《師の影》第十一回
一馬は漸く平静に戻った息遣いを整えながら、
「そんなことはないのです。私達の眼には、居られないように見えるのですが、実は…、絶えず私達を観ておいでなのです」
「えっ? しかし…」
「今の貴方に分からないのは無理からぬ話です。入門され、まだ数日なのですから」
一馬は微笑んで、ふたたび額に噴き出した汗を襤褸布で拭った。未だ数名の者が打ち込みや掛り稽古を続けている。竹刀の交差する、ささくれ立った音と激しい掛け声の応酬とが、時折り混ざり合って響く。この日も左馬介の稽古といえば、蟹谷が指導する提刀の姿勢での歩行練習のみで、後は座っている他はなかった。
昼の握り飯と沢庵は実に美味い…と、皆は云う。荒稽古で充分、腹が空いているからなのだろうが、左馬介としては、歩むのみの稽古だから空腹感を覚える訳がない。しかし、無理にでも一つは喉に通した。午後の部の稽古は未の下刻からと決まっている。だから、それ迄に食後の皿を洗い、後片付けを終えて夕餉の最小限の準備をしておくのである。漸くそれが済むと、未の下刻までの残った時が一馬と左馬介にとって、唯一の憩いの時となるのだった。




