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《剣聖③》第十七回

少しでも水が入っていれば音はする。幻妙斎の教えは、云わばそういうことを説くのである。即ち、この場合の水は技量であり、音は口惜しむ心の乱れを意味するのだが、左馬介に敗れて口惜しい想いを抱く門弟達は、茶碗に少し、いや、程度は満杯近くの者もいるだろうし、半ばの者もいるだろうが、(いず)れにしろ、その程度の差こそあれ、心の有りようは未だ熟せず、と考えられるのである。人の技量の優劣に心を奪われず、自らの心や技の完成に力を尽くすことが肝要だと云えた。鴨下と道場を去った一馬とは、やはり相性の面でいえば、どこかが違う。左馬介から見れば、一馬とは四、五齢の違いで、ほぼ同年代だったものが、鴨下とは十ばかり違ったから鴨下への処し方が日増しに厄介になっていた。鴨下は左馬介に対して相変わらず(うやうや)しいのだが、返ってその態度が左馬介には遣り辛かった。特に朝稽古時、それは云えた。左馬介の腕は上達する一方なのだが、それに比して鴨下の方は、さっぱりなのである。その二人が組で稽古をするのだから、云わずもがな、なのであった。相手をする左馬介からすれば、決して見下す訳ではないのだが、技量の違いから組み辛い上に、そうとは云えないから厄介なのだ。

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