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《剣聖①》第十五回
仄かな梅の香が甘酸っぱく遣る瀬ない。門弟達も梅林に入れば、全くもって只の人であった。一行が梅林が延々と続く中、さらに分け入って二町ばかり進むと、俄かに展望が開け、樋口の家紋である剣持抱き沢潟を浮き立たせた幕が一角を取り囲んで張られていた。連なって幕内へ入ると、大層な馳走と、酒が入っていると思われる堤などが膳とともに既に設けられている。そして、正面の席には代官の樋口半太夫が威風堂々と構え、そ左右には供の者達が二名ずつ座っていた。
「やあ! お待ちしておりました。さあさあ、どうぞ、どうぞ…」
半太夫は大層、機嫌がいい。
「遅くなりました」
遅れてはいない筈だったが、井上は一応、挨拶代わりに下手に出た。
「なんの…、未だお約束までには半時近く有ります故…」
半太夫も下手に出て返した。
「まあ、一献、参りましょうぞ」
続けて、盃を手にした半太夫は、そう云うと、盃を井上へと差し出した。供の侍が蟹谷にも盃を渡した。
「蟹谷殿、こちらが云っておられた新しい御師範代で?」




