《教示①》第八回
幻妙斎に対峙した過去の幾度かの経緯でも、そうしたことは皆無であったこともある。
「…動かずともよい。楽にして、これから申すことを聞くがよい」
動こうとしても左馬介は動けないのである。どういう訳か、幻妙斎は、既にそのことが分かっているかのような口ぶりで静かにそう告げると、話を続けた。
「この儂も、もう歳じゃて…。孰れは道場を閉ざさねばならぬであろう。それ迄に御事には皆伝を授けようと思おておる。よって、来たる月より各日、妙義山に参れ。儂は山道途中の洞窟で待つことにしよう。そのことは長谷川に伝えおく。儂の眼に適うたのは、そなた一人しかおらぬ故じゃ…」
その時、身体の自由が利き、束縛から逃れられたように左馬介は感じた。それは幻妙斎の言葉が静かに途切れるのと同時であった。自分に皆伝を授けようと確かに幻妙斎は云ったのだ。いや、そうに違いない。左馬介が上半身を急いて起こすと、既に幻妙斎の姿は部屋内には無く、忽然と消えていた。燭台が消えた暗闇で、灯りとなるのは僅かに漏れ入る月明かりのみである。確かに見た、聞いたと思ったものは、夢に現れた幻覚や幻聴だったのか…。左馬介は不可解であった。




