表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/20

第九話

 月夜が静止した。先ほどまで心地よく吹いていた夜風さえも止まってしまっていた。虫の声は虎視丹が最後に言った一言とともにやんだ。


「な・・・何言ってんだ、お前・・・」

「どうした、耳まで悪くなっちまったのか?白寿切の塗りすぎじゃねえか、ヘヘヘ」

「何て言ったあ、貴様あ!!」


 気が付けば身体は無意識に飛び、その手には小刀「刹奴」が握られていた。西孤の左手に握られた小刀「刹奴」が縁側の床を這うように流れる。虎視丹までの距離、3メートルが0.3秒で西孤の間合いになる。虎視丹の頚動脈を狙い、小刀「刹奴」の刃が確実にロックオンされた虎視丹の喉を切り裂き、月夜に血煙を高々とあげる。


 その場に虎視丹はいなかった。かわしたかっ!その瞬間、西孤の左斜後45度の角度で2メートルと離れていない距離から尋常でない殺気を感じた。赤ら顔の虎視丹が身構えていた。その右手には特殊警棒。アメリカ警察やFBIでも採用されているASP社特注モノであった。三段に延ばされた警棒が地面すれすれに西孤をめがけて襲ってくる。まるで野球のアンダースローで投げる投手のようなフォームだが動作はその数倍速い。


ガキィーンッ!!!


 虎視丹の特殊警棒は西孤の左側のコメカミすれすれのところでかろうじて両手で握られた小刀「刹奴」によって止められている。このまま力比べでもやるつもりか?いや、ダメージを負わせるだけなら連続攻撃で来るはずだ、この野郎は最初から一撃必殺で私を狙ってきやがった、虎視丹は「殺る」気だ。


「おいおい、おだやかじゃねえなあ、へへへ」

「ふ、ふざけるな、てめえ!!」

「話くらい聞いてくれたっていいじゃねえか」

「うるさい、くたばりやがれ!!」


 虎視丹の下腹部に前蹴りを喰らわした後、西孤は超低空高速タックルを決めた。マウントポジションを取ったかに見えたが虎視丹のブリッジに返されてバランスをくずす。上になろうとする虎視丹であったが、西孤は両脇に両足をからめ、自分の胴体を密着させ虎視丹の頭部を両手でホールド、気が付けば西孤の両足は虎視丹の首に絡みつき、完全なる三角締めの態勢になっていた。後は白寿切の効果を待てばいいだけだ。


「お、俺を殺しちまったら力丸の事はわからなくなるぜ」

「そんなことで私がお前を見逃すとでも思うのか!?お前も孤異厨の血としてくれるわ!」

「い、いいのかなあ、そんなこと言って」

「黙っていてもあと30秒でお前の命は事切れるんだ!」

「い、いや、俺よりもお前の方が先じゃねえかなあ」

「何!?」


 急に力が抜けてきた。しっかりホールドしているはずの両足が緩くなる。力が入らない。何が起きているというのだ。


「ヘヘヘ、お前が飲んだ酒にはちょっとイケナイモノが入っていてさあ」

「な、何!?」

「まあ、俺には効かないんだけどな。お前が作った白寿切がお前自身に無力なように、俺が作ったアルコール用の薬は俺には効かないの。ヘヘヘ」

「ち、ちくしょうが!」

「畜生か、その通りだな。まあ、ちょっと話を聞けよ。それから俺を殺してもいいだろう?」


 だらりと垂れた西孤の両足から自らの身体を引き起こした虎視丹の笑みが信じられなかった。

「いやいや、それにしてもあいかわらずすげえ女、いや、忍びだなあ。まじで殺されるかと思ったぜ」

「ふ、ふざ、ふざける、るなあ・・・ゴブッゴボッ」


 西孤の口から吐瀉物の臭いがする。身体が痺れ始めた。意識はあるがまともに喋る事さえ出来ない状態だ。


「まあ、これぐらいしておかないとお前は大人しくならないからさあ、へへへ。20数年来の付き合いだから、これくらいはわかるんだよ」


 息が絶え絶えになりつつある西孤。吐瀉物には泡と化した涎、胃液、血が混じっている。身動きすることさえ絶望的。それでも目だけは虎視丹から決して離さない。


「大丈夫だ、死にはしないぜ。毒は20分で消えるからよ。俺だってこれでも孤異厨の血だからな。仲間、いや、家族は殺らないんだ」

「う・・・ゴボッ、ゴブッ・・・う、う、そ・・・つ・・・」

「ああ、全部言わないでいいぜ。嘘つきっていいたいんだろう?でも事実を知らないお前にそう呼ばれるのもちょっとなあって。だからここで全部教えてやろうと思ってんの。ヘヘヘ」


 毒が効き過ぎているようだった。身体中の穴という穴から液体が流れ出してくる。口と鼻からは吐瀉物、涎、胃液、血が止まらない。失禁と脱糞もしているようだが神経が麻痺しているからわからない。涙さえ止まらないのは肉体が苦しいせいか、精神が悔しいせいなのか。


「力丸は確かにあの時、果心居士の暗殺指令を受けて孤異厨の里を後にした。それは誰もが知っている。ただまったく予想外の事が道中で起きちまってな」


「途中でボロボロになった乞食同然の外国人がいたんだよ。別に普段だったらそんなこと気にもかけないんだろうけど、ヤツはこいつは何かが違うって感じたのかもな。で、俺たちには里に戻って確認したいことがあるって言ってさ、後で追いつくから先に行っててくれって」


 虎視丹が落ちていたボトルをひろいあげながら続けた。


「でも里になんか帰っていなかったのさ。その外国人が気になってしょうがなかったんだろう。ヤツのことを調べたらしいんだ。そしたらとんでもない話が沢山出てきたのさ」


「その外国人が昔は宣教師として布教活動していたみたいなんだけど、教会のミサに来ている聖歌隊の子供達を男も女も関係なく次々とレイプしてたんだと。それが発覚してからは所属していた宗派から永久追放、本国に帰れる宛もなく、村人からも半殺しの目にあって逃げるように各地を転々としてきたらしい」


「そう、力丸はそのくそったれ野郎が犯した子から生まれたんだよ」


 ボトルに残っていた酒をグビリと飲み干す虎視丹。


「そんな話は山ほどあるし、力丸も自分がそうやって生まれてきたって、わかってはいたはずさ。たまたまそれが自分だったってだけなんだから。今更何が変わるわけでもない、それが忍びってもんだってお前も思うだろ?だけどヤツにとってはそれが違ったみたいでな。当事者にあってしまったのがでかかったのかな、今まで色々抱えていたものが破裂しちまったんだと思うんだ。それが何かって、そりゃヤツにしかわからないさ。なんにしろヤツの心のダムが崩壊する決定的な亀裂だったってのは間違いないよな」


 虎視丹が口元から溢れた酒を手で拭った。


「で、ヤツなりにケリをつけたんだろ。その牧師を素手で撲殺したんだ。とことん苦しめてからな。出てきた屍体のやられ方も半端じゃなかったって話だ。で、それ以来、消息不明になっちまった。どこを捜してもみつからねえって」


 西孤の目は虎視丹を睨み続けている。


「同情するかい?でもヤツがやらかしたことはれっきとした任務放棄だからな。結果としてヤツは『抜けた』ことになる。孤異厨流の忍びにはあってはならぬことだろ。掟を破ったものには何が待っているか、それはお前が一番良く知っているはずだ」


 捜殺「Search and Destroy」言葉を発する事ができない西孤が心の中で叫んだ。


「ああ、捜したよ。捜したぜえ。『抜けた』ってわかった時の憎しみなんて言葉じゃ説明しきれねえからな。裏切りやがって、見つけたらすぐに『Search and Destroy』だ!って思っていたからな」


「でもさ、ヤツを見つけた時、もちろん憎しみもあったけどさ、悔しくてよ、なんで一言いってくれなかったんだよって。そりゃそうだ、孤異厨の血の仲間なんだから。俺達のかけがえの無い家族なんだから。そう思ったらなんか涙が止まらなくなっちまってな。バカだなあ、俺ってなんて思いながらも、また会えて本当は嬉しくてしょうがなかったのさ」


「任務のことなんか忘れてさ、孤異厨の里に帰ろうってヤツに言ったんだよ。俺が卍様には何とかするから。一緒に帰ろうぜって。そしたら何にも言わずにニコってわらってさ」


 虎視丹が懐かしそうに、しかし悲しそうに笑顔を浮かべる。


「そして、俺に襲いかかってきやがったんだよ。ああ、凄かったね。マジに殺られるかと思ったさ。ギリギリのところでヤツの刀を受けてな、こっちも必死さ。身体が動いちまった。返す刀で返り討ちってヤツさ。でもな」


 虎視丹が淡々とした口調で続ける。


「ヤツは覚悟を決めていたよ。刀は錆び付いているし、俺の返しを避ける気なんて毛頭なかった。笑みを浮かべながら身体を預けて自ら俺の刀の軌道域に入ってきやがったよ」


 虎視丹の声が止むと西狐の息をする音が響く。


「悲しかったよ。とっても悲しかったよ。やっと会えて嬉しくて涙が止まらないと思ったら、今度は悲しくて涙が止まらなかったよ。それでも俺は孤異厨の血の掟を決して曲げることをしなかった。『Destroy』ってヤツ。この事を公にしなかったのは孤異厨流政治的配慮ってとこかな」


 西孤の口から言葉が出ないのは薬に神経が犯されていることだけが理由ではなくなっていた。いつもにやけている虎視丹の顔から笑みが消えた。


「お前のやる事は決まっている。そしてそれはおまえ自身が一番知っている。神誤を抱け、そして自害しろ。それでお前は本当の孤異厨の血になれる。孤異厨の為、卍様の為、神誤の為、そして何より、力丸とお前の為だ」


 何を言われても響かない。卍は孤異厨流の為に神誤を失望のどん底へ叩き落せと言った。その為に自分の命を差し出せと命じられた。それは分かる。ある程度覚悟は出来つつあった。しかし、自分までもが失望のどん底へ落とされるとは夢にも見なかった。孤異厨の血が真っ赤なものかどうか、西孤は痺れる身体と意識の中で自分なりの答えを探し出そうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ