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一、礼節を重んじよ。
厳か、という言葉がこれほど似合う広間を僕は知らない。
ここには、オーガスト様の宰相候補を決める件でも何度か入室した事はあるけれどいまだに慣れない。というか、多分一生慣れる事はないと思う。
国王の謁見の間は、陛下を筆頭に以前と何一つ変わることなく国の主要人物ばかりが立ち並び、まだ貴族の若造でしかない僕に緊張をもたらしていた。ほんと、いつ見ても圧巻。
ただ、今回は隣りに立っているのがアシュトン・ルドーではなくて、今回の疑惑の姫君であるアリア、それから僕たちの一歩後ろにオリヴィアなので変な重圧を受けなくてホッとしてる。ここに入る前に、三人で励まし合っているのをミルウッド卿に見られた時は羞恥心で死ぬかと思ったけど。
「それでは始めるとするか」
厳粛な雰囲気の中、今回の騒動についての裁定が始まった。
ここで、何が一番の問題かというと、それはアリアが陛下の実の娘かどうか、という事じゃないかなと僕は思っている。ミュールズ国では、一夫一妻制が推奨されていて王族はその規範のモデルケースとなっている。それはつまり、余程の事がない限り王族の血が平民と混じり合うことはないということで。
だからこそ、最大の謎ともいえる。
「この度の、我が甥が見つけ出してきたオックス辺境伯の土地に住まうアリア嬢は、王族の血を引いている娘であるという結果に至った」
……まさか。
僕だけじゃなく、今まで半信半疑だった人も多かったのか、そこでいっきに広間の中がざわつく。
「……うそ」
そして、誰よりも驚いて両手で口を覆ったのはアリア当人だったようで、彼女は不安げな顔で俯いてしまった。
もしかしたら、この場にいる誰よりも自分は王族ではないと疑っていたのかもしれない。そうじゃないと、母親が不貞を働いたという事にもなるのだから。けれど、王族じゃなかったら彼女の緋色の髪と瞳の理由が付かなくなってしまうわけで。
ふと視線を感じたので正面を見ると、コルネリオ様と目が合った。
うーん。いつも通り、全く何を考えているのか分からない顔をされているけど、多分、あの微笑みはアリアとの婚姻を推し進めていく気満々だよね。
「静粛にせよ。そこの娘は、確かに王族の血を引いた者である事には違いない――が、我の血を引く者はここにいるオーガストのみである」
――って。う、うん?つまり、どういうこと?
意味を理解出来ないでいる僕や他の人たちが首を捻る中、陛下は視線で僕らにその理由を告げるよう父上へと促した。
「現地で調査した結果、先の戦でご逝去されたと思われていた先王のご兄弟にあたるドルイット卿がどうやら生き延びておられ、オックス辺境伯の山奥で暮らしていたという事が判明致しました」
ということは。
「彼女は、ドルイット卿のご息女の娘でした。実際に会ったご息女は髪や瞳の色が王族色ではありませんでしたが、これはおそらく彼女こそが何らかの突然変異であるとみられます」
淡々とした話し方だからこそ脳への浸透性は早く、何より父上の言葉には説得力があった。だって、誰もがその実力を認める宰相の父上が、自ら現地へ行って確認をしているのだから間違いない。
「じっ、じゃあ、お母さんはっ、母は何も悪くなかったんですね!?」
アリアとしては、そこが一番重要だったのかもしれない。緋色の瞳に涙を浮かべながら、陛下と父上の二人を交互に見つめる顔は必死だった。
「父君がドルイット卿であったという事実すら知らなかったようなので」
「左様。叔父上は心根の優しく民の暮らしに憧れを抱くような人だったのでな。ここへと戻る事なく、ひっそりと暮らしていたのは、王族という因果から解き放たれたかったのだろう」
先王の時代は、今と違って近隣諸国との戦が度々あったと史学でも習ったほどだった。だからこそ、王族が陣頭指揮をするなんて事はざらにあったはずで。……想像出来ない程の辛さや苦しみ、それから悲しみがあったのかもしれない。それも、陛下が明言するほど優しかったのなら尚更のこと。
「叔父上が戦死する事なく生きながらえていた事、またその孫に会えた事は、コルネリオが探し出してくれた甲斐である。此度は、大義であった」
「……滅相もございません」
この短いやり取りに、戦々恐々としているのは僕だけじゃないはずだと思いたい。
表面上は、口元を和らげ甥に礼を告げる伯父の姿であるはずなのに、貫禄を乗せた緋色の瞳は一切の温かみや慈しみがなく凍てついた氷のように冷え冷えとしていて。
僕ならそれだけで五体投地の勢いで土下座してしまいそうなのに、コルネリオ様は意に介さず微笑んでいるのだから。
陛下の嫌味を受け流せる精神力って、もはや人間の域を超えていると思う。本当に。
「オリヴィア・オックス」
コルネリオ様の鋼の精神について思案している僕を余所に、陛下は打って変わって慈愛に満ちた瞳でオリヴィアへと視線を投げる。
「はい」
「お主も、辺境の土地にまだ慣れぬ身の上でありながら、よくぞ勤めを果たした。また近々視察に向かうのでな、それまで家族共々息災であるように」
「恐悦至極にございます。一族共々、陛下のご来訪を心よりお待ち申しあげます」
幼少の頃の女性へのトラウマはオリヴィアで構成されたというほど、彼女は伯父の命令のまま僕に執着していたけれど、オックス伯爵のご子息と婚姻を結んで新しい家族の元で暮らしてると考えると何とも感慨深い。
グランヴァル学院を卒業した時は、従姉だからと離れなくてオーガスト様に空気を読めと怒られていたけれど、笑顔でお別れが出来たのは良かったと思ってる。
「アリアよ」
「は、はい!」
「お主ら親子は王族とは認められぬが、住まいを首都へ移すのであれば歓迎する」
「ありがたき幸せにございます、陛下。私では決めかねるので、その件は母と相談させて頂きたく存じます」
「うむ」
僕の予想通り、アリアたち親子はばっさり切り捨てる方向に持っていったなぁ。
まあ、ここで下手に温情を示せばアリアたちを利用しようという輩が出てくるし、そうなると陛下の庇護下で一生暮らしていくしかないしね。ただ、どこにいようとこれからずっと監視の目はつくだろうけれど。
これで、この件に関しては一通り終わりという事になるのかな。と思ったら、アリアがドレスの裾を握りしめて口を開いた。
「あっ、あの、陛下!一つだけ、お訊ねしても宜しいでしょうか!」
「申してみよ」
「私の……いえ、『貴族狩り』は、どのような処罰を受けるのでしょうか」
やっぱり、『貴族狩り』の中心にいるのが幼馴染みだったから、それもアリアにとっては心配事の一つだったんだろうな。
分かるけど、それは『今』訊くべきじゃない。
「その件に関しては、宰相に任せてある。世間の関心事に興味があるのなら、また後で訊ねるが良い」
案の定、陛下も上手く躱したようでホッとする。
アリアが『貴族狩り』と関わりを持っているという情報は、極少数に留めておいた方が良いのは確実だからね。少しでも王族に反感を持つ不穏分子がつけいる隙を与えるべきじゃない。
もう、こういった駆け引きのようなものがどこにでもあるのだから、本当にヒヤヒヤしてしまう。それを乗り越えてこその国の頂点なんだろうけど。……ああ、もっと父上を見倣いたい。
「……宰相様に。分かりました、ありがとうございます」
そして、今度こそようやくこの一件は幕を閉じた。
「イエリオス」
緊張からやっと解放されて、ほわっとフルーツの匂いがするお茶に心を落ち着かせるティータイム。謁見の間の横にある控えの間には重鎮の皆さんがこぞって集まっていらっしゃるので、僕たち三人はそこから少し離れた部屋でアフタヌーンティーを頂いていた。
そこへ、突然、父上に名を呼ばれたのだから、いきなりむせてしまったのは僕の責任でない、はず。油断大敵と言うなかれ。だって、普通に考えてこんな名前も付けられてない控えの部屋に宰相が来るなんて思わないでしょ。なのに、正面に座ってた二人に苦笑いされてちょっと恥ずかしい。
「は、はい!」
僕、そんなにぼんやりしてたっけなぁ、と内心で苦い思いを抱きながらそちらに向けば。
「イルよ、そのように息子を驚かせるでない」
その後ろにいた陛下の登場で、慌てて席を立つ事になった。
「へ、陛下!」
「ああ、そのままで構わん」
そんな事言ったって!と向かいを見れば、オリヴィアもアリアも、僕と同じく既に椅子から立ち上がって、姿勢を正している状態となっていた。
「そのように畏まらなくとも良い。我はイルフレッドと個人的な話をしたくてたまたま目に付いた誰も居ない部屋へと入っただけのことなのでな」
……えっと。それはつまり、僕たちはいない者とみなして、これから勝手に色々話をするよという解釈で良いんだよね?ああ、そうきたか。さすがは陛下。
まだ理解出来ていないアリアに、どうしたら良いのか分からないという顔をされたので人差し指を口元に当てて微笑む。このゼスチャーは万国共通だよね。
「っ!」
当然、アリアも直ぐに頷いたのでホッとする。あー良かった、分かってくれて。けど、急に二人して顔が赤くなったけど、僕何もしてないよね?って首を傾げたら、陛下に喉を鳴らして笑われた。
「主の血を確実に引き継いでおる」
「……」
「えっ」
何ですか、それ。思わず、声が出ちゃったよ。
「……話を始めて宜しいでしょうか」
「未熟者の方が、まだ可愛げがあるわ」
それって、明らかに僕の事ですよね。経験不足の息子で申し訳ありません。あーもう、陛下もお人が悪い!……って、微妙に口角上げられたけど、僕の気持ちに気付いてますね。ほんとにもう。
「して、彼の者達は如何しておる?」
先程の軽口は、どうやら柔軟体操だったらしい。急に陛下の口から出た言葉に、アリアが息を飲んだ。
「大人しいものです。彼らは、事の重大さをきちんと認識しており、粛粛と刑を受けると申しております。ただ、どうも誘導された節があるので、慎重に取り調べをしております」
「左様か」
この世界では、平民は貴族よりも階級が低い。だからこそ、貴族を負傷させれば処罰が厳しいものになるのは当然で。
アリアが、真っ青になって震えるのを僕は見ているしか出来ない。
貴族だからこそ、でもあるけれど。
「……アリアさん」
「オリヴィア様」
目の前の従姉のような、彼らが僕の守るべき領民ではないというのもある。
あのオリヴィアが、次の伯爵夫人としての役割を受け入れているのが感慨深い。やっぱり、向こうの家族が良い人たちばかりなんだろうな。
「彼らの刑罰ですが……ああ、私とした事がうっかり忘れておりましたが、そういえばオックス卿から、国へ収める税の増額の申請がありました」
なるほどなぁ……って、その内容にも驚きなんだけど。
まさか、ここにきて初めて父上の棒読み言葉を聞くとは思いもしていませんでしたよ。しかも、こんなにもやる気のない棒読みってある?
「ほう」
「オックス領は山に囲まれたまさに辺境地である為、作物も中々育ちにくい環境にあるのですが、とある村の青年団が推し進めていた染色布が諸外国で関心を寄せられているのだとか」
そこまで父が話した途端、うなだれてオリヴィアに凭れていたアリアが目を見開いて顔を上げる。
まあ、ここまできたら言わずもがな、だよね。
「それは我が国の利益となり得るのか?」
「私の見立てでは、四割です」
父の予想で四割ならかなり高い数字だろう。陛下もそれを理解しているので、威厳を濃くみせる皺を更に深くして笑んだ。
「ならば、その染色布を持ってこさせよ。我が直にこの目で見定めるとする」
「御意に。この染色布を更に量産するにあたって、青年団から増員の要請が出ているようです」
「ほほう、それは困ったものよのう。ならば、ちょうど活きの良い囚人が増えたのだ、使えるものは使えと送り込め」
「仰せのままに。取り調べが終わり次第、そのように手配致します」
そこで、アリアが声を出さずに泣き出した。それは当然、うれし泣きで。
僕もオックス伯爵の手腕に惚れ惚れとしてる。なにせ、国と取引きする時点で無謀だといえるのに、上手いことお互いの利害が一致する位置を探り当てて、両者に不利益を与えない。唯一の打算は、アリアという存在で陛下の温情を引き出す事だろう。
僕には、到底真似出来ない賭けだと思う。
辺境伯というだけあって、そういった権謀術数には優れてるんだろうな。
徒労感を感じて、ひっそりとため息が零れた。
「他に用件はあるか」
「いいえ」
うーん。僕も、これ以上は特にないかなぁ。アリアが一番聞きたかった『貴族狩り』の話も聞けたし。
首を横に振る父を見ながら、僕も内心でそれに同意する。親子の意見が合致したのを察した訳ではないはずなのに、陛下がチラリとこちらを見て微かに笑ったのでドキリとしてしまった。
えっと……常々心配なんだけど、僕ってそんなに顔に出てます?
それとも、周りに察しが良すぎる人が多いのか。……いずれにしても、表情が分かりづらい顔になりたい。あ、それって結果的に父上か。
「では、此度の労いとして我はお主に進言をするとしよう」
ぼんやりと遠くを見て思いを馳せていると、会話はまだ続くようで陛下のお言葉に首を傾げながらも自然と視線は二人へと向かう。
父と陛下の関係はあまりよく知らないけれど、即位される以前からの仲だとは聞いた事がある。それに、毎年僕たち双子の誕生日を極秘でお祝いして下さるぐらいだから、気に掛けるほどの存在ではあると思う。まあ、父上がどう思っているのかは分からないけどね。
「オックス領からきた娘の件で、お主も息子が何らかの余波を受けるとみて此度は城への登城を禁じたようだが、もう少し愛情表現は分かりやすくした方が良いのではないか?」
……え。
「ご忠告、痛み入ります」
えっ?えっ?いや、ちょっ、えっ?待って。今、なんて――
「イエリオスはお主に似て、周囲の好意には人一番鈍い」
「純然たる素質と意図的な黙認は根本的に違いますので、誤解されないようご理解下さい」
その時、正面からふふっとオリヴィアが笑い声をあげたので、思わず頭を抱えたくなった。……純然たる素質って。上手いこと言ってますけど、それって息子を天然ボケ呼ばわりしてますよね!?
「昔のお主と同じように、あやつも奮闘しながら成長しておる。たまには褒めてやれ」
「それは彼女に任せております」
いやいや、母上にはいつも遊ばれているだけのような気がしていますけどね。揃いもそろって、という言葉を贈りたいよ。
ただ、まあ、父は常に淡々としているから、一見、情が薄いように思われがちだけどそれは誤解であるというのは肉親である僕やアルは知っている。
例えば幼少の頃、仕事の合間に帰宅する度、頻繁に熱を出していた僕の部屋へこっそり訪れてはその大きくて冷たい手のひらで頭を撫でてくれていた事だとか、アルのいたずらが過ぎて僕でも修復できなかった大事な品を怒りもせず取り替えてくれていたりとか。いつの間にか増えていくぬいぐるみもそうだった。
前世の記憶が蘇ってくる度に、この世界の両親とどう接していけば良いか分からなくて、あまり話さない僕の事もちゃんとアルと同じように可愛がってくれているのは分かってる。
だから、父に褒められた日なんて多分泣く。うん、間違いなくね。なので、僕としては充分なんですよ、と陛下へと心中で訴えて。ふと、机に落としていた視線を上げれば、オリヴィアとアリアに微笑まれていた。……あの、少しだけ机の下に潜っても良いですか。




