ノミの心臓の冒険者
冒険者生活二十年、倒した魔物の数知れず、倒された数もまたしかり。
内訳はスライム(幼体)、ゴブリン(幼体)、それにバケネズミ(幼体)。
有り体に言ってしまえば雑魚狩り専門。
唯一自慢できる獲物も右足を骨折していたオーク(成体)といった有様である。
十五の頃に親父から剣を譲り受けて、一丁前に冒険者として一旗揚げてやると旅に出てから早二十年。
気が付いたら町の近くで小さな魔物をプチプチと剣の先で突いて倒す生活を送っていた。
なにゆえか。
私とてこのような生活を断じて望んで行っている訳ではないと強く主張しておこう。
強い魔物を狩ってやろうと剣をかついでダンジョンにまで赴いたことも一度や二度ではない。
まあ、片手で数えられる程度だが。
簡潔に言おう、私の心臓は先ほど潰した幼いスライムの欠片のように弱くて小さかったのである。
初めて入ったダンジョンで見た天を衝くように大きなトロール。
といっても洞窟内だが。
それを見た時に私は下ろし立ての布の服を股座から溢れ出た熱い液体によって駄目にしてしまった。
大腿を通過して足元を伝うアンモニア臭のひどい液体にトロールが気づくと同時に私は剣を放り出して全速力で外へと駆けていた。
そのような経験が積もり積もって計五回。
投げ出した剣と駄目にした布の服の数もそれぞれ五つずつ。
私はダンジョンに挑む事を放棄した。
同期が家庭を持ち、ダンジョン内から見つけた宝で一財産築いている中、未だに彼女すら出来たことはない私は彼らとどこで差が付いたのか。
せめてこの心臓がもう少し強ければ。
そう思わなかった日はない。
今日も日課の雑魚百体斬りをプチプチと達成した私は剥ぎ取った素材を街へと持ち帰り換金してもらう。
そうして手に入れた小金をせっせと貯金して貯めに貯めた1万ゴールド。
一流冒険者の年収の倍はあろうその額は、未来のお嫁さんとの結婚資金として当初は貯めていたが、いつしか老後の為にと目的がすり替わっていた。
そんな私唯一の自慢は、酒や賭け事を一切やらないという事である。
お陰様で御年三十五歳、病気や持病知らず。
今日もさっさと宿に帰って薄く破けた布団にもぐるとスヤスヤと寝息を立てる。
* * * * *
……ふと、誰かに見られている気配がして目を覚ます。
目を開けるとそこは極楽だった。
いや、極楽であろう場所と言うのが正しいか。
空には美しい鳥が飛び交い、地面には野花が咲き誇る。
清く澄んだ泉の中では天女のように美しい女子が沐浴していた。
風もないのにはためいている白く薄い布が女子の体を包み込み、不思議と体を上手く隠している。
天女はこちらの視線に気が付くと、布を身に巻き付けて怪訝な顔をする。
「すいません、なぜここにいらっしゃるのですか?」
「わわ、これは失礼。覗きはいけないと分かっていたのですが、つい美しさに目を引かれてしまい」
「いえ、私が聞いているのはなぜこの場所に現人のあなたが立ち入れたのかです」
「ウツツビト? 新種の魔物か何かですか?」
聞きなれない単語に首をかしげていると、女が近づいてくる。
彼女はまるで質量を持たないかのように足音を立てず、なぜか足元の花も折れていない。
その上、先ほどまで泉に浸かっていたのにも関わらずその柔髪はちっとも濡れていなかった。
本当に天女なのだろうか。
「うーん……どうやら狭間に巻き込まれて偶然こちら側に来たみたいですね」
「狭間?」
「夢と現の境目の事です。現人のあなたはこちらに来てはいけない存在でした」
そう女は言うと、手で宙に大きく輪っかを描く。
その人が潜れるくらいの大きさの輪っかの中はまるで空間が断絶されたかのように暗く深い深淵が広がっている。
「さあ、ここを通って帰りなさい。目が覚めたら元の布団の中のはずです」
「だ、大丈夫なのですか? この中を通っても」
「ええ大丈夫です。そうだ、ここに来た記念に一つプレゼントを差し上げましょう」
天女は私に向けて手をかざすと力を込める。
不思議と全身に力が沸くような気がした。
「あなたのノミの心臓を強くしておきました。これでもう怖くないでしょう?」
確かにさっきまで怖くて底を覗けなかった深淵がまるで自宅の玄関扉のような安心感に満ちて見える。
私はひょいと助走をつけて中へと飛び込んだ。
* * * * *
目が覚めるとそこは自宅の布団の中だった。
先ほどのやり取りは夢だったのだろうか。
そう思ったが、不思議と自分の奥底に今まで感じたことのないような自信が溢れている感覚がある。
今ならドラゴンだって狩れる気がする。
私は意を決して剣を取ると外に出た。
その摩訶不思議な夢から、時は一息に五年後まで飛ぶ。
四十になった私は家庭を持って広くなった我が家を振り返った。
あの後貯めていた一万ゴールドを使い、全身の装備を整えた私はダンジョンに通い詰め、五年のうちに元手の倍以上の二万五千ゴールドを稼いでいた。
今や国を代表する冒険者の一人である。
あの時の夢の事を忘れたことは一時もない。
あれはもしかしたら神様から勤勉な私へのご褒美だったのかもしれない、今ではそう思っている。
最後までお読みいただきありがとうございました。
文章の練習として書きました。率直な感想や評価をお聞かせ頂ければ幸いです。