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《剣聖①》第十九回
その点、蟹谷の方は、その責務からは開放されているから、酩酊迄はいかないものの、ほろ酔い状態であった。
申の下刻、道場の一行は帰途についた。蟹谷は途中、用があるからと鬼灯街道の丁字路で皆と別れ、葛西宿の方へ道をとった。左馬介には蟹谷がどこへ行こうとしているのかは分からない。だが、一馬は知っていた。
「蟹谷さんは千鳥屋で薪割りの小仕事をしておられるのです」
歩きながら、後方を歩む左馬介へ聞こえるように一馬が云った。当然、一馬と隊列を組む長谷川や、左馬介の横に並ぶ鴨下にも聞こえている。二人とも知らなかったのか、なるほど…という態で頷いた。
「月に一朱の入り用…ですか?」
左馬介は振り翳して問うた。
「はい。勿論、その為ばかりではないようですが…」
「へえ~。なんなんでしょうね?」
「それについては敢えて云わないでおきましょう。まあ、千鳥屋へ行かれたとき、主人の喜平さんに聞かれれば分かると思いますよ」
そう云うと、一馬は思わせぶりに、フフ…っと笑い、口を噤んだ。




