で感じる優しさなど生きていく希望を与えてくれた。
ノアにとって、その少女は初恋だった。
そしてまた、彼女の家族やその屋敷で働いている人も優しくて好きだった。
それが、悪党の邪悪な手口だとは知らずに。
資産家の家へわざと子供を売り込んで、子供が馴染んだ頃にその手引きで屋敷へ押し入り、金目のものは全て奪って住人は皆殺しにする。
子供だったノアは、まさか自分がそんな役目を担わされているとは知らず、ただ素直に喜んでいた。愚直なまでに。
――――少女を自らの手にかけるまでは。
ノアがそこで初めて人を殺める事が暗殺者としての素質をみる最終試験であったのは、しばらく経った後に知った事だった。そこで、もし、誰も殺していていなければ、アルビノの少年の死体が増えていただけだろう。
そう言い切れるのは、同じように別の資産家の家へ送られた子供の命を奪う仕事をしたからだ。
毎日が『命』を減らす作業ばかりだった。
小さな、とても大切で大事だった灯火を自らが消した事で、もうノアには人の顔はただの記号にしか見えなくなっていた。もはや、動力源を断ってしまえば動かなくなる人形と言っていい。
そして、いつしかその人形の中にある赤い核を壊す事だけを目的とした。
そんな時、ミュールズへと亡命した王子の命を奪う仕事がノアに入った。
クライアントは王族の一人であるらしく、現国王はいまだ健在ではあるが邪魔な後継者候補はさっさと始末しておきたいという事のようだった。もちろん、そういった話はされていないが、余計なトラブルを防ぐために事前に調べておくのは鉄則である。おかげで、何度か窮地をすり抜けた事があるのでノアはこれを心がけている。
ナオナシオ王子を追って、ミュールズ国まで来たノアはここで初めて異文化というものに触れた。
しかも、ここでは異端児だったアルビノのノアを忌み嫌う者など誰一人としていなかった。それだけでもノアにとっては驚くべき事だったのに、ある夜、とうとう『運命』とも呼べる出逢いを果たしたのだ。
その相手とは、言わずもがなアルミネラ・エーヴェリーという十四歳の少女だった。
彼女は、『死』への恐怖など全くなかった。だが、恐怖がないからといって、『死』を望んでいる訳でもない。むしろ、常に『死』を意識しているからか、いざノアに殺されそうになった時、彼女は泣きそうな顔で笑ったのだ。太陽のように眩しい輝きを持っているのに、どこか寂しげな月のようで。
それが、とても印象的だった。
どうして、と声を掛けてしまうほどに。
だから一瞬躊躇った結果、彼は捕縛されてしまったのだ。
今では、それで良かったと思っている。
生まれて初めて、誰よりも『死』に近い彼女と出会える事ができたのだから。
コルネリオ・フェル=セルゲイトという男というは、彼女や彼女の双子の兄を調べている時から気にかかる存在だった。
彼らが生まれた頃から今までに、幾度もその名前が浮上してくる。しかも、アルミネラにとってコルネリオは憧れの存在でもあるらしい。そこは気にくわないけれど。双子の父やその友人の補佐役もコルネリオの不審な動きには気が付いているようだったが、いまだ泳がしている状態だった。
しかし。
コルネリオがタオ国の貿易商と取引きを始めた事によって、ノアは今まで放置していた問題と向き合わなければならなくなった。
それは、実はまだ完全に裏社会を牛耳る男の支配から逃れていなかったという事である。
男は、本業である貿易業のかたわら裏社会で暗躍する者を育てるのが趣味だった。人身売買で人数を増やしては消耗品のように扱っていたのである。
その為、ノアのようにまだ生存している暗殺者はとても貴重な存在だった。
だから当然、ノアの離反は認められず、仕方なくノアは最終手段としていた男の組織する旗印が分かるカフスを一つ盗んだのだ。人質という形で。
それがノアの手元にある以上、下手に手を出せばどうなるか分からない男ではない。
それを良い事に、ノアは今まで常に騒動に巻き込まれる双子に翻弄されながらも賑やかで騒がしい毎日を送っていた――のだが。
双子よりもノアの過去を細かく知るコルネリオの策略によって、とうとう男からノアの捕縛もしくは殺害という指令が下された。おかげで、ノアは一度騎士団に拘束されてしまったのだが。男に引き渡される前に、アルミネラの元ルームメイトだったフェルメールによって脱走する事が出来たのだが、しばらく両者に追われる日々が訪れた。
元々、一人での行動には慣れていたので苦にはならなかったが。
第二騎士団に拘束されている際に、アルミネラが大きな怪我を負ったのは、イエリオスに言われなくともノアの戦意に火を付けたのは言うまでもないだろう。なにせ、それをノアに聞かせたのは尋問という形で訪れたコルネリオだったのだから。
その時の様子を思い出すだけでも、ノアは身の毛がよだつぐらいだ。
コルネリオという男は見目が良い事を利用して、穏やかな気質の優秀な若者として名を売っているが、ことエーヴェリー公爵家の双子への執着心は凄まじい。
まだアルミネラの元へ来て一年ほどのノアにすら、嫉妬心を隠さないのだから。
どうしてそこまで彼が双子を求めているのかは分からない。
ただ、完全に分かるのは既にその思いは妄執と化して狂気じみている。
恐らくイエリオスは何かしらそれに気付いているのだろうが、アルミネラの方はまるっきり分かっていなさそうで、ますます不安になってしまった。
もしもの時の為に、自分がいなければと再認識させられた程だった。
なので、イエリオスから説明を受けたアルミネラも少しは危機感を持つだろうと思っていたのだが。
「そっか、コルネリオ様らしいね」
という実に簡潔な返事で、イエリオスと二人で呆気に取られてしまった。
ただ、妹が可愛いイエリオスが『貴族狩り』などを含むこの一連の件にコルネリオ・フェル=セルゲイトが全て関わっていたという事実を伏せていたというのも問題だろう。
少年が妹に話したのは、ノアに関する事柄のみ。
それが吉と出るか凶と出るかはイエリオス自身に関わるので、ノアは無言を貫いた。まあ後で泣きを見るだろうな、という予想はしている。
「驚かないの?」
と言った兄に、妹はキョトンとした顔で首を傾げた。
「え?だって、昔からこういう事ってたまにあったよね?……ってイオ、もしかして知らなかった?」
「……」
彼らと知り合ってまだ新参のノアには分からない。
しかし、イエリオスは思う所があったようでしばらく俯いて思い返しているようだった。
「うーん。でも、そっか……コルネリオ様がノアを排除したいのなら、しばらくそっちで預かってもらう方が良いのかも」
その間に私がどうにかするから、と何か考えがあるような口ぶりだったが。
「俺は嫌だ。今回は逃げるしかなかったが、なるべくお前の傍にいたい」
イエリオスが不服を言う前に、今まで受諾するだけのノアが真っ先に拒絶した。
今度こそ、という思いがあった――のに。
「コルネリオ様が本気を出せば、きっとノアは殺されちゃう。だから、しばらくの間だけでいいからイオの所に置いてくれないかな」
結局、この後に二人がかりでアルミネラを説得しても彼女は頑なに首を振った。
その憤りの顕れが、イエリオスの言いがかりである。
まだいきなり罵倒されないだけマシだが、何かと相反するノアへ苛立ちをぶつけたのは明白だった。
「だいたい、どうしてあの男の本性をぶちまけないんだ」
今回の件にしたって、今までの件にしたってコルネリオが企んでいるのは一目瞭然である。それに、彼らを渇望するコルネリオの実態を教えていれば、アルミネラだって安易な真似はしないだろう。
ましてや、こんな状況下でノアを手放すなど。
「コルネリオ様はアルに酷い事はしないし手も出さないよ」
「そんな事、」
「ずっと二人を見てる僕が言うんだから、君が信じなくともそうなんだよ」
そう言い切ったイエリオスの顔に嘘は見当たらない。
どうやらそれを信じるしかないらしい、が。
「それに、アルがコルネリオ様に好意を寄せているのなら……尚更」
その後に呟かれた言葉に耳を疑う。
「お前、本気でそれを言ってるのか」
「は?ノアこそ見て分からないの?」
「分かるも何も――いや、いい」
険悪な空気が漂っていたが、半ば毒気が抜かれてしまってノアは早々に会話を終わらせた。鈍いのも大概にしろよ、と言いたくなるのをぐっとこらえて。
そういう勘の鈍さに苛立ちを覚えるのはいつもの事だった。
アルミネラに出会ってから、『人』という生き物に興味は尽きない。
それは、常に彼女の視界に映る全てを知りたいと願うからか。
例えば、この愚かしい少年にしてもそうだし、自分と同じ消耗品の一つである女の暗殺者もそうだった。
特に彼女は、ノアがタオ国を去ってから最終試験に合格した新参者だったようで、ノアからすればまだ一人前と呼べるような腕前ではない。
なのに、どうして今回彼女をミュールズに連れてきたのかといえば。
考えられるのは一つだけ。
――男はカフスの回収を目的としてノアを手放す事にしたのだ。
その狙いに気付いたのは、ミルウッド公爵令嬢が彼らに連れ去られたと知った時だった。
そこまでしてノアを引きずり出さなければならない理由は、もはやカフスの回収以外に考えられない。
だから、ノアは足手まといにしかならないイエリオスを連れてまでミルウッド嬢達を救出するという前提で姿を見せた。あの呪わしい男に会うのも今回ばかりと決めて。
結局、男の姿はとうになく、後輩とやらの鼻っ柱をたたき折ってやっただけだが。
――今頃は、あいつの手元に戻ってる頃か。
と思い出すのは、ミルウッド嬢達を無事に救出したイエリオスを回収した後のこと。
アルミネラに仕える際、彼女に没収されていたカフスをイエリオスが持っていた事はノアにとって好機だった。
どうしてクソガキに渡したのか、などとは思わない。彼女がそれを最善と決めたのならそれは正しいだろうから。それに、ノアが行方知れずとなって、何かと事件の渦中にいる兄に託した方が良い、と判断したのだろうと想像出来る。そこにあるのは、実に彼女らしい直感しかない。
やはり、自分の目に狂いはない。
内心でそう確信しながら、イエリオスから半ば奪ったカフスをまだ意識のないフリをしている女の服に忍ばせた。「もう会う事はない」と一言だけを言って。この決別の言葉を、この女は必ずあの男に伝える事は間違いない。そう思うと、どこかすっきりした自分がいた。
ならば――、とノアは今までずっと言えなかったことを口にした。
「くたばれ、じじい」
まさかそんな子供が言うような悪口をプロの暗殺者が言うとは思わなかったのだろう、女がぴくりと肢体を動かせたので、立ち上がる際に背中を軽く蹴ってやったのは先輩からのエールと思ってもらいたい。この女もいつまで生き続けられるかは分からないが。
タオ国にいれば、きっとノアはまだ彼女と共に消耗品という人生を歩んでいたはずで。
感情という人形にはないモノに囚われない人生は、それもまた、幸せだったのかもしれない。
それほど、今のノアの中にはアルミネラが与えてくれた感情で溢れかえっていたのだ。
ミルウッド嬢たちの救出劇が終わりを迎え、彼女の笑顔にどこか似ていると思う月を見上げていれば、青々と照りつける月の明かりの中を、黒い影が飛び去った。
もう二度と会う気はないが、腕は悪くないからせいぜい精進しろよ、と心中で呟く。
ふと傍らに、いつの間にかイエリオスが居る事に気が付いたが無視を貫けば。
「アルに会う前に、サラからの説教と再講習をちゃんと受けてね」
さっそく制裁に取りかかってきたので抗議する。
「なっ!嫌がらせにもほどがあんだろ!」
「エーヴェリー家の従者としての自覚を持ってもらいたい僕からの細やかな報ふ、善意だよ」
「今、明らかに報復って言ったよな?」
やっぱりこいつ嫌いだ、と思うノアに、少年はこてんと小首を傾げながらにっこりと微笑んだ。心底、楽しいという文字を顔に貼り付けながら。
「それで許してあげようというのだから、むしろ喜ぶべきだと思うけれどね?」
そこで舌打ちしたのは言うまでもない。
「で、何か策はあるのかよ」
夏に入ったとはいえ真夜中は、たまに髪を揺らす風はまだ冷たい。
シスコンであるこいつなら、コルネリオの下に大切な妹を一人にしておく訳がない、と分かっているので話しかけてみた。きっと、何か対策を講じるだろうと。
夜の闇と同じ上着の襟を正しながら、ずっとふてくされている少年へと視線を向ける、と。
「そういえば、君にはまだ言ってなかったっけ」
彼女と同じ白金色の髪をなびかせながら、彼はやや疲れた表情で空を見上げた。
「近々、僕は聖ヴィルフ国に行く――オーガスト様の婚約者として。そして、アルはまだ知らないけれど、その同行者にはイエリオス・エーヴェリーも含まれているんだよ」
だから、お転婆娘の監視は任せたよ、と初めて少年から頼られた。
「……」
今回の件で、イエリオスには従者の仕事についてずっとだめ出しをされていたのだが、どうやら少しは認められてきたらしい。
アルミネラの事ならノアにも話すようになった事だけでもそれが分かる。
だが、お互いにまだ素直とは言いがたく。
「……明日は血の雨でも降るかもな」
そう言ってやれば、思いきり睨まれたが当然のように無視をした。
六章はこれにてお終いです。最後までお付きあい下さりありがとうございました!!
七章はしばらくお休みしてからとなります。
それまでは再び作業報告にてSSだとかpixivでイラストだとか載せられたら良いなぁと思ってます。




