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天球のカラビナ  作者: イツロウ
07-覚醒者の選択-
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――5分後

 クロト一行は話し合いが行われる無人の人工島に降り立っていた。

 6名を運んだ黒の粒子で造られた船は到着と同時に霧散し、空間に溶け込むように消失した。今は存在していたのかを疑うほど残滓も感じられない。

 移動手段を片付けたクロトは人工島の砂浜に足を踏み入れる。

 足の裏には少し湿った砂の感触。

 もし素足なら、くすぐったいような、包まれるような、心地よい感触を肌の表面に感じられたことだろう。

 隼本人は適当にこしらえたのだろうが、自然の砂浜にも劣らない見事な海岸線だ。

 事が落ち着いたらここで海水浴でもしたいものだ。

 これまで休息する機会は十分にあったが、休暇となると話は違う。何も心配事がない状態なら思う存分バケーションを楽しめるというものだ。

 そんなことを考えながらもクロトの視線は前方を見据えており、警戒態勢をとっていた。

 クロトの緊張を感じ取ったのか、パイロはリラックスするよう促す。

「そんなに警戒するなよ。通信できないのはちょっと不安だが、戦闘力はこっちが圧倒的に上だろ? 大丈夫だって」

 パイロはクロトの肩をポンポンと叩く。

 少し体が揺れるも、クロトの視線はブレることなく人工島の中央部に向けられていた。

「僕と隼は間違いなく大丈夫だと思う。でも今は“二人”じゃない」

「あー……」

 クロトの言葉を受け、パイロは後方を歩く4名に目を向ける。

 エヴァーハルトとカレンは周囲を警戒しつつ歩いていた。さすがのカレンも敵地の真っ只中とあり、いつもの余裕な表情は見られない。

 少し後ろにはティラミスと律葉の姿があった。

 ティラミスはクロトの指示通り、律葉を護衛するべくぴったりくっついて移動している。

 そんな真剣なティラミスとは裏腹に、律葉は目前にいる小さなボディーガードを背後から軽く抱きしめ、時折頬ずりしたり頭を撫でたりと呑気なものだった。

 自己防衛に関しては最も能力の低い律葉だが、最も安全な立場にいるのも事実である。

 なぜなら、クロイデルやゲイルは人間を攻撃できないようプログラムされているからだ。

 そう考えると、律葉がティラミスを守っていると言っても過言ではない。

 クロトは少し間を開けて言葉を続ける。

「二人でDEEDを殲滅していた1000年前とは違って今は6人もいる。本当は防弾チョッキみたく黒の粒子をみんなの体に纏わせたいけれど、敵対行為とみなされて攻撃されると元も子もないし……」

 律葉がいるせいか、クロトはいつにも増して慎重になっていた。

 心配性のクロトにパイロはアドバイスを送る。

「変に気構えるなよ。普段通りでいいんだよ、普段通りで」

「……そうだね」

 これから行われるのは予定調和ありきの単なる話し合いだ。何も心配することはない。

 頭ではそう理解している。

 しかし何とも言えない不安を感じる。

 直感とでもいうべきか。予感というべきか。明確に言葉で説明できないが、不穏な空気が立ち込めている。

「――お、あのコンテナか。大きいな」

 隣から聞こえたパイロの言葉につられて、クロトは改めて視線を遠方に向ける。

 広い人工島の中心付近、クレーターの内部にそのコンテナはあった。

サイズは平屋建てくらいだろうか。外側はハニカム構造の重厚な金属で覆われていた。

 これだけ大きければ島のどこからでも見えそうなものだが、コンテナは地面より低い場所に設置され、さらにはクレーター周縁部に土が盛られている。

 どうりでなかなか視界に入らなかったわけだ。

 コンテナ周囲に人影はなく。静寂がその場を支配していた。

「迎えもなしかよ」

 パイロは文句を言いつつクレーターへ向かっていく。

「ほんとね。警護でゲイルがいるかなと思っていたのだけれど」

 パイロに呼応したのは律葉だった。

「あいつは軌道エレベーターを守るのが仕事だからな。滅多なことじゃあそこから動きやしねーよ」

「確かに……。じゃあ消去法でトキソさん?」

「あの毒女か……」

 失礼な呼び名である。

 そんなことを気にする様子もなく、パイロはトキソについて話す。

「そもそもあいつの力ってあんまり護衛には向いてなくないか? 毒撒き散らしたらブレインメンバーも巻き込まれるぞ」

 短絡的な思考に対し、律葉は説明を交えて意見する。

「毒だけが彼女の能力じゃない。医療班に頼まれて薬剤を生成したり、量子演算装置に使われてるパーツの加工に必要な特殊な洗浄液も合成できるんだから。いろんな部署から引っ張りだこよ」

「やっぱり護衛には向いてねーじゃん……」

「なんか、戦うことを前提に話してない? そういうのよくないと思うなあ」

「可能性がゼロじゃない以上、対策を考えるのは当然だろ」

 二人の会話を聞き、クロトは改めてトキソについて考える。

 彼女は護衛には向いていないかもしれない。しかし、“脅威ではない”と決めつけるのは早計だ。

 これがゲイルなら対処法はすぐに思いつく。重力制御による攻撃は強力だが所詮は物理現象。僕と隼なら簡単に御すことができる。

 しかしトキソに関しては情報があまりにも少なすぎる。

 僕にできることといえば、異変を感じた瞬間にみんなを連れて逃げることくらいだ。

(……よくないな)

 今まで前向きに考えて行動してきた。誰も不幸を被らないよう、穏便に事が進むと信じてここまで来た。

 漠然とした不安を感じているのは事実だが、いろいろ考えていても仕方がない。下準備は十分。ブレインメンバーからも共生のメリットについて同意を得ている。

 とにかく今は予定通りに行動するよりほかない。

 クロトは歩みを止めることなく、クレーター内部のコンテナへ向かう。

 他の5名もクレーターの縁で歩みを止めていたが、クロトの後を追うように斜面を下っていく。

 緩やかな斜面を降りていくと、やがて固い平地にたどり着いた。

 固いといっても金属のそれではなく、砂をギュッと固めた、例えるならクレイコートのような感触だった。

 この窪地はパイロが作ったのだろうか。

 ふとパイロを見ると、ちょうど目が合った。そしてこちらの考えを汲んだのか、不可解な表情を浮かべて肩をすくめた。

 パイロがやったのではないとすると、この規模のクレーターを作るにはかなりの労力が必要になる。

 ここは絶海の孤島。重機などの大型機械は当然持ち込めない。……となると、こんなことができるのはゲイル以外考えられない。

「……」

 誰が何のためにこのクレーターを作ったのか。単なる日除けのためか、それともトラップか。 

 十数分前から無線で連絡が取れないのも気になる。

 一旦この島から離れて無線がつながるまで待機したほうがいいのではないだろうか。

 色々と考えつつもクロトは歩み続け、とうとうコンテナの目前に到達した。

 コンテナ自体は無骨な外見だが、出入口のドアは認証装置付きのスライドドアになっていた。

 このタイプのドアは軌道エレベーター内でもよく見かける。

 ドアはロック状態で、上部のステータスランプは赤に点灯していた。

 しばらくコンテナ前で立っていたが開く気配はない。

 ……ノックでもしたほうがいいだろうか。

 クロトは拳を肩の位置まで上げてノックの態勢をとる。すると、赤のランプは緑に変わりドアの内部からモーター音が微かに聞こえた。

 その後、数秒と経たずしてドアが開き始めた。

 特注の頑丈なドアとあって重量があり、開く速度は比較的遅めだ。

 開くにつれ、ドアの隙間からひんやりとした冷気が外へ漏れ出す。

 外に出た冷気は温かい外気に押し下げられ、クロトたちの足元を通り抜けていく。

 嫌な感触だ。

 エヴァーハルトとカレンは武器こそ構えていないがかなり警戒しているようで、ドアに近付こうとはしなかった。

 ドアが完全に開き切ると、クロトは内部を観察するべく一歩前に進む。

 コンテナ内部は暗く、動くものは視認できない。

 ただ、人の気配は感じられた。

「……2人いる」

 隣のパイロが短く告げる。

 その口調は昔、戦場ででよく耳にした索敵報告そのものであった。

「2人だけ?」

「ああ、玲奈とトキソだ」

 ブレインメンバーは合計8名で構成されている。

 何事も8名で話し合い、検討、討議を行い問題を解決するのがブレインメンバーというシステムを運営する上でのルールだ。

 1名や2名の欠席ならまだしも、6名がこの場にいないのは不可解だ。

 何らかの異常事態が発生しているのは明らかだった。

 クロトは事態を把握するべくコンテナ内へ足を踏み入れる。

 すると、タイミングを見計らったかのようにコンテナ内部の電灯が点いた。

 天井から青白い灯りが降り注ぎ、コンテナ内を万遍なく照らす。

 コンテナの中央には室内を分断するように長いテーブルが設置されており、向こう側に人影を確認できた。

 天井から光を受けて床に黒い影を落としているのは長髪の女性。玲奈だった。

「時間ぴったりね」

 吐息混じりの声がひんやりとしたコンテナ内に静かに響く。

 玲奈はテーブルの向こう側にある簡素な椅子に腰かけていた。

 もう一人、トキソの姿は見えない。

 室内に人ひとりが隠れられそうな場所はない。床下か、それとも死角か、何らかの手段で身を潜めているのは確かだ。

 他にも気になる点は山ほどあるが、玲奈に聞くのが手っ取り早い。

 クロトが質問しようとした矢先、玲奈が前触れもなく予想外の言葉を発した。

「ブレインメンバー内で協議した結果、あなた達とは交渉しないことになったの」

 言葉の意味を理解できず、クロトは思わずオウム返ししてしまう。

「交渉しないって……どういう意味だい?」

「そのままの意味よ。交渉決裂って言ったほうが分かりやすいかしら」

 何らかの異常が発生していることは分かっていたし、何が起きても即座に対応できるように構えていた。だがこれは想定外が過ぎる。

「メールで通達しても良かったんだけれど、文面で伝えるよりは直接会って伝えたほうが情報の齟齬が少なく済むと思って」

 呆気にとられているクロトとは対称的に、玲奈はいたって冷静だった。

「せっかく色々と準備してくれたのに残念な結果になってごめんなさい。今回の件は早く忘れて人類再興に向けて頑張りましょ。……それで今後の予定なんだけれど」 

「ちょっと待て」

 勝手に話を進める玲奈を止めたのはパイロだった。

 パイロは前に出てテーブルに手をつき、鋭い視線を玲奈に向ける。

 玲奈はその深紅の眼を真正面から受け止め、余裕の態度で応じる。

「なにかしら?」

「事実確認がしたい。他のメンバーと話せるか?」

「確認なんて必要ないと思うけれど……」

 玲奈は左手で前髪をいじり、そのまま指先の爪を小指から親指へ向けてチェックしていた。

 まともに取り合っていないのは明らかであり、流石のパイロも自制できなかった。

「――いいから話をさせろ」

 苛立ちの混じった低い声がコンテナ内に鈍く反響する。

 そして、続けざまに金属が擦れる不快な音が響いた。

 その音の発生元は金属製のテーブルであり、よく観察するとパイロが触れていた部分が不自然な形に捻じれ、内側に凹んでいた。

 お調子者のイメージが強いパイロだが、その本質は人の形をした兵器だ。

 彼がその気になればこの場にいる全員を瞬時に蒸発させることも容易い。

 エヴァーハルト、カレンの両名は殺気にも似たパイロの気迫に慄き、体が硬直していた。

 味方だと分かっていても怖いものは怖い。生命としての本能には抗えない。

 玲奈は凹んだ部分を見ても特に驚くことなく平然と答える。

「もう一度言うけれど今は無理。諦めて」

 クロトは“今は”という単語に引っ掛かりを覚えた。

 頭ごなしに決定事項を押し付けているだけかと思っていたが、それなりの理由があるようだ。

 当然パイロも不審に感じ、質問を重ねる。

「“今は無理”って、どういう意味だ?」

「そのままの意味よ」

 玲奈は溜息を吐き、悩ましい表情を浮かべる。

「ここに来る直前に人工冬眠の解凍作業で問題が発生して、みんなそっちの対応に追われてるの」

「先にそれを言ってよ……」

 今まで事の次第を見守っていた律葉がようやく口を開く。

 きちんとした理由を聞けて安心したのか、安堵の息をついていた。

 律葉につられるようにティラミスも体の力を抜き、緊張で強張っていた顔に明るさが戻る。

 状況の一部を把握できたのは良いとしよう。だが、事態が事態だけに落ち着いてはいられなかった。

「解凍作業のトラブルって結構な事故じゃないか。大丈夫なのかい?」

「大丈夫、単なる経年劣化によるトラブルよ。私がいなくても対処できるくらい単純な、ね」

「それならいいんだけれど……」

 機械に強い玲奈が……冷凍睡眠装置なんて比にならないほど複雑な人型戦闘機械の製作に携わった彼女が“大丈夫”と言っているのだから心配することはない。

 しかし、心配せずにいられないのが人間の性である。

「やっぱり気になる。微力ながら僕らも手伝うよ」

 この際だ。会談の件は棚上げにして軌道エレベーターに向かおう。

 DEEDのみんなには悪いが、落ち着くまで待ってもらうしかない。

 クロトの意見にパイロも同意する。

「だな、何にしても人手は多いほうがいい。ついでにブレインメンバーと直接話せるだろ」

「それもそうだね」

「納得いく理由を聞けるといいんだが」

 事故とはいえ、約束を守れなかったのは事実だ。良いか悪いかは置いておいて、日を改めるくらいの譲歩案は飲んでもらわないと公平性に欠ける。

「問題ないよな?」

 パイロは確認するように玲奈に問いかける。

 玲奈は視線を下に向け、硬い表情で無言を貫いていた。

 ブレインメンバーの腹積もりは決まっている。僕個人が何か訴えたところで決定が覆る可能性は低い。しかし、チャンスがあるのならそれに懸けるべきだ。

 玲奈の返答を待たずして、クロトは踵を返してドアへと向かう。

 クロトの行動に合わせ、他のメンバーも出口へと向かう。

 すると、開きっぱなしだったスライドドアがいきなり閉じた。

(……?)

 不審に思ったクロトだったが、特に気にすることなく取っ手に手をかける。

 ドアを開くべく力を込めた瞬間、玲奈の声がコンテナ内に響いた。

「ま、待って!!」

 玲奈はテーブルから身を乗り出し、手のひらをクロトに向けて突き出していた。

 彼女が座っていたイスは足蹴にされ、コンテナの奥へと勢いよく転がる。

 イスは床面に何度もぶつかり、不規則で不快な金属音を発生させる。

 その音もやがて止み、再びコンテナ内は静寂に包まれた。

 クロトは今のこの状況を理解しかねていた。

 玲奈の手元にはドアの開閉スイッチがあり、親指は“閉”のボタンを押している。

 ドアを閉めたのは彼女であることは明白だ。が、いささか強引が過ぎる。

 どうやら彼女は何としても僕たちをここに留めておきたいらしい。

 できればその理由を聞きたいが、今は早く軌道エレベーターに向かいたい。

 この程度のドアなら簡単に開けられる。壊してでも急ぐべきだろうか。

 緊張した空気の中、口を開いたのはパイロだった。

「開けてくんねーかな、玲奈」

「……無理」

 パイロはドアの方向に体を向けたまま。

 玲奈はテーブルに視線を落としたまま。

 互いに姿を視認しない状態で会話を続ける。

「今ならただの“冗談”で済む。考え直せ」

「……嫌」

「頼むから、荒事は御免なんだよ」

(荒事……)

 穏やかではない単語を耳にし、クロトは重要なことを思い出す。

 つい先ほどパイロはコンテナ内に“二人いる”と言った。そして一人は玲奈であり、もう一人はトキソであると。

 ――トキソと交戦する可能性がある。

 姿は見えないし隠れられる場所もないが、確実にトキソはこの場に存在する。

 彼女が得意とする有毒ガスは脅威だ。

 こんな狭い場所で放出されたら普通の人間は即死だ。

 脅威を認識したクロトは律葉の護りを盤石にするべく彼女の傍へ移動する。

 そんなクロトの行動を見て、ティラミスも足を肩幅に開き、自分の背を律葉に密着させる。

 律葉も何かしらの恐怖を感じてか、甘んじてティラミスの背にしがみついた。

 パイロは振り返り、玲奈を指差す。

「さっきの話も嘘八百だろ? お前が知ってて律葉が知らないわけがないからな」

「……」

 玲奈は押し黙る。

 この場面で否定しないということは、肯定と同義である。

「嘘って? まさか冷凍睡眠装置の件?」

「ああ、対応に忙しいとか言っていたが、全部デタラメだ」

「なんでそんなウソを……玲奈?」

 律葉は純粋な疑問を玲奈に投げかける。

 玲奈はただただ目を伏せていて、答えるつもりは全くない様子だった。

 目的や理由は分からない。しかし、玲奈が我々を引き留めることに注力しているのは事実だ。

 外に出ると彼女に不都合なことが起きるのか。

 それとも、ここで何かをするつもりなのか。

 そもそも悪意があるのかどうかすら不明である。

「これだけは嫌だったんだが、頭覗かせてもらうぞ」

 パイロは人の思考を読める。所謂サイコメトラーである。

 微弱な脳波をとらえて分析するという、種を明かせば単純な理屈だ。

 これまでは旧友とあって、プライバシーを覗くことは避けてきたのだが、トキソがどこかに潜んでいるこの状況を鑑みれば致し方ない。

 パイロは思考を読むべく右手の手のひらを玲奈に向ける。すると、玲奈は上ずった声で女性の名を呼んだ。

「トキソ、まだなの!? もう1分経ってるでしょ!? なんでみんな眠ってないの?」

 そんな玲奈の問いかけに応じたのは淡々とした女性の声だった。

「――私にもわからない」

「!?」

 どこからともなく聞こえてきた声に一同は驚く。

 やや低めだが清流を想起させる透き通った声……。

 クロトはこの声を知っていた。

 トキソである。

 やはりコンテナ内に潜んでいたようだ。

 ようやく姿を現したのかと思ったが、声がした場所には何もなく、何とも不可解な状況だった。

 その謎もパイロによって呆気なく暴かれることとなる。

「そこか」

 パイロは玲奈に向けていた手のひらを右側の壁に向け、広範囲に熱波を放つ。

 熱波によって室温が急激に上昇し、激しい温度差によって室内の空気がかき乱され、気圧差により景色がぐにゃりと歪む。

 しかしそれも一瞬のことで、視界が正常に戻ると、パイロが右手を向けた先、コンテナの壁際に女性が出現していた。

 まず目に付いたのはブルネットのロングヘアー。

 先ほど発生した風の影響で大きく揺れ、均一に光を反射して艶やかに波打っていた。

 淡い青の瞳はパイロに向けられ、薄紅色の唇は固く結ばれ若干への字に曲がっていた。

 服装は首元から胸部までを覆うチューブトップに丈の短いスパッツ、そして踝丈の安全靴という軽装だった。

 上下ともに黒で統一され、体のラインがわかるほど肌に密着している。

 肌は陶器のように白く、黒との対比がさらに色白肌を際立たせていた。 

 一見するとただの肌面積の広い美人だが、腰に巻かれたベルト……そのベルトのホルスターに収められた大型拳銃が、彼女が只者ではないことを物語っていた。

「姿が見えないと思ったらガスの比重で光を屈曲させてたのか。器用なもんだ」

 種を明かせば単純な話だ。とは言え、簡単にできるわけでもない。

 単に毒をばらまくだけでなく、治療薬を生成したりトリックに利用したり、改めてトキソの能力の汎用性には驚かされる。

 しかし、今は玲奈が発した言葉のほうが気に掛かっていた。

 クロトは確認するように玲奈に問う。

「僕の聞き間違いでなければ、“なんで眠っていないのか”って言ったよね。トキソのガスで眠らせて何をするつもりだったんだい?」

 これが有毒ガスであれば簡単に殺せたはずだ。

 いや、毒であればすぐに気付かれて警戒されてしまう。そう考えると、眠らせてから確実な方法で殺すほうが安全かもしれない。

 パイロも問い詰める。

「答えろよ」

 パイロの右手はトキソに向けられており、いつでも熱線なり何なりで殺害できる状態だった。にもかかわらず、トキソは問いかけを無視し、逆にパイロに疑問を投げかける。

「どうしてだ? ククロギやパイロならまだしも、他の連中に耐えられるはずが……」

 口調は冷静そのものだが、声色には困惑の色が濃く混じっていた。ご自慢の催眠ガスが効果を発揮できなかったのが不可解なようだ。

 パイロはそんな疑問を一蹴する。

「入ってすぐに空気の層で全員を囲った」

「ありえない。無色透明無臭のガスに気づけるはずが……」

「本当に馬鹿だな。中にいるのに姿が見えねーんだ。警戒して当然だろ」

「む……」

 流石は隼だ。いつもふざけているように見えるが頼りになる。

 本来なら僕も気づくべきだったが、中にいる玲奈が平気そうだったので油断してしまった。物理攻撃に対しては即座に対応できる自信があるが、こういう搦め手には弱い。

 状況が飲み込めないのか、ティラミスは眉をひそめたままクロトや律葉を交互に見ており、カレンとエヴァーハルトも構えたまま固まっていた。

 律葉もいきなりの出来事に驚いていたものの、頭の回転が追いついたようでようやく言葉を発した。

「待って、さっきの軌道エレベーターのトラブルが嘘ってことは、他のブレインメンバーはどこにいるの?」

 それは今最も知りたい情報だった。

 トラブルが嘘であるならば、ブレインメンバーはこの孤島に来ているはずだ。

 彼らとコンタクトできればこの事態を収拾できるし、詳しい経緯も聞ける。

(待てよ……)

 クロトは一旦思考を整理する。

 今までのやり取りを思い返すに、この状況は玲奈によって作られた。

 ここで僕たちを眠らせて行動不能にして何をするつもりだったのか。

 答えはすぐに出た。

 ――DEEDの掃討である。

 玲奈はDEEDは皆殺しにするべきだと以前から言っていた。今日のDEEDと共存するための会議の開催についても反対の姿勢を貫いていた。

 DEEDを殲滅するためにはブレインメンバーの意見を覆さなければならない。

 それが無理なら実力行使に出るしかない。

 その際、僕や隼のようなDEEDに肩入れしている人物、それも強大な戦力を保有している戦士は邪魔になる。障害となる。

 真っ先に排除するのは当然である。

 この考えが正しければブレインメンバーも排除して然るべきだ。

 それを抜きにしても、律葉が彼らのことを心配するのはあたり前のことだった。

 ブレインメンバーの安否について答えたのはトキソだった。

「殺してはいない。安心しろ」

 ある程度予見していたとはいえ、ここまではっきりと言われると逆に清々しい。

 DEEDから人類を守るためとはいえ、その過程で人類に死人を出すのは本末転倒だ。

 問題はあるにしろ、感情のまま行動しているわけではなく理性的に行動している。不幸中の幸いかもしれない。

 玲奈はトキソの説明を補足する。

「ブレインメンバーのみんなには眠ってもらってる。……DEEDをこの地球上からすべて消し去るまで」

「!!」

 玲奈の言葉にその場にいる全員が驚きを隠せない。

「そんな……玲奈、なんで……?」

 律葉は手を口元に寄せ不安げな表情を浮かべる。

 他のメンバーはある程度覚悟していたのか、比較的落ち着いていた。

「何? それってつまり私たち皆殺しにされるってことー?」

 コンテナ入口付近で待機しているカレンの呑気な言葉にエヴァーハルトが応じる。

「いや、そう考えているのはあの2人だけらしい。クロト君がこちらにいる以上、彼女たちに勝ち目はない」

 エヴァーハルトの言葉の通り、戦力だけで考えるなら玲奈の計画を阻止するのは容易い。

 しかしそれでは根本的な解決にはならない。

 玲奈の考えは理解できる。僕もこの力を得る前、地下で生活していた頃は同じことを考えていた。

 人の形をしていなければ、コミュニケーションが取れなければ、迷うことなくDEEDを殲滅する選択肢をとっていた。

「考え直せ……って言っても無駄なんだろうな」

 パイロは誰に話しかけるでもなく呟く。

「この世界の主は私達人類よ。侵略者インベーダーには死んでもらうわ」

「だよな、昔から頑固だったもんなあ」

 やはり玲奈の決意は固い。

 どうにかして折り合いをつけないことには、どっちに転んでも遺恨の残る結果になってしまう。

「待ってくれ」

 緊張状態の中、声を上げたのはエヴァーハルトだった。

 エヴァーハルトは落ち着いた声で玲奈に語りかける。

「我々は既にこの世界に定住している身。あなた達人間を攻撃する意思はないし、むしろ共存したいと考えている。あなた方の知識があれば世界はもっと豊かになる。それはこれからこの世界で生きていくあなた達の望むところでは?」

「論外ね」

 玲奈はエヴァーハルトを睨み、嫌悪を示す。

「3000万の労働力とか何とか言ってたけれど、こっちにはクロイデルっていうもっと役に立つ奴隷がいるの。最初からあんたたちの労働力なんてあてにしてない。取引の材料にすらなってないのよ」

「随分ときつい物言いだな、玲奈」

「100億いた私達人類を5万にまで減らしたDEEDを許すと思う?」

 玲奈は怒りのままに言葉を続ける。

「こいつらは形は人だけれど間違いなくDEED!! 人類を絶滅の危機に追いやった侵略者!! 今優先すべきは共存ではなく排除よ!!」

 今にもエヴァーハルトに飛びかかりそうだ。

 興奮気味の玲奈に対し、律葉は切に訴える。

「玲奈、話が違う。彼らとはとりあえず協力して生活基盤を作ろうって……」

「数ヶ月も経てばDEEDは綺麗サッパリいなくなる。そうすれば安心して生活基盤を整えることができるでしょうね」

 もうダメだ。彼女の頭の中にはDEEDに対する憎しみしかない。

 それでも諦めずにはいられなかった。

「……頼む玲奈、考え直してくれ」

「本気で言ってる?」

「僕は記憶喪失の間、1年以上彼らの世界で暮らしていた」

 クロトは今一度これまでの旅を振り返り、伝える。

「僕は、彼らが以前のDEEDのような凶暴な侵略者だとは思えない。もう一度よく話し合おう。結論を出すのはそれからでも遅くないと思う」

 クロトの提案にパイロも加勢する。

「そうそう。荒廃した土地を開拓してここまで文明を築き上げたのはこいつらだ。その点は評価するべきというか……とにかく、さっきの催眠ガスは無かったことにしてやるから、平和的にいこうぜ?」

「隼まで……」

 二人の旧友から同意を得られず、ついに玲奈は律葉に声をかける。

「ねえ律葉、まさかあなたまでDEEDと仲良くしようだなんて言わないわよね?」

「ごめん玲奈」

 律葉はゆっくり告げる。

「過去のことを忘れろとは言わない。でもね、彼らを皆殺しにして屍の山を築いて……その上で心地の良い生活を過ごせるとは思えないし、多分……いや、絶対に後悔すると思う」

 人類は被害者だ。だからと言って、加害者を一方的に罰してもいいのだろうか。

 しかもその加害者は人類を襲った記憶もなければ、罪を犯した自覚すらない。

「おかしいよ……みんなおかしい。誓ったはずでしょう? DEEDを殲滅して地球を取り戻すって」

 玲奈は頭を抱え、首を左右にふる。

「それなのに、なんで侵略者と仲良くしようとしてるの? おかしいわ、理解不能よ!!」

 玲奈は何度も床を蹴り、怒りを顕にする。

 しかし、激情的だったのはほんの数秒だけで、深呼吸をすると嘘のように静かになった。

「私は信念を曲げるつもりはない。DEEDとはどうあっても相容れないわ」

 冷たく言い放つと同時に、玲奈は懐から通信端末を取り出す。

 パイロは念動力でその端末を取り上げようとしたが、玲奈の言葉のほうが早かった。

「ゲイル、コード526216を実行……あっ!!」

 通信端末は玲奈の手を離れて宙を舞い、床に落ちた。

 律葉はすぐにそれを拾い通信端末を操作するも、すでに不通状態になっていた。

 通信端末を持ったまま、律葉は玲奈に確認する。

「玲奈、さっきのコードってまさか……」

「ええ、ゲイルを経由してクロイデルの待機モードを解除したわ。これでクロイデルは昔と同じように地球上を隅から隅まで飛び回り、DEED因子を持つ者を発見次第駆除する兵器と化す。プラントも再稼働して戦闘に特化したクロイデルが大量生産されるわ……フフ」

 不気味に笑う玲奈にパイロは詰め寄り、胸ぐらをつかむ。

「何してんだ!! 正気かテメエ!!」

「新しいクロイデルの戦闘能力はこれまでとは比べ物にならないわよ。外敵になぶり殺されていく恐怖を味わうといいわ」

 それはDEEDにとって死刑宣告に等しかった。

 ――何もかもが遅すぎた。

 もっと玲奈のことを理解してあげるべきだった。

 玲奈の意見は間違ってはいない。今後人類が再興する際のリスクを考えるなら彼女の手法は安全だ。

 しかし最善手ではない。もっといい方法があるはずだ。

 今は見当もつかないが、議論を重ねれば必ず見つかるはずだ。

 その時間を作るためにも、今はクロイデルを止めなければならない。

 ……これは僕のわがままだ。

 色々と理由を考え言い繕っているが、単純に仲間を守りたいだけだ。

 記憶を失っていたとはいえ、短い時間だったとはいえ、苦楽を共にした、命を預けあった、夢を語らい合ったあの時間は嘘ではない。

 人間だのDEEDだの関係ない。親愛なる人たちを守るのに理由などいらない。

 クロトは腹をくくり、行動に移すことにした。

「僕はこれ以上犠牲者を出したくない。だからクロイデルを止めてくれないか」

「そう簡単に止められると思う? そんなに被害が心配ならご自慢のDEED因子の力で“邪魔者”を排除すればいいじゃない」

 “邪魔者”という言葉の中に玲奈自身も含まれていることをクロトは理解していた。

 あの玲奈がこんな挑発的なセリフを吐くなんて、正気の沙汰ではない。

「僕には何が正解かわからない。でも、彼らを排除するのは早計すぎる。時間をかけてじっくり議論するべきなんだ。だから今は……プラントを破壊する!!」

 全ては一瞬だった。

 クロトは黒の粒子で2メートル程の長さのジャベリンを8本生成し、束ねた状態で南の空めがけて思い切り投擲した。

 ジャベリンはコンテナの天井を容易に貫通し、わずか数秒で空の向こうへ消えてしまった。

 その後ジャベリンは第1宇宙速度まで加速、弾道軌道で宇宙空間を突き進み、あっという間に南極海上空に到達、成層圏に再突入する。

 圧倒的な速度と質量を持つ8本の槍は空気との摩擦によって橙に輝く。

 空から降ってきた8本の槍は稲妻と見紛うほどの速度で、南極のクロイデルプラントに寸分の狂いなく命中した。

 プラントの規模は全長にして5kmに及ぶ。的としては大きい部類に入るが、目視できない上に地球四半周分の距離がある。

 赤道付近から南極海への正確無比な弾道軌道投擲。

 常識では考えられない長遠距離攻撃……それを実現してしまうのがクロトという最強兵器である。

 ジャベリンは洋上に浮かぶクロイデルプラントの機関部を正確に貫き、その機構をことごとく破壊する。

 だが破壊はそれだけで終わらない。

 プラントを支えるフロートユニットまで到達すると、ジャベリンはその場で爆散し支柱を粉々に粉砕した。

 結果、クロイデルプラントは自重を支えられなくなり崩壊。内部で待機状態にあった数千機のクロイデル共々、海の藻屑と消えていった。

 南極のクロイデルプラントが全壊したことなど知る由もなく、コンテナ内にいる全員が穴の空いた天井を見上げていた。

 状況がつかめていない面々を前に、クロトは心中を打ち明ける。

「スヴェンが教えてくれた。人類とDEEDは共存できると。……僕はその道を諦めない」

 探検家で狩人でもあるスヴェン・アッドネス、彼が僕に与えた影響は大きい。

 彼の遺志を引き継ぐ責任が僕にはある。

「そんな考えに5万人が……人類が納得するとでも?」

 応じたのはトキソだった。

 室内にいる全員が天井に空いた穴を見ている中、彼女だけがまっすぐクロトを見つめていた。

「今は納得してくれないかもしれない。でもいつかきっと分かってくれる。僕はそう信じてる」

「無理に決まっている」

 トキソはクロトから視線を外し、舌打ちした。

 そのタイミングで携帯端末の着信音が室内に響いた。

 甲高い電子音。それは律葉の手から発せられていた。

「!?」

 音に驚いて玲奈は思わず端末から手を離してしまう。

 床に落ちたそれを拾い上げたのは元の持ち主である玲奈だった。

 玲奈は端末の画面に表示されたメッセージを見、うなだれる。

 多分、南極のクロイデルプラントが破壊された旨のメッセージを受け取ったのだろう。

 クロトは再度玲奈にお願いをする。

「玲奈、命令を解除してほしい。僕としてもクロイデルを失うのは大きな損失だと思っているんだ」

「……数秒前に南極のクロイデルプラントを破壊した人間のセリフとは思えないわね」

 呆れ口調で言う玲奈に対し、トキソは動揺を隠せない。

「まさかさっきのアレが? あんな物でクロイデルプラントを沈めたのか!?」

「真人のスペックを考えれば十分ありえる話よ。事実、南極のプラントから信号が途絶えているのだから間違いないわ」

「いいから。答えを」

 クロトは北にジャベリンを構え、玲奈とトキソに決断を迫る。

 南極側は潰したが、まだクロイデルプラントは北極海にもある。

 プラントを潰してもクロイデルは大陸中に散らばっているし、自己増殖のために自らプラントを建造し始める。

 完全にあの兵器を壊滅させるのは困難を極める。だが、足止めとしては十分である。

 クロトが構えた黒の粒子の槍に視線を向けつつ、玲奈は答える。

「私が首を縦に振るまでそうやって脅し続けるわけね。なるほど……」

 玲奈は深く息を吐き、逡巡するように長い前髪を指先で弄る。

 何秒経っただろうか。玲奈は髪いじりを止め、静かに告げた。

「じゃあ私もこうするしかないわね」

 玲奈はポケットに手を突っ込み、中からガス圧式の注射器を取り出す。

 注射器を見てクロトは一瞬身構える。なぜなら以前、DEED因子の活動を停止させる特殊弾をゲイルに撃たれて痛い目を見たからだ。

 しかし何かおかしい。

 ただの特殊弾であれば簡単に防げるし、そもそも注射器を使うには接近する必要がある。

 お世辞にも玲奈の身体能力は高いとは言い難い。それに、針程度ならば皮膚を貫くことすらできない。

 ならばあの注射器は何に使うのだろうか。いや、誰に使うのだろうか。

(……!!)

 クロトはすぐに玲奈の考えを理解し、慌てて注射器を玲奈の手から弾き飛ばす。

 しかし、床に落ちた注射器の中身は既に空だった。

 つまりそれは、玲奈が自分自身に注射したことを意味していた。

 玲奈は首筋を押さえ、地面に膝をつく。

「トキソに作ってもらった致死性の神経毒よ。5分しないうちに私は死ぬわ」

 まさか自身の体を人質にするとは考えもしなかった。

 玲奈はもう自立できないのか、そのままぐったりと床に腹ばいになる。

 呼吸も荒いし顔色も悪い。演技の可能性は限りなく低いだろう。

 そもそも玲奈はそこまで器用な人間ではない。だからこそこういう事態になったとも言えるのだが……。

「玲奈!?」

 慌てて駆け寄ったのは律葉だった。

 律葉は玲奈のそばに座り込むと、玲奈の頭をそっと抱え込み、膝の上にのせる。

「おいおいおいおい、マジかよ……」

 玲奈に遅れてパイロも駆け寄る。

 本気で玲奈を心配しているのが声色からわかる。先程までお互いに悪態を付いていたのが嘘のようだ。

 パイロはバイタルを確認するべく玲奈の左腕を掴もうとする。

 しかし、玲奈は左手をポケットに突っ込んだまま動かなかった。

「おい、手を出せよ。今なら血流をコントロールして毒がまわってる細胞組織を……」

 玲奈は首をふる。

「解毒剤はポケットにある。もしあなた達が主張を曲げないなら注射器ごと握り潰す」

「あのなあ……」

「人類の敵と一緒に生活するくらいなら死んだほうがマシ」

 つくづく抜け目のない女性だ。

 僕たちは彼女のことを見捨てられない。つまり、彼女の要求を飲むしかない。

 度胸があると言うか、策士というか……ずっと以前から“敵に回したくはない”と考えていた。その考えは間違っていなかったというわけだ。

 玲奈は浅い呼吸で言葉を続ける。

「私が死亡すれば、ゲイルとクロイデルの命令権限は、律葉に移行される。破壊するなり労働力として使うなり、好きに使えばいいわ。人類が邪魔なら、静止軌道ステーションごと破壊してもいい」

「玲奈……」

 クロトは死に瀕している玲奈の顔を覗き込む。

 玲奈の瞳には未だ力が宿っていた。……覚悟ができている人間の目だ。

「それ以上近寄らないで。注射器を割るわよ」

 命を天秤にかけてまで交渉する玲奈は立派だ。友人として尊敬できる。

 ただ、飽くまでこれは玲奈の作戦だ。

 冷凍睡眠までして生きることを選んだ彼女が簡単に自殺するとは思えない。

 これまで死と隣り合わせの毎日を送ってきた経験者だからわかる。

 クロトは玲奈の作戦を看破すべく、あえて強気に出た。

「僕も覚悟を持ってこの場に来た。玲奈の要求は受け入れられない。すまない」

 玲奈は力なく笑う。

「もっと迷ってくれるかと思っていたんだけれど、流石は真人ね。友達としては少し寂しいけれど、そういう白黒はっきりしたところは好きよ」

 言い終えると目を閉じ、玲奈は後頭部を律葉の太ももに預ける。

「あと3分くらいかしら。……もっと早くこうするべきだったかもしれないわね」

 当然のごとく死を受け入れている玲奈を前にして、律葉は折衷案を提案する。

「真人も玲奈も一旦落ち着こう? 2人とも結論を急ぎすぎよ」

 律葉は膝枕をしたままクロトをビシッと指さす。

「真人、一旦その槍置いて」

 その言葉には有無を言わさない圧力があった。律葉は本気で玲奈を助けたいのだろう。

 まあ、僕と玲奈だといつまで経っても平行線なのは明らかだし、律葉に場を任せるのもいいかもしれない。

 クロトは律葉に言われたとおり、ジャベリンから手を放す。

 黒の粒子で構成された槍は床に衝突する前に霧散し、綺麗サッパリ消え去った。

 律葉は続けて玲奈にも命令する。

「玲奈も、早く解毒剤打って」

 玲奈はしばらく「うーん」と悩んでいたものの、律葉に気圧されてか首を縦に振った。

「わかった。じゃあ、注射してくれる? 体がうまく動かないから」

「もう……心配させないでよ」

 律葉は玲奈のポケットに手を突っ込み、ガス圧式の注射器を取り出す。

 表面のラベルを確認すると、律葉は玲奈の肩に優しく注射器を押し当てた。

 すると、みるみるうちに玲奈の血色が良くなり、力を取り戻したことが見て取れた。

「はぁ……間違いなくこれまでで一番長く感じた2分だったわ」

 玲奈は上体を起こし、律葉の手を借りておもむろに立ち上がる。

 少なくともこれで話し合いの余地ができた。

 やはり何事も一人で考え込むのは良くない。玲奈の意見も取り入れて今後についてじっくりと話し合いができるというものだ。

 僕も急ぎ過ぎていた自覚はある。不安を取り除くためにも、ルールや情報開示のレベルについて、細かいところまで詰める必要があるのかもしれない。

「一旦外に出ましょう」

 いつの間にか玲奈はコンテナの出口まで移動していた。

「そうだな。とりあえずブレインメンバーを解放してもらわないとな」

 パイロはすぐに出口に向かう。

「みんなにごめんなさいしないといけないね。不安なら私も付き添ってあげるから」

 律葉も緊張から解き放たれてか、いつもの明るい顔に戻っていた。

 彼らに続いてティラミス、トキソ、エヴァーハルト、そしてカレンも外に出る。

 外に出ると再び太陽光が体に降り注いできた。

 涼しい室内に居たせいか、余計暑く感じる。黒の粒子で大きな傘でも作ろうか。

 呑気になことを考えていると、不意に地面に影が落ちた。

 その影は大きく、コンテナごと広範囲を覆っていた。

 無意識に傘を作ってしまったのだろうか。いや、そんなことはありえない。

 なら、この影は何なのだろうか。

 クロトは原因を確かめるべく空を仰ぐ。

 ほぼ同じタイミングで玲奈が告げた。

「さて、それじゃあ改めてあなた達を拘束させてもらうわ」

「え?」

 見上げた先、空にあったのは巨大な機械の塊、いや、人の形をした大きな戦闘機械……ゲイルだった。

「ゲイル!!」

 気付いたときにはもう遅かった。

 玲奈の呼び声に応じ、人形戦闘機ゲイルは瞬時に抜刀し、上空からクロトめがけて急降下する。

 戦闘は避けられそうにない。

(どうしてなんだ、玲奈……)

 穏便に済ませたいが、ここまでやられてしまうと話し合いでどうにかできるレベルではなさそうだ。

 まずは驚異を排除してから……いや、無力化してから考えよう。

 クロトは深く考えることをやめ、迎撃態勢をとった。


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