《惜別》第八回
「ははは…、云わずとも孰れは知れよう。影番の樋口が、その折りは、そなたに伝えるであろう」
幻妙斎の言葉を聞き、それ以上、左馬介は深く訊ねなかった。残月剣の形を描いていた間、疼くように冷えていた左馬介の足先も、部屋へ入ったことで緩み、増しになりつつあった。だから余計、気持ちが幻妙斎の言葉に揺れた。そう長くはない、とは如何なる意味を含むのか…。妙に気掛かりな左馬介であった。樋口とは幻妙斎に異変があった場合、至急に知らせを貰う口約束が出来ている。まさか、そのことを師が知る由もない…と、一応は左馬介にも思える。影番だから、樋口が大方のことを知っているのは当然なのだが、飽く迄もそれは幻妙斎の身の回りの諸事であり、何を目論んでいるのか…という心理面のことは分からぬのが道理であった。そうだとしても、兎も角、師が樋口に言付けるというのだから、待った上で樋口から聞くか、或いはこちらから樋口に訊ねるしかない…と、左馬介には思えた。幻妙斎は、ふたたび布団を被って横たわり、眠り猫の様相を呈している。傍らに侍って寝入る獅子童子と似たり寄ったりの感がしないでもないと、左馬介には思えた。ここに長居しても仕方なし…と、左馬介は庵を退去した。
左馬介は暫く無心で歩いていた。




