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《剣聖②》第三十回
左馬介が声をかける間もなく、その姿は消えた。何か急な用向きでも出来たのだろうか…と、左馬介は朧気に思った。
一通りの片付けを終え、左馬介と鴨下は各々の小部屋へと戻った。毎度のことで、左馬介が畳上に仰臥して寝ていると、そこへ一馬が障子越しに声を掛けた。
「私です」「…どうぞ」という、いつもの遣り取りがあり、左馬介は上半身を起こすと一馬を部屋内へと招き入れた。
「実は、私の家から文が届きまして…」と、一馬は切り出した。左馬介は黙って聞いている。
「父からの文なのですが、兄の容態が思わしくなく、…ひょっとすると、私が間垣家の跡目を継がねばならなくなるかも知れないのです」
「えっ!?」
左馬介は唐突なひと言に驚き、一馬を凝視した。
「それは…。もし御兄上が身罷られた暁には、堀川を去られるという御意向なのでしょうか?」
「はい、そうなれば…」
一馬は言葉尻を濁した。その顔には苦渋の想いが隠されていた。
「他に御兄弟はおられぬのですね?」




