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《霞飛び①》第六回

 三段論法で巡れば、皆伝の允許(いんきょ)は即ち、霞飛びを伝えることを意味する。だとすれば、飛び降りは、やはり霞飛びを習得する第一歩なのである。左馬介は、つまらぬことを諄々(くどくど)と考えずに、実践のみにて全てを得る以外にはない…と決意した。技の習得は頭脳による理論では如何ともし難いからであった。いつの間にかうとうとと、眠気が襲い、いつの間にか眠っていた。左馬介は二十(はたち)となり、堀川入門より早や足掛け五年目の夏が近づこうとしていた。

 妙義山への道中は晴れの日ばかりではない。当然、梅雨明け前は蓑を必要としたし、雨笠も必要だった。しかも山へ着く頃には、体熱と汗で洞窟へ入る直前に束の間の猶予を余儀なくされた。勿論、山駆けをした時期もそうだったし、滝壺に浸かった時などもそうである。束の間の猶予とは、着替えとか汗を拭うとかの最小限の備えである。瞬く間に一日が過ぎ、なるようにしかならぬ…という最終的な心積もりで左馬介は妙義山への道を歩んでいた。洞窟が眼前に見え、いつもの高低広狭がある洞内の岩場の感覚を足元に受けつつ進んでいく。これも身体が自然と会得した感覚で、道場で昨日、巡っていた発想も、ここに根ざすところが大きいのである。不思議と左馬介の心は、この日、穏やかに澄み渡っていた。

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