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カミラ教団内、地下研究室。
エヴァーハルトの提案で猟友会本部施設から研究室へと場所を移したリリサ一行はその光景の異様さに驚きを隠せなかった。
「こんな場所があったなんて……」
教団施設内の隠し部屋に案内されたかと思うと、床からせり上がってきた幅広の筒状の箱に押し込まれ、内部にあった操作盤をエヴァーハルトがいじると箱ごと地面へ下り始め、軽い落下感に戸惑う間もなく目的地に到達し、アナウンス音と共に扉部分が開き、見たこともない景色が視界に飛び込んできたのである。
「悪い夢でも見てるみたいね」
エレベーターから降りたリリサの目に入ってきたのは光り輝く一本道だった。
その道は地下研究施設内では単なる通路なのだが、天井と壁、更には床の両辺からも光が発せられており、リリサにとってはこの世のものとは思えない光景だった。
「マジかよ」
「おお……」
リリサと同じくジュナやフェリクスも圧倒されていたが、他2人のメンバーの反応はそれらとは正反対だった。
「地下にしては眩しすぎませんか。こんなに光量が強い発光装置が施設全体に設置されているなんて……構造が気になります」
「床も壁も全部金属製か、こんな施設が首都の地下に広がっているなんて、みんな想像だにしていないだろうなあ」
モニカは好奇心を丸出しにして視線をあちこちに向けており、ヘクスターは通路の壁面を結構な力で叩いていた。
「こちらだ」
エヴァーハルトは彼女らの反応が面白いのか、少し笑みを浮かべていた。
一行は案内されるがまま明るい通路を進んでいく。
複数人の床を踏む音が通路内に反響する。空気はひんやり冷たかったが、地下特有の湿気さは感じられなかった。
「この施設の事を知っているのは私とカレン君だけだ」
歩いている途中、エヴァーハルトは語り始める。
「10年前まではこの場所を知っているのは私だけだったのだが、諸事情により彼女を迎え入れることになった」
「へー、じゃあそれまでは一人で切り盛りしてたわけか」
「切り盛りというより、管理という表現が適当かもしれないな」
そのカレンはというと、今はカミラ教団の地上にある施設で待機中だ。
いわゆる見張り番である。
猟友会トップの戦力を持つ彼女が見張ってくれているのは心強い。
「この場所以外にも研究施設や開発室は各地に点在しているが、あれらは飽くまでダミーでこちらが本命だ。くれぐれも口外しないように」
「ダミーということは、私がやってきた調査も無駄だったわけですね……はあ」
ため息交じりに肩を落とすモニカにジュナが活を入れる。
「まだクヨクヨ言ってんのか。少なくとも隠れ蓑としては機能してたんだろ? 全くの無駄ってわけでもねーだろ。これだからネクラ女は嫌いなんだよ」
流石にこの言葉は見過ごせなかったのか、フェリクスがすかさず間に入る。
「言い過ぎだぞジュナ。モニカさんは繊細なんだ。ガサツなお前の価値観で語るなよ」
「誰がガサツだって? ヘタレ雑魚狩人は黙ってろ」
「……あ?」
互いの悪口にカチンときたのか、ジュナとフェリクスは足を止めて至近距離で睨み合う。
が、その喧嘩は始まることなくすぐに収まった。
「はしゃぎ過ぎ」
その場を制したのはリリサだった。
リリサは長槍を突き出しており、その穂先は二人の顔の間で鋭い光を放っていた。
いきなり目の前に出現した凶器にジュナとフェリクスは反応できず、表情を強張らせる。
「大人しくできないなら刺すわよ」
苛立ちと呆れ、そして若干の殺気が混じったその言葉に抗えるわけもなく、二人はゆっくりと距離を取り、何事もなかったかのように再び通路を歩き始めた。
メンバー内で唯一武器を携帯している彼女に誰も逆らえるわけがない。
その後誰も言葉を発することなく静かに進むことおよそ5分。
エヴァーハルトはのっぺりとした扉の前で歩を止めた。
「ここだ。少し待っていてくれ」
エヴァーハルトは凹凸のない扉の表面を数カ所ほど撫でる。
その動作が解錠の認証手段だったようで、扉は右側へスライドして開いた。
扉の先にあったのは部屋……いや、広大と呼ぶに相応しいとてつもなく広い空間だった。
「わっ……」
通路との気圧差によって空気の塊が正面から後方へと抜けていき、リリサの白い長髪は激しく波打つ。
かろうじて絶句は免れたが、驚愕どころの話ではなかった。
その空間は床を除いて全て光源が埋め込まれており、地表よりも明るく感じられるほどだった。
通路の灯りも結構な明るさだったが、それとは比べものにならないほど眩しい。
リリサは目を細めて目前に広がる空間をまじまじと観察する。
その空間にはちょっとした小屋やガラクタの山、クロイデルの残骸らしきものや石材に木材に加工機械などが点在していて、それらを対比することで空間の大体のスケールを目測することができた。
奥行きは500mは越えている。横幅も奥行きと同じかそれ以上ある。そして高さは……高さは正直分からない。
戦闘中に敵との間合いを測ることは常だ。距離感覚にはとても自信がある。が、自分の頭上、しかも眩しい上に比較物がないとなると正確な距離はわからない。
ここが本当に地下空間なのかと疑いたくなるほどだ。槍を全力で投擲しても届くかどうか怪しい。
……遠近感が狂う。
エヴァーハルトがどのような方法でこの場所を作り出したか不明だが、このような場所を作れる技術の持ち主ならば彼の言う「クロイデルに対抗しうる強力な兵器」にも期待できるというものだ。
「それで、例の武器はどこだ? もしかしてアレか?」
ジュナは興奮を抑えきれず、左手側に見える格納容器が並ぶエリアめがけて走り出す。
しかし、3歩進んだところでエヴァーハルトに襟首を掴まれ、持ち上げられてしまった。
「うおっ!?」
「元気なのはいいことだが、少し考えてから行動してくれまいか」
「……へいへい」
ジュナは抵抗しても無駄だとわきまえているらしく、不服そうながらも素直に言うことをきいていた。
エヴァーハルトはジュナを下ろすと、灰褐色で統一された床を踏み歩いて行く。
「すぐにでも対クロイデル兵器を紹介したいが、まずはクロイデルについて大まかな説明をしてからにしよう」
エヴァーハルトの進行方向には無機質な板で構成された四角い2階建ての小屋があった。
風が吹けば崩れそうな外観をしているが、そもそも地下施設内にあるので耐久性を気にしても仕方がない。
リリサ達は説明を受けるべく、小屋に向けて移動を開始した。
「――そういった理由でクロイデルは我々に不自然さを抱かせないよう、原生生物に近い姿形をしているというわけだ。それは内部構造についても同じことが……」
カミラ教団地下研究室。
その巨大地下空間に建てられているプレハブ小屋の一室にて
エヴァーハルトは目下の敵対対象であるクロイデルについて説明を行っていた。
室内の前方の壁には大きなモニターが設置されており、他にあるものといえば簡素な丸椅子くらいなものだった。
エヴァーハルトはモニターに様々な資料を映してクロイデルについての説明を行い、リリサを含めた5名は丸椅子に座ってその話を聴いていた。
(うん、全く分からないわ)
リリサはエヴァーハルトの話を理解することが困難だと早々に判断し、かと言って無視するのも失礼かとも思い、視線をモニターに向けたままぼんやりしていた。
エヴァーハルトは丁寧に説明してくれているのだろう。が、聞いたこともない、連想すらできない専門用語や単語が何度も繰り返し使われると理解困難だ。
取り敢えず、説明さえ終われば新兵器を拝むことができるのだから、変に質問をして時間を無駄にすることもない。
リリサと同じくジュナやフェリクスも同じようなことを考えており、ジュナは目を開けたまま夢の世界に旅立ち、フェリクスは足を組んで肘を立てて顎を支え、前に座るモニカのうなじを見つめていた。
モニカとヘクスターは両名ともに調査員と武器職人という肩書を持っていることもあってか、知的好奇心を剥き出しにして真剣に聴いていた。
「――この資料からもわかるように、クロイデルの体躯は有機部品で構成され、脳内にはボディの制御を行うための有機デバイスとは別に、プラントからの信号を受け取るためのチップが埋め込まれている」
「この小ささから考えるに、このチップは信号の送受信が主な役割で、戦闘時におけるクロイデルの行動判断に関わる計算処理自体はプラントのサーバが行っているに違いない。そうでなければ言語も介さずにクロイデル同士が連携して戦闘行動できる理由が説明できない」
「逆に言えば、このチップを解析できればクロイデルの行動を抑制したり、欺くこともできるかもしれない。だが、流石は人類が生み出した最高兵器と銘打っているだけのことはある。……この原生生物擬態型のクロイデルは生命活動停止と同時にチップを消却するようプログラムされている。正確には外気に触れると気化するのだが、そのあたりの説明は割愛させてもらう」
「ここまでは理解できるな?」
「……」
エヴァーハルトの問いかけに応じるものは誰もいなかった。
数秒の沈黙の後、辛うじて言葉を発したのはモニカだった。
「つまり、クロイデルは操り人形のようなもので、生産元のプラントっていう場所にクロイデルをまとめて動かしている存在がいるってこと……ですか?」
「正解だモニカ君、概ねその認識で合っている」
さすがモニカだ。凄く分かりやすい。というか、よく理解できたものだ。
モニカはエヴァーハルトに褒められたのがよほど嬉しいようで、「やった」と小さくガッツポーズしていた。
襟高のコートのせいで顔の下半分が隠れている彼女だが、今は口元が緩みに緩んでいるのが容易に想像できた。
モニカは褒められついでに対クロイデル兵器についても言及する。
「それじゃあ、新しい兵器というのは物理的にどうこうする武器ではなく、クロイデル個体とプラントの通信を阻害する装置ということですか?」
例えるなら、操り人形の糸を切断するハサミといったところだろうか。
操作する手段を奪えば、どんなに巨大で強力なクロイデルもハリボテに等しい。
モニカの予想はリリサには正解に思えたが、エヴァーハルトは首を横に振った。
「私も最初はそう考えたのだが、電波暗室の内部でもクロイデルは問題なく活動していた。モニカ君の言葉を借りるなら、操り人形の糸が絶対に切れないことが判明したのだ。残されていた資料を見る限りそれが可能なのは量子通信。信号の伝達に一切のタイムラグを生じない高度な通信技術で、現状これを阻害することは不可能だ」
モニカは細かいことは理解できていないが、自分の予想が外れていることだけは何となく察したようで「そ、そうですか……」と視線を落とした。
ここでしびれを切らしたジュナが椅子から立ち上がる。
「あー、もうムダに長い説明はいいから、さっさと新兵器とやらを見せろよ」
立ち上がったジュナはその勢いのまま、橙色のポニーテールをなびかせエヴァーハルトに詰め寄る。
ジュナの短気っぷりにはほとほと呆れるが、リリサも心情的にはジュナの言い分に賛成していた。前置きはいいから現物が早く見たい。
エヴァーハルトは「もう少しだけ付き合ってくれまいか」と、お願いというよりも命令口調でジュナの頭部に手を被せる。
「繰り返すが、クロイデルの弱点は頭部の通信チップだ」
ジュナの頭を軽く叩きつつ、エヴァーハルトは続ける。
「これさえ破壊してしまえば簡単に無力化できる。そのための兵器がこれだ」
言葉が終わると同時にモニターの画面が切り替わる。
そこに映し出されていたのはセントレアを囲む外壁、その一部だった。
外壁からは円錐状の巨大な針が一定間隔ごとに外側に向けて生えており、それはハリネズミの針を連想させた。
ずいぶんと原始的な防衛機構だなあと思ったのも束の間のことで、すぐにデモンストレーション映像が流れ始めた。
その映像はこの地下空洞内で撮影されたもので、真っ白な壁面をバックに左側には城壁から生えていた巨大な針が、右側には全身黒色のオオカミ型のクロイデルがケージに入れられていた。
やがてケージの扉が外され、解放されたオオカミ型のクロイデルは例の針へ勢いよく飛びかかっていく。
針の手前5mほどまで到達すると、バチンという破裂音とともに画面が一瞬光った。
オオカミ型のクロイデルは痙攣したかと思うと床に仰向けになって硬直し、それ以降は全く動かなかった。
映像が終了すると、エヴァーハルトは淡々と解説を始める。
「これは範囲内に侵入してきたクロイデルに電磁パルスを浴びせ、頭部内の通信チップを焼き切る装置だ。これを外壁周りに設置してクロイデルから市民を守る」
「すげー!! これなら瞬殺だな。早速それを使って外の敵を……ん?」
言葉を発している途中でエヴァーハルトの発言に違和感を覚え、ジュナは眉をひそめる。
頭の上に乗っていたエヴァーハルトの手をはたき落とし、ジュナは「んん?」と首を傾げてモニターを凝視する。
その後10秒ほど経ってようやくジュナは結論を得た。
「外壁に設置って、それって武器じゃなくねーか?」
「その通り。武器というよりは防衛装置だな」
「……」
あっけらかんと応えるエヴァーハルトにジュナは何も言い返さない。
これ以上期待しても疲れるだけだと判断したのか、ジュナはとぼとぼと丸椅子に戻り、大きなため息を吐いた。
ジュナは残念そうにしているが、あの防衛装置が優秀な兵器であることは間違いない。
あれが稼働している限り、クロイデルはセントレア内に侵入できない。
地下施設に来る前にカレン会長が言っていた「2ヶ月間は耐えられる」という言葉は本当だったようだ。
「間もなく我々の生活圏内に小型・中型のクロイデルが攻めてくる。次いで境界線付近の強力な個体も侵攻してくるだろう。これら第一ウェーブと第二ウェーブはこの防衛装置で耐えられる」
希望を持ち始めたリリサ達だったが、次のエヴァーハルトの言葉で表情を曇らせることになる。
「問題は第3ウェーブだ。クロイデルプラントが“このような”戦闘特化型のクロイデルを造り始めたらお手上げだ。苦しまずに逝けることを祈る他ない」
モニターには遠い過去の記録映像、鋭利な形状のクロイデルの群体が山の高さほどある球体DEEDを一方的に破壊する映像が流れていた。
空を埋め尽くすほどの大量のクロイデルがDEEDを包み込んだかと思うと、数秒とせずに球体はその形を保てなくなり、20秒と経たずに綺麗さっぱり消滅していた。
あまりにも戦力レベルが違う。天と地ほどの差がある。
これが出てきたら最後、抵抗することすら許されず一方的に蹂躙されるだろう。
エヴァーハルト曰く、クロトはクロイデルの生産工場を槍投げで瞬時に破壊したという。
……改めてクロトの異常な強さには驚くリリサだった。
全員が迫力満点の映像に圧倒されている間も、エヴァーハルトは淡々と語り続ける。
「詰まるところ、我々もクロイデルと同等かそれ以上の力を得る必要があるわけだが」
エヴァーハルトはモニターの電源を切り、リリサたちに向き直る。
そして少しの間をおいて言葉を発した。
「――ここからが本題だ」
この一言で室内の緩んでいた空気が張り詰める。
リリサは槍を握る手に力を込め、モニカは生唾を飲み込み、ジュナはピンと背筋を伸ばす。
ぼんやりしていたフェリクスやヘクスターも本能的に変化を察知し、エヴァーハルトを注視していた。
そんな空気の中、エヴァーハルトはおもむろに内ポケットから半透明のケースを取り出す。
「これが第三ウェーブを乗り切り、クロイデルを完全破壊できる武器。戦闘型DEED因子活性促進剤だ」
ケースの大きさは手のひらから少しはみ出るほどのサイズで、厚みは殆どなく、武器などが入っているとは思えなかった。
エヴァーハルトは半透明のケースを開けて、その中身を披露する。
中に入っていたのは注射器――正確には 注入器と 密閉小瓶のセットだった。
小指サイズの小さなアンプルは真っ黒な液体で満たされており、遠目に見ても不気味だった。
(因子? 促進……?)
リリサは“武器”と“注射器”の因果関係を理解できずにいた。……が、アンプルが5つ、人数分用意されていることに気付き、それが自身の体に注入するものであると悟った。
他のメンバーもすぐにリリサと同じ考えに至り、困惑を隠せなかった。
ただの薬を武器と表現するのは如何なものだろうか。
エヴァーハルトはケースから注入器とアンプルを取り出し、5人それぞれに配っていく。
「この促進剤は君たちの狩人としてのポテンシャルを最大限に引き出すように設計されている。発現まで個人差はあるが、君たちならばすぐに力を使いこなせるだろう」
リリサは受け取ったそれを観察する。
黒い液体は粘性があり、少ない容量にもかかわらず重く感じられた。正直気持ち悪いし、体に入れるのは抵抗がある。
ジュナも文句があるようで、アンプルを親指と人差指で摘んで顔をしかめていた。
「武器っつーか、ただのドーピングじゃねえか。そんなクスリでパワーを底上げしたところであんな化け物相手に通用しねーよ。ふざけてんのか?」
ジュナに便乗してリリサも思いの丈をぶつける。
「そうね。私達に必要なのはクロイデルから身を守る程度の力じゃなくて、何千何万体のクロイデルを一掃できる強大な力よ。それを理解できないほど貴方は馬鹿じゃないと思っていたのだけれど」
モニカ、フェリクス、ヘクスターも促進剤を受け取ったものの、不安を拭えず懐疑の目をエヴァーハルトに向けていた。
モニカは受け取ったアンプルを握りしめ、エヴァーハルトに直訴する。
「下手に希望を持たせないでください。電磁パルスの防壁だけでも多くの民間人を救える立派な兵器です。防衛に徹すればクロイデルの猛攻にも耐えられるはずです。こうやって話している間にも驚異は迫ってきています。避難誘導や猟友会支部への連絡などを優先したほうが良いのではないでしょうか。この場所もシェルターとして運用すればより多くの命を守ることができると思うのですがっ……」
早口で一気に喋ったせいで息が続かなかったようだ。
モニカは大きく息継ぎをし、呼吸を整えてからゆっくりと続ける。
「この促進剤には私の提案以上の効果があるのですか? こんなアンプル1つであの悪魔みたいな兵器に勝てると、本気で思っているのですか?」
「無論だ」
エヴァーハルトはきっぱりと言い切る。
「私の説明が不十分だということを鑑みても、君たちは過分に常識的すぎる。仮に“超強力な小型爆弾を持って敵拠点で自爆しろ”と言ったとして、君たちはそれで納得できるのか」
「いや、それは……」
モニカに詰め寄るエヴァーハルトだったが、モニカの怯えを察知してか、すぐに距離を取った。
フェリクスはすかさずモニカの前に立ち、エヴァーハルトを睨みつける。
「変な薬を渡されて、これでクロイデルに勝てるって素直に信じられるかよ。大体、説明不足を自覚してるなら最初から丁寧に分かりやすいように説明しろ。エヴァーハルト“教団長様”」
フェリクスの真っ当な意見に対し、エヴァーハルトはすぐに謝罪の言葉を述べた。
「少し急いてしまっていたようだ。しっかりと説明する必要があった。謝罪しよう」
エヴァーハルトはモニター前に戻っていき、フェリクスも視線は彼に向けたまま丸椅子に座り直した。
リリサも冷静になって考える。
堅実で慎重な彼がこの局面で悪手を打つとは思えない。この促進剤には確実な効果があるのだろう。
フェリクスの言った通り彼はカミラ教団の創設者であり、パイロの監視から逃れながら研究調査を続けてきた生ける伝説だ。
常識という薄っぺらい考えで彼の発明品に疑いを持つのは失礼だったかもしれない。
リリサも多少自身の言動を反省していると、促進剤についての説明が始まった。
「我々は少なからず全員が戦闘型DEED因子を有している。通常は非活性状態で細胞内に存在していて、ほぼ全ての個体が非活性状態のまま人生を終える」
モニターには簡易図が表示されていた。
「この戦闘型DEED因子が活性化すると、ゲノム情報を書き換え、細胞の構造をより戦闘に適した構造に改造する」
少し話が難しくなってきた。
「ごくまれに先祖返りを起こして戦闘型DEED因子の活性割合が比較的高い個体が生まれることがある。他の者と違い、骨格や筋力や五感が優れている。それが君たち“狩人”と呼ばれる人種だ」
なるほど、聞く限りでは戦闘型DEEED因子というものが強さの源のようだ。
どうして筋肉量の少ない私やジュナが特に苦労もなく武器を振り回せるのか長年疑問に思っていたが、生まれつき肉体構造が違うのならば納得できる。
「この活性促進剤は戦闘型DEED因子の活性割合を大幅に向上させる薬剤で……」
「えっと、聞いていいか?」
説明中、ジュナは遠慮することなく質問をぶつける。
「戦闘型DEEDっていうと、クロトに見せてもらった過去の記録にあったでっかいトゲトゲのバケモノの事だよな。その薬を投与されるとアレになっちまうのか?」
「いや、アレと我々は遺伝情報がほぼ同じというだけで、生物としての在り方が全く違う。そもそも過去のアレを生物と定義できるかどうかも怪しい。……この薬は君たちの潜在能力を限界まで引き出し、それぞれの戦闘特性を増幅・強化するものだ。この薬を使っても体の形状が変化することはないから安心したまえ」
「うー……もっと分かりやすく頼む」
ジュナはジュナなりに理解しようと努めていたが、如何せん基本的な知識量が乏しい。
エヴァーハルトはジュナの期待に応え、噛み砕いて説明を再開する。
「元々備わっている力を開放する鍵のようなものだと考えるといい」
「なるほど……って、聞けば聞くほどドーピングにしか思えなんだよなあ」
ジュナは個人的な感想を述べた後「そもそもなんだけど」と追加質問する。
「これ、めちゃくちゃ毒々しい色だけど安全なのか?」
副作用についてはリリサも考えていた。
力を得るには代償は付き物だ。
こんな液体を注入するとなると、気分が悪くなる程度のものでは済まされない気がする。
そんなリリサの心配など知らず、エヴァーハルトは自信満々に言い切る。
「すでに人体実験も何度も行って安全面では問題ない。今心配すべきはどれほどの戦力を得られるかだ」
「人体実験って……」
道徳心の強さからか、モニカは人体実験という言葉に敏感に反応した。
モニカの言わんとしていることを悟ったエヴァーハルトは人体実験について掘り下げる。
「被験者は私を含めて全員問題なかった。その点は安心したまえ」
「自分で実験済みとは恐れ入ったわ」
リリサはエヴァーハルトの思い切りの良さに感心した。それだけ自分が手掛けた薬の安全性に確信を持っていたのだろう。
そしてすぐにとある事実に気がついた。
「促進剤を打ったってことは、貴方が見た目のわりに強いのは薬のおかげだったの?」
エヴァーハルトは「うむ」と強く頷く。
「私とカレン君、他にも複数名の狩人に投与した。被験者は多かれ少なかれ能力の向上を認めたが、結局大型クロイデルに匹敵する力を得ることはできなかった。因みに、最も向上したのはカレン君だ」
「なーんだ、その程度なのか」
ジュナの落胆の声に対し、エヴァーハルトは語気を強める。
「いいかいジュナ君よく聞くんだ。カレン君は7歳で大病を患い、動くことはもちろん、自分で食事することすら困難な状態だった。そんな彼女が今や猟友会のトップだ。結構な能力向上だと思わないか?」
「お、おう」
エヴァーハルトは個人的にもカレンに思い入れがあるのだろう。
カレンの過去の話を持ち出してまでジュナを納得させていた。
事実、カレン・コルマールという狩人は大型船を破壊した海棲クロイデルを相手にして生き延びた猛者中の猛者だ。
あのカレンが病気で死にかけていたとは、全く想像できない。
「そういう点ではリリサ君やジュナ君のような上級狩人には期待している。一般人レベルの我々がこれほどの能力を得たのだ。もともと戦闘適正の高い個体がどれほどの力を得るのか、想像もできない」
そう言われるとこちらとしても期待を禁じ得なかった。
ただでさえ私達狩人は常に強さを追い求める人種だ。強くなるためなら注射の1本や2本喜んで打つ。それが短期間で手に入るのならなおさらだ。
リリサは参考までに質問する。
「この促進剤を使えば、クロトと同等かそれ以上の力を得る可能性もあるってこと?」
「いや、万能かつ全ての能力を有する持つ彼以上にはなり得ない」
即座に否定することもないだろうに。
少し残念に思うリリサに対し、エヴァーハルトは補足する。
「彼は異例中の異例だ。クロト君は過去に行われた施術によりすべての戦闘適正を有するDEEDマトリクス因子を完全に我が物とした。つまり、全ての戦闘特性を100パーセント行使できる最強存在に進化したわけだ。細胞内のエネルギー生産装置がその最たるもので、平常時とは比較にならない程の莫大なエネルギーを生み出す。無から有を生み出していると錯覚させられるほどに」
クロトについてはかなり研究していたのか、説明に熱がこもる。
「あの黒い粒子もDEEDの能力に起因しているかどうかも怪しい。あれについては未だに正体がわからない。なにせ、サンプルを取ろうにも消失してしまうし……」
ここまで言ってエヴァーハルトはようやく我に返り「すまない」と告げてリリサにフォローの言葉を送る。
「クロト君に近付くのは難しいが、クロイデルの大軍を一掃できる程度の力を得ることは可能だろう。それは私が保証する」
「オーケーわかった。御託はいいからさっさと打とうぜ」
いい加減じれったくなったのか、ジュナはアンプルを注入器にセットする。
「他に質問はないのか。後遺症がのこる可能性もあるから細かく説明を……」
「打った本人が目の前でピンピンしてるんだし大丈夫だろ。で、これは腕に打てばいいのか?」
「いや、下腹部に押し当ててスイッチを……待て待て」
「この辺か、えい」
説明の途中にもかかわらす、ジュナは注入器を右手に握り腹部に押し当て、そのまま本体上部にあるスイッチを押した。
カチッという音がするとアンプル内の黒い液体は減っていき、3秒ほどで空になった。
空になると再びカチッと軽い音がし、アンプルの固定が解除された。
「ふう、すっきりした」
「ジュナ君、君の判断速度は評価しているが、ここまで思い切りがいいのも考えものだな」
「打ってやったのに文句言うなよ」
ジュナは空になったアンプルを指で弾いて真上に飛ばし、落ちてきたそれをキャッチしながら言い返す。
ジュナの言う通り、深く考えたところで結局この促進剤を打つ結末に変わりはない。
これ以外に方法はないし、現状を打破するためにも時間の浪費は避けるべきだ。
リリサもジュナに倣って下腹部に注入器を押し当てる。……つもりだったが、シャツ1枚でおへそがチラ見えしているジュナと違ってリリサは猟友会支給の分厚い戦闘服に身を包んでいる。
流石にこの場で上を脱ぐのは躊躇われる。
……ならば下を少しずらせばいい。
リリサはショートパンツのベルトを緩めると、右側を大腿筋の上辺りまでずりおろし、あらわになった下腹部に例の注入器を押し当てスイッチを押す。
痛みはなく、すぐにカチッと音がして無事に注入を終えた。
5人中2人が促進剤を打ち終えた。
他のメンバーもあとに続くだろうと思っていたが、それぞれ神妙な面持ちで躊躇っている様子だった。
特にモニカは狩人ではなく調査員ということもあり、アンプルを見つめて固まっていた。
そんなモニカを見てエヴァーハルトは助け舟を出す。
「促進剤の使用を強制するつもりはない。特にモニカ君は戦闘員ではないし、ここで情報収集を手伝ってくれまいか」
「いや、でも、私は……」
モニカはしどろもどろに応えていた、まだ決心がつかないようだ。
「身体強化ってことは手先が器用になったり頭の回転も速くなったりするのか?」
唐突に口を開いたのはヘクスターだった。
鍛冶職人という意味では彼も戦闘員とはいい難いが、少なくとも有象無象の上級狩人以上の実力者に違いはなかった。
ヘクスターの質問にエヴァーハルトは正直に答えた。
「どの程度かは分からないが、五感は確実に強化されるだろう」
「ならありがたく使わせてもらう」
ヘクスターは注入器を逆手に持ち、上着の裾をめくって腹部に押し当てた。
作業しながらヘクスターは自身の行動方針を語る。
「この地下研究所に来てから武器やら機械を見たくて見たくて仕方がない。あれを参考にすればすごい武器が造れる気がする。そのためにも色々強化されておいて損はないだろ。まあ、いよいよとなれば俺もクロイデルの排除を手伝うが、あまり戦力は期待しないでくれ」
「それは心強い。資料は自由に閲覧してくれ。何なら工作機械も勝手に使ってもらって構わない」
「オッケー。そうさせてもらう」
ヘクスターはああ言っているが、身体能力の伸び具合によっては常に前線に駆り出されることになるだろう。
ヘクスターが促進剤を打ったことで、モニカにも変化が見られた。
「……私、打ちます」
「モニカ君、いいのかい」
モニカはアンプルを注入器にセットし、それを両手で持つ。
「私は調査員である前にカミラ教団の研究員です。その教団の長が苦労の果てに開発した薬を疑うような真似は出来ません。それに、不安よりも興味の方が強いです」
モニカは深呼吸をすると注入器を両手にコートの中に潜り込ませ、ゴソゴソと位置を調整してお腹にあてがう。
注入器の表面が少し冷たかったのか、肌に触れた瞬間ビクッとしていたが、すぐにカチッという音がした。
これで残るはフェリクスだけだ。
リリサはベルトを締め直して下腹部を撫でつつ、フェリクスに視線を向ける。
最後の1人、フェリクスは額に手を当て項垂れていた。
明らかに気後れしている。
背中を押してやろうかと立ち上がったリリサだったが、フェリクスは予想以上に日和っていた。
「俺はいい。俺より適任者がいるだろ」
なんとも情けない男だ。上級狩人とは思えない発言である。
フェリクスは目を泳がせ、ジュナを指差す。
「例えば……ジュナの兄貴のダンシオとかさ」
ダンシオ・アルキメル
ジュナの兄に当たる彼は猟友会内でも5本の指に入るほどの実力者だ。
クロイデルのパーツで編まれた頑強な糸を武器として扱い、毒の霧に覆われた困難な戦闘区域で大量のクロイデルを駆除した実績を持つ大ベテランである。
強敵、トキソとの戦闘で隻腕になってしまったが、それでも実力はフェリクスに勝るのは間違いない。
薬を打てば腕も元通りになるかもしれない。
良い提案なのではないかとリリサも思ったが、エヴァーハルトの一言で却下される事となった。
「彼は被験者の一人だ。これ以上の能力向上は望めない」
人間離れした技術の持ち主だなとは思っていたが、彼も能力を底上げされた狩人だったのなら腑に落ちる。
一体何人の狩人が被験者にされたのだろうか。
妹のジュナもこの事実には驚いている様子だった。
「そうだったのか……」
複雑な表情を浮かべるジュナにエヴァーハルトは釘を刺す。
「本人は自分が被験者であることを知らない。秘密を守るためにも黙っていてくれると助かる」
「……わかってるつーの」
ジュナは何か言いたげだったが、腹にしまい込んだようだった。
エヴァーハルトは再度フェリクスに告げる。
「促進剤にも限りがある。それに、今ここで使わなければパイロ君によって製造方法から研究資料もろとも消し炭にされてしまう。早めに判断してくれまいか」
「パイロが!?」
素っ頓狂な声を上げるフェリクスにエヴァーハルトはため息交じりに答える。
「少し考えればわかるだろう。これが大量に出回ればDEEDは再び戦力を取り戻し、人類にとっての脅威になる。そうなれば交渉の余地なく人類は我々DEEDを皆殺しにするだろう」
使うか、使わないかの二択以外に選択肢はない。
使ったところで特にデメリットはないというのに、何を躊躇う必要があるのか。
力を得れば否が応でも戦場に、最前線に立つことになる。
戦うのが怖いのだろうか。
戦って死ぬのが怖いのだろうか。
そこまでの臆病者なら促進剤を打たずにどこか安全な場所に隠れればいい。
別に卑怯だとは思わないし、馬鹿にもしない。だた、狩人でありながらクロイデルに立ち向かおうとしない彼を、私は一生軽蔑し続けるだろう。
少しの沈黙の後、フェリクスに近づいたのはジュナだった。
「もしかして、ビビってるのか」
ジュナはフェリクスの座る丸椅子を蹴りながら煽り続ける。
「あーあー情けない。これだからビビりは嫌いなんだよ。ま、お前が促進剤を使ったところで役に立たないのは目に見えてるし? 雑魚にいられても邪魔なだけだからとっとと出て行けよ。一般人以下の腰抜け野郎」
「ば、馬鹿にすんじゃねーぞ!!」
フェリクスはジュナの蹴りを靴底で止め、自身の上着を握力に物を言わせて引きちぎる。
そして、上裸になったフェリクスは勢いに任せて腹部に促進剤を打ちこんだ。
アンプル内の黒い液体はスーッと体内へ流れ込んでいき、空になったアンプルがカチッと音を立てて注入器から外れた。
その音で我に返ったのか、フェリクスは崩れ落ちるようにその場に膝をつき、頭を抱えてうめき声を上げる。
「はああ、ほんと馬鹿だな俺……」
何はともあれ結果オーライだ。
煽りに煽ったジュナはにひひと笑いながらフェリクスの背中をバシバシ叩く。
「これまで何度も命がけでバケモノと戦ってきたのに、この程度のことで命を惜しんでんじゃねーよバーカ」
「……ド正論だな」
注入したからには戦うしかない。もう逃げられない。
フェリクスも覚悟を決めたようで、つい先程までとは打って変わって今は上級狩人の顔に戻っていた。
「では、各々力が発現するまで待つとしよう」
エヴァーハルトもそれなりに疲れたのか、背伸びをして首のストレッチをして丸椅子に腰掛けた。
リリサも足を組みなおし、目を瞑る。
(戦闘型DEEED因子……)
クロトやティラミスは無事なのだろうか。そもそも生きているのか。
自分に力があれば何かしら出来るのだが、今はパイロがクロイデルプラントを何とかしてくれることを願う他ない。
「……」
赤い髪と黒装束が特徴の超能力者、パイロ。正直あの男のことは気に食わない。
少々癪だが、リリサはパイロの無事を祈っておくことにした。




