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《騒ぎ》第十九回
「一度、出奔したからには、もう戻れぬでな。だがのう、儂が考えるに、用心棒よりは、もうちと増しな身の処し方もあろうが…」
堀川道場に数年、山上は世話になっていたから、その声の主が幻妙斎であることは、すぐさま分かった。
「せ、先生!!」
山上は天井を望み、声を大きく掛けた。
「まずは云っておこう。既に鼯鼠の五郎蔵は、この世にはおらぬ」
「えっ! …先生が?!」
「そのようなことは、どうでもよいわ。そなたが心することといえば、明日以降、五郎蔵一家が殴り込むであろうということじゃ。心せよ。儂から伝うることは、それだけじゃ」
幻妙斎の声が消えた後、猫がひと声、ニャ~と鳴いた。そして静寂が戻ったが、山上は、ふたたび杯を口にすることはなかった。
幻妙斎が予言したとおり、五郎蔵一家では翌朝、熊次と政太郎の二人の代貸しが、他の子分達を前にして息巻いていた。特に政太郎に至っては、昨夜あのまま寝入ってしまった自分の不覚が、よほど腹立たしいのか、顔を真っ赤に染めた憤怒の形相である。




