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一、驕れるな、恐れるな。
ノアの先導によって階下にある広間を覗くと、暗殺者同士の戦いがどれだけ凄まじいものだったのか分かるほどだった。
いや、ほんと、テーブルやソファーはもちろんだけど、壁紙までもズタズタってさすがに酷い。ここだけ大型の獣に荒らされたような感じだもの。アルでもここまで部屋をぼろぼろにした事ないよ。そりゃあ、過去に父上と母上が留守の間に模様替えをして驚かそうよ!とか言い出して、どこで仕入れたのか大量に色とりどりの鳥の羽根を壁に貼り付け出した事があったけど。あの時は、お菓子を手作りするからと言って気を逸らす事に成功したっけ。なんて、思わず遠い目。って、それは置いといて。
「……あ」
部屋の中を一通り見ていると、あの例の女性がひっくり返ったテーブルの後ろに倒れていた。
「もしかして、ころし」
「てる訳ないだろうが。そんな命令は受けてないのに俺を何だと思ってんだ、クソガキ。ただまあ、手加減はしたが骨の一本や二本は折れてるかもな」
何って、駄犬ですけど。あ、訂正。今は忠犬と呼んであげよう。全然、アルと会ってない癖に『命令』とか言ってるの、自分で気付いてる?
「結局、あの人は何が目的だったわけ?」
確か、ノアの死体に用があるって言ってたっけ。
「カフス。探しても見つからないと思うけどな」
「へぇ」
……って。うん?
――カフス?
「もしかして、これの事?」
そう言って、ズボンのポケットから取り出したるはアルの手紙に入ってた例のアレで。僕の手のひらに転がるそれを見たノアの驚きようったら。
「なんでお前が持ってんだよ!」
「アルからの手紙に入ってたんだよ。よく分からなかったから、この件が落ち着いたら調べるつもりでずっと持ってたの」
手紙には何も書いていなかったけれど、アルから渡されたものだし何か意味があるのかもしれないと思って。うちの子は、重要なものに限っていつも何も話してくれないからね。これでも、長年アルミネラのお兄ちゃんをしていますから。
「……あいつが、お前に。そうか」
うーん。納得は出来てないって顔だけど、腑に落ちた感じではある?
「ふん。けどまあ、取り返しがつかなくなる前で良かったじゃないか、とだけ言ってやる。これは、お前のような日向にいる貴族のガキが持っていて良いものじゃないからな」
日向にいる貴族、ねぇ。
わざわざ暗喩するほどの大した代物らしいそれを、僕の手からノアがひょいと摘まみあげる。
あー押収されちゃった、なんて思ったけど別にさしたる不満もないからいいや。ただ、そんな物騒な物をうちの子がどうして持っていたのか小一時間ぐらい問い詰め、じゃなくて訊ねたい所ではあるけれど。
「さっきも言ったと思うけど、アルに仕えたいなら因縁を全て断ち切ってほしいんだけど」
もし、次に誘拐されるのが妹だとしたら僕はノアを一生許さない。エルとセラフィナさんという二人でも、こんなに動揺して心が落ち着かなかったぐらいだもの。
「因縁か。これは、俺が生きてあそこから抜け出すには必要不可欠だっただけのもんだ」
「君の過去に興味はないよ」
どういういきさつがあろうと、僕にはね。
ちらりと横目で見たノアの視線はカフスに注がれていて感傷を抱いた表情であったとしても、僕の心が揺さぶられる事はない。
「お前みたいなクソガキ、こっちから願い下げだっての」
ほらね。絶対に憎まれ口を叩くんだから。
いつもの調子に戻ったかと思えば、ノアは肩で息を吐き出してから横たわっている女性の傍へと歩み寄っていった。いきなり動きださないかな、と少しドキドキしたのはここだけの秘密。
ピクリともしない彼女をのぞき込むようにしゃがんでから、何か呟いたのは僕の気のせいかもしれない。
だけど、数分もしない内に戻ってきたノアにそれを訊く気はなかった。
ノアと屋敷へ突入して一時間ほどしか経っていないというのに、初夏特有の生暖かい風を浴びただけでホッとする。汗ばむ体感に、生きてるという実感が湧くというか、ね。……本当。
「……」
「……」
「……」
「……何度確認作業しても、同じだよ。さて、イエリオス。何か申し開きはあるかい?」
でーすーよーねー。分かっていても現実逃避したい時ってあるじゃない?
まあでも、やっぱりどれだけ見返しても目の前にコルネリオ様とそのファンクラ、第二騎士団がいるのは変わりないんだけどさ。しかも、コルネリオ様の仁王立ちスタイル、周りを凍てつかせる程の冷ややかな笑顔のオプション付きなのは本気で恐い。有料なら、即刻お断りしている所。ほら、見てよ。さっきから、震えと冷や汗が止まらないんだってば。コルネリオ様大好き集団のトップに君臨されてるエルンスト様でさえそっぽを向いてるってどうなの、この状況。
共に出てきたエルとセラフィナさんはさっさと騎士の人たちによって保護されていくのを、内心で羨ましいと思うのはいけない事でしょうか。だって、団体戦でいうとぎりぎりで勝ち抜いてきたのに大将が絶対的王者だった、みたいなものだよ?嗚呼、僕も保護されたい。
本音をいえば、もう少しだけ来るのを待ってもらいたかったなぁ、と遠い目になっていたら、庭の大きな石にフェルメールとリーンハルト先輩が二人して腰掛けているのが目に入った。
しかも、満身創痍な二人の前に立っているのは、どうみても先輩っぽい。眉間に皺を寄せて怒っている所をみると、あれはお説教されているのかも。うわぁ、先輩方がお説教とかちょっと新鮮。……じゃなくて。
冷静に考えてみれば、騎士団の屯所からフェルメールがいなくなったのを誰かが気付いて、察しの良いコルネリオ様が第二騎士団を率いてやってきたって所なんだろう。あの時は、『貴族狩り』に絡まれていたから、そういう予想なんて考える余裕なんてなかったけれど。
ありがたい、と思うべきなんだろうな。
「私が問いかけているのに、心ここにあらずとは良い度胸だね」
「いえ!ちがっ……!」
これは本格的にやばい――と、慌てて否定するのに首を振ったと同時に、ふわりと温かな体温に包まれた。
女装をしている時は思惑があるらしくてよくされるけど、今まで僕はコルネリオ様にイエリオスとして、こうして抱き締められた事はなかった。
それは、僕がコルネリオ様との距離をわざと作っていたという事もあるし、アルと違って同じ男なので僕の自尊心を守ってくれていたからだと思う。
だからこそ、躊躇いもなく強く抱き締められた事に驚いてしまって。
「コル」
僕の視界から満天の星空を覆い隠したコルネリオ様を仰げば――
「つくづく、君は私の思い通りにはなってくれないね」
その顔は、今にも泣きそうで。
初めて見たその弱音に、動揺が隠せない。
「約束したのに、勝手な真似をしてしまってごめんなさい。僕に出来る事ならしますから」
だから、慌てて言葉を取り繕った。
捕らえどころが無い人だけど、この場にいる誰よりも僕たちとの関わりは深いから。
そんな顔をさせたくなかった。
「コルネリオ様?」
「……」
まさかの素無視ですか。なのに、一際、腕の力が強まったように思うのはなにゆえに?
……えーっとね。実は、最初の方からこの場にいる第二騎士団の皆様がたとか戦闘の意思をなくして立ち尽くしてる『貴族狩り』の皆様にずっと注目をされていて、ですね。なので、えっと。
簡単にいえば、抱き締められているこの状態も現在進行形で見られてるから、すっごく恥ずかしいし。また男装している女の子と勘違いされたら困るんですけど!
とかね。そう言えたらどれだけ良いか。けど、こんな雰囲気で言えるわけないし。
……仕方ない。ここはもう一度呼んでみるか、と小さく息を吐き出した、その時。
「だったら、今すぐ堕ちてきてよ」
「え?」
落ちる?
どういう意味ですか、と訊こうとしたら、緋い色の瞳を細めて、まるで予防線をはるように頭を撫でられてから解放された。
それは、僕を突き放したようにもみえて。
この人の本心は、一体どっちなんだろう?
「コルネリ」
もしかしたら、僕の事が嫌いなのかな、なんて。コルネリオ様が何を考えているのか知りたくて、手を伸ばそうとし――
「イエリオスさんっ!」
不意に後ろから名を呼ばれて、振り返った。
「……あれ?アリアさん?」
そこにいたのは、紛れもなくアリア本人で。こんな夜更けに、というよりもこんな物騒な場所に来る事をよく陛下の許可を出したな、という方に驚く。っていうか。
「どうして、ここに?」
まさか、アリアもフェルメールみたいに僕がここにくる事を予想して、とか。そんな事あるわけないよね。
「その、私……イエリオスさんが気になって、オリヴィア様に協力してもらって内緒でここまで来たんです」
そのまさかだったかー。僕の行動って分かりやすいのかな?うーん。後、オリヴィアもよく協力したなぁ!
「そしたら、男の人たちが戦ってて。よく見れば、集団を率いているのが私の幼馴染みだって事に気が付いて」
「……それって」
「はい。私はほぼ王宮にいたので知らなかったんですが、『貴族狩り』?と呼ばれているそうですね?」
「ええ」
「それで、慌てて止めに入ったらそこにちょうど第二騎士団の方々がいらして」
結局、内緒できた事もバレちゃいました、とアリアは苦笑いを浮かべた。
なるほどね、とアリアの言葉に相槌をうちながらも、『貴族狩り』との会話を何気に思い出してみたけど……ああ、そっか。
「アリアさんって不器用なんですか?って、ちがっ、失礼な事を訊いてごめんなさい」
「えっ、いえ。びっくりしましたけど……ま、まあ、お恥ずかしながらそうなんです」
ううっ、もっと訊きようがあったよね。本当に、すみません。
ともかく、それじゃあ彼はアリアさんを探してたって事なんだ。どういう経緯で、それが『貴族狩り』に発展したのかは分からないけれど。
でも、彼女はずっと王宮に滞在していたんだもの、そりゃあどれだけ探しても見つかるはずないよねぇ。あーほんと、ようやく会えたみたいで良かった。
「わっ、わ!ど、どうしたんですか?そんな、え、笑顔で……あーっ、綺麗過ぎて直視出来ない!」
そんな大きな声で嘆かなくても。というか、後半部分は心の声が漏れてしまっているような気がするから流すけどね。こういうのはセラフィナさんで慣れてしまってる辺り、僕もどこか麻痺しているのかもしれない。
「やいっ!てめーっ、そこの女装、じゃねぇ!男装……でもないか?と、とにかく!アリアを幸せにしないと俺が許さねぇからな!」
「え?」
いきなり叫ばれたらびっくりするから止めて欲しい。
あれだけアリアが大声になっていたから、少し離れた場所にいた彼にまで聞こえたのは分かるけれども。……その言い方だと、まさか。
「半ギレは良くないぜ、リーダー。男だろう?」
「フラれちまったもんはしょうがねぇじゃん!」
「あれほどまでの美人なら誰も敵いますまい」
「それはつまり面食い」
「言ってはならん。うちの婆さんもわしとの見合いで顔が嫌だと大泣きしてのう」
……お爺ちゃん。って、和んでどうする。
まさか、もう既にフラれていたとは思わなかったな。
――だけど。
「イエリオスさん、私」
「アリアさん、ごめんなさい。僕は、あなたの気持ちには応えられません」
感情を伴わない婚姻をするのは、貴族として当然の義務というのはもはや常識だけど。だからこそ、アリアとの婚姻を果たしても、エルと良好な関係を築けたら良いなと思ってた。
でも、やっぱり僕はエルが好きで。
エル以上に、僕の事を理解してくれる人が現れるとは思えない。
――何より、エルの夢を知る以前から、僕はどんな形でも良いから彼女の傍に居たいと思っていたのだから。
「……初めから、分かってました。それでも、私はあなたと一緒に……いいえ、あなたのお側に居たかった」
涙を湛えるアリアを見て、遠くから幼馴染みの男が駆け込んできそうになったけど、直ぐに騎士たちや仲間に止められ、居たたまれなかったようでその場にドスンと腰を下ろしてしまったのが視界に映る。しかも、すっごい顔で睨んでくるので、そこは甘んじて受けるけどさ。
僕だって、もしアルが誰かにフラれたりエルに思い人が出来てフラれたら、彼と同じ気持ちになると思うから。
「ごめんなさい」
だから、せめてもの償いで、日本人として誠意を込めて頭を下げた。
「絶対に、……絶対に、後悔しますよ!だって、女は失恋の度に綺麗になっていくんだよ!ってお母さんがいつも言ってますから!」
そう言ったアリアの顔は、涙に濡れていたけどキラキラと輝く星と同じように綺麗だった。
ここで僕が慰めるのはお門違いな気がするので、泣き出した彼女を置いてその場からそっと離れる。無責任かもしれないけれど、学院でもたまに本気で恋文をくれる女の子にはこういう対応を取らせてもらっているのでアリアだけを特別視しない。
だから、僕を恨んでくれても良い。
それが、僕の責任なのだから。
桜に似たレーヴの木の下までいくと、ノアが真っ赤な瞳でぼんやりと月を見上げている所だった。遠くを見て、何に思いを馳せているのかは分からないけれど。緩やかな風になびく真っ白な髪は月の光が映えて、中身は嫌いだけどとても綺麗だと思う。ほんと、中身はムカつくけどね。強調したいので二回言う。
「アルに会う前に、サラからの説教と再講習をちゃんと受けてね」
「なっ!嫌がらせにもほどがあんだろ!」
何をおっしゃる、ノアさん。あなたのお仕事は慈善事業ではないのですよ?
「エーヴェリー家の従者としての自覚を持ってもらいたい僕からの細やかな報ふ、善意だよ」
「今、明らかに報復って言ったよな?」
あれ?やだな、ちょっと本音が漏れちゃった。
「それで許してあげようというのだから、むしろ喜ぶべきだと思うけれどね?」
「……チッ!」
よっし。ノアを打ち負かしたぞっと。あーちょっとだけスッキリした!
今回はずっとノアにはイライラさせられっぱなしだったから、たまには受け入れて貰わないと。まあ、アルの怪我について本当はノアに責任がないのは分かっているけどね。
あれは、アルが騎士になるために生まれた産物だと思うから。でも、兄として妹が怪我をするのは見過ごせない。
だから、多少の意地悪ぐらい大目にみて欲しい。
ノアに倣って、レーヴの木越しに月を見上げる。
奇しくも、今日は満月だった。
そして、その翌日のこと。
――ノアの元同僚だった、あのお姉さんが逃げたという事を知った。
※アルからの手紙に入っていた「指輪」を『カフス』に変更しております。




