《剣聖③》第十九回
一方、左馬介には寸分の息の乱れも生じていない。これだけ比べても、腕の差は疑いようがないのだ。それでも左馬介は有頂天になるような心持ちにはならなかった。入門した頃の左馬介ならば、果たしてどうだったか…と考えれば、それは大いに疑問となるが、一年半の修練の日々は、心技ともに左馬介を成長させたと云えた。左馬介が剣聖への道を加速しだしたのは、丁度、この頃のことである。
厳寒の冬は道場の床板も凍てついたように冷えきっている。正月が明ければ、またぞろ稽古の日々が続いてゆく。鴨下も幾らか堀川に慣れはしたが、腕は誰の眼にも今一で、左馬介を弱らせていた。この男、決して悪い奴じゃない…とは左馬介にも分かるのだが、自分の腕が冴えれば冴えるほど、組相手としては相応でなくなっていく。だから、或る意味、辛くもあった。賄いの準備で厨房にいる時は、取り分け腹立たしくもなく優しい気分で接せるのだが、稽古に入ればそうした心が萎えて疎ましくなるのである。せめて兄弟子の長谷川や山上ぐらい遣えるお方ならば…とは思うが、無理なようだと諦めたくなるような拙い打ち込みや掛かりの時は、特にそう思える左馬介であった。しかし、そういった想念は、幻妙斎が説く剣聖への道には程遠い境地なのだ。人は人、自分は自分だと悟れば、それはそれで気にならなくなるのである。




