《残月剣③》第二十三回
勿論、鴨下も茶碗などを厨房で片付けた後、追ってくるだろう。それ迄、ほんの僅かにしろ稽古場で待つ時はあった。
稽古場で頭を手拭いで巻き、面防具を着けて座していると、ふと、左馬介の胸中に思案らしきものが浮かんだ。左馬介はそれ迄、二人同時に打ち込まれることを畏れていたのだ。しかし、幾ら同時だとは云え、二人の者が打ち無瞬間は僅かに違う筈なのである。であるならば、最初の者の一撃を躱して身体を安全な位置へ移動すればいいのではないか…と思えた。瞬間に身体を移すには、妙義山中の洞窟で幻妙斎から教え受けた霞飛びがある。無論、左馬介のそれは、基本技に過ぎなかったが、移動技としては充分な
もので、応用技としての工夫は、本人さえやる気があり、また能力があれば、幾らでも高められるのだった。その基本技を幻妙斎は教えたのである。そして、左馬介の出来を認めてくれた経緯があった。
二人が左馬介の周囲を回り始めた時、思いもよらぬ樋口が、稽古場の廊下に忽然と姿を現した。長谷川も鴨下も、樋口に気づき、思わず足を止めた。
「やあ、これは樋口さんじゃないですか。今日は何用で?」
長谷川が声を掛け、訊ねた。その声に、左馬介は両眼を開き、座したまま振り返った。確かに、樋口が立っていた。




