番外編 チョコレートは溶け出して
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番外編の一つ目はアリアのお話です。
――もしも、あの人より私と先に出会っていたら、あなたは私を好きになってくれましたか?
私は、脇役でしかない。
それに気が付いたのは、十歳の時に初めて好きになった男の子が、隣りの家のマリアを野犬から守ったという話を聞いた時だった。
色白で、光に反射するとキラキラと輝く黄金の髪を持つマリア。溢れおちそうなぐらいの大きな瞳は碧い色。そして、私と違ってぷっくりと膨らんだ唇は異性から人気があった。
私にとってマリアは、まぎれもなくお姫様だった。
そんなマリアと常に比べられるのは、うちの村でも近隣の村でも見かけた事のない赤い髪と赤い瞳を持つ私。お母さんにお爺ちゃんの事を教えてもらうまでは、捨て子なんじゃないかと思ってた。
明るくて可愛いマリア。マリアはいつも世界の中心でヒロインだった。
見知らぬ旅人にいやらしい目で見られたら誰かがマリアを庇ったし、誰かが告白しようものならこぞって周りの男の子たちもそれに倣った。
脇役の私が立つ事なんてない日の当たる場所――――そこにいるのは『主役』しか許されない。
そんな風に卑屈になっていた私に、人生で二度とない大きな出来事が起きたのはちょうどマリアと一緒に新しいドレスを作っている時だった。
村の青年団に所属するようになった私たちは、数十年前から引き継がれてる特殊な染色方法をようやく成功させて、次にどうすれば量産出来るのかという課題に取りかかっていたからだ。
きっと、このドレスを最初に着る事が出来るのはマリアだろう。
そんな昏い思いがよぎっていた私とマリアのいた仕事部屋に、いきなり入ってきたのは私と同じ色を持つ顔の見目が麗しい男の人だった。その見た目や服装、穏やかそうな表情からいって貴族なのは直ぐに分かった。
けれど、こんな辺境の土地の人ではない。
華やかなお貴族様が一体、何をしにここへ?と直ぐに疑ってしまう私と違って、何にでも興味を抱くマリアはやっぱりその人に心が惹かれたようで恐がりもせず歩み寄っていってしまう。
長年ずっと一緒に育ってきたから、いつの間にか私はマリアのお目付役のような役割を担っていたので、また男共に怒られる――と、慌てて制止しようと追いかけたら、彼がマリアを無視して私の前まで歩いてくるとどういうわけか片膝をつく。
「えっ?」
そんな声が漏れたのは、マリアだったか私の方だったのか。
そして、私と同じ赤い瞳でこう告げた。
「お迎えにあがりました、姫」
――と。突然の出来事で何がなんだか分からないまま馬車に乗せられて、教えられたのは私が国王様の娘かもしれないという事だった。
それから、お城にいけば私の王子様がいるはずだと。
脇役の私に――
そんなはずはない、と思った。
人と違うのは髪と瞳の色ぐらいで、後は地味でしかない私がこの国のお姫様だなんて、それはきっと何かの間違いですと言ってみたが微笑まれて首を振られる。
なにより、この赤い髪と瞳こそが王族たる証拠なのです、とその人は言った。私が『赤色』と呼んでいたこの色は、王族の特有色といって正確には『緋色』という色合いであるという。確かに、『赤色』や『朱色』ではなく、『緋色』と言われればそうかもしれない。
コルネリオ・フェル=セルゲイト、と名乗ったその人は、実は国王様の弟君のご子息であるらしい。なので、私が自分と同じく高貴なる『緋色』を持つ者だというのは直ぐに気が付きました、とそう付け足した。
……本当に、私は国王様の子供なんだろうか。
その思いがいっそう募る。
私が乗る前から先に馬車に乗っていて、お城へ共に行ってくれるという領主様のご子息の奥様は、ずっと上の空で会話に参加していない。だから、主にコルネリオ様のお話を聞いているばかりだけど、聞けば聞くほど信憑性が増してくる。
――もしかして、なんて。
そんな風にずっと半信半疑の状態でお城へと連れて行かれて、私はそこで運命の人に出会ってしまった。
その人は、お城でたくさんの人に見られて緊張していた私を助けてくれたのだ。
名前は、イエリオス・エーヴェリー様。
偶然にも私と同い年で、それなのに大人達の視線を一斉に受けても堂々としていて恰好よかった。さらさらと流れるように揺れる白金色の髪は光を浴びる度にキラキラと輝いていて、その下にあるお顔は全知全能の女神ヴィルティーナ様がお作りになられたのかと思うほど美しい。この時は、まだ公爵家のご子息様だとは知らなかったけど、透き通るような肌に映える蒼い瞳が穏やかな色で私を受け入れてくれたのが嬉しかった。誰もが疑いの目でしか見てくれていなかったのに。
ああ、この人は私をちゃんと見てくれている。
それが分かって嬉しかった。
その場でどうすれば良いのか分からない私にそっと手を差し伸べてくれたのも。
まさに、私の理想の王子様がそこにいた。
脇役の私の王子様。
分相応じゃない事ぐらい分かってる。――だけど。
まるで、胸に大やけどを負ってしまったみたいに、彼の事を考えるだけで胸に甘い痛みが走る。トクトクと流れる赤い血が心臓を通り過ぎる度に、思いはどんどん思いの濃さを増していく。まるで、高級過ぎて辺境地に住む私には滅多に口に出来ないチョコレートみたいに。
私、今――恋してる。
だから、この思いを大事に育てよう、そう思った。
その後、二度目の再会は驚く展開で起きてしまった。騎士になりたいという妹さんの為に女装をしているという事には、さすがに驚いてしまったけど。そんな優しい所も好きで、妹さんを羨ましく思う。だけど、イエリオス様が幸せならばそれで良い。
――ただ、その後に知った事実はあまりにも残酷だった。
この頃には既に彼が上流貴族の一員だという事は分かっていたはずなのに、婚約者がいるかもしれないなんて一度も考えなかった私も悪いのだ。ましてや、彼は私じゃなくとも誰もが目を惹くほどの素敵な人だから。現に、共にお城まできた領主様のご子息の奥様であるオリヴィア様は、イエリオス様と従兄弟と言っていたけど、イエリオス様に好意を寄せているようだった。
その後に紹介された婚約者さんはとても綺麗で聡明そうで……全てが私とは真逆の人で。
ふと、マリアを思い出した。
そして、気が付いた。
この人は、マリアと同じで日の当たる場所に立つ側の人なんだ――と。
……でも。
でも、『緋色』を持つ私こそ、本物のお姫様なのに?と心の中で別の私が呟いていた。世界を巡回する劇団のお芝居や絵本の中では、『お姫様』は王子様と結ばれる運命となっている。
なら、私が、本物のお姫様である私がイエリオス様を幸せに出来るはず。
だから、私は諦めないことにした。
それでも、不安がなかった訳じゃない。その頃、王宮の外では物騒な事件が起きていたらしくて、外出禁止になってしまってイエリオス様に会えないのが辛かった。イエリオス様のお父様はこの国の宰相様だったので、たまにお見かけしては同じ髪色という事で幸せになれたりしたけど物足りない。だったら、とオリヴィア様からイエリオス様のお話を聞いて何度も心を慰めた。
一番嬉しかったのは、イエリオス様がどんな子供だったのか知れたこと。
昔からエーヴェリー家の双子は綺麗だと評判だったらしい。オリヴィア様は、それを周りの貴族が口に出す度、血が繋がっているのが自慢だったと言っていた。
ただ、イエリオス様は病弱だったらしくてよく体調を崩しては寝込んでいたという事で。今は元気になられて普通に生活をしているというお話だった。
私は、その頃のイエリオス様に思いを馳せるぐらいしか出来ないけど、ふとお母さんが病気になると人は心も弱まってしまう、と言っていたのを思い出した。
私が小さかった頃に亡くなったお爺ちゃんは、戦争の時の怪我がもとで片足が無かったという。私はおぼろげにしか覚えてないから、どんな人だったのか思い出せないのが悔やまれる。
お爺ちゃんは、足のせいでよく熱を出してはうなされていたと言っていた。そんなお爺ちゃんを支えていたのがお婆ちゃんだった。今も私の記憶に強烈に残っているのが、お爺ちゃんの最期だった。
もう、息も絶え絶えなのに、ずっと手を握りしめていたお婆ちゃんに突然、すみませんでした、と謝ったのだ。
どうして謝るのか子供の私には分からなかった。ううん、今も分かってないけど。
だけど、お婆ちゃんは泣きながら、貴方は本当に馬鹿な人ですね、と笑って言った。そして、私はずっと幸せでしたよ、と言ったお婆ちゃんはどこか誇らしげだったのだ。
私もそんな風になりたいと思った。
誰かの――出来たら、イエリオス様の支えになりたい。
そんな矢先、ようやくイエリオス様を王宮に呼べる事になって、更に嬉しい事にようやく外出許可も下りたから流行だというお菓子のお店に行ってみれば彼とたまたま鉢合ってしまって驚いた。
こんな偶然があってもいいのかな、なんて。
つい、はしゃいでしまったのは反省してる。大人っぽい婚約者さんに比べて、子供っぽいなんて思われていたらどうしようと思ったぐらいだったから。せめて、彼女がいる時は私も出来るだけ大人しくして少しでも魅力的に見えるようにしたいと思った。
まさか、そこで婚約者さんともう一人のご令嬢が誘拐されるとは思ってもいなかったけど。
この時のイエリオス様の動揺は酷くて、私が止めなかったら怪我をしてでも助けに行くんじゃないかと思うぐらいに。
そこで、どうして誘拐されたのが私じゃなくあの人だったの?という思いが過ぎった私は最低だろう。
もしかしたら、酷い事をされるかもしれないのに。
もう二度と彼と会えないかもしれないのに。
それなのに、私がもしあの人と同じ立場であったなら、彼は同じように必死になってくれるかもしれない、という泡沫の夢を望むのだ。
そう、私は『あの人』になりたかった。――――片隅の脇役から、陽を浴びる『ヒロイン』に。
いつか、きっとなれるはず、といつしか塊になったチョコレートみたいな思いを抱えて。
誘拐犯がイエリオス様に告げた場所は記憶していたから、オリヴィア様に助けてもらってこっそりイエリオス様の手伝いが出来ればと思って向かったら、そこに行くまでの道中で物騒な喧嘩をしている連中を見つけてしまった。
しかも、その中心にいたのがなんと幼馴染みだったからびっくりで。
その後直ぐ、コルネリオ様が騎士団を連れて現れて、お城を抜け出した事がバレてしまった。あんまりお咎めはなかったけど。
幼馴染みは、私を探しに青年団の人たちとここまで来てくれたという事だった。
それから、何故かいきなり、嫁にこい、なんて言われたけれど。
……遅いよ、と思ったのは言わないでおくつもり。
貴方が野犬からマリアを助けた時点で、私の初恋はもう終わってしまった。
そんな正義感の強い幼馴染みが好きだった。
だけど、それはとっくに終わった恋だった。
今の私は、イエリオス様にしかドキドキしない。
好きな人がいる、と言って断れば、どこのどいつだ!なんていつものように噛みついてきたけど、イエリオス様が無事かどうか気になって何とかうやむやにしてどうにか逃げた。
そして――――
『アリアさん、ごめんなさい。僕は、あなたの気持ちには応えられません』
本当は、ずっと前から気付いてた。
この人の視線の先にあるのは、いつだって婚約者さんだと分かってた。
それでも、私は代わりになれる、なんて思えてしまった。
ああ、これが脇役の定めだろう。
結局、脇役はどう足掻いても『お姫様』にはなれないのだ。
泣きたかったけど我慢して、ぼんやりしてみれば彼の婚約者さんに話しかけられた。
名前は確か、エルフローラ様。
名前も上品で可愛いその人は、貴族のご令嬢であるのに平民の私に頭を下げてこう言った。
「あの時、あの方を止めて下さってありがとうございました」
え?と、私がどういう事なのか首を捻れば。
「これは、私のエゴですわ。私が連れ去られるのを見て、あの方は死んでも私を取り返そうとしたでしょう。そうなると、私の夢は一生叶わなくなってしまいますもの」
「夢って」
「ずっと、あの方のお側にいる事ですわ」
――――側にいる事。
ああ、そうか。
「……『本物』がそんな風に願ったら、『脇役』の私が敵うわけないじゃない」
つい声に出ていたらしい。しまった、と思って慌てて口に手を当てるけど、彼女にはもう聞かれてしまっていて。
「まあ。本物、とは何の事ですの?」
フラれた腹いせも少なからずあった。
だから、言いたい事を言ってすっきりしたかった。
「貴女か゛イエリオス様にとっての『お姫様』だって事ですよ。私はどこに行っても、結局『脇役』のままだった」
「イオ様にお姫様だと思ってもらえていたらこの上なく嬉しいですわ。けれど、間違えないで下さいませ。私は私にとって唯一無二の『お姫様』なのです」
「どういう意味ですか?」
貴族と平民では、頭の出来が違うのだろうか。
彼女の言っている意味が分からず、首を傾げると、彼女はクスッと小鳥が囀るように小さく笑う。そんな仕草だけで見惚れるぐらい本当に綺麗だから羨ましいと思う。だから、次の言葉に驚かずにはいられなかった。
「私、あの方に愛を囁かれた事がございませんの」
「え!?で、でも」
あの人がこの人を好きなのは、誰が見ても一目瞭然。
なのに、まだ『形』だけの関係だったなんて。
「好意を持って下さっているのは分かっておりますわ。けれど、きちんと言葉を戴いた事は無いのです。だから、私はまず私の為に『私』が理想とする『お姫様』になろうと思いましたの」
ああ。つまり、この人が言いたい事は自分磨きをしたって事か。
だけど、私は『脇役』だ。――どれだけ、自分を磨いても。
「……私には、無理です。貴女は綺麗で賢くて光が似合うからそんな風になれるんだわ」
元が違う。
それを全然分かってない。
「あなたはどなたの人生を歩んでいますの?その足はどなたのものですか?」
「……私は、私の」
「ですわよね。あなたの人生はあなたの物であって誰のものでもありませんのよ。つまりは、あなたこそがあなたの人生の『主役』なのですわ」
「……『主役』?」
ヒロインではなくて?
脇役、でもなくて?
「『主役』が『お姫様』では駄目だ、なんてどなたがお決めになりましたの?」
「……」
そんな事、考えてもいなかった。
主役はずっと王子様、それから隣りにはヒロインであるお姫様、そして後は脇役ばかり。
ずっと、ずっとそれが正しいと思ってた。
「私、こう見えてとても貪欲ですのよ。イオ様の隣りに居たい、恋して欲しい、愛を囁いて欲しい、ずっと私だけ見ていて欲しい、それから――彼の一番になりたい」
だから、『お姫様』で『王子様』の私が『ヒロイン』のあの方を求めるのは当然でしょう?と、にっこり微笑みながら言われたので思わず吹き出した。
見た目と違って、意外と逞しいんだなと感心してしまう。
それから、
敵わないな、と分かってしまった。
私が今までずっと固め続けていたイエリオス様へチョコレートの塊の正体に気付いてしまった。
私は――
私は、ずっと自分をチョコレートで塗り固めていただけなのだ。
中身すら見ず、必死になって。
その後、お友達になりましょう、と言ってくれたエルフローラさんとイエリオス様のファンだというセラフィナさんと色々な話が出来たのは、自分の村に戻った今も良い思い出となっている。
イエリオス様の事を思い出すと、まだ少し胸が痛くて悲しいけど。
「おい」
彼に恋して良かった、と思う。
せめて、オリヴィア様みたいに抱きついてお別れすれば良かったかなぁ。
「おいってば!」
国王様の計らいで一緒に村へ帰ってこられた幼馴染みに、実はさっきからずっと声を掛けられていた事を思いだした。
「何よ」
「お、俺の……よ、よ、よよよよよ読み通りここを染めると変わった柄になるぞ!」
「ふーん。あっそう」
という適当な返事をすれば、私達の後ろの方で他の仲間達が今日も口々にヘタレ、という言葉を呟いていた。
そして、私の横に座るマリアが何故か羨ましそうな顔になるのだ。
これが今の私の現状。
これが、私を取り巻く『すべて』だ。
もう彼らを書く事はないと思うので。
この数年後、幼馴染み氏とアリアさんは結婚します。




