《剣聖③》第十八回
かといって、組替えを井上に申し出る訳にもいかない。:結局のところ、左馬介はそのまま我慢して鴨下の相手をする以外になかった。鴨下が極端に腕が拙いのか? といえば、そうなのではない。まあ、他の門弟達、特に客人身分となり稽古から外れた蟹谷、それに加えて、この場にいる井上、この場にはいないが時たま現れる影番の樋口達三人の凄腕は別としても、他の門弟達より多少は眼劣りがするといった程度なのである。だがそれは、他の門弟達から観た感覚なのであって、左馬介からすれば、かなり劣って観えた。それだけ左馬介の腕が上達していたとも云える。では、何が上達したのか? と訊ねられても、こうだ…と、しっかとは云えない。それは、口に出来ぬ眼に見えない性質のものだからである。全ての行いの基は、そうした心域の有りように根ざすのだが、剣の道とて、それは同じであった。左馬介は自らの腕が如何ほどのものかは分かり得ない。分かるとすれば、客観的な周囲の者達の観るところによるのである。しかし、鴨下との腕の差は誰の眼にも歴然としていて、左馬介にも無意識で感じられた。
朝稽古が漸く終わったとき、鴨下は荒い息を隠すように前屈みになったが、上下への背の揺れは、それを隠せなかった。




