《剣聖②》第十回
それ故、左馬介は千鳥屋で待つ心積もりをしていた。権十の話では、蟹谷を見たのは昼前辺りらしく、左馬介は、その時分までは待たねばなるまい…と、覚悟していた。左馬介が道場を出たのは卯の上刻だから、昼過ぎまで待つとなれば、大よそ三つの時を経なければならない。勿論、それは念頭に入れている左馬介であったが、果して蟹谷に会えるのか、そして、蟹谷が幻妙斎に受けた剣の指南について訊き出せるのか…といった、全く先の読めない状況が待ち構えているのであった。
案の定、千鳥屋は堅く戸を閉ざしていたが、それでも、うっすらと東の空が朱色に染まり始めると、店の者達の動き出す気配が店中で聞こえ始めた。早朝に出立する宿の泊まり客も半ばいたからである。左馬介は店に着いて後、暫し佇んでいたが、身体を休めようと、軒下の地面へ、べったりと腰を下ろしていた。冬ではないから、そう苦になるものではない。返って心地よいくらいのものだ。梅雨入りが近づいてはいたが、幸いこの日は朝から晴れ模様であった。
戸口が開き、年端も行かない丁稚小僧が箒を手にして通用口から現れたのは、卯の下刻に入った頃である。漸く辺りに陽射しが満ち始めていた。




